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エコロジーコミュのエコ活動は無意味?

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この度コミュ参加させていただきましたが、実は反エコ活動派です。

自分と同じ考えを持つ方がいらっしゃるか知りたかったからです。

決して環境問題・エコ活動をするのは良くないとは思っていません。省エネなど、大事な考え・心がけだとは思います。

が、どうでしょう?ここでは例を3つ挙げます。

『温室効果ガスを減らすため木を植えましょう』

イベント参加者は会場に集まるために『移動』します。マイカーではなく公共の交通機関を使ったとしても、CO2は排出されるでしょう。また、イベント主催者は大量の苗木を運搬するために軽トラック数台を使いました。ここでもCO2が排出されました。イベント参加者が個人で作業をしない場合(行政により業者が動いた場合)パワーショベルを使って作業をするかもしれません。

果たしてこのイベントに意味があるでしょうか?もちろん今後数10年数100年で考えれば?プラス要素なのかもしれませんが、微々たる物です。

『ゴミ削減のため、レジ袋は有料化します』
皆さんゴミ袋ってどうしてますか?レジ袋よりも高価な数リットルの大きなゴミ袋に週1回の燃えるゴミの日まで直で捨てますか?ほとんどの家庭ではスーパーやコンビにでのレジ袋をゴミ入れとして有効利用しているはずです。

車でコンビニに立ち寄り、弁当を買いました。「レジ袋は?」「要りません。」
車の中で弁当を食べました。「あっ、弁当食った後のゴミどうやって捨てよう、レジ袋もらえば良かった」ってなりませんかね?缶コーヒー1つ、ガム1つで要らないってのは当たり前。

レジ袋が焼却される時に排出されるCO2を減らそうとしているのでしょうか?効果があるとは思えないのですが。

『F−1レース』
これだけ燃料が高騰しても止めようとはしない。レースにはCO2が大量に排出されるのは誰もが知っていること。スポーツ、娯楽には環境問題なんて関係ないようですね。「F−1レースは環境に悪いのでこの世からなくなりました」ってニュースは絶対無いと思う。レーサーの私生活ではハイブリッドカーに乗っているのでしょうか(笑)

つまり僕が言いたいのは、人間が地球で生活する以上は地球の資源を使わなくてはならない。資源は無限ではない。近い将来資源はなくなってしまう。温暖化だって進んでしまう。特に温暖化は今更って感じだと思う。これだけ急激に進んでいるのだから。長く地球で暮らそうという運動はいい事だろうが、過剰な考えは持たないほうが良いと思うのです。環境に良いと思っていた行動が、効果が少なく無意味な事だってあるのです。

長い文章を読んでくださいましてありがとうございます。

賛成・反対問わず、あなたの意見・感想をコメントしてくださいexclamation ×2

コメント(155)

>>112
>ハチドリの話=精神論、おおいに結構。
小さなことをコツコツと、塵も積もれば山となる。
そう信じています。

すみません。こういう考えのことを「エコ宗教」だと私は喩えたのですが(汗
10年もコツコツやって何も実らなければ、早々に引き上げてやり方も考え方も
180度変えるべきでしょう。ビジネスの世界では3年も待っててくれませんから。

>私の思考は、マイナス6%なんだから総てのCO2排出者が6%減らしゃいいじゃないか。

家族世帯が6%減らすのと、大工場を持つ大企業が6%減らすのとでは努力の程度も
レベルも”月とすっぽん”です。

でも現状は90年比で逆に6%以上増えていますから、最低12%以上は減らさなければならなくなっています。
http://yes-net.ddo.jp/myhome/page2/118.html
http://premium.nikkeibp.co.jp/em/column/torii/15/index.shtml

それに6%など2012年までの約束で、今後さらに10%、20%と増えて、最終的には
限りなくゼロに近づけなけければならないというお話です。
すでに福田ビジョンの「2050年に半減」という目標を達成するのであれば、
↓こういう試算もなされています。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/environment/180135/

で、いったいそれ、どうするの?ということになります。

↓以下のグラフや記事から、どこを抜本的に減らすのがもっとも必要かつ有効かを
想定ください。
http://www.kikonet.org/iken/kokunai/2005-07-29.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yatyabo/53712050.html
http://www.47news.jp/CN/200803/CN2008030701000855.html


あとお断りしておきますが、私の専門は環境分野ではありません。
ただ本業柄、欧州に行く機会が多く、専門外の人たち同士の間でも、どうしても
温暖化とか森林破壊とか化学物質だとか、エコの話題が振られてしまうので、
ここ数年、せめて彼らの平均レベルに追いつこうと独学で勉強してきただけの
ことです。ようやく最近彼らのいう全体像や戦略がわかるようになってきました。
グローバル・スタンダードな分野の理解ですから、国民性も文化も歴史も障壁は
なく、苦労はしません。誰でも調べて考えれば同じ結論に行き着くはずです。
>116
貴方に言わせると、私はポピュリズムの権化(embodimentの意)ということかな(笑)

