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中 勘助コミュの深大寺

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 深大寺に一度行ったことがあります。しかし残念ながら、深大寺には行かず、行ったのは深大寺近くの知り合いの家でした。親戚も深大寺に住んでいましたが、そこにも行かずに親戚に出入りしていた人達と知り合い家も近くにあったので、そこに遊びに行ったわけです。そこの家には庭に小鳥のための餌場を木に作ってあって、部屋から鳥が餌場に来るのを眺めていたのを思いだします。鳥が多くいる地域なのか、鳥が入れ替わり立ち代わりやってきました。最近、中勘助の「深大寺」という短編を読んだので、ふとその餌場の鳥の行き来が思いだされました。

 この短編は短いもので、「そば」という彼の別の短編と併せて読むと興味あるもので、戦後すぐの静かな佇まいが彼の作品から想像されました。

 「深大寺」という短編には六つの俳句が書かれています。昭和29年10月14日に二度目の深大寺もうでの時のものです。実に落ち着いた感じの短編で、戦争時、戦後直後の緊張した生活から開放され、漸く落ち着いた感じが出ていました。ここでは彼の俳句の感想を書きます。

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「深大寺ほとけおはすぞ馬に鞍」

  馬に鞍といえば、謡曲「鞍馬天狗」の中の句なのだと思いました。中は謡曲を好んでいましたから、これは面白い句です。前回、深大寺に彼が来た時には、佛が名古屋に“おでかけ”で逢えなかったので、今回はおられるということで、それを見るために、大急ぎで行ったような雰囲気が出ています。「鞍馬天狗」での文句は 「花咲かば。告げんと言ひし山里の。使は来たり馬に鞍。鞍馬の山乃雲珠櫻。」であり、花を早い見たい気持ちを詠います。

「またきたと我を弾くな角大師」

 角大師についてはよく知らなかったのですが、種々サイトを検索して、角大師のことを調べました。 角大師とは平安時代の天台宗の僧、良源のことで、慈恵大師と呼ばれますが、通称の元三大師(がんさんだいし)の名で知られています。比叡山延暦寺の中興の祖だということです。「厄除け大師」としても知られ、伝説では良源が鬼の姿となって疫病神を追い払ったということで、この意味で彼の像は魔除けの護符として民家に貼られたことに由来するとのことです。昔から、深大寺とこの棒について詠んだ俳句があります。「深大寺 とちまん棒で馳走する」、「手打ち蕎麦 和尚払子で指し図をし」、「棒の手を馳走に見せる深大寺」、「深大寺 棒の名手を客に見せ」、「深大寺 直ぐに打つのが馳走なり」などです。蕎麦打ちにはそばうち棒が必要ですが、深大寺名物の棒と角大師のもたれる棒をかけたもので、蕎麦を食べにくる餓鬼を懲らしめるという軽妙な句になっています。    


「鐘つけや古佛まします秋の寺」

 この深大寺には白鳳時代の阿弥陀三尊が鎮座ましまして、関東では深大寺は浅草寺に次ぐ古刹です。 この句は、何か西行法師の「何事のおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こほるる」を思い起こさせる感じがします。秋の寺に鐘の音は人生の落ち着きを示すようです。山寺に散る桜に響く鐘は不安な感じがしますが、この句では古佛を持ち出すことで、悠久の歴史を示し、長い人生を閲した作者の気持ちをも代弁しているように見えました。
 

「古寺に木の實たのしむつんぼ哉」

 中勘助は鳥が好きな人、なのに、その彼が石榴やむくろじなど、實を面白く、我を忘れるくらいに楽しんでいました。「いろいろ實がなってるから鳥も鳴いてるだろうと思ふけどいちいち和子にきくのも煩わしい」と自分はつんぼになった気持ちとしたのではないでしょうか。

「武蔵野に白鳳の釈迦おわしけり」

 そして、彼は白鳳の阿弥陀三尊を拝みます。「深大寺ほとけおはすぞ馬に鞍」と最初は急ぐ気持ちがあったのですが、ここに古佛にめぐりあって落ち着いた句と変化しています。武蔵野としたのは、武蔵野という彼が懐かしむ風情の中にドンと佛を据えたかったのかなと感じました。 中勘助の佛さんへの感想は「いかにも立派な、懐かしやかな佛さんだ」でした。

「山だちもともに舌打つ清水かな」

 深大寺付近は湧き水に恵まれたところ。蕎麦も有名なわけです。佛の前で、山賊も我を忘れての甘露な水に舌鼓ということでしょうか。



 中勘助は昭和29年4月28日に既に深大寺に来ていますが、その時にもいくつか俳句を作っています。少し、それらに自分の感想をつけたいと思います。

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「深大寺五月幟や水ぐるま」

 季節は4月28日で、もうすぐ皐月、深大寺の周りの農家ではこいのぼりが泳いでいます。深大寺元町5−10−6に今も水車があるらしいとのことです。その水車が中勘助の見たものかどうかわかりませんが、鯉幟といい、水車といい、「これも青葉の武蔵野の風情である」。

「佛 ゐぬまに鶏とそばくふ深大寺」

 これも軽妙な句ですね。佛様は名古屋の方におでかけ。自分も鶏も餓鬼となって、蕎麦を食う。つかの間の無礼講の深大寺なのでしょう。

「無佛寺の蕎麦につめたき清水かな」
 
 「蕎麦につめたき清水かな」でイメージが十分なのですが、「無佛寺」を挿入したことで、句の感じが大きく変ります。佛さんがいないと蕎麦も美味しい味がするのでしょうか。

「白鳳のみ足すすがせ苔しみず」

 何か芭蕉の「若葉して御目の雫ぬぐはばや」を思い出させます。 作の季節も似た頃でこの二つを並べて読むと優しさが伝わります。

    若葉して御目の雫ぬぐはばや
    白鳳のみ足すすがせ苔しみず

中勘助のこの句には流れがイメージされ、より清新で清冽な感じがして、名句だなと思いました。



 しばらくすれば新蕎麦の季節です。機会があれば深大寺に行って、中勘助の見たものを確認したいと思います。

コメント(1)

この時期、中勘助は耳が遠いとのことでした。

「古寺に木の實たのしむつんぼ哉」

という句も、実際のことだったようです。

 また、この時期、中勘助の健康状態はよくなく、医師に散歩など身体を動かすように薦められていたようです。そうしたこともあって深大寺に出向いたようです。

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