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スマナサーラ長老の話からコミュの般若心経の真のメッセージ

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枝葉末節の解釈を離れ、
般若心経を素直にあるがままに読んでみると、
実はヴィパッサナーの勧めだということが判ります。


解説

観自在菩薩、すなわち、観の瞑想、ヴィパッサナーが自在にできる修行者が、
般若波羅蜜多行、すなわち、智慧の修行、ヴィパッサナーを修行しているとき、
五蘊、すなわち、自分を構成している肉体、心の様々な構成要素は、
皆空、すなわち、無常・無我であると、
照見、すなわち、光が明るく射すように理解し悟られ、
一切の苦を克服された。

(中略)

無上の真言、すなわち、真の言葉、真のメッセージは、このようなことである。

ガテー ガテー
パーラ ガテー
パーラ サン ガテー
ボーディ スヴァーハー

ガテー:命令形の行け、または修行せよの意味。
    ここでは観自在菩薩の修行、つまりヴィパッサナーを修行せよの意味。
パーラ:彼岸、つまり涅槃の意味。
サン:強調の意味。本気で、真剣になどと訳すのが、ここでは妥当。
ボーディ:智慧、理解、悟りの意味。
スヴァーハー:幸いなれという意味。


整理して簡単に書くとこうなります。

ヴィパッサナーに長けた修行者は、
ヴィパッサナーを深く修行することにより、
無常・無我を悟り、
一切の苦を滅し、涅槃に達した。

汝もヴィパッサナーを修行せよ。
涅槃を目指し、修行せよ。
涅槃を目指し、真剣に修行せよ。
智慧よ、幸いなれ。


つまり般若心経が一番言いたいことは、
ヴィパッサナーを本気で修行せよということです。


どなたかスマナサーラさんにこうお伝えください。

枝葉末節にこだわらず、
般若心経の真のメッセージを人々に伝え、
ヴィパッサナー修行者を増やす努力をしてください。


以上よろしくあっかんべー

コメント(56)

同感です。

私もスマナサーラさんに、
般若心経をヴィパッサナーの普及に活用するよう進言するのは、
当分ひかえておきます。

誤解された上に頭ごなしに怒られでもしたら、
ヴィパッサナーの普及にとっても、
私自身にとっても大損ですので。
お知らせ

五日間接心  五月二日(金曜)〜五月六日(火曜)

内容 Present Moment Awareness 瞑想
     (アナパナサティ - 坐禅)
いま、この瞬間をただ見つめてゆきます。その時に、、、
   

現在、一法庵では宿泊の設備はないので、日帰りの接心です。皆さまの都合に合わせて、可能な範囲でご参加ください。昼食も各自ご用意ください。近くにコンビニはあります。
瞑想のしかたの説明は、状況をみながら行います。法話は五月四日(日曜)の午後一時におこないますが、場合によって途中でもおこなうかもしれません。
接心の間は、基本的には沈黙行になります。

差定 7:30 a.m 坐禅
8:30 a.m 歩行禅
9:00 a.m 坐禅
10:00 a.m 歩行禅
10:30 a.m 坐禅
11:30 a.m 昼食

1:00 p.m 歩行禅
1:30 p.m 坐禅
2:30 p.m 歩行禅
3:00 p.m 坐禅
4:00 p:m 歩行禅
4:30 p.m 坐禅
5:30 p.m.インタヴュー

7:00 p.m. 坐禅
8:00 p.m. 歩行禅
8:30 p.m. 坐禅
9:30 p.m. 就寝

場所 一法庵  
    住所  〒248−0024  神奈川県鎌倉市稲村ガ崎1−9−32
    電話  0467−25−3637

交通 JR鎌倉駅にて江ノ電に乗り換え、五つ目の稲村ガ崎駅下車、徒歩五分。
    稲村ガ崎駅より線路沿いに極楽寺駅方面に向かって歩き、最初の踏み切りを右折。 しばらくゆき、「十一人塚」の角で、左折。小さな橋をわたり、左から二軒目。

参加費  お志しで結構です。

問い合わせ メール(sudhammacara@gmail.com)か電話で願います。


>>「ブッダの真の弟子は、いかなる学派・宗派に執着することなく、仏教を実践する。」と>>

この場合の仏教とは「ゴータマブッダの教え」という意味で
僕もそう思います。
徒党を組むな!も 「ゴータマブッダの教え」ですから
スマナサーラ長老も同じ考えだと思います。