私が言いたいのは、行動しないよりしたほうが良いと言う事。
間違っていたらどうするの? 修正すればいいんですよ。

>家族世帯が6%減らすのと、大工場を持つ大企業が6%減らすのとでは努力の程度も
レベルも”月とすっぽん”です。

まったく持ってその通り、当たり前ですね。
しかし、やっていただきましょう。

>10年もコツコツやって何も実らなければ、早々に引き上げてやり方も考え方も
180度変えるべきでしょう。ビジネスの世界では3年も待っててくれませんから。

これに関して質問したい。
何をもって何も実らなかったというのか。
ビジネスを何故引き合いに出すのか。

>117

>間違っていたらどうするの? 修正すればいいんですよ。

では軌道修正してください。

>これに関して質問したい。
>何をもって何も実らなかったというのか。

このトピは温暖化対策がテーマなので、排出量の推移については何度も
データを提出しているんですが。
http://daily-ondanka.com/basic/data_07.html
http://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/hakusho/h20/html/j1132000.html
家庭・オフィス部門では3〜4割の増加です。
http://www.arkworld.co.jp/ottotto/memo/co2bumon.html

廃棄物に関しても同様です。大きな変化はありません。
http://www.jccca.org/images/stories/kyoiku_kyozai_2007/01/01_02.jpg


>ビジネスを何故引き合いに出すのか。

回転の速い業界ですと、ひとつのやり方でうまく行かなければ、
同じ方法にこだわることなく、即戦略の修正を迫られます。
危機感や創意工夫が必要とされない「エコ活動」では、その反対に
修正を強要されることはありませんので、誰も修正したりやめようとしない。
だからムダと言われても仕方ないんです。
>エコロさん

「自由な発言が可能な社会がファシズムを生み出す」とか「主体の能力が低いからポピュリズム」とか、そういう思考の類を含め右も左も目糞鼻糞、成熟化社会ではそうした類が増えやすいという意味での発言でした。わかりずらくて失礼いたしました。あともう少しだけ沸点を抑えていただければコミュニケーションしやすいです。(これ位は言わせてくださいね。)

それはさておき、100年以上前にデュルケームという社会学者が『自殺論』という本を書いているのですが、そこで社会に例えどんな犯罪者がいようが自殺者がいようが、そのこと事態は社会の常態であって、異常でもなんでもないというおもしろいことを言っています。要は人間の生体に進入する異種淡白みたいなものだということです。人間は生きている以上、絶えずウイルスや細菌・花粉などにさらされ一部は体内に侵入します。でもそのための免疫システムが発達していて、リンパ球や白血球がこれを無害化します。たえず異物が侵入し絶えず免疫システムが働いているのがぼくたちの生体の常態です。これを異常事態とは誰も言いません。そうした社会をどう切り盛りしていくのかという問題を重視しているということです。またあえていうまでもないですが「主義」と申し上げたのは、なにも言えない独裁や共産主義国家よりマシですという意味もあります。ですので文脈が違っています。

あとひとつご理解いただけてない発言があったので補足させていただきます。
『以前から「日本独自の」「日本固有の」という観点にこだわられているようですが、
それが万一存在するのなら、どういう具体的な説得力ある方法論が想定できるのか
実現のプロセスも含めて証明してください。』というこれですが、

いまの日本でヨーロッパ的持続可能な社会に向けて同じよう舵をとれるかということでならノーということをいっています。ヨーロッパにあるリソースがないということです。第一に階級文化も地域文化も空洞化しています。第二に安全保障という場合、エネルギー安全保障や食糧安全保障や文化安全保障を考える伝統がないです。ヨーロッパで「再生可能エネルギーを使え」というとき、郷土保全の視座と米国軍事力が支える石油ルートに依存しないという視座がかさなります。どちらも日本にはない。集権的近代化の歴史と、戦後の米国依存の歴史ゆえに消えました。見逃せない問題です。いかがでしょう?反論があれば受けます。

ぼくは少なくともエコロさんより言葉の選択には配慮しているつもりです。少しは信頼してください(^^;)またリベラリズムの立場からぼくはエコロさんを許容しています。

http://jp.youtube.com/watch?v=6mtDvJG4M3E&eurl=http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1186237.html
話はかわりますが、このニュース橋下知事に対する感想ってどういうものをもちますか?
>>119
>成熟化社会ではそうした類が増えやすいという

この「成熟化社会」の「成熟化」とは何が「成熟」したものと考えられているでしょうか?
逆に「未熟社会」というのは何が未熟なのでしょうか?


>そこで社会に例えどんな犯罪者がいようが自殺者がいようが、そのこと事態は社会の
>常態であって、異常でもなんでもないというおもしろいことを言っています。

それは偏に程度問題のお話です。
またそれは社会の倫理性や規範的観点を抜きにしたらそういう主張ができる、という
条件付の観察結果でしょう。


>たえず異物が侵入し絶えず免疫システムが働いているのがぼくたちの生体の常態です。

市場経済の「見えざる手」と同じ発想、論理でしょうか?
しかし19世紀的な発想ではそれで十分行けていました。
しかし20世紀に入り、現在の地球の生態系、地球環境はそうなっていません。
生態系のキャパシティは有限であり、気候変動や化学物質汚染の例に拠らず、
人間の生命活動があらゆる局面で脅かされています。
免疫システムはすでに利かなくなっています。


>なにも言えない独裁や共産主義国家よりマシですという意味もあります。

何がどういう意味で共産主義国家より「マシ」なのでしょうか?
「言論や表現の自由が保障されている」という意味で「マシ」なのでしょうか?
的確にご説明いただければと思います。

