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進化生物学コミュのなぜ眼球は二つなのか?

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長く不思議に感じていて誰にも教えを乞う機会のなかった疑問があります。

(下等動物とそれ以外の動物を分類できることとして、ここでは考えます)

なぜ、なぜ眼球を4っつ持つ高等動物はいないのですか?

つまり、顔の中央の近くに、遠近感の知覚のために両眼視する一対の眼、顔の外側に、左右の視野を広げるために片眼視する一対の眼、合わせて4っつの眼があるととても便利、進化する上でも有利のはず、ではないか、とゆーことです。

視覚の情報量は多く、その組み合わせの複雑さ故に、脳の容積が追いつかないのかな、とも考えていますが。

どなたかご存知ですか?

コメント(67)

脊椎動物の基本構造(眼が1対とか肢が2対とか)がずいぶん昔の魚の時代に完成してしまい、それが陸上に進出して鳥類や哺乳類へと進化した訳ですから、基本構造にある器官を退化(クジラの足のように)させたり変形(鳥の翼のように)させるのは簡単でも、新たに増やすのは発生上難しいのでしょう。

その意味でも、ムカシトカゲの頭頂眼は何を起源にするものなのか、興味深いです。

では脊椎動物の基本構造では、なぜ眼が1対2個になったのか?
それは2個がコストと利益のバランスの最適解だったからなのでしょう。

異なる道筋で眼を進化させた(と思う)頭足類のカメラ眼や昆虫/甲殻類の複眼が1対2個なのも同様の理由で、動物界において「眼は1対2個」という戦略が市場をほぼ独占しているのが、最適解であることを物語っているのだと思います。
「なぜ眼は二つなのか?」 「4つあったほうが合理的なのに」。。。 
疑問はごもっともですが、いろんな推測を並べ立てる意味がどこにあるのでしょうか? 
何故って「二つが。より環境に適応的だったから」そういう遺伝子が残っただけです。 生物進化の「理由」なんて、それ以上でも以下でもないです。 別に神が「この生物はこのような形しよう」と決めているわけじゃないし。。。。 
もしかしたら、カンブリア紀に複眼生物はいたかもしれないし、これからもそういった生物は進化する可能性だってあります。 いずれにしても、その時代の環境により適応している遺伝子が生き残るから形態として安定する。(進化するのではない) それが全ての答えです。
↑補足: 「なぜ個々の生物はあたかもデザインされたかのように特定の形をしているのか?」 これは19世紀に「ウォッチメーカー議論」として盛り上がった話題です。 21世紀にもなって同様の議論をしている人がいるとは。。。 
ウォッチメーカー議論にはダーウィンやドーキンスが明確な解答をだしてますよね?
ムカシトカゲの頭頂眼は松果体の相同器官ですよ。

http://www.nara-wu.ac.jp/rigaku/bio/develop/pineal2.htm

光受容能があるかもしれない、という点だけで言えば、髄液接触ニューロン(傍室器官)なんていうのもあります。

http://www.jstage.jst.go.jp/article/hikakuseiriseika/23/3/23_143/_article/-char/ja

なので、「眼」というのを光受容器とするならば、脊椎動物でも2つ以上の眼がありそうです。もしもっと議論を深めるのであれば、カメラ眼、単眼、複眼といったようにより細かい分類をしても良いのかな、と思います。

また、網膜の光受容細胞は暗闇では静止膜電位を維持し続けなければならないため、非常に維持コストがかかるようです。ちょっと調べたところ、脊椎動物の細胞中で最高の代謝速度を示すなんて書いてある論文もありました。詳しくは知りませんが盲目のcavefishの解析でも、眼の退化は遺伝的浮動ではなく、自然選択の可能性が高いような結果が出ているみたいです。
>TETZさん

 まぁ、議論として面白いからいいじゃありませんか。僕たちには未だ答えが見出せていないのです。なにか参考文献があれば教えてください、お願いいたします。
>ヨツメウオ

無脊椎動物ではシャコが眼を区画化してますね。真ん中の領域は知られている生物の眼では唯一、楕円偏光を感知できるとされています。眼は2つでも区画化して多くの機能を持たせるというのは、特定の状況下ではいいアイディアなのかもしれません。
かなぶん汁様

