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ヨハン・ゼバスティアン・バッハコミュのBach - Concerto for Two Violins in D Minor BWV 1043

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いきなりの質問で恐縮です。

この曲には、オイストラフ親子の2つの録音があります。
1つはグーセンス盤
2つ目はコンヴィチュニー盤ですが、この両方もしくは片方でも構いません、1番、2番を弾いてるのはどちらでしょう。

音盤のクレジットには記載がありませんので、耳で聴いて判断するしか無いので、みなさんの判断よろしくお願い致します。

コメント(33)

グーセンス盤は父だった気がします。コヴィチュニー盤もおそらくそうでしょう。息子の録音は少ないですから。
Nakajanさん、コメント有難うございます。

もう1つ有るのを忘れてました。
パルシャイ盤では1番を息子2番を父とクレジットにもレコード盤面にも表記されています。
どちらの盤も第1バイオリン・コンチェルタートは息子さんが担当し、第2バイオリン・
コンチェルタートは親が弾き、第1バイオリン・コンチェルタートをサポート(バック・
アップ)しているところが微笑ましいですね。

是非、音源ソフト(LPレコード&CD)は、日本盤でなく、輸入EU(欧州連合)盤を
お勧め致します。

日本盤には、西欧音楽の香気が感じられず、欧羅巴(ヨーロッパ)の香り・薫り、雰囲気
・臨場感がないからです。

また、日本盤は通奏低音(バッソ・コンティニュオ)の響き方が不自然で、バロック音楽
特有のポリフォニー(対位法)とホモフォニー(和声法)の融合・融和が全く感じられ
ず、可笑しな録音になっているからです。

私は、常時、オーケストラ・フル・スコアーと音源ソフトを視聴覚を用いて、照らし合わ
せながら、音楽作品をBBC(英国放送協会)モニター・システムのオーディオ機器で、
演奏・録音の良し悪し、オーケストラの各楽器間の定位、バランス&ハーモナイズ、
各声部との絡み合い、通奏低音との融和性等々を検証し、楽しんできました。

本作品(BWV1043)は、1964年以来、私が開催してきた「バッハの音楽に親し
む会」例会で、何回も取り上げ、オイストラ親子の演奏の醍醐味を伝授してきましたよ。

クラシック音楽作品を親子で弾く場合、大半は、花を咲かせる主声部は子が弾き、親は
それを支える姿が多いですね。
これが、自然なスタンス(姿勢)と判断しています。

バッハのバイオリン曲をチェンバロ曲に置き換えている作品も楽しいので、バイオリンと
チェンバロの声部を対比しながら聴くのも面白いですよ。

バッハの音楽作品の真髄(本質)に迫って下さいね。


モリオバッハさん、コメント並びにご教示ありがとうございます。

ソースにおける音盤の品質あるいはマスターリングや装置の大切さは小生も、端くれながら存じ上げております。しかしLPにおける外盤の比率は決して高くなく、普段聞く割合もCDとの比率はLPが3、CDが7といった割合です。

>クラシック音楽作品を親子で弾く場合、大半は、花を咲かせる主声部は子が弾き、親は
それを支える姿が多いですね。
これが、自然なスタンス(姿勢)と判断しています。

BWV1043に限らせていただけば、
小生の勝手な思いですが、あれだけの対位法の駆使ですから、1と2が主副という疑念が、そもそもバッハにあったのでしょうか。小生は5分と5分のように思ってましたが・・・ もちろん主声部と副声部はありますが,大概において入れ替わりますから音楽進行していく中で、主が副になり副が主になるのだと思いますがどうなんでしょう。

かつて上手なほうがダヴィッド、少し劣るのがイーゴリ、音が太いのがダヴィッド、線が細いのがイーゴリという論調がクラシック専門掲示板でもありましたが、双方ともに(今回問題のグーセンス盤でもコンヴィチュニー盤でも)その特色はあるようにお見受けしますので、決定打にはなりにくいと思った次第でした。

おっしゃられていることを否定する気はありませんが、音楽的な判断材料でお気づきの点、なにかございませんでしょうか。イーゴリとダヴィッドそれぞれのバイオリンの顕著な特徴のようなものがあって、それがグーセンス盤とコンヴィチュニー盤ではどのあたりに出現するのか、よってどちらがどうであるかといったことをご教示いただけると大変有難く存じます。(両方の音盤でなくてどちらかでも全く構いません)

バルシャイ盤には、1Vn2Vnの表記がありますが、問題にしている2つの音盤のクレジットには、過去から現在まで何も記されておりません。
最近のものを除く古い組み合わせで、オイストラッフとのもの、(例えばメニューヒン、スークなど)を聴いて判断材料にしようとしましたが、イーゴリとの組み合わせでは、他の組み合わせで見せたオイストラッフの特徴的なものが薄まっているせいか、どちらがどうかよくわからないのです。

両者ともに上手(イーゴリはダヴィッドに決して劣るところはない)ということを認識したものの、どちらが1番を弾いたのか、ぜひ耳で聴いたところの判断材料の何たるかご教示いただけると大変ありがたく思います。

オーディオ装置の話が出ましたので、ちなみに小生のSPですが、主にQUAD−ESL−63を専用アンプで駆動し、天井3Mのリスニングルームで聴いています。BBCモニターSPというと、スペンドールかロジャースでしょうか。とても良いSPですね。

長々と失礼いたしました。
noanoa1970 様

コメント有難うございました。

仰られているように、ポリフォニー(対位法)の各声部は対等でありますから、第1と
第2で主副の関係が疑念されることも当然でしょう。

ヴィヴァルディーの4つのヴァイオリンのための協奏曲をバッハが4台のチェンバロのた
めの協奏曲に編曲した作品がありますよね。

バッハの家庭演奏会用とか、チェンバロがまだ上手く弾けない演奏者用に、第1が一番上
手、第2が次という順序で、演奏の手腕を考慮して、編曲していると推察しています。

本作品も同じような手法ではありませんが、華やかな第1を子に、それを支え、上手く
声部を絡み合わせる第2は親が担当するのも「親心」と言うものです。
実際のところ第1よりも第2の方が、難しいのだよと昔々、日本で一番古い「古典音楽協
会」の演奏会終了後、指揮者の三瓶十郎さんから聞いたことがありますよ。

また、バッハの有名な「マタイ受難曲」でも、リスナーの左側(下手)に、
第1オーケストラ&合唱が、右側(上手)が第2オーケストラ&合唱が、位置づけられ、
左右咬合に掛け合う音(サウンド)の響きが楽しめますね。

