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故石井紘基維新塾準備委員会コミュの石井紘基氏を悼み、惜しむ(本多勝一)

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石井紘基氏を悼み、惜しむ(本多勝一)

石井紘基衆議院議員(61歳)が先月25日に暗殺された。「政・官・業」癒着の追及に活躍してきたから、なにかその関係の背景があるのかと思った。同志ともいえる江田五月参議院議員も「彼が追及していた構造悪が牙をむいたのではないか」と語っている(『朝日新聞』10月25日夕刊)。

 だが、まもなく逮捕された犯人(48歳)は、「一人一党」を旗揚げした自称右翼であった。これはしかし報道などからすると、ホンモノの右翼なら怒りそうな、変てこな小モノのようだ。この男が滞納していた家賃を石井氏が工面しなかったといった、ばかばかしい理由で襲ったという。こんなヤカラに殺されて「どんなに無念だったか」と、後援会長の阿部武彦氏は涙の記者会見をした(『毎日新聞』10月27日朝刊)。この犯人は14年前に日本共産党本部にも押しかけ、軍用ナイフで2人を負傷させたほか、それ以前にも同党に対して2件の器物損壊事件を起こして懲役7カ月になっている(『赤旗』同)。

 報道によれば、犯人は10年ほど前から石井氏に近づいたほか、他の代議士や世田谷区議など、要するに政治家にタカることが生活の一部だったらしい。こうした“寄生虫”への対応が、石井氏は心やさしすぎたのではなかろうか。

 というのは、私自身も石井氏のやさしい人柄を直接知る1人だからそう思うのである。もともと「一般市民の目でずっと政治を続けてきた稀有な政治家」と紀藤正樹弁護士もいうように(『週刊朝日』11月8日号)、住民の生活上の困惑に対しても親身に力を貸していた。たとえば、世田谷区内のある住宅街に、いきなり統一協会の教会ができたときも、周辺住民の反対運動に政治家として最大限の協力を惜しまなかった。この運動と報道にかかわる過程で私も石井氏と知りあったのである。石井氏はオウム真理教とも対決していた。

 石井氏が社会的不正と正面からとりくんできたのは、純粋に「やむにやまれぬ正義感」からだったに相違あるまい。私たちと会うときの態度にしても、全く“平民”の1人として腰が低く、「若い好々爺」といった風采と面持ちであった。その温容は、舌鋒するどい国会質問や不正追及の姿とは別の顔のごとくにみえたが、口先だけカッコいい政治家とは反対の、こういう人物こそが実行力を具体的に示すことのできる、真に政治家の名に値する、数少ないホンモノだったのであろう。

 若いころ逆境で育ったために「たたかう政治家」になったタイプとは、石井氏は違うだろう。ナチ=ドイツのもとで断固として抵抗し、殺されていった「白バラ」のショル兄弟のように、むしろ自由で寛容な環境に育ったために、自分に誠実かつ純粋に生きたのかもしれない。誠実さからくるやさしさが、かえってあだになったのだろうか。

 惜しい人物が凶刃に倒れた。悪い時代に移りつつある日本現在史の象徴的事件でもあろう。

コメント(5)

石井紘基さんの死はショックでした。
・・・・今思い出しても悔しいです・・・・(-_-;)

自分なりに意志を受け継ぎたいと思います。
あれだけの無念を持ってニュースを見たときから数年が過ぎて、記憶から遠ざかってしまっていた石井紘基氏を思い出す機会が偶然にあらわれた。富山市でのフリーマーケットでかつて石井氏の秘書であった方とお会いする機会を得た。そして久しぶりにその著作に触れた。本物の政治家を思い出すことができた日だった。石井氏に感動した気持ちを忘れないでいたい、そしてすこしでも自分のできることをやろうという思いを新たにした。
今日は石井氏の命日でしょ?ご冥福をお祈りします。そして日本が良い国になってくれる様に切に願います。
地方分権に応じて従来の所得税などの一部を住民税などの地方税でまかなうことになります。これをめぐっての恣意的な勢力が勃興する可能性があるので厄介です。石井氏の思いを地方でも受け継ぐ人材養成が急務です。
そう思います。埼玉の上田知事も石井先生の遺志を受け継がれましたね。希望としては、上田知事の大親友でもある河村たかし代議士の名古屋市長鞍替えもいいと思います。あとは、長妻代議士の都知事か区長転身ですか。

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