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Gedichte ドイツ語詩コミュの『対訳 J.S.Bach声楽全集』の訳の是非をめぐって

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若林 敦盛『対訳 J.S.Bach声楽全集』慧文社、2008年(新装版)
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E8%A3%85%E7%89%88-%E5%AF%BE%E8%A8%B3J-S-%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E5%A3%B0%E6%A5%BD%E5%85%A8%E9%9B%86-%E8%8B%A5%E6%9E%97-%E6%95%A6%E7%9B%9B/dp/4863300212/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1248952933&sr=8-1
若林 敦盛『対訳 J.S.Bach声楽全集 補遺』慧文社、2008年
http://www.amazon.co.jp/%E5%AF%BE%E8%A8%B3J-S-%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E5%A3%B0%E6%A5%BD%E5%85%A8%E9%9B%86-%E8%A3%9C%E9%81%BA-%E8%8B%A5%E6%9E%97-%E6%95%A6%E7%9B%9B/dp/4863300204/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1248952933&sr=8-2

ちらほら見える誤訳から専門家ではないとお見受けするが、若林氏は仕事の合間に時間を見つけて、これほどの仕事を成し遂げたのであろうか。弛まない努力をおしまれなかったに違いない。敬服に値する。

しかし残念なことは、氏が(専門家ではなさそうなのでいたしかたなかろうが)先人の業績を軽視されていることである。若林氏は序文の中で杉山先生・磯山先生両氏の和訳に「深く尊敬の念を示し」てはいるが、先人の訳をきちんと踏まえた上で新訳を提供しているわけではない(先人の解釈をあえて採用しないところで間違っていることが多い──当然といえば当然であるが)。
これはドイツ語の読めない一般読者に対し、専門家の先人の訳への不当な評価を助長する面があろう。
とあるサイトの掲示板で以下のような書き込みを見出した。──杉山訳は、「不自然、杉山自己満足、分からんやつはどうでもいい、自惚れ度満点訳」に思えてなりません。どうして、日本のCDは杉山訳ばかりなんでしょう?杉山訳を外すと、杉山氏の学会の地位から、生きているうちは、仕返しが怖いからでしょうか?法律でさえ現代語化されたのですから、バッハも現代語で、と思います。──
上の文章は書き込み日時からすれば、若林氏の訳の登場前のものであるかもしれないが、ここからもわかるように、一般読者が期待しているのは、決して専門家ではない人の誤った新解釈ではなかろう。擬古文(文語体)に親しみがないゆえに、単に自分たちが読むことができる正確な訳を望んでいるだけなのだ。
そこにこのようなものが出版されれば、とびついてしまい、是非もわからず、誤訳の結果意味の通らない箇所で無意味に思考をめぐらせたりすることになろう。

口語体に改変するにしても、専門家の先人の訳の解釈を尊重すれば、最大限それを採用することになったであろう。複数の専門家の英訳、和訳が存在する現在、あきらかな文法的な誤りはほとんど避けられたはずである。

とはいえ、私自身は、若林氏訳のおかげで、最近またバッハのカンタータに、特にその歌詞を注意深く読みながら、聴き入り、感動を新たにする機会を与えられている。ドイツ語と和訳が対訳になっているおかげで、たいへん見やすく、そのためまた誤訳も見つけやすいからだ。誤訳があるのはドイツ語が読めない者にとっては困りものであるかもしれないが、私にとってはたたき台としての和訳の存在はかえって原語に注意を惹きつけ、これほど勉学意欲を掻き立てるものはないので、たいへんありがたい。もしも若林氏が先人の解釈をきちんと踏まえていたなら、これほど面白いたたき台にはならなかったであろうから、これはこれで私にとっては有意義である。
ひとつ苦言を呈するとすれば、恐らく出版社が付したであろう「原文に忠実に、かつ明快な口語体にて完全対訳」などという売り文句であろうか。

……というわけで、ここではこれから少しずつ若林氏の誤訳を指摘していきたいと思います。「いや、若林氏の訳が正しいぞ!」といった書き込みは大歓迎です。また私以外に若林氏の訳の誤りを見出した方もぜひ書き込んでください。ここが議論する場になったら幸いです。