西洋音楽の世界は、左側(下手)が「善の世界」を、右側(上手)が「悪の世界」を
表現しているのですよ。

全曲を通して、第1オーケストラ&合唱が華やかに奏でますね。
第2オーケストラ&合唱が、第1よりも華やかさがなく、応答するような姿で進んで
いきますよね。

2つのバイオリンのための協奏曲も例外なく、
左側(下手)が第1バイオリンで「善の世界」を表し、
右側(上手)が第2バイオリンで「悪の世界」を表しているのです。
「善」と「悪」の葛藤劇が、本来のクラシック音楽の真髄・真理なのですよ。

「善」と「悪」の絡み合い、語り合い、その極意の世界が対位法の世界観なのです。


>かつて上手なほうがダヴィッド、少し劣るのがイーゴリ、音が太いのがダヴィッド、線
 が細いのがイーゴリという論調がクラシック専門掲示板でもありましたが、双方ともに
 (今回問題のグーセンス盤でもコンヴィチュニー盤でも)その特色はあるようにお見受
 けしますので、決定打にはなりにくいと思った次第でした。

私も、そのような意見・コメントは某クラシック音楽の評論誌上で聞いたことがあります
が、日本のクラシック音楽評論家の大半は、現地(欧州)でのライブ・コンサート体験に
乏しかったり、音楽評論家は、得てして、オーディオを知らないため、どのような録音方
法で録音されたかご存知のある評論家は少ないのですよ。
日本のクラシック音楽&オーディオ評論家は、販売促進員に過ぎないと散々、他のトピで
申し上げてきましたよ。
余り評論家の言うことを鵜呑みにしないで下さいね。

続きあり


6項目の続き

>おっしゃられていることを否定する気はありませんが、音楽的な判断材料でお気づきの
点、なにかございませんでしょうか。イーゴリとダヴィッドそれぞれのバイオリンの顕著
な特徴のようなものがあって、それがグーセンス盤とコンヴィチュニー盤ではどのあたり
に出現するのか、よってどちらがどうであるかといったことをご教示いただけると大変有
難く存じます。(両方の音盤でなくてどちらかでも全く構いません)

適切な回答になっていなかったら申し訳ございませんが、トッティーではよく比較できな
いので、ソロ演奏、特にカデンツアーでの掛け合い、強弱・早遅・思い入れ、雰囲気等々
で判別できると想われますが、如何でしょうか。

>バルシャイ盤には、1Vn2Vnの表記がありますが、問題にしている2つの音盤のクレジッ
トには、過去から現在まで何も記されておりません。
最近のものを除く古い組み合わせで、オイストラッフとのもの、(例えばメニューヒン、
スークなど)を聴いて判断材料にしようとしましたが、イーゴリとの組み合わせでは、他
の組み合わせで見せたオイストラッフの特徴的なものが薄まっているせいか、ど ちらが
どうかよくわからないのです。

最近の再録音では、コンソール技術の影響で、綺麗に音を出そうとのコンセプトで、
オリジナル録音より、メリハリが効いていないものが多く出てきましたね。
日本人が作成した音源ソフト(LPレコード、CD&SACD)は、輸入盤の音源ソフト
とは比べ物にならないほど低級・低芸化しておりますので、価値ありませんよ。

日本盤より輸入盤の方が、1000倍いい音(サウンド)の響きが感じられると30年前
から、私が開催してきた「バッハの音楽に親しむ会」、「クラシック音楽を楽しむ会」、
「管球倶楽部音楽鑑賞会」で、クラシック音楽評論家、オーディオ評論家、クラシック音
楽ファン、オーディオマニアを前にして、アピールしてきましたよ。


>オーディオ装置の話が出ましたので、ちなみに小生のSPですが、主にQUAD−ESL−63を
専用アンプで駆動し、天井3Mのリスニングルームで聴いています。BBCモニターSPという、
スペンドールかロジャースでしょうか。とても良いSPですね。

クオードのESL63は、専用のクオード・アンプに繋げてこそ、価値があるのです。
クオードの社長、ピーター・ウォーカーさんとその息子のロス・ウォーカーさんに
晴海埠頭で開催されていた全日本オーディオフェアーでお会いしたことがあり、いくつか
のインタビューをしましたよ。

クオードのESL、ESL63を上手に鳴らすためには、日本間換算で、50〜100畳
の空間で、天井吹き抜けで2階半から3階相当の空間が必要で、ESLスピーカーは、前
後の音を放射するため、後ろの壁から3m以上あけなければ、正しい音(サウンド)は再
現・再生できないんだよ。と聞いたことがありました。
ESLスピーカーの左右間隔は、最低5mあけなければ、オーケストラの各楽器の位置が
明確に特定できず、奥域感が出せないんだよとも。
私の自宅のオーディオルームがジャパニーズルームの4.5畳のため、3m開けることも
できないと社長に返答して、大いに笑われてしまいましたよ。

このESLのスピーカーの実験、ESL、ESL63、ESL63プロは、平成元年前後
当時輸入代理店だったハーマン・インターナショナルのご厚意で、空間比較実験をさせて
貰ったことがありました。

クオードの社長&息子さんが言いているように、広大な空間スペースがなければ、ESL
の本領が発揮されないことも検証できましたので、ESL63プロは諦め、BBCの小型
スピーカーを選定した次第なのです。

このような記事情報は、私の日記(バックナンバー3年分)に散々記述してありますの
で、ご興味がありましたら、ご参照下さい。

クラシック音楽鑑賞の極意を味わってくださいね。
この曲は私自身弾いた経験があるのですが、やはり1st主、2nd副だと思います。バッハなのであまり違いがないのですが、1stの方が高いメロディが多く、技術的難易度が若干高いように感じます。
2ndの方が全体に対して気を遣うのは確かです。出るべきか支えるべきか解釈が分かれる箇所はいくつかあります。そこは2ndの醍醐味ですが、2ndならば他の曲でも共通のことで主副の点ではやはり副だと思います。