> 逆に単純で済むというモデル

なるほど、情報のプロセシングは脳でやるものだという先入観がありましたが、受容体で不要な情報をフィルタリングするという手がありましたか。面白いです。
ある様

興味深いお話を教えて頂き、ありがとうございます。
松果体と眼の共通性から眼の進化を追っている研究室があるんですね。
とても参考になりました。
>39
>「なぜ目が2つが最も環境に適応的なのか」

だからぁ、 生物は数学じゃないです。 眼に限らずなんだってそうです。 「なぜこの生き物はこの形をしているのか?」という問いはしてもいいですが、答えなんてありませんよ。 「二つ目の遺伝子が生き残ったから」としかいいようがない。 そして生き残ったから環境により適応していたといえる。 
もう一度ダーウィン以降の生物学の基礎に戻りましょう。 自然淘汰の大原則に。
ウォッチメーカー議論は永久に不毛な議論です。
仮に二つ目が四つ目より有利だという仮説を立てたとしても、それは永遠に仮説の粋から抜け出せないですよね? だって結果が全ての答えだから。 
また、二つ目に対して四つ目という「より環境適応に有利かもしれない」遺伝子が発生していないかもしれないですし、いずれにしてもその仮説を証明する方法って無いと思います。
生物学好きな人って、「これは捕食を避けるためにこのような形状を獲得したんですよ」なんて説明しようとしますが、全て「後付けの仮説」です。 
ただしですよ。。。 不毛な会話ではありますが、確かに理屈で説明を試みるのは話としては面白いと思いますし、全ての生物は進化または退化の途上にあるわけですから、トピ主さんのおっしゃる理屈で第三の目、第四の目を持つ遺伝子は今後、発生し、生き残る(つまり進化する)可能性は充分に有ると思います。

>dedekindさん、
やっぱり生物学の基本中の基本「種の起源」と「利己的遺伝子」じゃないですか? 生物進化の原理が端的に説明されてますから。
進化論は、ダーウィンなんかが主流だし、今後もそうだろうけれど、でも、あえて言ってしまうと、それだって、「説」のひとつにすぎないわけで、みんなで色々考えてるうちに、面白い意見が出てくるといいなぁと思っています。

歴史で面白いのは、「〜たら」「〜れば」を考えることのように、進化論が楽しいのも、色々と想像をめぐらすことなんじゃないかな?と思うのです。

実際に、怪しい説を唱えてる学者も、いるじゃないですか・・・。
>TETZさん


おっしゃることはよく解ります。
行き過ぎた適応論が時として反証不能な後付けの仮説、いわゆる「なぜなぜ物語」に陥っていることは、しばしば批判されてきました。

しかしそこだけを強調しすぎても得るものは少ないと思います。



適応を結果としての生存のみで語ると、
「適応したものが生き残る」
「適応したものとは生き残ったもののことである」
ということになります。

これでは循環論法・同義反復にしかなりません。
これは時にダーウィニズムの弱点とみなされ、多くの的外れな攻撃にさらされてきました。

しかし生物に見られる適応は多くの場合、「結果としての生存」だけでなく、説明可能な明らかな機能を持っています。
「最適者の生存」というフレーズ自体は確かに循環論法なのですが、適応を「結果としての生存」だけでなく、実際の利点から語れるが故に自然選択は循環論法ではなく、意味のある概念になっているのです。
適応の機能を説明できるという事実が外部からフレーズを補強しているわけです。

この点を放棄し「とにかく生き残ったから適応なのだ」としてしまうと、それは「とにかく神がその様に創ったのだ」とどっこいどっこいの、何も説明していない空疎な理論に後退してしまいます。



「行き過ぎた適応論に対する批判」は理解できますし、適切なものだと思います。
ただ、「適切な適応論」もあるわけで、適応論の視点から語ること自体が全て間違いではないと思います。



TETZさんは「自然淘汰の大原則に戻るべき」と主張しておられますよね。
全くその通りだと思うのですが、社会生物学をめぐる論争の歴史の中で、自然淘汰の力を重視し利己的遺伝子の視点を受け容れてきたのは適応論者です。
行き過ぎた適応論を批判してきたのは、自然淘汰だけが進化の原動力ではないことを強調していた多元論者でした。