ご自身の訳がたたき台になっているのは、もしもご本人がご覧になったら不愉快になる面もあるかもしれませんが、訳をおおやけにした以上、避けられないものと思っていただきたい。「推薦のことば」を寄せられた氏の先生が「不具合が見つかりましたなら積極的に指摘してあげて戴きたいと思います」と書かれていても、「ここは誤訳ですよ」などという指摘が寄せられることはまれでしょう。また見ず知らずの個人から、単発的に意見を寄せられても、いちいち読んでいられないでしょうから、大勢で議論をすることは大事であると思います。

たまたまですがBWV 166からです。

第3コラール
Ich bitte dich, Herr Jesu Christ,
Halt mich bei den Gedanken
Und laß mich ja zu keiner Frist
Von dieser Meinung wanken,
Sondern dabei verharren fest,
Bis daß die Seel aus ihrem Nest
Wird in den Himmel kommen.
私は願います、主イエス・キリストよ、
私の思いをつかんでいてください
そして私がどんな時にも
この考えによって揺らぐことなく、
いつもしっかりとしていられるようにしてください、
魂がその住み処から
天へと行く時まで。(若林氏訳)

Von dieser Meinungを「この考えによって」と訳しているが、これでは「この考え」(diese Meinung)が揺らぐ(wanken)原因になってしまいそうです。「この思いから揺らぐことなく」とすべきでしょう。「いつもしっかりとしていられるようにしてください」としてしまっては‘dabei’が無視されています。補うならbei dieser Gedankenであるので、「この思いにしっかり留まっていられるようにしてください」となるでしょう。なお「この思い」がいかなる「思い」かは、このコラールがBartholomäus Ringwald作のHerr Jesu Christ, ich weiß gar wohlの第3連であるので、この詩の第1、2連を見ればわかります。
Herr Jesu Christ, ich weiß gar wohl,/daß ich einmal muß sterben./Wann aber das geschehen soll/und wie ich soll verderben/dem Leibe nach, das weiß ich nicht,/es steht allein in dein'm Gericht,/du weißt mein letztes Ende!
Und weil ich denn, als dir bewußt/durch deines Geistes Gabe/an dir allein die beste Lust/in meinem Herzen habe/und feste glaub', daß du allein/mich hast von Sünd' gewaschen rein,/und mir dein Reich erworben


アルトのアリア
Man nehme sich in acht,
Wenn das Gelücke lacht.
 Denn es kann leicht auf Erden
 Vor abends anders werden,
 Als man am Morgen nicht gedacht.

気をつけていましょう、
いつ幸福が微笑むか。
 なぜなら幸福は地上では簡単に
 夕べには他のものに変ってしまうのですから、
 朝には思いもしなかったように(若林訳)

「気をつけていましょう、いつ幸福が微笑むか。」では、「タイミングよく、幸福をつかまえましょう」という意味でとらえてしまいそうです。「気をつけなければならない、幸福が微笑む時には」ぐらいに訳すべきでしょう。

ところで、氏はDenn es kannのesを「幸福」(das Gelücke)を受けていると解釈されています。私はこれをはっきりと誤訳であるとは言い切れませんが、非人称的esと見て

「なぜなら現世の物事は、容易に、夕べの前には、朝に思っていたのとは違ってしまうから」

と読みたくなります。anders─alsに着目すればこのnichtはいわゆる「無用のnicht」ではないでしょうか。これは議論の余地がありそうです。

BWV139
テノールのアリア
Gott ist mein Freund; was hilft das Toben,
So wider mich ein Feind erhoben!
Ich bin getrost bei Neid und Haß.
 Ja, redet nur die Wahrheit spärlich,
 Seid immer falsch, was tut mir das?
 Ihr Spötter seid mir ungefährlich.
神が私の友。この猛威が何だろう、
私に対して敵が立ち上がろうとも!
私は、嫉妬や憎しみの中でも安心している。
 そう、真理がわずかにでも語ってくれるなら、
 常に不正なものたちが、私に何をできようか?
 おまえたち神を嘲る者たちも私には何の危険もないのだ(若林氏訳)