私見では、共産主義の対極をゆくアメリカ社会のような弱肉強食の自由放任主義では、
社会的弱者は徹底的に貧困や生命の危害に晒されて生きる保障すら失っているのが
現状ですが。
どちらも一長一短だと思います。

地球環境問題などグローバルな公正を推進する政策は、むしろ社会民主主義的な思想
や背景をベースとした公共政策形成の土壌が必要になってきます。
なぜなら90年代以降の「第三の道」の欧州のように、社会民主主義政党が政権を
とった国では、いずれもこうしたグローバルな公共政策が進められ成功してきたからです。

>>119 (つづき)

>>第一に階級文化も地域文化も空洞化しています。第二に安全保障という場合、
>エネルギー安全保障や食糧安全保障や文化安全保障を考える伝統がないです。
>ヨーロッパで「再生可能エネルギーを使え」というとき、郷土保全の視座と
>米国軍事力が支える石油ルートに依存しないという視座がかさなります。
>どちらも日本にはない。集権的近代化の歴史と、戦後の米国依存の歴史ゆえに
>消えました。

以上は、私が質問した、
『以前から「日本独自の」「日本固有の」という観点にこだわられているようですが、
それが万一存在するのなら、どういう具体的な説得力ある方法論が想定できるのか
実現のプロセスも含めて証明してください。』ということへの答えになっていませんが。
私が聞きたいのは、欧州とは異なる日本固有の環境問題への抜本的な解決策ないしは
方法論です。説得力のある見解をお願いします。

あと書かれている主張の要旨については、
トピ主さんと同様の結論で、日本には欧州のような環境政策は無理、
推進できない、だからあきらめるしかない、ということでしょうか?
ならば、そのほうが議論としてはすっきりします。
でも他方で「偽善的エコ活動」を肯定されているのには、本質論として納得
ゆかないものがあります。

上記の主張で問題なのは、「現実」(事実性)と「べき」(正当性)の理論とが
ごっちゃになっていることです。
たとえば「安全保障を考える伝統がない」のは事実。だから
「安全保障を考えるのは無駄か」「安全保障を考える必要はないのか」と言えば
そうではないでしょう。
「伝統があるかないか」は、今後の可能性や必要性を否定する理由にはなりません。
伝統がなければ、つくるしかないのでは?

現に政府も既成政党の政治家も「エネルギー安全保障」「食糧安全保障」という
ことの必要性を乱発していますが、ならばこれは実現不可能な偽善的発言、
もしくは誤った考え方ということになるのでしょうか?
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/energy/seminar/seminar_gai.html
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2006/07/16seika_energy.html
http://www.meti.go.jp/gather/0000643/index.html
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/anpo/index.html


>ヨーロッパにあるリソースがないということです。

たとえば世界の太陽光パネルの4割近くを生産しているのは日本の企業です。
米は100%、鶏卵も95%は国産で自給できています。
今の日本経済の問題は、米国依存というよりは、自給できるのにコストを
優先するため、あえて輸出入するという自由化、グローバル化の問題です。
これは企業や政府が意図的に行なっていることです。
そしてアジア、アフリカの国の大半がこの自由化の影響を受けています。
経済や貿易のグローバル化は日本固有の問題ではありません。
グローバル経済が同じ動きであれば、それからの脱出策も解決策も当然
共通の処方を用いなければ無理でしょう。

「日本特殊論」に対する批判はかつて以下の日記にも書いたので参照ください。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=454780866&owner_id=2644410


>ぼくは少なくともエコロさんより言葉の選択には配慮しているつもりです。

たとえばどういう言葉でしょうか?
具体的事例を挙げていただかなければ理解できません。
たとえば明らかにここでの議論は、イデオロギー論やリベラリズム、ポストコロニアリズム
の文脈ではないのと、先ほどの「民主主義」や「成熟化社会」の定義など、本当に言葉
を適切に選択して使用されているのか疑問に思わざるを得ないわけですが。

また「リベラリズム」を「ポストモダニズム」や「価値相対主義」とほぼ同義で
捉えていらっしゃるのではないでしょうか?
(リベラリズムという言葉にも多義性があり、多くの定義が存在するわけですが)
たとえばロールズの『正義論』における格差原理や機会均等原理はどう評価されていますか?

>>119
>話はかわりますが、このニュース橋下知事に対する感想ってどういうものをもちますか?

偏に公立高校の受け入れ定員が限られており、そこからあぶれてしまう高校生が
いるということの(セーフティネットの)問題です。しかもその大半が低所得者層
家庭であり、彼らが犠牲になっているという現状があります。

他方で高校以降は義務教育ではない、というのは法律上そのとおりです。
また確かに地方への教育予算を全体に削減してきたのは国の責任です。
橋下知事の主張は、府にはお金がない、それは国の責任だということです。
しかし、本当にそれだけでしょうか?