適応論と多元論はどっちが正しいというものではなく、どこを強調するかが違うだけではないかと思いますが、適応論を批判しておられるTETZさんが自然淘汰の力を強調しておられるのはちょっと意外に思えます。


また、ウォッチメーカー議論は「自然淘汰によって、あたかもデザインされたかの様な性質が出現する」という形で乗り越えられました。
これは自然淘汰が(単なる生存だけでなく)デザインや機能を生み出す、ということですから、適応論を支持するものです。
それがどうして適応論を批判する文脈で突然話題に上がったのか、やや理解に苦しみます。

おそらく神学の目的論レベルにとどまっている低レベルな議論を批判されたのでしょうが、それがこのトピのどの発言を指してのことなのかよく解りませんでした。



いろいろ批判めいたことを書きましたが、TETZさんのご意見も理解しているつもりですし、さほどの意見の相違はないものと考えています。
ただ強調する部分が違うだけなのでしょう。
言葉足らずで失礼な部分がありましたらご容赦下さい。

>TETZさん

 トピ主の疑問を、「脊椎動物において、2つ眼を持つことは(4つ眼や6つ眼より)適応度が高いのか?」と自分は解釈しました、これは生物学的に意義のある問いかけだと思います。

>> 生物は数学じゃないです。 眼に限らずなんだってそうです。

 生物学に数学はいらない(あるいは証明できないの意?)というのはもう半世紀以上、過去の話です。適用が難しい分野も残されてますが、特にTETZさんがおっしゃる『現代の』生物学、つまりダーウィンに始まり、ドーキンスが敷衍したネオダーウィニズムは確固とした数学的基盤を持ってます。自然選択という概念が強力なのは、メンデル遺伝と確率理論に基づく統計的アプローチを駆使し、自然選択が実際に起きたか、今も起きているか、定量データで検証できるからです。例えば、ある形質Aを持った個体と、対立する形質Bを持った個体のそれぞれの産卵数or配偶者獲得数を比較する、という形で。

 しかし、今回の疑問にそうした単純な自然選択モデルを当てはめるのは困難です。なぜなら自然選択が働くためには、着目する形質に変異のあること(今回は眼の数)が必須ですが、4つ眼や6つ眼の脊椎動物というのは、今のところ知られてないからです。

それゆえ、以下の仮説から推論することになります
(皆さんが挙げた考えもこの2つで収斂できるかと思います)

 1、脊椎動物では2つ眼が(4つ眼や6つ眼より常に適応度が高く)、進化的に安定
    = 4つ眼や6つ眼といった変異は生じても、2つ眼との競争で淘汰される
       → ゆえに、脊椎動物には2つ眼しかいない

 2、脊椎動物の発生メカニズムは2つ眼で固定されている
    = 4つ眼や6つ眼を生み出すような変異そのものが、そもそも生じない
       → よって、4つ眼や6つ眼の脊椎動物はいない

 重要なのは、この2つの考えは二律背反ではなく両方ありうるということです。例えば、発生メカニズムの制約で、うまく発生が進まない(=適応度が下がる)といったように。それゆえ、科学的には別個に検証する必要がありますし、議論する価値のある問題だと自分は思います。むしろ、これらの仮説の妥当性を実際にどのようにすれば検証可能か、という点が重要でしょう。それについては31のコメントで、あるさんが仰っている生理学的コストなど、具体的な生物の事例から得たデータを元に議論するしか方法はありません。

>あるさん
 生理学はシロートなんで、色々とご教授お願いします。cavefishの話も噂には聞くのですが、元になった論文をまだ見つけられてなかったりします。
> Neleus さん

Cavefishの論文タイトルです。
Regressive evolution in the Mexican cave tetra, Astyanax mexicanus.

