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世界社会フォーラムコミュの朝鮮半島情勢、「東アジア社会フォーラム」ができないものか

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今、市民社会フォーラムのメールグループに、話題になっている北朝鮮ミサイル問題とかかわって簡単な投稿をしたので、紹介させてもらいます。

一連の北朝鮮関連の投稿を読みました。
最初に提起された方と同じ危惧を抱いています。
これを期にいっそう国防を論じる人たちがハッスルし、マスコミの論調をリードするだろうなあと。

1)
朝鮮半島の問題にアプローチするさいに
私は、「朝鮮半島の平和的統一、そして平和的で民主的な統一朝鮮を願う朝鮮の人々への連帯」が、根幹に位置づけられるべきだと思っています。

北の金政権は末期的状態の最後の断末魔みたいになっている感じがします。
国際社会は、「朝鮮半島の平和的統一、民主主義統一朝鮮の実現」に協力しているとはおもえません。
その話題が聞こえてきません。残念なことです。
朝鮮の南北政府は平和統一に合意しているのだから、国際社会はそれを支援・推進する立場で望むべきだとおもいます。

ドイツ統一のように南北の国境がなくなり、自由往来になると、拉致被害者の完全解放が実現します。
中国東北部に逃げ出さなくてもすみます。
ミサイル問題も消えます。
アメリカ軍が極東に存在する根拠、日本が核の傘にはいる必要も、核をもつべきだという論拠も消えます。
(まあ、次には中国脅威論がメインとして登場するでしょうが)

私は、インターネット新聞ジャンジャンに「朝鮮半島への平和的アプローチの重要性」(2005年6月13日)という記事を掲載しました。

けっこう、投稿への賛否両論が闘わされてます。
http://www.janjan.jp/world/0506/0506108198/1.php?action=table&msg_article=28199
この時は、北朝鮮への制裁世論が高まっていたので、「平和的アプローチの重要性」と書きましたが
本当にいいたい内容は、朝鮮半島の自主的平和的統一への取り組みへの連帯です。
このことこそが、拉致などの諸問題の完全解決につながるという主張です。


2)
最近、一カ月前でしたか、日本で対立しあってきた北朝鮮系の団体と南朝鮮系の団体、すなわち総連と民団が和解し、協力関係が成立しました。
これは画期的なことです。
この統一は、総連の人々を通じて北朝鮮の人々に意識に波及し、民団の人々の意識を通じて南の人々の意識に波及するでしょう。

朝鮮半島の統一は、まちがいなく実現すると思っています。問題は時期です。
統一に向けた機運への連帯は、時期を早め、苦悩の期間を減らし、
歴史の転換期の被害を減少させるとおもいます。
そこからは「太陽政策」の発想への理解も生じるとおもいます。
私は「統一への平和的アプローチ」を支持すべきだと思っています。


ここからは夢物語です。

3)
私は、世界社会フォーラムの東アジア版、極東アジア版が必要だと思っています。
政府間の6か国協議の話しあいも大切ですが
民衆間の話しあいと交流が大切です。
官製の交流事業ではな、自主的民主的に交流をつくあげてゆく必要があります。
民団の人、総連の人、を通じて、輪をつくることは可能だとおもいます。

短い英文で東アジアのメールグループがつくれたら、
一つの重要な意見交換のテーマは、「朝鮮半島の統一」です。

東アジア地域を、軍事拡張競争の場にしないためには
民衆同士の交流が大切だとおもいます。
それは、「多様性にもとづく統一」の世界社会フォーラム東アジア版となります。

コメント(6)