氏はここでは、あまりに疲れておられたか、それとも、どなたか他の人の訳に引きずられたか、他の部分と比較しても信じられない訳をつけています。
まず、かってにsichを補ったもようで、erhobenを「立ち上がろうとも」と訳しています。Tobenとの関連をとらえそこねています。soは関係代名詞に読むべきで、「私に対して敵が起こす猛威が何になろう」となるのでは。
とくにひどいのは「真理がわずかにでも」云々以下で、主語もとらえ損ねて、文法完全無視の訳になっています。訳しなおせば、
「そう、おまえたちがちょっとだけ真実を語ろうが、いつも誤っていようが、それが私にとって何だというのだ!おまえたち罵る者は私にとって危険ではない」
となるでしょう。

最わりのコラール
Dahero Trotz der Höllen Heer!
Trotz auch des Todes Rachen!
Trotz aller Welt! mich kann nicht mehr
Ihr Pochen traurig machen!
Gott ist mein Schutz, mein Hilf und Rat;
wohl dem, der Gott zum Freunde hat!

ですから地獄の軍勢に対抗しなさい!
大きく開いた死の口に対抗しなさい!
世のすべてに対抗しなさい!私をこれ以上
彼らの殴打が悲しませることはありません!
神が私の護り、私の救いであり助言です。
幸せです、神を友とした人は!(若林氏訳)

これは確かに難しい。Trotzを動詞trotzenの命令形で読めば、Heer, Rachen, Weltは3格でなければならず、自身にDuで呼び掛ける命令形に読むしかない。しかしすぐにmichが出てくるので、この解釈は疑問です。また「対抗しなさい」と訳してしまうと、「私をもはや〜悲しませることはない」とちぐはぐな感は否めません。
これは「〜をものともせず」と訳される前置詞のtrotzでとり(この場合Heer, Rachen, Weltは2格でもよい)、そこからの「命令的表現」で読むのがいいのではないでしょうか。「地獄の軍勢などものともするな」、さらに一歩すすんで「地獄の軍勢などなんでもない」ぐらいに訳せば、Duとの関連が消えて、michが唐突でなくなります。しかも以下に無理なくつながるでしょう。

だから地獄の軍勢なんかへっちゃらだ!
死の口もへっちゃらだ!
世のすべてがへっちゃらだ!こいつらにふるぼっこにされても
もうおいらは悲しくなんかない!(神様がともだちなんだから)

いかがでしょうか?

コメント(3)

はじめまして、ko-E-daと申します。

とても素晴らしい試みをされていらっしゃいますね。
ブレンターノさんの日本語訳、大変興味深く拝見させて頂きました。

私も音楽の専門家ではございません。また、ドイツ語も現代語しか存じておりません。本来ならば、時代背景や宗教的な示唆など、様々なものを考慮しつつ訳さなければならないと理解してはおりますが、面白そうなので、今持っている知識と感性を総動員して、私も挑戦させて頂きたいと思います。

ひとつの提案、活発な議論の発展に向けてのひとつの起爆剤として見て頂ければ嬉しく存じます。

それでは、スタート!

第3コラール

あなたに願います、主イエス・キリストよ。
この想いがなくならないように。
そして、この考えが揺らぐ時が、一時も来ないように、
強く固執していられるように願います。
魂がその巣から
天へと飛び立つその時まで。

ドイツ語は主語が必ず必要ですから、Ich bitte dich となっていますが、
「私は願います」というよりはもっと純粋に「お願いします」でも良いぐらいですよね。この文面ですと、特に神との対話という事もあり、それほど「私」を 強調していない気がしました。なので、「あなたに」願います、としてみましたが、いかがでしょうか。
「思いをつかんでいてください」も言葉通りに訳しすぎな感じがしましたので、上記の様にしてみました。Von dieser Meinung wanken に関しては、私もブレンターノさんのご意見に賛成です。verharren は、「しっかりとしている」や「しっかりと留まっていられる」よりはもっともっと強い語調だと思います。それがfestによって更に強調されていますよね。でも、「固執」も決して良い訳では無いのですけどね(笑)。難しいですね。