かといって今やサルでも大学に進学しなければまともに就職できない時代、
大学が定員割れしている時代、高校進学は一種の準義務教育化扱いという実態が
厳然としています。
そういう曖昧なグレーゾーンの学校制度実態が自明化している中で、いきなり
「自己責任」という原則論だけを押し通すのは無理があります。

お金がない家庭が教育を受けられない、教育格差が大きいという問題が大阪の
学力低下の最大の原因です。結局これは教育の問題と言うより、生活格差の問題です。
橋下知事は学力低下を批判する一方で、その主因である所得格差の原因について
眼を向けない。だからちぐはぐな政策を行使することになってしまう。知事の学力向上
プログラムは所得格差の問題にメスを入れない限り、けっして成功しないでしょう。

生活保護費用の保障額にも当然限界がありますし、誰でももらえるわけではない。
よって私学助成費用を削るなら、他の部分でこうしたお金がなく勉強ができない
家計の生活を(住民税減税などの面で)フォローする政策が必要でしょう。

↓かくして結果的にこうなったわけです。
http://yasuis.com/blog/2008/07/post_592.html

以上です。
>118
>排出量の推移については何度もデータを提出しているんですが。

私は、ハチドリ=個々の自発的な活動における効果に限定してお聞きしたつもりでした。
全体(家庭部門)の総排出量の推移(結果)を見て、何も実っていないと言われても・・・

>危機感や創意工夫が必要とされない「エコ活動」では、

必要とされない?・・・
何か話がかみ合っていないような気がしてきました。

エコロさん、私も思うんですよ。
この問題について一番理解が低いのは、個々の部分だと。
家庭部門で、この10年効果が出ていない最大の要因でしょう。

だからと言って、理解しようとしている個々の人々に、
ムダだの宗教だのファッションという言葉を使うのは、些か横柄かと。
解っていない、また解ろうともしない個々と一緒くたにしている感があります。

解らない、知らない人々に理解してもらうためのきっかけがハチドリの話でしょう。
そして、それだけが全てではない。


地域(国)が提示し、産業が実行し、個々が同調する。
この三つの内、どれか一つでもレベルが低いとうまく機能しないと思います。
流れを無視した投稿で申し訳ありませんが
エコキャップ運動、これこそ人の善意につけこんだ詐欺的な偽エコ活動だと思いませんか?!
http://ecocap007.com/
ペットボトル本体ですら回収コストがネックになってリサイクルが困難な状況で
「送付までを善意でまかなって」!!
ワクチンを寄付します!こんなに成果が出ています!とは笑止千万・・・。
トータルコスト計算してみろよ。と、この話題を目にするたびに非常に不愉快になっております。
エコロさん

またまた長文によるご回答ありがとうございます。ぼくもさっそくレスさせていただきますが・・ふっておきながらなんですが、だいぶあらぬ方向に話題が向かって、かなりKY的な雰囲気をつくってしまったのでこの辺のネタは少しとどめておきたいと思っております。

結局ぼくが他の皆さんにいいたかったのはこういうことです。
いろいろ素朴な意見があったって別にいいじゃないという立ち位置はかわりません、ぼくたちは知らないことで日常のよしなしごとについての「自分らしい決定」にかかずらっているあいだ、それこそ多くの社会的・国際的問題を意識する必要を免除されているという利点もあるわけなので。
ただしかし、地球規模での環境問題はそうもこうもいってられないと。
もし誰かが本気でなにかを成し遂げたいのであれば、なんでも鵜呑みにするな。しっかり検証しろ。疑いを持て。ということはぼくも言ってきたとおりです。正しい答えはない、あったとしてもまた次々と変わる。だから簡単に適応するなと、しかしツボは押さえて適応しろと。古くは浅田彰氏がいった『シラケつつノリ、ノリつつシラケる』ということにでしょうか。
一見いっていることはエコロさんとは同じように聞こえるかもしれませんが、全然違います。ぼくのほうが明らかにものいいが優しい感じです。

これまでの色々な方のやりとりを眺めていると、メディアを鵜呑みにする読者はやっぱり多く、またその一方エコロさんの提言にも簡単に納得しまう読者も多い。どっちがいいとか悪いとかということではなく、もうちょっと反論しろよって、エコロなんてそこらじゅう隙だらけだぜっ!そのあたりをどうでもいい論点で刺しまくりましたが、みんな内容にゲンナリしてどんどん脱落していきます。結局のところ日本での『みんな仲良し旋風』はまだ当分続きそうです。

いくつか関心の高い質問をふっていただいたので、時間のあるときにでも個別に回答させていただきます。あと橋下氏に対する見解含め回答ありがとうございます。内容云々もそうですが、今回驚いたのは少しはまともな文章書けるじゃんということです。なにか意識をされたのでしょうか。。。ではまた。
>>123

>私は、ハチドリ=個々の自発的な活動における効果に限定してお聞きしたつもりでした。

家庭部門の排出量がうなぎのぼりに増えている理由は、

■(頭ではなんとなく理解できていても)実際に取り組んでいる人が少ない。
■肝心の排出量の大きいところが手が付けられず、些細なところばかりを狙って
 減らそうとしている。
■一方でレジ袋を断りながら、他方でバイクやマイカーを乗り回したり、
 ビデオや深夜番組を見たりなど、自己矛盾した行動が多く、一方での成果が
 他方で相殺され、結果的に負荷ばかりが増えてしまうため。

といった理由が考えられます。

>だからと言って、理解しようとしている個々の人々に、
>ムダだの宗教だのファッションという言葉を使うのは、些か横柄かと。

なぜその人々が「理解しようとしている」と断言できるのでしょうか?
私はその個々の人々が問題を「誤って理解しようとしている」と理由を示して
述べてきたわけです。

>解っていない、また解ろうともしない個々と一緒くたにしている感があります。

本当に地球温暖化問題を理解している、あるいは理解しようとしているのなら、
当初からハチドリ運動やエコバックやらキャンドルナイトといったものを
広める活動をするはずがないからです。