コメントがないので、
その次に市民社会フォーラムのメール・グループに投稿した内容を紹介させていだだきます。
文化論です。

なお、市民社会フォーラムのメールの申し込みは、Eメール:NQC41966@nifty.com の岡林さんへ、ミクシィの世界社会フォーラムをみて申し込みましたと言ったらいいです。
きくちゆみさんをはじめて、とても多彩なすぐれた人々が常連の投稿者となっています。
研究者、弁護士、医師、一般市民、学生、市民活動家、労組、様々な市民グループなど、いろんな立場にある人からメッセージが交流しています。
吉見道夫の投稿は、http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/shiminshakaiforum/mokuji.html をクリックしていただくと、これまでの投稿がわかります。
世界社会フォーラムがひろがることを念じながら投稿しています。


これが、昨日の投稿です。

「アフター・キャピタリズム」という進歩的社会主義の本の中にフィリピンについての言及しつつ、
心理的搾取とエセ文化についての観点が文化的視点から説明してあるので参考までに紹介させていただきます。

一つは、えせ文化を通じて心理的搾取(利用)が強められており、フィリピン人小学生の15%しかフィリピン人になりたいと答えなかったそうです。

二目は、だから、エセ文化に打ち勝つ人類愛、生命愛の多元的普遍主義の文化の発展が必要なことです。
 私たちは、人類であり、すべての文化は、私たちの文化であり、その多様性は私たちの豊かさである、という文化へのアプローチです。
私たちがまずもって人類というアイデンティティをもつ時、「異」文化はありません。
すべては私たちのかけがえないのない多様な文化です。
 サーカーは一カ所だけ「人類ナショナリズム」と述べていましたが、いわば、進歩的社会主義は人類ナショナリズムを基盤とします。

三つ目に、フィリピンの進歩的社会主義者(プラウティスト)が、フィリピンというスペイン王の名を冠した国名をやめようと運動していることです。

言いたいのは以上のことですが、
それを述べている箇所を以下に資料として紹介させていただきます。


(やや長くなってしまったので関心ある人だけ、ごらんください)


心理的搾取 Psychic Exploitation

物的身体的レベルでの資本主義的搾取に加えて、サーカーは、知的領域でもいくつかの方法で搾取(expliotation利用)が生じることを示しました。
(略)

 教育システム、マスメディア、宣伝広告の中にある支配的メッセージは、個人主義的で競争的です。
「まず教育を受けなさい。そして仕事を得て、できるだけ多くのお金を稼ぎなさい」これらの制度や団体は、私たち人類家族における他者への責任のメッセージを伝えることはほとんどありません。
多くの政府と私企業は、貧しい人々に宝くじと賭博のカジノを宣伝し、金持ちになることを夢見させます。
この利己的で物質主義的な態度は、「私は得て、あなたは負ける(勝ち組、負け組)」として表現されます。
あるいは、より正確には、「私は勝ちます。そしてあなたに何が起きようと私には関係ありません」です。この個人主義的見方は、コミュニティを分裂させ、人間関係を傷つけます。


文明、文化、エセ文化

(略)
 プラウトの普遍的な見方は、人間の多様性の中に統一を見いだします。
人類の美を高める多様な地域的変種があるけれども、人間の文化は本質的に一つであることを受け入れます。
人間の心の根本的傾向はどの地域でも同一です。
しかし、それは、異なる地域においては多様な方法や割合で表現されます。真の統一を発展させるためには、私たちの生来の人間性を認めつつも、この多様性を称揚しなくてはなりません。

 歴史を通じて、ある文化は別の文化を破壊してきました。
過去に、帝国主義者は、優秀な武器をもって他の土地に侵入し、征服しました。彼らは敗北した人々に言いました。
「あなた方の文化は原始的である。あなた方の宗教には欠陥がある。あなた方の言語は洗練されていない」と。
植民地主義は、暴力を用い、劣等コンプレックスを持たせて、抵抗する意欲を奪いしました。

 けれども第二次大戦後、多くの土で解放運動が発展しました。
その時、資本主義者は、新しく独立した国々で搾取を継続するために、より狡猾なテクニックを発達させました。
そのもっとも協力なテクニックの一つが、エセ文化を課すことでした。

