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戦略および戦史研究同好会コミュの日清戦争論

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昭和天皇論以外トピックがないので、とりあえず叩き台で作ってみました。
初めは対米(大東亜、太平洋)戦争の検証でもやってみようかと思いましたが、その原因はよく考えれば中国大陸にあるので、日中戦争または(その遠因の)それ以前の対中関係について掘り下げることにしました。
そもそも大陸においてどの段階から(中国側が言う)「侵略」になっているのか、はっきりとした答えはないはずです。
日清戦争が日中最初の衝突としても、朝鮮における衝突が原因で、清朝側にしてみても属国であるはずの「朝鮮」に日本が手を出したということで開戦ということになっています。(戦後は清朝の「属国」から朝鮮は「独立」(というよりは日本の商業・軍事影響下に入ったということになっているが…)
台湾にしても下関条約では日本領有が決まったわけですが、この場合清朝にしてみれば戦後のしこりと反日感情はなかったのか?1900年に起こった義和団の乱では日本も「帝国主義列強の一員」として宣戦布告されていますが、それ以外は清朝政府は反日であったのでしょうか?そんな話は聞きませんが…。
後に清朝を倒す孫文も日本に留学、亡命をしており内心は反日ではなかったと思います。中国革命同士会=後の中国国民党が反日に走るのは打倒すべき清朝と軍閥を日本が支援していた、なんてことも考えられますがどうでしょうか?

日清戦争中は戦線が朝鮮、遼東半島に留まらず北京侵攻まで前線では画策されていました。だが軍の限界を知っていた政府の伊藤博文が清朝・李鴻章と交渉して休戦にしたので日清戦争はのちの日中戦争ほど泥沼にならないので済んだわけですが、(伊藤は前線で軍を指揮していた山縣有朋と同期なので、軍・政府の調整が取れ戦争指導もスムーズにできた、と黒野耐氏の論にありますが…)
実際に北京侵攻を行っていた場合はどうでしょうか?、欧米列強の干渉が予想され、対米戦のように列強戦争になった恐れがあります。列強の外圧に警戒して休戦が実現したとすれば、そのような外交観は明治政府は持っていたとも言えます。
(実際に三国干渉で遼東半島を諦めたのも、それを踏まえれば
「明断」として評価できると思います)

最近は江川達也も日清戦争を漫画で書いているので昔に比べれば史料も本も多く出ていますが、日清戦争や初期の日中関係論で何かあれば御紹介下さい。

コメント(13)

話題の発展という意味でコメントさせていただきます。

>そもそも大陸においてどの段階から(中国側が言う)「侵略」になっているのか、はっきりとした答えはないはずです。

日露戦争後の明治39年10月、山県有朋元帥が明治天皇に対し、自らの国防方針を上奏しました。その中に「日本の国利国権は清国に向かって企図し、揚子江以南の南清地方に発展を望む」という意味の文言があります(「戦史叢書」より)。
したがって、日本が国家目標として、大陸への権益拡大を目指しはじめたのは日露戦争後になると思います。

当時、日本が海外に権益拡大を図ったことの是非はさておき、ここで日本が考慮しなければならなかった点が2つあると思います。
第1は、日清戦争および日露戦争で中国国民にナショナリズムの火を灯させたこと。
第2は、当時、同盟関係だったイギリスの権益を脅かす結果となることです。

イギリスは香港、上海などを中心に揚子江沿いの華南地方で利益をあげていました。この権益を犯すものは誰であれ、イギリスの敵に回ることは明白で、事実、日露戦争後、特に第1次大戦後に急速に日英間の関係が悪化するのは、華南地方への日本の進出(あるいは、その恐れ)が原因でした。

問題なのは、日本がイギリスとの関係を悪化させる覚悟があって、揚子江付近に乗り込んだのではなく、イギリスと共存できるだろうという甘い判断をしたためだったことでした。
欧米からの反発を受けた日本は、その対抗策としてアジアの盟主として振る舞おうとしますが、今度は中国のナショナリズムの反感を受ける結果となってしまいます。
西からも東からも反感を受け、日本はますます自己中心的な対応をとるという泥沼にはまっていったのだと思います。