時間無制限でマイペースで気楽にやれる問題であれば、誤解とはいえないでしょう。

ところが温暖化問題や森林破壊の問題は、一刻一秒を争う猶予のない問題です。
2050年までに最低温室効果ガスを半減しなければ地球は危ないという科学的検証が
出されているのに、「身近にできることをすればよい」では、到底間に合わなければ
何の力にもなりえません。

問題の本質を理解している人々は、問題の核心点を認識する、グローバルなレベルで
化石燃料の使用防止策を検討する、といったことが理解できている人々です。
たとえば、ひろぴょんさん(トピ主)さんは、そこが理解できていますから、
ハチドリ運動レベルに明け暮れる人々よりも、はるかに上のレベルで議論されて
いるわけです。

では問題の核心部分はどうすれば捉えられるようになるのかといえば、
そのためには「身近なできることから」という発想がそのものが「間違い」であり
「役に立たない」ことをまず認識すること、です。

それを「まずはハチドリから次の段階にステップアップ」などという「連続性」や
「発展」で捉えるのは、理屈としておかしい、成り立たないと言っているのです。
先にも書いたとおり、ハチドリは永遠にハチドリ、キャンドルナイトは何年たっても
キャンドルナイトなわけです。

そのレベルからステップアップするには、発展ではなく、一旦発想をゼロベースに
戻し、自分の取り組む活動内容を「180度」転換しなければならない、ということです。

よって私の結論は「木を見て森を見ずではなく、森から木を見る発想をせよ」
ということに尽きます。

>地域(国)が提示し、産業が実行し、個々が同調する。
>この三つの内、どれか一つでもレベルが低いとうまく機能しないと思います。

少なくとも、ハチドリレベルの方々は、地域や産業界の動きには同調できないでしょう。
なぜそれが問題の核心であって、自分たちの活動が核心にならないのかを理解できて
いませんから。あるいは同レベルだとしか見ませんから。
>>125

結局のところ、日本文化独自論をベースとする「地球環境問題」の解決策は
見出せなかったというわけですね。一切万事お手上げと言うことでしょうか。


>ぼくのほうが明らかにものいいが優しい感じです。
>内容云々もそうですが、今回驚いたのは少しはまともな文章書けるじゃんというこ
とです。

お若いなあ、というか、正直プロの文章の要領をおつかみになっていないようです
ね。
見せ掛けの文章の体裁に騙されやすいご性格の持ち主かと拝見します。

じゃあ、何を持ってプロと言うのかというのは議論になりますが、

プロの文章家は(文章を書くことを生業としているという以外に)
「誰の立場に立っても自由な体裁で文章が書ける」
「どういう文体や文調を用いればどういう相手にどういう効果を与えるかを知ってい
る」
人間だと定義しておきましょう。

私は今回のような議論を10年以上ネットで継続しています。
その一部の成果は企画出版で全国の書店の店頭にも並んでいます。

その際にもっとも「配慮している」こととは、その議題なり場面がどのような場で
行なわれており、どういう議論を必要としているか、それに応じてどのような
語り方で書けばよいかという調整作業です。
私が一定の言葉や文調で語ることで、どういう読者からどういう反応を得られるかを
あらかじめ想定して意図的にやっているわけです。
その結果、つねに一定の目的で大いに成果を達成し得ています。

たとえば、このトピのように特定の論題でのディベート的な話題については、
当事者間ではなく、第三者である読者に訴えかけることが同時に重要であり、
第三者に対してどのように論点を明快に説明するか、ということを最大限に
優先して書いています。
そこでたとえ特定の相手とやりとりしていても、あえて突き放した「第三人称的な
語り口」を用いています。

なぜなら特定の相手に話しかけるような当事者間のやりとりだけの「二人称的な語り
口」を
用いれば、第三者は自分向けに書かれた文章でないため関心を持たないか、
第三者がやりとりの中に割り込みにくいと思わせる環境をつくってしまい、
議論が硬直してしまうからです。

ですので、私は自分の主張の是非と相手の主張とをあえて対比的に提示することで、
あえて特定の論点に的を絞った「挑発的な」書き方を行使しています。
(特定の立場の人間が感情的になるであろうことも想定しつつ)

この調整作業を遂行するには、時間も労力も人一倍かかります。
つまりあえて二人称的、主観的な口調や語句を徹底的にそぎ落とし、
自分を殺して、非人称的で要点だけを取り上げた文に仕立てるという作業です。
私は以上の点に最大限「配慮」して書いています。

ですので私の文章のほうが貴方の文章よりも「配慮が足りない」というのは
まったく逆であって、正反対であると断言できます。

なお先のログにも書きましたが、私は別段ミクシィのトピを使って売名行為を
するとか、自分の意見の共感者の輪を広げる、といった自己目的のために
書いているわけではありません。