2人の演奏は他の演奏家に比べてバランスが良いと思います。シェリング盤なんかは酷い。ダヴィッドがロマン派風の弾き方であるのに対してイーゴリはさばさばしているという解釈の違い、また使用楽器の差はあり、チャイコンなんかを聴き比べると差が歴然としてしまうように思います。しかし、バッハに関しては、ダヴィッドのロマン派的なところが弱められ、イーゴリの良さが生き、室内楽的であるがため楽器差が弱められ、バランスがとれているように思います。ロマン派を弾かせたらやはりダヴィッドの方が上だと思いますよ。
Nakajanさん、コメント及びご教示ありがとうございます。

>しかし、バッハに関しては、ダヴィッドのロマン派的なところが弱められ、イーゴリの良さが生き、室内楽的であるがため楽器差が弱められ、バランスがとれているように思います。

同じ思いです。それだけに1番と2番がどちらかをわかりかねている状態です。
第7項目で記述したことを補足致します。

BWV1043の第2楽章は、ゆったりとしたカデンツアー的な雰囲気で、第1Vnと
第2Vnの掛け合いが聞きどころです。

バッハの作品以外に、オイストラフがEMIに録音した全曲集17枚組ボックスで、
オイストラフ親子が共演している作品が2作品ありますね。

(1)モーツアルトの2つのバイオリンのための協奏曲 K190
(2)モーツアルトのバイオリンとビオラのための協奏交響曲 K364

前者のバイオリン・コンチェルトは、第1Vnが子で、第2Vnが親です。
後者のシンフォニア・コンチェルタントは、バイオリンが子で、ビオラが親です。

ご存知のように、モーツアルトの作品は、バッハのポリフォニー(対位法)と違って、
フォモフォニー(和声法)で画かれていますよね。
フォモフォニーの世界では、明確に、
K190の作品では、第1Vnが主で、第2Vnが副です。
K364の作品では、Vnが主で、Vaが副です。

この録音演奏風景の延長線の観点でみれば、バッハの作品録音演奏風景も同じように
みえてくると考察しているのです。

第2VnやVaを奏でる演奏の癖(弓捌き)の音(サウンド)の響きは、上記、17枚
組のボックスで一環して主旋律を弾いている他の作品演奏と比較試聴しても、
親(ダヴィッド・オイストラフ)が演奏(担当)していることが、明確ですよ。

日本盤(LPレコード&CD)の解説書に書かれているデータ記述等々は、余り信用が
おけないものもありますので、これも鵜呑みにしないで下さいね。
昔々、輸入盤と日本盤の解説書のデーター記述に対しての相違を、キングレコード&
コロンビア、その他の日本のレコードメーカーに、指摘修正させたこともありましたよ。
発売元の担当者(クラシック音楽のプロ)は、よくわかっていない、知っていないことが
判明しましたね。
輸入盤の方のデーター記述が得てして正しいことが判りましたね。

ご参考になれば幸いです。
追記

第6項目で、「善」と「悪」の葛藤劇を記述しましたが、EMIでオイストラフが録音・
演奏している風景(オーケストラ配置)は、ストコフスキー・タイプとかアメリカン・
タイプと言われている従来法です。

従来法でのオーケストラの配置では、「善」と「悪」の葛藤劇は楽しめません。

1930〜1960年頃にかけて、録音するときのマイクロフォンの性能の関係で、
バロック時代から1930年頃までは当たり前だった対向配置とか旧ドイツ・タイプと
言われている配置を無理矢理に変更してしまったため、「善」と「悪」の葛藤劇が
判別できなくなってしましったのです。

現代のオーケストラの配置は、左側が高音楽器群、右側が低音楽器群に分離され、
高低音の掛け合いになってしまったのです。
私は、30年以上前から、従来法は、間違ったオーケストラ配置であると散々、種々の
音楽鑑賞会、音楽&オーディオセミナーで伝授して参りました。

バロック時代から続いている対抗配置での演奏・録音を多く収集し、本来のクラシック
音楽の醍醐味を味わって戴きたいのです。

ご存知と想いますが、対向配置は、
左側(下手)手前に第1バイオリン群、その後にチェロ群、その後にコントラバス群、
右側(上手)手前に第2バイオリン群、その後にビオラ群が配置された構成です。

多くの作品は、オーケストラ・フル・スコアーを視ると第2バイオリン群とビオラ群の
♪(音符)の流れは、同じ旋律を弾いていることが多いことに気付きます。
所謂、第2バイオリン&ビオラは、「悪」の世界を奏でていることに気付いて戴ければ、
本来のクラシック音楽の真髄・真理の「善」&「悪」の葛藤劇が楽しめると言うことを
アピールしたいのです。

クオードESLをはじめ、オール・クオード・システムを利用して、クラシック音楽の
醍醐味をご堪能して戴けなかったら、お持ちのESLが可哀想ですよ。
私も広々としたオーディオルームを所有していたら、真っ先にESLを購入しましたよ。
ESL63(プロ)こそ、フルレンジ・スピーカーの最高峰ですからね。

クラシック音楽ソフトは、できる限り、日本正規盤でなく輸入正規盤をお勧め致します。

現在のクオード輸入代理店のロッキー・インターナショナルの近藤マスターに輸入盤の
方が圧倒的にいいことを認識して貰うのに、5年の歳月を要しましたね。
オール・クオード・システムを売り物にしているプロに判らせるために尽力しています。
販売しているクオード・システムが可哀想と言ってきた所以です。
認識後、マスターは、インターナショナル・オーディオフェアー等々のデモ用に、
私の忠告に従い、クラシック音楽の再生には、欧米の輸入盤を利用していますよ。
嬉しい限りですね。

対向配置によるバロック音楽、ヨハン・セバスチャン・バッハの音楽の響きは、格別な
意味・醍醐味の味わいに気づかれることでしょう。
モリオバッハ様。

色々とご教示頂きありがとうございます。

ところで1つ質問があります。

「西洋音楽の世界」では左と右が善と悪と断定されました。
このことは非常に興味を持って拝読させていただきました。
この場合の善悪とは一体何を指すのでしょう。
ご教示いただけたらと思います。
「西洋音楽の世界」とは我々が思うところの音楽としてよろしいですか。
それとも対位法のことを言っておられるのでしょうか。
ソナタ形式の1・2の主題もそのようにお考えでしょうか。