 スマナサーラ長老は時々誤解を生まれそうな事を言われる事があって、
例えば、既成の仏教の中には、間違った考え方がある
基本に返ってヴィパッサナーを実践しましょう、というような内容の事を
おっしゃられますが、
それは「ゴータマブッダの教え」の基本を見失うなというような意味であって、
救いの為の方便(大乗仏教)を否定するというよりは、
たとえば、道元が、只管打坐を言ったように、
迷いや雑念にとらわれず、まずここで実践してみなさい、という事だと思います。
 スマナサーラ長老はヴィパッサナーの教えを私たちに実践される時、
またそこで実践している私たち、に、
もはや「ヴィパッサナー」であるかどうかのフンベツは無くなっています。
そういうフンベツは必要無い。

なぜならば、
「ただ実践している」←に集中する事、その事こそが、
ヴィパッサナーの実践だと
スマナサーラ長老は教え、そして実践するから。
わたしは、だれだれがこう言ったとかの引用はできません
知らないから
このコミュは最近登録させていただきました

筋違いかもしれませんが質問をよろしいでしょうか?
素朴な疑問なんです

>ヴィパッサナー修行者を増やす努力をしてください。

と、ありますが
これは、なぜ???

修行者を増やそうというのは、ヴィパッサナー的に普通のことなんでしょうか?普通というか、良い事なんでしょうか?
たとえば信者を増やせば功徳になるとか思ってらっしゃるとか?
まさかというか、すごく警戒すべき一文を見てしまった気がします…たらーっ(汗)
瞑想会に参加したら家まで押しかけられたり電話がかかってくるイメージがあります

「ここってそういうとこ!?」ってびっくりな感じですなんですけど、
実はそうなんでしょうか?
はにおさん

テーラワーダは、釈迦の教えを伝える事をされている、実践されているという所です。
特に、勧誘したり、何教とかに、こだわる所ではなく、たとえば、ただ、座禅の仕方を
教えてくれるような場所で、キリスト教のままでも、特に問題無いと思います。
既成の宗教団体にとらわれない事こそ、釈迦の教えですから。

ただ、Shivaさんのように、何か特別に思い込んでいらっしゃる方(^.^;も
おられますが、悪意は無いと思いますが、
たとえば、テーラワーダの中で教えておられるスマナサーラ(老師)という方は、
とても気さくで、だれであろうと、普通に会話して、普通に教えていただけました。
聡明な方で、人間も御優しく、ただ、禅の仕方を教えてくださるだけで、
、それ以外に質問がある人がいれば、個人的でも、その修行中でも(禅の休憩時間等)
質問に答えていただけますが、質問が無い人は、別に、禅だけで、おわりでOKです
*禅というのが正しいか瞑想というのが正しいか、まあ、呼び方はどっちでも僕には
たいした事ではないのですが、テーラワーダ的にはどっちか忘れました(^.^;。

>>ヴィパッサナー修行者を増やす努力をしてください。>>
こんな事、個人的には、本人に自分で伝えたら良い事で、大きなお世話だと思いますが、悪意は無いと思います。
しかし、こういう発言が多いのには、ちょっとあかんかなと思います。

>>「ここってそういうとこ!?」ってびっくりな感じですなんですけど、
実はそうなんでしょうか?>>

その場合の「ここ」っていうのは、このコミュニテイの事でしたら、
その場合「ココ」は管理人さんの「いちりんさん」の個人的なコミュニテイなので
テーラワーダを代表している訳でも無く、おそらく公認でも無いと思いますので、
あくまでも個人的趣味の範囲だと、僕は受け止めて、ここにたまたま最近来ましたが、
その程度で受け止められたらいかがでしょうか?
また、釈迦は、『徒党を組むな!」というのが大事な言葉として残されていますように、当然テーラワーダも、徒党が目的ではなく、
あくまでも、釈迦の教えの実践というだけの、はにおさんが心配されているような
危ない宗教団体ではないと思いますが。
どの宗教に入っていようが、危ない人は危なくて、個人的に、間違って解釈している人は、何教であろうと、何派であろうと、いるものなので、それは、ご自身が判断する事だと思います。
僕が教えていただいた時のテーラワーダは、
世界中の人々が、平和になればいいなと思えるような人になりなさい
という宗教でしたよ。個人的見解ですが。
今この瞬間の形(絵師) さん

マットウな意見が聞けて安心しましたー^ ^;
わかりやすく丁寧にお答えいただいて、ありがとうございます
スレ汚しかと思いましたが、思い切って質問してみてよかったです
勧誘があるかないかでは、だいぶ印象がちがいます
そうではなさそうだと分かって安心しました
ありがとうございますぴかぴか(新しい)
「般若心経はまちがい?」は、とてもいい本です。