ですから、

>結局のところ日本での『みんな仲良し旋風』はまだ当分続きそうです。

と予測されようとも、結果はまったく問題にしておりません。
ので、どうぞご安心ください。


以上、トピずれで失礼いたしました。
皆さんへ

先のログを読み飛ばされて書かれている方には、説明が堂々巡りになってしまいます
ので、このあたりで私の見解を結論としてまとめて提出し、投稿は終わりにします。

【前提その1】

地球規模での環境問題の解決策は(持続可能な開発の原則など)グローバルな共通の
座標軸に則り、グローバルなレベルで同時に取り組まなければ進展しないこと。

その解決策とは、

■人間の活動により排出されるエネルギー消費総量の抑制
■人間の活動に利用されるエネルギー資源の転換
■大企業による熱帯雨林伐採や環境汚染、大量産業廃棄物などによる
 自然破壊を防止・抑制すること

といった課題に集約される。

【前提その2】

科学的知見や科学的解決策が提示されている以上、そのための方法も万国共通であり、
文化や立場の相違に関わらず、すべての国や地域が共有され進めなければならない
こと。そのための方法論が科学的・物理的に制約されていること。

【前提その3】

環境破壊や負荷は、その利用者によって大きな偏差があり、大規模な負荷をかけて
いる生産者主体(個人消費者ではなく)がまず自ら責任を優先的に負うような
仕組みをつくることが最優先であり不可欠であること。

【具体策】

以上を実現するには、

■国際ルールによって当事者責任(汚染者負担の原則)を定め、各国政府が主導し、
 産業活動を規制・抑制していくことが不可欠であること。
■負荷軽減のための目標値を定め、違反者に罰則を与えると同時に、推進者には
 相応のメリットを与えるなど、努力した主体が努力しただけの利益を得られる
 ような仕組み、制度作りをすること。
■上記は法的拘束力を保証される必要があるため、国際レベル・政府レベルでの
 政治的パワーを必要不可欠とすること。
■さらに上記実現のための大規模な資金援助、投資が必要不可欠であること。


【備考】

■環境負荷を多く出している日本を含めた産業先進国は、上記実現のための
 「より大きな応分の責任」を強いられていることを自覚するべきこと。
■最も影響力の小さい個人レベルの取り組みにおいても、負荷を数値化し、
 より環境負荷の大きな要因から取り除く努力を優先することが必要。
 (エネルギー消費でいえば、電気・ガス・自動車の使用量削減が第一)
 他の効果の薄い活動に時間や労力を割いている分、本筋の取り組みの
 機会が失われ、対策が遅れるだけで、何の益にもならないこと。
  

以上
追伸 なおさんへ

>>125
>あと橋下氏に対する見解含め回答ありがとうございます。

上記の話題は本トピのテーマとは直接関係ありませんが、なぜあえてこの場で質問されたのか、
ここでの話題と何ら副次的関係があるのか、このトピを見られている第三者にわかるように説明いただけませんか?
こちらもあえて長文の回答を付したわけなので、貴方に説明義務はあると思います。

よろしくお願いします。
エコロさん、お疲れ様です、そしてありがとうございました。
大変参考になりました。

確かに悠長な事を言っている場合じゃないですね。

欧米でも新燃費基準を発表したりして、自動車からのCO2排出量を減らそうとしていますし
産業側も努力しています。(燃費の向上や、ハイブリッド車・電気自動車など)

にも拘らず、日本のガソリン消費量は増え続けてきました。(本年度は減少傾向らしいですが)

環境問題が顕在化してから久しいと言うのに、このような結果になった事は、
エコロさんの指摘のように、個々の意識レベルが低いからです。
今までに消費量が減った時の理由が、供給量が減った・価格が高騰したから。
この事から証明されるでしょう。
(今思いついたのですが、ガソリンの配給制(笑))

燃費の良い車・太陽電池・省エネ家電等々.・・・これらを購入・使用するのも個人。
国が音頭を取り産業が努力しても、買ってもらえなければ意味が無いし、
よしんば購入しても使い方を間違えたら何にもならない。(最大の効果が生み出せない)
やはり、個々の意識が低いとダメでしょう。

今自分にできる事は何なのか、それを深く考え実行する。
ハチドリの話は、そこに行き着くための単なるきっかけです。
感動しているだけではダメ、実行して効果をあげなくては意味が無い。

このトピに集った皆さんは、問題意識もありエコ活動に熱心な方々とお見受けします。
エコロさんに否定された方(私を含む)も、更なる進化をし、結果を出し見返してやりましょう!

問題を提起してくださったひろぴょんさんもありがとう。
【反エコ活動派の意味が気になります(笑)】
エコロさん。代弁ありがとうございました。

そろそろ結論が出てきましたね。近いうちに人類が滅亡するのは間違いありません。挙げてくださった具体策は到底無理でしょう。

何事も個々で気が付いたときに『節約』といった事はできますが、国際規模での対策は無理でしょうね。60億も人間がいるのです。無理です。

ですから、『活動』として何かを実行するのはもはや無理です。

はい、無理です。

あなたに50年後100年後の地球の姿を想像できますか?環境どころか、北朝鮮のバカな国による核戦争の懸念さえある世なのに。

せめて自分が生きているうちにキレイな空気を吸える努力ができればそれでいいと思う。
非常に興味のあるトピで、数日間かけて一通り目を通しました

エコロさんの口調(?)はきつい否定が多く、普段だったら聞きいれなくない印象を受けました。
ただ、意味のない活動をやって、エコ気分になっててはいけない、効果が大きいものから、という気持ちがとても強まったので、こここを読んでいる人達には、エコロさんの作戦は効いているのかもしれませんね