マタイのイエス・ユダ・司祭長の立ち位置は、リヒター旧盤、ヨッフム盤、ミュンヒンガー盤で、左右真ん中がバラバラなようですが、そのこととは関係が無いですか。






noanoa1970  様

おはようございます。
コメント有難うございました。

西洋の世界観では、左側(下手)が「善」の世界を表現しています。

オペラの世界を観るとよく理解できると想います。
モーツアルトの歌劇「魔笛」の善人役のタミーノは、序曲が終わって、第1幕に入ると
大蛇に食われてしまう、助けてくれ!!!と下手から登場することがルールなのです。
悪人役のモノタスは、上手から登場してきますよ。
夜の女王役は、善人とも悪人とも最初は特定していないため、舞台中央の上部(天井)
から登場してくる解釈が一般的に採用されています。
このルールに基づいていなければ、演出家、指揮者がこのルールを知らない恥さらしと
言えるのです。

唯一、西洋の世界観で、意識的に「善」と「悪」の世界を逆転している劇場があります。
即ち、来年生誕200年記念を迎えるワグナーの創立したバイロイト祝祭劇場です。
唯一、第1ヴァイオリンとチェロとコントラバスが上手に配置され、第2ヴァイオリンと
ビオラが下手に配置し、逆対向配置での演奏をしているのです。
また、「善人」は、上手から登場してくるのです。
例外なく、バイロイト祝祭劇場で開催された楽劇は、どのような指揮者でも、ワーグナー
が決めたこのルールに従って演奏・録音していることが検証できましたよ。

東洋の世界観では、右側(上手)が「善」の世界を表現しているのです。
歌舞伎や能の世界を観ればお判りのように「善人」役は、上手から登場するルールです。

「善人」と「悪人」について、明日記述致します。

これから、両親の介護に、定期健診のため両親を病院に連れて行かなければならないから
です。

楽しみにお待ちください。

このような事象も私の日記(バックナンバー3年分の音楽編)に詳細に記述してあります
ので、興味があればご参照下さい。

noanoa1970  様

おはようございます。お待たせしました。
13項目に記述されたご質問に対して、回答致します。

Q1:「西洋音楽の世界」では左と右が善と悪と断定されました。
   このことは非常に興味を持って拝読させていただきました。
   この場合の善悪とは一体何を指すのでしょう。

A1:結論的に申しますと、
   「善」は我々が持って生まれた清い心(真心)を意味しております。
   「悪」は我々が大人になり、成長する過程において、醜い心(邪心)を意味
   しているのです。(醜い心は邪鬼、邪気、我儘な心を表現しています。)

   私は、昭和38年(1963年)高校1年生時、世界史の授業で、「隣人を愛せよ
   と言っておきながら、なぜクリスチャン同士が宗教戦争をしているのか」の疑問を
   抱くと共に、10才時からクラシック音楽の鑑賞にのめり込み、クラシック音楽の
   原点、源泉は基督(キリスト)教をマスターしなければ、解らないと言う2つの
   課題(テーマ)を解決するために、近所にあったプロテスタン系(長老派)の
   賀川豊彦創設の東駒形教会に通いだしました。
   
   1つの教会以外では、満足な解答が得られず、その他、東京にある有名な由緒ある
   教会(銀座教会、霊南坂教会、富士見町教会、大森めぐみ教会、他)と日本の
   カトリックの総本山と言われている東京カテドラル教会聖万梨阿(マリア)大聖堂
   (関口教会)、並びにイグナチオ教会にも通いつめ、牧師、伝道師、長老、神父、
   司祭等々、宗教に携わるプロ達にインタビューしましたが、理系人間として納得・
   理解できる解答が得られなかったのです。

   宗教のプロをはじめ、多くの聖職者達は、聖典(聖書、スッタニパータ、仏陀の言
   葉、コーラン、他)に描かれている内容は、物質次元界で起こった事件として捉え
   ていることに気付きました。

   私は、哲学・宗教・倫理の世界観は、物質次元界と精神次元界に分けて考察すれば
   我々凡人にも理解・納得できる事象であることに気付いたのです。

   世界中のどの聖典の内容も、我々凡人に解り易くするために、精神次元界のお話を
   物質次元界に置き換えて、記述されていることに気が付いたのです。

   聖書では、皆様ご存知のように「善人」をイエス・キリストや弟子達を捉えてお
   り、「悪人」を異邦人達に見立て、バッハの「マタイ受難曲」にも描かれているイ
   エスを十字架に張り付けろと騒いでいる場面、ユダヤ人の民衆達がバラバを放免
   し、イエスを十字架に!!!ユダヤ人が嫌がれている所以なのです。

   世界中の大半が、聖典の内容を物質次元界での事象(事件、出来事)と捉えている
   ところに、大きな間違いを起こしていることに対して、気が付いていないため、
   世界的に悲劇・不幸が生じている原因なのですね。

   精神次元で行うべき実践を物質次元で行っていることに対して、誤認混同(勘違
   い)していることに気が付いていないのですよ。

   神秘主義の解釈法で、世界中の聖典の解釈(神話解釈)が理系人間でも矛盾なく
   理解・納得がいきますね。
   聖典ないの奇跡などはないのですね。
   今で言いうところの想定外を奇跡に替えてしまって説教している光景をみると
   可笑しくなってしまいます。

   正に、私が昭和39年(1964年)から開始してきた「バッハの音楽に親しむ
   会」の「マタイ受難曲を解釈する」セミナーで、種々、多義にわたり、上記に
   記述したお話を牧師、伝道師、長老を前にして、伝授(釈迦に説法)して参り
   ました。  

続きあり
15項目の続き

Q2:「西洋音楽の世界」とは我々が思うところの音楽としてよろしいですか。

A2:世間で一般に言われている「クラシック音楽」の世界を表現しています。
   
Q3:それとも対位法のことを言っておられるのでしょうか。

A3:対位法に限定している訳でなく、和声法も同じですよ。

Q4:ソナタ形式の1・2の主題もそのようにお考えでしょうか。

A4:同じように考察していますよ。

Q5:マタイのイエス・ユダ・司祭長の立ち位置は、リヒター旧盤、ヨッフム盤、ミュン
   ヒンガー盤で、左右真ん中がバラバラなようですが、そのこととは関係が無いです
   か。

A5:関係ありますよ。
   各指揮者の裁量で行っていると考察していますが、各指揮者の宗教観がバラバラの
   ことが原因していると想っています。

   まあ、世界中の指揮者が、宗教の真理(本質・真髄)を知らないために、
   また、指揮者よりも音楽ソフトメーカーのプロデューサー(例えば、デッカの
   ジョン・カルショー、RCAのジョン・プリファー)の方が偉く、カラヤンは、
   頭を下げ、カルショーに怒られている、怒鳴られている場面等々、ビデオテープで
   検証できております。
   要するに、ソフトメーカーのプロデューサーの言いなりにならなければならなかっ
   たことが判明できましたね。