 エセ文化は、人々を高めることのないまやかしの押しつけられたものを意味します。
エセ文化は、人々の集合的な見方を麻痺させ、人々を経済的搾取へと導きます。
それは、自分たち自身の文化のもとにおけるよりも、生活をより楽しいものにすることを売りにします。
しかし、実際には、人々がもっている不屈さを損ないます。
広範囲に普及している「消費文化」は物質的喜びに訴えかけ、最終的には、心理的、精神的に衰弱させる影響があります。
自分たちの文化遺産を保持しようとしている人々の抵抗も低下させます。

 多くのテレビ番組は、世界中にアメリカ合衆国を基盤とする物質主義的なエセ文化をばらまいています。
フィリピンの大学のマリア・ドロニラMaria Doronilla教授は、その強力なインパクトについて最近の研究の中で示しました。
彼女は、様々な小学校の数百人のフィリピン人小学生に面接しました。
質問の一つは「あなたはどこの国の人になりたいですか」でした。
多くの子どもがアメリカ人と答え、その他は日本人、ヨーロッパ人でした。フィリピン人になりたいと言ったのは15パーセント以下でした。

 心理学的に、これは、個人のパーソナリティに有害な影響をもたらします。
宣伝・広告は、人の生活が、本当の生活よりも、表面上はより愉快なものであるかのように描きます。
そのような広告は、人々が富裕でお金持ちになりたいと思わせます。
ハリウッドのテレビ・ショーや映画の中で誰もが持っているように見える魅力に満ちた服、車、住居を持ちたいと思わせます。
ほとんどのフィリピン人の子どもたちは、自分たちの両親が、少ない収入と少ない物質的財で生活しながら、もがいているのを見ます。
だから、自分たちは遅れていて、原始的なんだと思い始めます。
それは、子どもたちが何ものかになりたいと思っても、自分たち自身にはなりたくないということを意味します。
エセ文化のゆえに、小さい子どもまでが、低い自己イメージと劣等コンプレックスを身につけはじめます。

 企業所有のマスメディアは、継続的に早く金持ちになりたいという願望を助長しています。
革命的音楽や演劇、ニュースを放送しません。
エセ文化は、人々を麻痺させ、搾取に抵抗する意欲を失わせます。
 
 

(略、・・・かなり省略)

フィリピンでは、それぞれ異なる言語をもった7つの主要なサマジ運動が積極的です。
それらは、タガログ語で「統一した仲間たち」という意味のアング・カサマAng Kasamaというプラウティスト(進歩的社会主義者)連合を一緒に作っています。
彼らは、「私たちの文化は私たちの強さである」というスローガンを掲げています。
他の組織とともに、彼らは国の植民地名(昔のスペイン王フィリップの土地という意味)をもともとのサンスクリット名であるマハルリカMaharlikaに変更するキャンペーンを行っています。
それは、「サイズは小さいが、スピリットにおいて大きい」という意味です。

 アング・カサマの仕事は、地方の言語と文化を奨励すること、協同組合を開始すること、すべてのフィリピン人の連帯を激励すること、エセ文化、心理経済搾取と闘うことを含みます。
彼らは、進歩的芸術家のコンサートや地域言語で歌ったレコーディング、意識を高めるセミナー、自然災害被害地の救援の仕事を組織しています。
彼らのジェンダー感受性のワークショップとポルノ写真と性産業に対する抗議は、女性の搾取に対する大衆の自覚を高めることに役立ってきました。
ひとつ。
民団と総連の提携は、今回の弾道ミサイル発射で撤回されてしまいました。

産経新聞の記事ですが、よくまとまっていると思います。
http://www.sankei.co.jp/news/060706/sha048.htm
民団、総連の和解の破綻残念ですね。
歴史はじぐざぐにしか進まないということでしょうか。
コメントありがとうございました。
平和的に問題を解決していく為にはあらゆる困難が、現実の眼前には存在していると思います。だとするならば、その困難をまずは認識し、とり得る平和的手段を検討することが大事であると考えます。夢物語ではなく、実現に至らせるにはそれなりの議論に耐えうる方法論と正当性の根拠が必要なのではないかと思っています。