日本の僧侶には、たとえ心では思っていても絶対に書けない本ですね。
大乗仏教に精通したテーラワーダの比丘にして書けた本ですね。

私は、批判というよりも、著者の「仏教(お釈迦様の教え)に触れてほしい」という願いを感じました。

【そこではじめて、出口のない「『般若心経』文化」の迷路から抜け出て、『般若心経』をきっかけとして、お釈迦さまの説かれた真理へとアクセスするための道のりも描けるのです。
 本書はそのような狙いで、ブッダの言葉から抽出して書かれました。『般若心経』を信仰している方々を批判するつもりも、嫌な気持ちにさせるつもりもありません。これはあくまでも『般若心経』をどう理解すればいいのか、という知的な挑戦なのです。】

知的なチャレンジ・・・いいですね。
この文章には、スマナサーラ長老の慈悲と「老婆心」を感じますクローバー
トピ立てっぱなしでしばらく放置していてすみません。

>ぷりのすけさん

ある文章の成り立ちとか、それが歴史的事実であるかどうかは、
重要な場合もありますが、そうで無い場合もあります。

例えばブッダの前世を綴ったジャータカですが、
ブッダがかつて動物に生れて、人間の言葉でいろいろ語ったことになっています。
明らかに作り話ですが、そこから得られる教訓というのはたくさんあります。

つまり事実より真実の方が重要なのです。

般若心経も、私の解釈では、ヴィパッサナーの実践に勝る教えは無いと説いており、これは真実です。
私は般若心経を見るたび、もっとヴィパッサナー修行を実践せねばと気を引き締められます。

そういう意味で般若心経はとても役に立つ教えだと思います。
スマナサーラ長老の本は素晴らしいです。
私はなぜか長老にご縁があり、道端でもよく出くわして挨拶してます。
本とは違って、素顔はもっと柔らかな方です。
自分で役に立つと思う部分はどんどん受け入れていけば良いと思います。

しかし、長老の般若心経の解釈は、テーラワーダ至上主義で粗探しの要素が強く、誤りだと思います。
それより私の解釈の方が的を得ていると思います。
またヴィパッサナーは日本では最近知られたばかりのように思われていますが、
仏教では伝統的な冥想方法です。
日本語の止観の止はサマタ、観はヴィパッサナーです。
ですから般若心経を書いた人も知っていたはずです。

般若心経は私にとってはいつももっとがんばろうという気持ちを引き起こさせてくれますが、
役に立たないなら無視しても問題ないでしょう。
人それぞれ、また時と場合により必要なことは異なりますので。
スマナサーラ長老の本がしっくりくるなら、それはそれで結構だと思います。

もう一つだけ。
見解とその人そのものは異なるということをお伝えしたいと思います。
私とスマナサーラ長老は見解は異なる部分はありますが、
だからといって嫌悪したり避けたりすることはありません。
見解というのはその人そのものではないからです。
あくまでも私「の」見解であって私ではなく、
長老「の」見解であって長老ではないからです。
そのことをご理解いただければと思います。
26さん

おっしゃるとおりだと思います。
スマナサーラ長老も日本の仏教者相手に般若心経を語るより、
ダライ・ラマあたりと般若心経についてディスカッションした方が良いように思います。

蛇足の部分ですが、私見ではありますが、
現在の仏教徒より当時の仏教との方が優れていたということもあるかもしれませんが、
私はそれよりブッダの能力、つまり指導力によるところが多いかと思います。

般若心経についてですが、トピ立てした当時は意気込んでいましたが、
今はそういう議論よりも、般若心経を読むと、
もっと修行をしなきゃ、ヴィパッサナーをやらなきゃ、
そういう気持ちを自分に起こさせてくれることの方が重要です。
細かい議論は抜きにして、そういう励みに使ってくださる方がおられれば幸いです。
ですから般若心経の議論については、このトピではコメントしない方針ですのでご了承ください。
トピ主であるShivaさんの解釈には僕もまったく賛成です。
ただ上座部には上座部の、大乗仏教に対する考え方があるので、無理して押し通そうとか納得してもらおうとするのは、まったく生産的なことではないと思います。
上座部と大乗とでいくつか明らかに見解の違う所があるとしても、無理してお互いを納得させようとするよりは、各人がどちらから学ぶにしても、より良く人格と行いを完成させてゆくことを心掛ければいいのだと思います。

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