アルトのアリア

気を付けましょう、
幸福が笑いかける時には。
なぜなら現世では頻繁に、
朝には思いもよらなかったことが、
一日の終わりには起こり得るのだから。

かなり自由な意訳ですね(笑)。
lacht は微笑むより「笑う」の方が直訳に近い感じですよね。lächeln ではないですものね。でも、幸福とは向こうからやってくる、みたいなイメージがあったので、「笑う」よりは「笑いかける」に。leicht は「容易に、簡単に」って意味ですが、「簡単に起こり得る」ということなので、「頻繁に」を。vor abends は「夕べの前に」でも良いですが、「一日の終わりに」の方が詩的でいいですよね?(笑)Denn es kann に関しましては、どちらとも取れますよねぇ。私もはっきりとは分からなかったです。

テノールのアリア

神は私の友。いくらでも好きに、
私に対して猛威を振るうといいさ、敵よ!
妬みや憎悪の中でも、私には慰めがあるのさ。
そう、好きなだけ真実を浅く語っているといいさ、
私には痛くも痒くもないさ、おまえたちはどうせいつも間違っているのだから。
おまえたち罵り者は私にとって危険ではない。

Ich bin getrost は「安心」でもいいのかな。ちょっと迷いました。redet
nur は言い回しとして「好きなだけ語るがいいさ」みたいな感じになりますね。ただ、spärlich が Wahrheit にかかっているのか、 reden にかかっているのか、難しいですよね。僅かに「語る」のか、少ない「真実」を語るのか。reden かな、と思いましたが、どうなんでしょう。

最わりのコラール 

ですから地獄の軍勢に対抗しなさい!
死への入り口に対抗しなさい!
世界をものともするな!世界の鼓動が私を
悲しくさせることなどもうない!
神が私の護り、我が助けと進言!
神を友としたものに、幸あれ!

これは確かに難しいですねぇ。私は、最初の2行のtrotz は、trotzen の命令形と読み、そして3行目は「ものともしない」の意味で捉えました。それが一番自然な感じがしたのですが、 trotzen の命令形の複数形ですと、本来trotzt になりますよねぇ・・・、ということに今気が付きました(笑)。ま、意味としてはそう変わらないので、このままにしておきますが(笑)。4行目の頭、Ihr Pochen の ihr を Welt にかけて読み、「世界の鼓動」、つまり「世の動き」、「現世」と解釈するのがいいのかなぁ、と思うのですが、「地獄の軍勢」に対した ihr とも普通に取れますよね。どちらなんでしょうね。「Todes Rachen」は宗教的な背景をきちんと理解しないとちゃんと訳せない言葉の様な気がしますので、恐らく私のはなにか違うかと思います(笑)。

以上、バッハのカンタータ 現代語訳の試み、ko-E-daバージョンでございました!
お付き合いくださり、どうもありがとうございました。







ko-E-daさん、ありがとうございました。
やはり人の訳に意見するときは自分の訳をきちんとすべきですね。
反省いたしました。
ko-E-daさんの解釈を参考にさせていただき、もう一度訳しなおしてみました。

BWV 166

第3コラール
Ich bitte dich, Herr Jesu Christ,
Halt mich bei den Gedanken
Und laß mich ja zu keiner Frist
Von dieser Meinung wanken,
Sondern dabei verharren fest,
Bis daß die Seel aus ihrem Nest
Wird in den Himmel kommen.

私は願います、主イエス・キリストよ、
私の思いをつかんでいてください
そして私がどんな時にも
この考えによって揺らぐことなく、
いつもしっかりとしていられるようにしてください、
魂がその住み処から
天へと行く時まで。(若林氏訳)

あなたに願います、主イエス・キリストよ。
この想いがなくならないように。
そして、この考えが揺らぐ時が、一時も来ないように、
強く固執していられるように願います。
魂がその巣から
天へと飛び立つその時まで。(ko-E-daさん訳)

我、汝に願う。主イエス・キリストよ、
我が思いを支え、
我を、一時たりも
この意いから揺らがしめず、
この意いに確固たらしめよ、
魂が巣立ちて天に飛び至るまで。(ブレンターノ訳)

アルトのアリア
Man nehme sich in acht,
Wenn das Gelücke lacht.
Denn es kann leicht auf Erden
Vor abends anders werden,
Als man am Morgen nicht gedacht.