   私の大好きな指揮者オットー・クレンペラーは、これに反発し、フィルハーモニア
   管弦楽団を立ち上げ、生涯、「対向配置」に徹底しましたね。
   私の知っている限りでは、ワーグナーの「ジークフリートの牧歌」以外は、全て
   対向配置に拘って演奏・録音していることが検証できました。

ヨハン・セバスチャン・バッハ・ファン(バッキャン)として、オットー・クレンペラー
の遺産(レガシー)の一つとしてのバッハの音楽作品集を一人でも多く、聴いて戴きたい
と思っている次第なのです。

ご参考になれば幸いです。

感謝
モリオバッハ様
数々をご教示いただきまして、誠にありがとうございました。
語源で左右を調べましたが、ラテン語でも古英語でも左右の持つ意味が、おっしゃられるようなことと同じだと知りました。上手下手と左右の関係で、西洋と東洋の違いがあるというのは、小生の推測ですが、主眼を舞台に置くか客席に置くか・・・見る方向の違いではないかと思います。さすれば世界中にその法則があるということではないかと推察いたします。
noanoa1970 様

コメント有難うございました。
色々と調査・精査され認識して戴き、嬉しい限りです。

今までに、日本のどの音楽学者も音楽評論家も「善」と「悪」の葛藤劇としての面白さ
と言う視点・観点で捉えて評論している人を知りません。

35年余り前から、吉田秀和先生をはじめ、多くの著名な先生方に、お会いしてきました
が、だれもご存知なかったですね。

世の中、何事も、多面的な、全方位的な視点・観点からみえてくると面白過ぎますよね。

14項目で記述したワグナーのバイロイト祝祭劇場での対向配置での演奏は、ワーグナー
の音楽作品や伝記、手紙等々から勘案すると、ワグナーはへそ曲がりな人だったと推定・
考察できました。

「この世の中を反対側から観たらどう見えるのか」のコンセプトで、舞台の登場人物、
オーケストラの配置に至るまで、全て反対に展開したのがバイロイト祝祭劇場です。

通常、オーケストラは観客に対して見えるところに鎮座していますが、バイロイト祝祭劇
場は、舞台真下に、オーケストラ・ピットをつくり、観客席側と舞台側のオーケストラ・
ピットの天井部に庇を設け、オーケストラの姿は見えないように工夫されています。

唯一、指揮者のみがオーケストラと舞台上での人の動きをみることができる構造になって
いるのです。

また、劇場内は、暗夜(まっくら状態)にすることもでき、観客席は、野球場みたいな
ベンチ・イスで、ゆったり座れない構造なのです。

逆・逆を好むワーグナーの世界観、心は、我々に何を物語っているのでしょうかね。
不可逆、不理尽、滑稽、色々な表現があるでしょうが、世の中を皮肉っている光景は、
見事なものです。

音楽学者や評論家は、これを「神秘」と呼んでおります。
私は、ワグネリアンとして、これが本来の「神々の黄昏」だと申し上げたいのです。

宇宙の全ては、原子(量子)から宇宙の果てに至るまで、楕円軌道(中心が2つ)で、
螺旋構造(スクリューのような渦巻)で、出来上がっており、相対象するものが、
バランス(平衡)とハーモナイズ(調和)を保ち、神々のような黄金の輝き(黄昏)で、
満たされ、「善」と「悪」の葛藤こそ、その面白さ、滑稽さが伝わってくるのですね。

バッハの平均律、フーガの技法をはじめ、バッハの音楽は、宇宙の波動、エネルギーにも
匹敵する平衡と調和の関係の神秘を音楽作品として、はじめて表現した偉大なる音楽家と
評価・評定しているのです。

バッハの音楽を基に、モーツアルトもベートーヴェンもワグナーも例外なく作曲してきた
ことに気付きますよね。

「バッハは偉大なり」の所以なのです。

このような考え方、観方を「バッハの音楽に親しむ会」の例会やバッハ・セミナー等々
で伝授して参りました。

感謝
モリオバッハ様
ご教示ありがとうございます。

ワーグナーの楽劇の大きな要素は、北方ゲルマン神話をもとに脚色されています。おっしゃることはキリスト教が世界を牛耳った頃(キリスト教教会ができたころ)からでしょう。しかし非キリスト教の地母神信仰、母権性の世界では、おっしゃられるような左右の概念は確立れていなかったと仮定しますと、ワーグナーがわざと反対を仕組んだというのはうなずけますね。
フリッカがヴォータンよりも強いことこそが、母権制のつまり非キリスト教社会の象徴だと考えます。
そしてエルダは地母神の象徴です。

これも推測ですが、お許し下さい。
バイロイト劇場の件、小生はワーグナーの「ライトモチーフ」に関係があると思います。
登場人物に合わせて一番良く響く=わかりやすいモチーフを付けることで、展開が観客にわかりやすくするためと思います。つまりライトモチーフが重要だとワーグナーは考えていたのではないかと思う次第で
す。

小生は以前ワーグナーは反キリスト教徒ではないか、という仮説を立てたことがあり、主な作品はすべて宗教戦争が隠れた題材で、愛による救済などは全く考えておらず、それでカモフラージュしていると考えざるを得なく思いました。
「神話」をこれだけ活用した背景はどう考えても、その当時の社会にNOを突きつけているとしか思えません。
推測で言っていますので、お答えは求めません。

1点だけ質問があります。
>バッハの音楽を基に、モーツアルトもベートーヴェンもワグナーも例外なく作曲してきた
ことに気付きますよね。

「音楽を基に」・・・このことはいろいろ解釈可能です。
フレーズの引用は様々な作曲家に見られます。
小生自身、耳で聞いて確信したものもあります。
しかし、おっしゃられる事はそんなことではないようにお見受けします。
例えばフーガなどの音楽語法のようなことでしょうか。
noanoa1970 様

コメント有難うございました。

19項目に記述されたワーグナー論、感服しました。

ご質問の「音楽を基に」は、小学校から大学まで「音楽の授業」で習ったように、
「バッハは音楽の父」と教わりました。

モーツアルト&ベートーヴェン&ワグナー等々の伝記をみると、忘れられていたバッハ
の音楽の世界、楽譜の断片を診て、その偉大さを発見し、対位法を使った作品、種々の
音楽作品のベース(基)は、バッハに還るようにみられるのです。