ただ、論文内でやっているQTL解析という手法については、私には不勉強で何もわかりません。

> 2、脊椎動物の発生メカニズムは2つ眼で固定されている

そういえばショウジョウバエでPax-6/eyelessを異所的に発現すると、そこに眼ができることを思い出しました。

アフリカツメガエルでもPax-6の異所発現でレンズは誘導されるようです。
http://www.cincinnatichildrens.org/research/div/dev-biology/fac-labs/lang/lensinduction.htm

"ectopic eye" で検索すると色々出てきます。きちんと調べていないのですが、機能的にはどうなんでしょう?たぶん働きはしないんでしょうね。それでも眼の数が2つで固定されてはいないのではないか、という期待は持てるかもしれません。
理由は何であれ現実に目は二つなんだから、この質問は「何故ブタに羽が無いのか?」と聞くのと同じくらいの愚問に思えますけど、 まー、がんばって何故目は四つじゃないのか証明してみせてください。
私は静観させていただきますわ。
真摯で、かつ、一つひとつ深く考えさせられることの多かった、みなさんのご返答に感謝しています。

この数日間、仕事の最中にも、ふと生物の進化について真剣に思いを馳せている自分に気づき、驚いたりもしました。

>TETZ さま

あなたには「ウォッチメーカー議論」についても、明らかな誤認があるように思いますが、

「何故ブタに羽が無いのか?」という愚問に対して、どのように答えますか? 

生物の新しい種は、進化の系統樹から独立・非連続に出現することはない、という自明のことを踏まえた上で、これを問うのですが。
「2つ目がもっとも適応的だ」仮説に一票

Neleusさんが46で仰られたように、二律背反ではなく両仮説とも相互に補っていると思いますが、「2つ目適応的だ」仮説のほうが守備範囲が大きいと思います。
目みたいに、いかにも難しそうな器官は発生あるいは系統的な制約も強く受けているというのも、感覚的にはフムフムと思えますが。

例えば系統的には脊椎動物とかなり遠くにいる昆虫も基本的には2つ目であることから、集中神経系でしかも脳っぽいアブノーマルな中枢を発達させる高等動物にとって「2つ目がもっとも適応的だ」と考えるのが最節約じゃないでしょうか。

多くの脊椎動物の足が何故、4本なのか?という問いなら、昆虫の6本足と比較して、「系統的な制約が・・・」と考えるのも納得いきますが。

また、昆虫の翅は1対だったり2対だったり、あるいは0対だったりして(過去には3対も)、結構自由ですから、発生、系統上の制約のゆるさは目に関しても同様に緩めなんじゃないでしょうか?
それに、あるさん47にもあるように、ショウジョウバエの足に目ができちゃっている写真とか教科書でも紹介されています(気持ち悪い写真見つけました)。

シュモクバエみたいに自由な目の配置も許されています(制約緩そう)。

どうでしょうか?


ところで、無知なボクにとっても、このトピはかなりロマンをあおってくれます。
私はとっても素人ですが、TETZさんの意見に大変共感を覚えます。

ちょっとたとえ話が違うかもしれませんが、

…例えば、人間でも「背中に翼が欲しい」とか「物を透過して見える目が欲しい」とか、祈ってるだけでは進化は出来ないってことです。
よくTVで「この動物は○○○の能力を身につけた」って言いますが、それは間違ってると思いますよね。動物が「○○○が欲しい」って毎日祈ってるわけはないのです。
干上がりそうな海で浮き袋が肺の様な機能を持ったサカナが突然変異で生まれ、(ハイギョみたいなの)それが泥沼みたいなところで生き残って我々のご先祖様が生まれてきた訳です。

ハイギョは決して「人間になりたい!」なんて思ってませんよね。
地球上に生を受けて、幸運にも生き残っただけなんですよ。

モチ、豚には翼はありませんし、「羽が欲しい」って思っている豚も無いと思います。

定向進化論ですね?



動物や自然を教える人間にとって、一番厄介な質問は、子どもの質問だと、だいたいの人が答えますよね。
「鳥はどうして、飛べるの?」とか、「どうして、あんな模様をしているの?」、「なんで、あんな脚の形をしているの??」など・・・。

だから、「なんで、ブタには羽がないの??」なんて、質問をしてくる可能性は充分あるし、その時に子どもになんて答えるのか?

「愚問だよ。」と、答えるのでしょうか??