エコロさんだけでなく、全ての書き込みがとても勉強になりました
携帯からでリンクが見れていないので、またリンクなど見て、自分が何をしたらいいか考えてみようと思います
ここの内容を、より多くの人が読んでくれたらなぁと思いました
結論は出たかに思えますが、追い討ちかけておきますexclamation ×2こんな内容しかかけないので『こいつ、人生うまく行ってないんじゃないの?』と思われますね(笑)

最近気が付いたのが・・・

せっかく皆がコツコツ省エネとかいって電力を節約しても・・・

今年もやってきましたクリスマス&イルミネーションですexclamation ×2あれほど電気を無駄にしているモノは無いわーい(嬉しい顔)

『省エネのため今年のクリスマスはツリーを飾りません』というようには絶対ならんな!地球はもう終わりじゃexclamation ×2
人間が“文化”を失えばただの“猿”。エコは猿に戻ろうという話ではない。

文化を進化させて、環境負荷的には“猿”並の生活になるように工夫すること。
そこがポイントだと思います。

太陽光を利用したものになったり、省エネの電球に変わったり、少しずつであれ変化してると思いますよ。

文化を全面否定するのではなく、そういう“遊び”部分は許容するだけの寛容さを持ち合わせた世の中が理想だと思います。
(勿論それも含めてどっかでオフセットしようとすることは大切ですが)

確かにやり過ぎなところもあるのでそこは配慮してほしいものですね…。
太陽光発電で蓄電ですか?知識が無い自分は太陽光発電(ソーラーパネルなど?)はリアルタイムでのものしかないと思っていましたあせあせ(飛び散る汗)

昼間の太陽光を利用して夜にイルミネーションは良いですねわーい(嬉しい顔)
co2削減するとどんな良いことにつながるか教えてくださいがまん顔
JOEさん

地球温暖化が解消され、異常気象が減るでしょう人差し指生態系もより自然な状態になると思います人差し指
exclamation ×2
減らす量にもよりますね人差し指地球規模での削減はまず無理exclamation ×2
ひろぴょんさんれす有難うございます!そうですよね〜私もそのように小学校でならった気がするんですが・・・最近いろいろ本を読むようになってネットでも調べたのですが
http://jp.youtube.com/watch?v=hUKLOvtAUDk&feature=related

これは嘘ですか?みなさんの意見ききたいですペンギン
コメント有難うございます!!
「モラル」の事は私も納得です。意識は高くなってきたと思います。 ですが真実が欲しいです

環境対策で国も企業も信じられないですー嘘いってるって思うわけじゃないですが情報が散乱していてわからなくなります みなさんもそうじゃないですかね??

勉強できるなにかいい環境関係の情報誌あったら教えくださいm(__)m
こんにちは(^-^)/
ひろぴょんさんのおっしゃる事は確かにそうですね電球
私も納得しました!

ただ、エコ活動をしなければ地球はどんどん問題が増えていくと思います。
そして地球に住めなくなってしまいます台風

エコ活動自体に反対して、やらないのではなく、どうしたら本当にエコ活動になるのか考え、実践するべきだと思います!

説得力のない文で申し訳ありませんダッシュ(走り出す様)
はじめまして

普通に製造業やってます。知識はあんまり無いんでご了承ください。

自分の周りにはなかなかこういう話をしても理解してくれる人が居ないんで

困ってます。モラルの低い人間が多いってことですかね。

お笑いの話なんかは普通に出来るんですけどね。

エコロジーを通してモラルの高い人間が増えていけばいいなって思ってます。

場所が田舎なんで車の移動は外せないのでCO2削減のためには

最低限の暖房を使うくらいしか出来てないですね。

普段なるべくエコ活動を考えてグリーンラベルの物を買ってます。

これだけでもみんなが考えてくれれば世の中いい方向に向かうのではないかって

思います。
読んでて思ったのが、エコ推進派も反エコ活動派も方向性は違えど、結局のところ「環境問題に対して意識をもっと高めるべき」という意見に集約されるんじゃなかろうかって事です。
それが「もっとエコ活動すべき」というベクトルと、「エコ活動だけで満足してるようでは解決できない」というベクトルの違いだけであって。

両方の意見ともある程度分かりますが、一方では読んでる人の「環境問題に対する意識」そのものを低下させてしまう可能性もあると思ってしまいました。


ご指摘の通り「出来るエコ活動をすべき」という意見はそれだけで満足して環境問題に対する視野を狭めてしまう可能性もあると思いますし、逆に「もっと大きな視野を持ってデカい事をしないとダメだ」という意見はエコ活動などやってる事が全くの無駄だと言われている事により、やる気を削がれたり自暴自棄になってしまう可能性もあると思います。


理想としては両方理解した上で、何をすべきか、何が出来るのかを考える事だと思いますけどね。
(それを想定して議論を展開してる方もおられる様ですが、流石に「無駄だ」とバッサリ切り捨てるのは如何なもんかと思いました。)

後、単なるイメージですが、エコ推進派の意見は一般大衆に対する呼びかけで、反エコ活動派は企業とか政治とか「人の集まり」に携わる人への警告な感じがしました。
私も☆ひろぴょん☆さんのようなことを考えたことがあったので初めて書き込みします。