私は、誰が誰に音楽技法を伝授していったかに興味を抱き音楽史順にひも解いています。
ヨハン・クリスチャン・バッハが30歳のころ、モーツアルトが7〜8歳、ロンドンで、
クリスチャンの膝に、モーツアルトが座り、クリスチャン・バッハのピアノ・ソナタO
P.5−2をモーチアルトに教え、モーツアルトは、チェンバロコンチェルトOP.107
−1〜3に見事に編曲していますよね。

ベートーヴェンもモーツアルトにウィーンで会っており、音楽技法が伝授されているよう
に見受けられますが、伝記は、創作(フェクション)が多く、どこまでが事実・真実か
解りません。

まあ、時間をかけて、モーツアルトは、バッハの技法をどの作品に活かしているのか、
をはじめ、各著名な音楽家の作品を比較検証していきたいと想っているのです。

私は、5年前に還暦定年退職し、今まで収集してきた音楽&オーディオ文献5000冊、
LPレコード1200枚、CD2400枚、オーケストラ・フル・スコアー2000冊
を基に、音楽史順に、音楽技法がどのように伝授されていったのか、作品を特定しながら
纏めたいと想っているのです。

また、各著名な音楽家のスキールをポートフォリオ(グラフ)で纏めたいと想っている
のですが、両親の介護で忙しいためなかなかはかどりません。

音楽史を技術屋(原子物理屋、金属材料屋、特許屋)の視点・観点で、解り易くするため
に、ポートフォリオ(グラフ)で表記・開示したいのです。
技術屋(理系)なものですから、ノン・フェクションの世界を追求してきましたので、
ノン・フェクション思考で、バッハが音楽の中心・核心を占める音楽史を描いてみたいのです。

「老後の楽しみ」として、収集した文献・資料を基に、整理しています。

モリオバッハ様
ご教示ありがとうございます。音楽を聞く姿勢が伝わって来ました。

小生は現在クラシック音楽に「引用されている古謡民踊」、そして「作曲家間の引用」を自分の耳で聴いて発見・検証することが楽しみになっております。

バッハのロ短調ミサがドヴォルザークのレクイエムの冒頭に引用されてるとか、シューベルトの「魔王」の魔王がささやくところが未完成交響曲の第2主題に引用されているとかは、自分の耳で発見しましたし、サン=サーンスのオルガン交響曲に「神の怒りの日」が通してモチーフになっていること、Rシュトラウスのメタモルフォーゼンにはベートーヴェンの「葬送行進曲」が変形され引用されていることなどなど。
今ではウイキペディアなどに掲載されるようになりましたが、誰も指摘してない70年代から気がついていました。

TV番組「のだめ・・・・」が流行ったとき音楽業界のどなたかかが、これでクラシック人口が増える、なんてことを言いましたが、小生はそんなことはあり得ないと断言しました。
確認しましたが、今時の若い人は本や映画、TVに使用された曲を聞くことが多いそうです。
ただ、その曲(それも一部)だけしか聴かないことが多いので、入り口にもならず、ましてyoutubeを利用すれば聴くことは聞けるので、それで満足が得られると錯覚してしまっているようです。

最近もロックで育ってきた40代の人間が、ベートーヴェンの交響曲全曲聴くことにトライして、挫折しましたが、「当たり前」です。1つの曲を何回も聞いて耳で覚えるようになった上でも、まだまだ奥が深いのを、初めて9曲も聞こうとすれば、クラシック初心者でも挫折します。
ロックやポピュラー音楽とは、聞き方が違うということを知らないので、こういうことになるのでしょう。

コアなクラシックファンのみなさんや評論家は「影響」という言葉をよく使いますが、何を持って言うのか、その根拠を具体的に示さない人が多いので、納得しかねていたところ、聞き方を、少し変えてみる事にしたわけです。
こういうのが楽しみで、発見すると、他人に声高には言いませんが、してやったりと密やかに思っています。

きっかけは1965年、ベト9の終楽章のバリトンのソロの歌い方に2種類あることが聴いていてわかった時に始まりました。中学生の頃は、9番は2枚組でしたから1組しか持てませんでしたが、バイトの報酬を使えば、少し無理すれば購入できるようになって複数の音盤を聴いた時に始まりました。「テーネ」をF-Fと歌うものとG-Fと歌うものがあるのはなぜか、楽譜か、指揮者か、歌い手によるものか・・・そんな疑問を持ち第9ばかり何種類も収集し分析したこともありました。

過去からの経緯を話しだすときりがないので、このあたりで失礼いたします。

どうもありがとうございました。
追記です
左右を悪と善とするモリオバッハ様の理論から、小生は「悪」=非キリスト教徒・・・つまり他の宗教信仰者、地母神信仰の民=多神教自然新信仰の民ではないかとの結論に達しました。教会音楽や賛美歌などなどの宗教音楽には、非キリスト教徒改宗の目的があったと睨んでいます。
アダムとイヴに知恵のリンゴを食べるようにそそのかしたのも、異教徒・蛇トーテムの民ではないかと。
今では異宗間の紛争のみならず、カトリックとプロテスタントの紛争まで出てきましたが、このことはユダヤ教対新興宗教の代理紛争だといってもいいのではないでしょうか。
非キリスト教徒は世界に大勢イますからそしてそれぞれの宗教も違いますから、小生はモリオバッハ様がおっしゃる善悪2元論とは少し異なります。
noanoa1970  様

コメント有難うございました。
貴殿も中学生のころから、クラシック音楽に魅せられ、のめり込まれていったご様子が
ひしひしと伝わって参りました。
多面的な、全方位的な視点、観点で、何事も観察・精査していくと面白く、何か新しい
発見に気付くと嬉しくなってしまいますよね。

ブラームスの4つの交響曲は、欧州の民族音楽(民謡)が基になっているそうですが、
これらも検証するために、欧州の民族音楽(民謡)も少々収集しております。
私は、有名な音楽家の作品の源泉は、生まれ育った地方の民謡が影響していると推察
しています。
これを検証することも楽しい限りです。