夢もやさしさもないですし、そんな逃げ方って、あんまりですよね。

それを分からないながらも、一緒に考えていくべきではないかな?と。
そして、それ自体が楽しいのに、なんでそれを放棄するんだろ??と、思います。

光の刺激を受容する器官は「眼(いわゆるカメラ眼)」でなければならないのか、という問題はもう少し突っ込んで考えたら面白いのではないかと思います。という事を考えていたら、興味深いブログ記事を見つけましたので紹介します。

5号館のつぶやき:カメラ眼を持つクラゲ
http://shinka3.exblog.jp/1856847/

昆虫の仲間でカメラ眼を持つ例があるのは自分も知ってましたが、クラゲは初耳です。
それでも知ってる人は昔から知ってた、らしいので生物の世界は奥が深いですな
おもしろい議論ですね。

眼は何故2つか?



分かりません。

ただ、>>28にもあるように、脊椎動物のボディープランのだいたいは決まってしまっていて、すでにある構造物から新しい構造物を作ってきたわけです。例えばヒトの場合、魚類の鰓(の周辺)に相当する構造物から、外耳道、口蓋扁桃、胸腺、上皮小体などを作ってきました。
無から上皮小体は作れないのです。

「ボディープランが既に決まっていたから」という事と、(>>29にもあるように)「そういう遺伝子が残ったから」という事が、トピ主さんに対する回答になる気がします。


議論が飛躍するかもしれませんが…
眼は4つの方がいいか?、8つの方がさらにいいのではないか?
眼に限らず、陸生脊椎動物の場合、足は2対4本存在するのは何故か?4対8本の方が便利ではないか?

このような疑問に対して、養老孟司さんは「剰余性」という言葉を使います。
養老さん曰く、「生物は剰余性を作るが、剰余というのは多ければ良いというものではない。生物の持つ経済性から、剰余は普通 節約の対象にされる。」とのこと。また、(比較解剖学的には)剰余性の高い構造物は、他の器官に転化する傾向もあるようです。

ムカシトカゲの頭頂眼はれっきとした眼ですが、哺乳類の場合、これは余分なものだったようで松果体(内分泌器官)に変化してしまっています。
余談ですが、(松果体が分泌する)メラトニンは魚類や両生類のメラニン細胞の顆粒凝集を起こしますが、哺乳類には起こしません。哺乳類の場合、視交叉上核の働きを介して概日周期を制御したり、性的成熟を抑制しています。
このように、光受容器(頭頂眼)は剰余性が高かった為、他の器官に(内分泌器官)に変化した と考えることが出来るようです。

眼は何故2つかというと、それ以上あっても余るから。
だから、眼は2つにして、3つ目の眼は別の機能を持つ構造物に変化させた方が経済的なんだ。
養老さんの本を読んでいて、こう感じました。

進化を取り扱うということは、歴史を取り扱うことである、と考えられると思います。
たった1度しか起こっていない事象を対象とするので再現が出来ずに困りますね。実験室で、客観性を持って、生物の進化を再現できればいいのになぁ と妄想にくれてしまいます。

進化および生物学ド素人が長文・乱文失礼いたしました。
眼球は関係ありませんが、視覚の事を教えて下さい。

数年前に自分のHPに書いた物を載せておきます。間違っている所がたくさんあるかも知れませんが、ご意見・ご指摘を下さい。
僕にはどうしても納得がいきません。



例えば、初めて視覚を得た個体(仮にコイツをAと呼びます)を考えてみます。

視覚とは言わずもがな光波をレンズで反射させ、それを網膜で受け、視神経を反転しながら通り、それを脳で認識するものです。

有り得なくないですか?

今の貴方がこれを読んだら「ふ〜ん、簡単そうじゃないか」って思うかも知れませんが、よく考えて下さい。それは貴方が「見る」事が出来るからです。そうすれば見えると知っているからです。

言う間でもなく、A以前の生命体には「視覚」がありません。

当然「見る」という概念もありません。ここが重要です。概念がないんです。

要するに光波の存在も知らなければ、「光」「光波」を理解出来るはずもありません。それがどんな物か分からないんです。

いや、甘い言い方でした。そんな物があるのを知らないんです。

それなのにイキナリ上記で説明した様な超複雑な「レンズ」「網膜」「視神経」をまるで「そうすれば見える」と知っているかの様に作成し、機能させるなんて。

「イキナリじゃなくって、何世代もかけてやっと完成させたんだ」と言っても同じです。

光波という存在を知らない生命が、知らないはずの光波を感じる事が出来る器官を完成させたんですから。

人間ほどの高知能生命体ですら「第6感で感じる事の出来る何らかの某体を感知する機械を作ってくれ」と言われても不可能なはずです。

第6感が何かすら分からない。

それをどうやったら感知出来るのかなんて事を知るのは不可能ですよね?