せっかく良いことをやっているのに、それ自体がエコ?と思ったり、
余裕あるほど稼いでもいないのに募金することというのは優先順位が間違っている行動なのかと考えたり…

堂々巡りというか葛藤というかそんな気持ちになったことがあります。
むしろ何もアクションを起こさない方がいいのではないかと思ったこともあります。

それは私が営業という仕事をしているからかもしれません。
「この商品を知らなければ買わなければ無駄なお金も使わなくて済んでその人にとってもっと幸せだったかもしれない…」
なんて思った時期もありました。


だけど、やっぱりそれって淋しいなと思いました。何もしなければ何も起こらずに済むけど、皆が生きている時点で動いていて、そしたら何かしらの変化が否応なしに起こる。だったら自分のできる範囲で、良いなと思うことを良いなと思う人同士で共鳴していけば良い輪が広がるのではないかなぁと思ったんです。



こういう意見を言える場所っていうのも普段ないですし、また、全国色んな方々とエコについて考えられるのは素敵なことですね♪
大変すばらしいことにきずきましたね

あるところからみましたが、エコ活動などは国や企業などが儲かるためにやっているものだと、エコロジーって言葉の響き、クリーンなイメージがあります。それを悪い言い方をすれば、私たちは利用されているような感じになっているとおもいます。海外などエコとゆう言葉あまり耳にしないような、日本だけ過激にCMなどエコを使ったCMなどが流れてますよね!私もコンビニなどいけば袋はもらわないように心がけていますが、先程の話も国や企業が儲かる話だと納得がいくのです。マスメディアの力すごいですね!みなさんの意見ほしいです!
カヨさん
>エコ活動などは国や企業などが儲かるためにやっているものだと
とありますが、企業や国がいいことをして儲けることを否定していますか?それともエコに関連して儲けることを否定していますか? 根本的に国や企業が悪いことをしているという風におっしゃってますか? それにより意見の出方も異なると思いますが。。
>151、152のコメントに関して

企業が金儲けを目的にエコ活動を利用するのと、環境問題の解決を目指すためにエコで儲けるシステムを構築するのとでは、違いが大きいと思います。前者は恐怖感をあおって金を集める新興宗教と同じようなものだと感じます。つまり、嘘が多いということですね。

国は環境問題を解決するために規制をする立場にあるので、基本的にはエコを推進しても儲かりません。本気で儲けるのであれば、環境問題など無視して無制限に開発を進めていく方が効率的でしょう。ただ、公共の利益を考えて、環境で経済活動を持続させるシステムをつくることはありえるでしょう。また、国が儲かるのは公共の利益となりますが、一部の政治家が個人的に儲けるためにエコを利用するのはまずいと思います。


例えば、ゴア氏は京都議定書の締結に際し、非常に貢献した人物ですが、もし彼が、私腹を肥やすために、米副大統領という強い立場を利用してこれらを推進しているのであれば、地球が温暖化しているという説自体が、嘘である可能性もあるでしょう。(嘘ではなくても大げさに宣伝して恐怖感を煽っているとか)

勿論、ゴア氏が嘘を言っているかどうかの判断は私にはできませんが、最近の環境特番などの報道を見ていると、明らかにおかしいと思われることも多く、かなり危機感を意図的に煽っているように思えます。それに加えて、日本の行政においても、急激に温暖化対策が行われるようになっており、それらに関してはゴア氏のキャンペーンが功を奏した結果であるようにも感じられます。


各国の環境行政は、基本的には条約などの国際的取り決めに基づいて実行されています。環境分野においては、こうした国際的取組に対しては、NGOもかなり絡んでいる場合が多いようです。勿論、最終的には各国の利害が調整されて決議されるわけですが、いずれにしても利害が調整されて出た結論ですので、基本的にはこうした国際的な取り決めや設定目標に基づいて行動するのが、最善ではないかと思います。
国民の環境意識はすでに十分高くなっているしアンケート結果にも明確に示されている。
だが意識が高いからといって行動力が高くなるとは限らないのが、日本人の
行動性向の特徴であるところにこそ問題がある。(意識と行動との非連続性)

問題はモラルでも啓発でもなく直接人々の実際の行動を必然的に導くための
「しくみ」を形成することだ。
環境問題は経済構造の転換を前提とする。したがって経済構造のシステムを
どう変えていくのかという問題に収斂されるべきであり、人間の意識ではなく
構造やシステムの変革に目を向けることこそが最重要課題である。
国民のできる範囲はこれぐらいが限界なんだと思います
パルックボールに変える
ごみは自治体の希望どうりに分別する
エコバックにする
ご飯をノコさず食べる
待機電力を気おつける
使わない電気はけす
家の近所でも殆どみんなしています
もう我が家ではこれ以上のエコは無理です

友だちのおばちゃんは細かく分別ができていないという理由で苛められるそうで軽いノイローゼになりました
こういう国民の中で暴走するエコテロリストのようなひとたちの独善も封じ込められるような穏やかな意識の広がりにするべきだとおもいます

いつもはなるべくもったい無い精神でいつもくらしてるけど
たまに出来なかったり無駄にしちゃったときはどんまいどんまい というような広やかな心でいきたいものですね

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