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哲学 思想 精神 コミュの哲人 思想家 宗教家 論客 an individual 

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気になった人物(の、気になる点)を挙げてみましょう。
 

 あなたが感銘を受けたり、
 私淑する人物は誰ですか?
 

つぶやき・独語をこのトピックの基調としたいのですが、人物を挙げる以外の雑談などのコメントでも、括弧()でくくったりして見やすくしてくださるなら結構です。

 

コメント(13)

 

西田幾多郎
 
彼の哲学体系は西田哲学と呼ばれたが、このように体系にその名が付けられるのは日本の近代以降の哲学者の中では唯一と言って過言ではない。
 
郷里に近い国泰寺での参禅経験(居士号は寸心)と近代哲学を基礎に、仏教思想、西洋哲学をより根本的な地点から融合させようとした。
その思索は禅仏教の「無の境地」を哲学論理化した純粋経験論から、その純粋経験を自覚する事によって自己発展していく自覚論、そして、その自覚など、意識の存在する場としての場の論理論、最終的にその場が宗教的・道徳的に統合される絶対矛盾的自己同一論へと展開していった。
一方で、一見するだけでは年代的に思想が展開されているように見えながら、西田は最初期から最晩年まで同じ地点を様々な角度で眺めていた、と解釈する見方もあり、現在では研究者(特に禅関係)の間でかなり広く受け入れられている。
 
最晩年に示された「絶対矛盾的自己同一」は、哲学用語と言うより宗教用語のように崇められたり、逆に厳しく批判されたりした。
その要旨は「過去と未来とが現在において互いに否定しあいながらも結びついて、現在から現在へと働いていく」、
あるいは、鈴木大拙の「即非の論理」(「Aは非Aであり、それによってまさにAである」という金剛経に通底する思想)を西洋哲学の中で捉え直した「場所的論理」(「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」)とも言われている。
そこには、行動と思想とが言語道断で不可分だった西田哲学の真髄が現れている。
論文『場所的論理と宗教的世界観』で西田は
「宗教は心霊上の事実である。
哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない。
哲学者はこの心霊上の事実を説明せなければならない。」と記している。
 
西田は思想輸入的・文献学的なアプローチを取らず、先人らの思考法だけを学び独自に思想を展開させたがゆえに、彼の著作は一見すると独創的で難解である。
しかし、禅の実践から抽出された独自の学風は文献学者、「哲学学者」への痛烈なアンチテーゼでもありえよう。
一方、田辺元や高橋里美などから西田哲学はあまりにも宗教的であり、実践的でないという批判がなされた。
 
PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E5%B9%BE%E5%A4%9A%E9%83%8E↑
CP:http://bbgate.froute.jp/pc2m/?_ucb_u=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E5%B9%BE%E5%A4%9A%E9%83%8E↑
 

(鈴木大拙ってそんなに凄い人だったんでしょうか。
「思想輸入的・文献学的なアプローチを取らず、先人らの思考法だけを学び独自に思想を展開」する、これは大切な反面、危うくもあるのだろうと感じました。
これらの均衡を保ちながら思考する難しさ。)
 
 
三木清
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=32713004
 
>>[001]

鈴木大拙さんの著書は、仏教を理解するのにとてもためになるものだと思います。
ぼくはマルクス主義から評された所の「ヘーゲルは逆立ちしている」というイメージがずっとあったものだから、実際にヘーゲルを読みもしないでヘーゲルに負のイメージしかなかったのですが、
読んでみるとヘーゲルは素晴らしいですね!
レーニンもその『哲学ノート』でヘーゲルを読んだ感想を綴っていますが、たくさんの賛辞を与えているのももっともですね。

私は 「丸山眞男」 です。

NHK・戦後史証言プロジェクト 「日本人は何をめざしてきたのか-知の巨人たち」より、

第3回「民主主義を求めてー政治学者・丸山眞男」で、彼を知りました

★永久革命としての民主主義

★永遠課題としての他者感覚

★制度ー理念ー運動 

と、捉えている処が共感できます。

ただ今は「現代政治の思想と行動」を学習中です。

(当方ブログにレジュメ形式で転記しています。興味あれば見てください)
>>[001]

仏教徒は案外簡単に西洋哲学を否定したりするけど、それは意外とちゃんと西洋哲学に向き合っていないことによる偏見だったりする。
その点、西田先生はそんな浅薄な西洋観に毒されることなく、西洋哲学の深さ、精緻さをちゃんと感じ取る所まで読み込んでいらっしゃった。
だからこそ西洋哲学と仏教とを対決させるような思索に命をかたむけられたのだと思います。
>>[009]

>想像してみたまえ、全ては無だと。しかし、これにはまるでセンスが無い。無であることは現代を誕生させない。生きている意味が無い。これが真理なら、ここに居られる方々の思考全てが無意味であるのだから。


「全ては無だ」と言うのがどの仏教宗派を想定しながら取り上げられた言葉かはわかりませんが、
ぼくがより正確に、あるいはより誤解なきように言い換えるなら、
「あらゆるものは決して不動不変の実体をもって存在しているわけではない。すべては縁起・関係性の中でそのように生起しているだけだ。中でも最大の関係性・因果は、すべてを静める無の心から立ち昇ることによってそれらすべては生起している。あらゆる有と無が、それら二項を超えた所(それを仮に原初の無とか涅槃とか呼んでいる)から生まれてくる。」
>>[011]がおっしゃる「想像してみたまえ、全ては無だと。しかし、これにはまるでセンスが無い。無であることは現代を誕生させない。生きている意味が無い。これが真理なら、ここに居られる方々の思考全てが無意味であるのだから」
というのは、ブッダが否定された虚無主義という一つの極端論のことのように思います。

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