気をつけていましょう、
いつ幸福が微笑むか。
なぜなら幸福は地上では簡単に
夕べには他のものに変ってしまうのですから、
朝には思いもしなかったように(若林氏訳)

気を付けましょう、
幸福が笑いかける時には。
なぜなら現世では頻繁に、
朝には思いもよらなかったことが、
一日の終わりには起こり得るのだから。(ko-E-daさん訳)

気をつけねばならぬ、
幸福が笑いかける時には。
なぜなら地上の事は、
日の暮れないうちに、
朝に思っていたのとはとかく違ってしまいがちであるから。(ブレンターノ訳)


BWV139

テノールのアリア
Gott ist mein Freund; was hilft das Toben,
So wider mich ein Feind erhoben!
Ich bin getrost bei Neid und Haß.
Ja, redet nur die Wahrheit spärlich,
Seid immer falsch, was tut mir das?
Ihr Spötter seid mir ungefährlich.

神が私の友。この猛威が何だろう、
私に対して敵が立ち上がろうとも!
私は、嫉妬や憎しみの中でも安心している。
そう、真理がわずかにでも語ってくれるなら、
常に不正なものたちが、私に何をできようか?
おまえたち神を嘲る者たちも私には何の危険もないのだ(若林氏訳)

神は私の友。いくらでも好きに、
私に対して猛威を振るうといいさ、敵よ!
妬みや憎悪の中でも、私には慰めがあるのさ。
そう、好きなだけ真実を浅く語っているといいさ、
私には痛くも痒くもないさ、おまえたちはどうせいつも間違っているのだから。
おまえたち罵り者は私にとって危険ではない。(ko-E-daさん訳)

神は我が友なり。我に対して
敵の騒ぎ立てる猛威が何になろう。
我は嫉妬と憎悪の中にあって恐れなし。
そう、わずかに真実を語らば語れ、
いつも不実であるならそれもよし、それが私にとって何だというのだ。
おまえたち罵る者は私にとって危険ではない。(ブレンターノ訳)

最わりのコラール
Dahero Trotz der Höllen Heer!
Trotz auch des Todes Rachen!
Trotz aller Welt! mich kann nicht mehr
Ihr Pochen traurig machen!
Gott ist mein Schutz, mein Hilf und Rat;
wohl dem, der Gott zum Freunde hat!

ですから地獄の軍勢に対抗しなさい!
大きく開いた死の口に対抗しなさい!
世のすべてに対抗しなさい!私をこれ以上
彼らの殴打が悲しませることはありません!
神が私の護り、私の救いであり助言です。
幸せです、神を友とした人は!(若林氏訳)

ですから地獄の軍勢に対抗しなさい!
死への入り口に対抗しなさい!
世界をものともするな!世界の鼓動が私を
悲しくさせることなどもうない!
神が私の護り、我が助けと進言!
神を友としたものに、幸あれ!(ko-E-daさん訳)

それゆえ地獄の軍勢など何でもない!
死の口も何でもない!
世のすべてが何でもない!
この者どもが食わすけんつくが我を悲しませることなし!
神が我が護り手、我が救助者にして助言者であるから。
神を友にもつものは、幸いなり。(ブレンターノ訳)
ブレンターノさん、こんにちは。

素晴らしいですねー。とても感心しながら拝読させていただきました。

反省だなんて、そんなつもりはございませんでしたよ・・・(笑)。

単に面白そうでしたので、自分でもやってみたくなった次第です。

それにしても、こうして複数の訳を並べて見ていくのも、興味深いものですね。

お時間があれば、またこの様なトピ立ててくださいね。

是非また参加させていただきますので(笑)。

それでは。

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