そう言った意味で、クラシック音楽は、12000年前の北欧スカンジナビア半島の
音楽をはじめ、6000年前の古代エジプトの音楽、2500年前の古代ギリシャの
音楽、1400年前のグレゴリアン・チャント、800年前の中世の音楽、ミンネ・
ジンガー、アルス・アンティクア、アルス・ノーヴァ、ルネッサンス、バロック〜現代
音楽までの著名な作品集を収集してきました。
楽譜集は、グレゴリアン・チャントのネウマ譜(4線譜)から現代音楽の楽譜まで、
並びに、モンテヴェルディーからバッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、ラベルあたり
までの自筆譜(オートグラフ、ファクシミリー)を収集しています。

日本音楽は、10000年前の縄文・弥生時代から平安・鎌倉・江戸・明治・大正・昭和
までの音楽作品集を収集しております。
現在、大和時代、奈良時代の音楽のソフトを探しております。

大曲的にこれらの音楽ソフト(LPレコード&CD、楽譜、自筆譜)を様々な視点・観点
で観ていくことが今後の課題(テーマ)なのです。

ノダメが流行るずっと以前に、今から25年前ごろでしょうか、ヤマハは日本人1500
0人を対象に「音楽の好み」について、アンケート調査した報告文献をヤマハ銀座店楽譜
売場で、立ち読みしたことがありました。
一寸高価だったため、購入しませんでした。

調査結果によると、日本人の半分は、音楽はどうでもよく、必要ないとの回答でした。
一方の半分は、音楽は生活に必要であるとの回答です。
日本人の総人口を1億人とすれば、5000万人は、音楽好きで、その90%は、
何と演歌・歌謡曲ファンだったのです。
要するに、5000万人×90%=4500万人は演歌・歌謡曲ファンです。
余りの5000−4500=500万人の70%(即ち、350万人)は、ジャズファン
との回答でした。

クラシック音楽人口は、多く見積もって、100万人だそうです。
クラシック音楽のソフトが今まで一番売れたものは、ヴィヴァルディーの「四季」
(イ・ムジチ合奏団)のLPレコードが100万枚、2002年のニューイヤー・
コンサート(小沢征爾指揮ウィーンフィルイハモニー)のCDが80万枚、
なんとなく100万人のクラシック音楽人口はうなずけますよね。

この結果、ヤハマはオーディオ事業を撤退したと考察していますよ。
ヤマハは、ショパンをはじめ、ピアノ音楽を主体として、クラシック音楽の啓蒙・普及を
目指していたのですから、音楽の好みの大半が、演歌・歌謡曲では、ヤマハもガッカリ
したことが推測できますよね。

ヤマハの音楽の好みアンケート結果をみて、私はクラシック音楽人口を100万人から
200万人に引き上げたいとの趣旨・目標で、上記の音楽鑑賞会を開催し、日本人に
クラシック音楽の啓蒙・普及に尽力していますが、何分にも小さい力(パワー)では、
あと100年ぐらい要すると馬鹿なことを想っています。
しかし、クラシック音楽人口の中身が問題であって、ノダメ程度のクラシック音楽人口
では寂し過ぎます。

私は、昭和39年(1964年)から近所の教会を借りて「バッハの音楽に親しむ会」、
昭和49年(1974年)から上野の東京文化会館で「クラシック音楽を楽しむ会」、
平成19年(2007年)から渋谷の和光テクニカル試聴室で「管球倶楽部音楽鑑賞会」
を開催し、およそ男性2000人、女性1000人のクラシック音楽ファンにお会いしま
したが、バッハ好き(バッキャン)は、男性2人、女性1人でした。
上記の女性1人が現在の妻です。

続きあり





23項目の続き

22項目で記述されている「善・悪」の解釈は、神秘主義をマスターされなければ、
気が付かない領域です。
世界中の様々な宗教の聖典・経典は、精神次元界のお話を我々凡人に解り易くするために
物質次元界のお話に置き換えて記述されていることに気付かない限り、理解・納得できま
せん。

ローマ法王はじめ、世界の聖職者達、宗教に携わっているプロ達、信者達は、この絡繰り
に気付いていないため、世界中、悲劇・不幸を起こしている原因になっているのです。

神秘主義の解釈法に基づいて、「善・悪」の世界観を申し上げております。

クラシック音楽の源泉が、宗教(キリスト教、他)でありますから、宗教の真理に辿り
付かない限り、本質・真髄はみえてきません。

まあ、音楽の真理、宗教の真理に目覚めて戴ければ幸いです。

バッハのカンタータ第140番「目覚めよよ呼ぶ声あり」のように、目覚め(気付き)&
感謝なのです。

私の妻は、バキャン(バッハ好き)であると共に、ピアノ教師であり、神秘主義の大家で
す。

妻から多くのクラシック音楽、音楽学、宗教に至るまでの知恵を学びましたよ。

感謝
noanoa1970 さん、
モリオバッハ さん、
横レス 失礼いたします。

活発な議論をされておられますが、
私のような「バッハの旋律を楽しむ」という聞き方はダメな聞き方なのでしょうか。
凡人には「対位法がどうのこうの」「善と悪のイメージがどうのこうの」と考えるのは
大変だと思うのですが・・・。

ちなみに、BWV1043は私の大好きな曲ですが、
理由は第一楽章と第三楽章のテーマ旋律が好みに合うからです。
プエブラ大好き 様

コメント有難うございました。

「バッハの旋律を楽しむ」と言う聞き方、ダメではありませんよ。

私も小学6年生(1960年)頃、超有名な「小フーガ」や「トッカーターとフーガ」の
旋律を楽しむことからスタートし、8年後、バッハの「フーガの技法」の素晴らしさに気
が付き、それ以降、バッハに魅せられ、バッキャン(バッハ好きな人)として、全作品
(BWV1〜1080)の音楽ソフトと楽譜の収集をしています。

先ずは、旋律を楽しんで下さいね。

対位法云々、善悪云々は、何十年もバッハの音楽作品の精通していかないと、その魅力・
面白さは認識できないと想います。

一生涯、バッハの音楽に親しみ、バッキャンになって下さいね。

バッキャンの増大が、私の生きがいの一つでもあります。

感謝
モリオバッハ 様

コメント有難うございます。

>対位法云々、善悪云々は、何十年もバッハの音楽作品の精通していかないと、その魅力・
面白さは認識できないと想います。

父がバッキャンなもので、生まれてすぐから四十年近く、
私も影響を受けてバッキャンかな、という感じなのですが、
このトピを読んでいると、バッキャンとして恥ずかしいかな、
四十年もバッハを聴いていて、未だに旋律を追いかけるだけではいけないかな、
と思って、※25を書いてしまいました。
バッキャンとしての私も、実はカンタータには興味を持てませんし・・・。
プエブラ大好き 様