じゃあどうやって「視覚」は出来たのでしょうか?

見るという概念すらない原始生物に。

どうやって…?

そうすれば見えると知っていたかの様に進化した。

ん?知っていた?

誰が?何が?

原始生物が?いや、そんな訳ない。

じゃあ自然が?

ん?自然が「知っていた」?

自然って知能があるの?いや、ないでしょう。

じゃあどうやって?

「たまたま出来た。その結果見えた。」と考えるのもありでしょう。それが間違っているという事を証明なんて出来ないですから。

科学雑誌ニュー○ンによればそんな事が起こる確率は「0」。もしくは「竜巻がゴミ捨て場のゴミを舞い上げ、そのゴミが組み合わさって、航空機になって飛んで行く確率の1兆分の1程度。」らしいです。



長文・駄文・素人意見で申し訳ありませんが、どなたか詳しい方の意見が聞きたいので宜しくお願い致します。
>>61
その種類の疑問に対する答えと、その手の進化論に対する誤解を解くためのヒントはドーキンスの『盲目の時計職人』という本で徹底的に説明されていますよ。

この本を読んでいただくのが二番煎じ、三番煎じの私の説明なんかよりもずっといいんでしょうが、一応軽くつっこんでおきましょう。
--

>言う間でもなく、A以前の生命体には「視覚」がありません。

言うまでもなく、とおっしゃいますが、まずここに誤解があります。あなたは人間のような進化の過程で視覚が複雑になった生物を念頭されているようですが、実際にはずっと簡単な眼を持つ生物がいます。というかそっちの方が多数派です。

オウムガイの眼(ピンホール眼)はレンズがありませんが、きちんと網膜上に像を結びます。外敵や獲物を判別するのに役立つことでしょう。
プラナリアの眼は網膜すらありませんが、二つあるので光の方向を感知することができます。光を避けて石の裏に隠れるときに役立つことでしょう。
ミドリムシの眼は一つしかありませんが、光の強度を感知することができます。光が弱くなったときに鞭毛を動かせば、効率的に光合成出きることでしょう。

というように、眼は私たちの眼ほど複雑でなくても個体の生き残りに有利に働きます。ミドリムシの眼のような単純な眼から、進化のプロセスによって徐々に眼が複雑になったと考えれば、古典的な進化論で十分眼の進化が説明できることが分かります。
クローバー
 良トピですね。

「なんで、ブタには羽がないの??」
「羽がないから、ブタと呼ぶのさ。」

 ひとつ質問させてください。
 54番目の「出稼ぎ労働者」さんのコメントにひとつの回答が出ていましたが、
 なぜ、多くの生物は360度の視野を持たないのでしょうか?
 眼が顔の横に付いてる動物では、360度近くの視野を持つ動物もたくさんいるはずです。
 また、そういう動物がいるので、必ずしも4つ眼以上でないと360度は見れない訳ではなく、2つ眼で十分なので、コスト的にも安上がりです。視覚野は酷使するかもしれませんが。

 やはり、立体視できないことが大きな欠点なのでしょうか?
 それなら、4つ眼にしたら、広い視野も立体視も獲得できるのに、と思います。
 ん、二つの眼をセットに使わないと立体的に見えないかな?
 8つ眼いるのかも。

 360度見えるということはかなりのメリットのように感じます。
 捕食から逃げる立場の動物にしろ、捕食する側の動物にしろ。(頸を回した方が安上がりですがね。)

 なにか考えがおありの方は、お教えくださいませ。
体に前後が在る以上、前を見る事がより重要になるでしょう。また体の各パーツも前進するようにはできてるが、後退は難しい。よって前に目が在るのは極めて当然だと思います。

もし頭に四つ乃至は六つの目があったとしたら、目の在る方向へも前進と同じくらいのスムーズさで移動できてしかるべきだとも思います。
もう一つは口が前にあることでしょうね。捕食という点から獲物乃至は食物を捕らねばならない。よって口の側に目があるのは当たり前と思える。

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