当時の欧米や中国から見た日本の姿というのは、今の日本から見た中国に近いのかもしれません。「横禍論」というものがあります。なぜ、あそこまで日本が恐れられ、嫌われたのか、私なんか頭ではわかるつもりでも、感覚的にはピンと来ませんでした。でも、最近の日中関係や国際関係における中国のニュースなどを見ると、当時の日本と今の中国を置き換えれば、なんとなくわかるような気がします。
どちらもイメージが先行し、恐怖感や嫌悪感が煽られている点も似ていると思います。

日清戦争とは直接関係ありませんが、とりあえず。
>ゴーマーパイル様

2のコメントは、私が続けて書き込もうと思っていたこと、そのものでした。先に論じられてしましましたね(w。
レスありがとうございます。
>化外の地
というと台湾が当てはまりますが…。
数年前にいったことがありますが清朝が西郷従道の遠征後に、日本進出を警戒して作った出城というものがありました。
清朝の台湾居住者は日清戦争後も抵抗して「台湾民主国」を作って抵抗しますが(台湾とも民主とも名だけのものだと聞いてますが、真相はどうなんでしょうか?)
>イギリス
日清戦争が対英との亀裂を作ったというのは初耳でした。
後の対米関係ほど悪化しなかったのは外交手腕が昭和期よりはうまく行っていたということでしょうか?
ロシアの存在もありましたが…。
>孫文
対中外交の失敗は中国が「国民国家」になるとは思わずにナショナリズムを煽らせた、という点にありますが、実際に孫文に接近していた頭山満ら「支那通」にはそれが予測できなかったのでしょうか?
元々西郷以来、玄洋社らは「維新の輸出」に励んでいたわけですから、国益に反する限度が解っていたと思いますが…。
もっとも制御するのも難しいことなのですが…。
>対華21ヶ条要求

列強は、第1次大戦のドサクサに紛れて日本が勝手なことをしようとしていると見たようですね。戦後のワシントン会議などにその影響が出ていますね。
再び、日清戦争の頃に戻って・・

>月山アエロフロート様
>日清戦争が対英との亀裂を作ったというのは初耳でした。
>後の対米関係ほど悪化しなかったのは外交手腕が昭和期よりは>うまく行っていたということでしょうか?
>ロシアの存在もありましたが…。

日本の外交手腕というよりも、もっぱらイギリスの事情によるものでしょう。
イギリスは当時、ボーア戦争の影響もあり、極東における軍備に限界を感じていました。ロシアに対抗するため、日本の力を利用する必要があったわけです、日英同盟も日本よりもイギリス側の方が積極的でしたし。
多忙でまたまた返答が遅くなって申し訳ないです。
紹介してもらいました書籍は時間があれば読むつもりです。
阿Q正伝も含めて…。
日清戦争の項というよりは、「戦前の列強の中国植民地パワーゲーム」として別途に作ったほうがいいかもしれません。
もしくは「中国の建国とナショナリズムの勃興」?
(ここでいう中国は1949年の人民共和国ではなくあくまで国民国家・中華民国です)

>nagao_eiji様
イギリスの外交戦略はほとんど朝鮮戦争期の米国の政策と似ているのでは。自衛隊の創設は朝鮮に出兵する米軍の留守役のため、あえて憲法を無視して再軍備させたと聞きますが…。
>自衛隊の創設は朝鮮に出兵する米軍の留守役のため、あえて憲法を無視して再軍備させたと聞きますが…。

これは日清戦争とは関係なく、自衛隊創設に関する質問ですか?
米軍の思惑ももちろんありましたが、旧陸軍・旧海軍の関係者がGHQに働きかけて、日本軍再建を相当アピールしたという面もあるようです。アメリカ側の事情を考慮するだけでは片手落ちと思います。
>nagao_eiji 様
旧海軍ではそのような動きはあると聞きましたが…。(Y委員会など)陸軍にも独自に復活の動きがあるとは知りませんでした。
比較として持ち出しましたがやはり日米・日英とでは(戦後・戦前とでも)問題の事情は違うので全然関係ないことでした。
この件については別項で論じることができればいいかと思います。自衛隊論か日米安保論かにて。

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