コメント有難うございました。

お父様がバッキャンでしたか。
嬉しい限りです。

バッハの教会カンターター200曲、世俗カンターター20曲等々、興味が持てるように
なるためには、プロテスタン系の教会に出向いて、毎日曜日(AM10:30〜12:0
0)に開催されている礼拝に参加し、礼拝での音楽に親しみを、関心を持たなければ、
なかなかカンターターを聞いてみようとは想わないことと思っております。

又は、ドイツ・ライプッチヒの聖トーマス教会の礼拝等々を体験され感銘を受ける等、
何か切っ掛けがないとカンターターに入り込めないでしょうね。

私は、高校1年生(1963年)時、近所のプロテスタント系教会(賀川豊彦牧師創立の
長老派の東駒形教会)の日曜礼拝を体験して以来、バッハのカンターター(4年分の日曜
日に相当する200曲)が、このようなプロテスタン系教会の礼拝で使用されていたこと
を牧師、長老、教会専属オルガニスト、コーラス(合唱隊)のリーダーから教えて戴き、
カンターターにのめり込んでいきましたよ。

1973年頃から季刊誌となった「礼拝と音楽」(日本キリスト教団出版局)を創刊号か
ら読み始め、現在、155号まで購読(所有)し、カンターターの鑑賞、オルガンの鑑賞
また、西洋の宗教音楽の歴史を探究する一助になっています。

1964年から日曜礼拝後(14:00〜16:00)チェペル・コンサート(礼拝堂)
「バッハの音楽に親しむ会」を2007年まで開催してきました。
数十年かけて、カンターター全220曲を紹介致しました。

この音楽鑑賞会例会の企画・司会・音楽作品の解説・寸評等々担当し、解説する参考文献
として、季刊誌「礼拝と音楽」が役に立ちました。

また、毎年3月下旬頃、LPレコードによる「マタイ受難曲」全曲演奏会(14:00〜
18:00)を開催し、多い時は120名参集しました。

40年余りかけて、全220曲のカンターターの音源と楽譜(オーケストラ・フル・
スコアー)を収集しました。

このような何か、切っ掛けを是非、つくって体験してくださいね。

クリスマスの時季、バッハのクリスマス・オラトリオ(6つのカンターター)あたり
からトライしてみてくださいね。

マグニフィカートや小ミサ、ロ短調ミサ曲、バッハの宗教(教会)音楽、いや西欧音楽の
最高峰ですよ。

クリスマス時季には、クリスマス・オラトリオがクリスマス気分を盛り上げます。

感謝
モリオバッハ 様

コメント有難うございます。

>礼拝での音楽に親しみを、関心を持たなければ、 なかなかカンターターを聞いてみようとは想わないことと思っております。


私は、カンタータが、というか歌曲が嫌いなんですよ。

中米に引っ越す際、我が家にあったCDを全てアイチューンに取り込んできたのですが、
父の所蔵していたカンタータ、未だにアイチューンでの再生カウントは0です。

お恥ずかしいことに、マタイ受難曲でさえそうです。
唯一再生しているのは「主よ、人の望みの喜びよ」です。

BWV29でしたっけ、BWV1006の第一楽章に流用されている旋律、
あれも好みではないので、BWV1006を聞く時にはちゃんと聞きますが、
大元のBWV29は聞く気がしないですね・・・。

バッハの宗教音楽が素晴らしいことは良く耳にするので、
本当に切っ掛けが大事なんでしょうが。

尚、中米はカトリックが強いので、教会での礼拝でカンタータを聞くことはないと思われます。
>>[014]

バイロイトの配置ですが、カラヤンはVnの配置を逆(つまり通常の配置)にしたそうです。バイロイトから短期間で追放されたのはそのせいだとも言われています。細かいですが、一応。
Nakajan  様

貴重なコメント有難うございました。

バイロイト祝祭劇場においてのカラヤンの演奏は、ワーグナーが指定した伝統的な逆対向
配置を拒否し、通常の配置にしたのであれば、放免されて当然でしょうね。
ワーグナー・ファミリーは、伝統を堅持していますからね。

所で、貴殿は、フルトヴェングラーがバイロイトで演奏したベートーヴェンの第9 合唱
交響曲のオーケストラの配置図ご覧になったことがありますか。

何分、フルトヴェングラーの音源は、自身の交響曲第2番とグルックの序曲の2曲の完全
ステレオ録音(疑似ステレオでない)以外は、モノラル録音のため、耳による検証ができ
ないのです。

フルトヴェングラー以降、ベームが同じ作品をバイロイトで録音している音源もありまし
たが、これもモノラル録音のため、オーケストラの配置が特定できませんでした。

ワグナーの作品以外は、逆対向配置でない演奏・録音をしているかもしれませんし、
或いは、全て、バイロイトでの演奏は、逆対向配置による演奏・録音かもしれません。
もし、逆対向配置での合唱交響曲の演奏・録音であれば、面白いのです。

聴覚で確認できなければ、視覚(写真、ビデオ等々が存在すれば)で検証できるのです。

この件、もう40年前から情報を探しておりますが、発見できていません。

フルトヴェングラーによるバイロイトでのワーグナー作品の演奏は、写真等々から、
逆対向配置で演奏されていることが検証できましたが、問題は第9なのです。
ご存知でしたら是非教えて下さいね。
モリオバッハ様

フルトヴェングラーとベームは分かりませんが、ティーレマンのバイロイトの第九は通常の対向配置に聞こえます。
第九は舞台上で演奏されますから通常の対向でしょう。モリオバッハさんのおっしゃるように思想的に逆対向なのかもしれませんが、私は舞台上の歌手の便宜のためと聞いています。舞台上で演奏される第九ではその必要はないですし、オケピのカバーがないところで逆対向をやると1stが聞こえなくなってしまうと思います。
Nakajan  様

貴重なコメント有難うございました。

ティーレマンの演奏・録音は、ほとんど対向配置であることが、種々のコンサート案内
等々の写真で判明できますよね。

最近の演奏・録音には、ほとんど興味がなかったので、ティーレマンのバイロイトの第九
の演奏・録音の存在を知りませんでした。

仰られるように、舞台上での演奏は、対向配置で演奏されていることに間違いないと想わ
れます。

本件、近いうちに入手し、モニターしてみたいと思います。

貴重な情報有難うございました。

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