簡単に、僕の主要な質問を以下に記述致します。

?国際社会が、朝鮮半島の統一に対して支援・推進する立場で望む、という時、その正当性はどこにあるのか。誰をどのように支援するのか。

?朝鮮半島の統一が達成されたとして、本当に上述のように短絡的に、あらゆる問題が解決し得るのか。

以上の2点です。
コメントありがとうございます。
上記の論点について今日の状況はあたらな展開をしているのでコメントが必要だとは思いますが
今、あたらしい投稿を市民社会フォーラムにしましたので
別のトピックを立てるのも恐縮なので、ここに書かせてもらいます。

1)
社会サイクル論の見方からすると、
現在の局面は巨大な富を蓄えた財のマインドが政治やマスコミの舞台裏でコントロールしている時代であり、財に奉仕する武のマインドと知のマインドの三角同盟に対して、大衆に味方する勢力が闘う時代です。
巨大な財がバックにあるために選挙戦など敗北させられる局面は多々あると思います。

負けた時、大衆のために団結した政党や無党派人は、これまでの歴史をみると、負けた原因を他のせいにして攻撃しあいました。
負けた時にこそ、さらに連帯感を強めて、将来へのさらなるパワー・アップにつなげてゆくことが必要だと思います。



社会サイクル論では、大衆に革命のリーダーシップを期待するなら永久に革命はこないと言います。

大衆に奉仕する武のマインドと知のマインド(大衆の生活状態に転落した武と知)の団結が鍵です。
つまり革命のリーダーシップをにぎるのは、大衆の中の武と知のマインドです。
これまでは財と支配者の味方をしていたが、大衆の生活状態に転落した武と知のマインドのものを、財とそれに奉仕する武と知の三角同盟に抵抗し、あらたな社会ビジョンに向って進む受け皿としての輪(サドヴィプラ社会集団という)の中に取り込むかが、重要だと思います。

20世紀の政党間の統一戦線政府は、フランス、スペイン、チリなど、反革命にやぶれて悲惨な目にあいました。
21世紀にはじまった世界社会フォーラム運動は、たぶん、その教訓を組んでいるのだと思います。
政党しての参加がはない形で、政党員を排除せず、その上で、無党派の人も、どの政党の人も、ひとつに結集する場をつくリあげていると思います。

それは、財と武と知の三角同盟に対して、大衆の生活を守る意識の高い人々の大衆的な武と知の「多様性にもとづく統一」を実現していることだと思います。
私はブラジルやベネズエラのルラ大統領やチャベス大統領たちの勝利は、そのような「世界社会フォーラム」運動が背景にあったと推測しています。
日本でも心ある多くの知識人が、このフォーラム参加者以外に数多くいます。その人々を一つのエネルギーの渦に巻き込む必要があります。
もし、一つの渦になるなら、莫大なエネルギーを発揮すると思います。

市民社会フォーラム運動が、そのような運動への橋渡しなる可能性を私はみて、期待しています。


参考までに

世界社会フォーラムの原理憲章
http://japana.org/wsf/charter.html

8項
「世界社会フォーラムは、さまざまな価値や考え方を認め、信条の違いを超え、・・」
12項
「世界社会フォーラムは経験を交換する枠組みです。わたしたちは参加団体や運動組織が互いに理解・認識を深めるよう奨励します。・・・」

市民社会フォーラムは個人参加であり、世界社会フォーラムですが、私たちもその原理憲章から学ぶ必要があると思います。すなわち憲章では、真理は誰も独占しないとあり、すべての参加者が相対的真理の担い手であると考えています。
つまり私の意見も正しければ、あなたの意見も正しいのです。
そのスタンスが「多様性における統一」が拡大発展してゆくためにどうしても必要だと思います。

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