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ユダの福音書研究会コミュの原典 ユダの福音書

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『原典 ユダの福音書』を読んだ。

イエスを裏切ったといわれるユダ。

でも実は、ユダはイエスの信頼を最も得ていて、イエスの魂が天国にむけて解放されるのを手伝ったのだ。人間の住むこの世を作った神(ユダヤ教の最高神)のさらに上の世界があって、イエスはそこからきていて、そのことが理解できたのはユダだけだった。と。そういうことが書いてあるユダの福音書が発見され解読された。

古文書だけあって、ユダの福音書の日本語訳だけではわかりにくく、グノーシス主義などについて書いている解説(本の本文の一部ではある)を読まないとわかりづらい。

知識が得ることによってしか、神(真の)真実を知ることができないというのは、真理だと思う。ギリシャ哲学のプラトンはイデーと呼んでいた。仏教でもはんにゃはらみたというのは最高の智慧という意味だ。
キリスト教にも同じような思想があったということがわかって感激した。

コメント(19)

 先日やっと『ワールド・ジオグラフィック』を読みましたが、核心的な事は書いてありませんでした。

 最近ふと、グノーシスとは本来小乗的な信仰の姿であって、本来無害な物だったのではないかと考え付きました。現在伝わっているグノーシスの解説は、『教会・聖職者』を守らなければならない立場の人々、つまりは正統教会がその印象を恣意的に操作する為に編まれた物であるという可能性も少なからずあるのではないでしょうか。
はじめまして。

未だにユダの福音書の解説を読んでいない不届き者ですが、私の専門に近く非常に興味を持ったので参加させていただきました。

活発に議論を交わせればと思います。


白熊さんが仰ったように、グノーシスの今のイメージは教会が後付けした要因が大きいと思います。
そういった見方が一般的ですし。
聖書の真理を体験的に理解しようと試みたのがグノーシスですから、大多数の会員はそれを目的にしていたと考えられます。

もちろん、世間で言われているような企みもあったのでしょうが…
私はそのほうが夢があって好きです。笑


グノーシス派の人々は、魂が直接神(真理)と結びついて共鳴することを求めていた。
聖書は不要で、瞑想が必要と考えていた。

それで、聖書によって信者を支配しようとした教会と対立し、権力と結びついた教会によって悪のレッテルをハラレがちだった。
でも、真理は文字の中にはない。

ところで、アダムとイブは不老不死の悩みのない天国にいたのではなく、寿命も病気も餓えもある世界にいた。ただ(動物のように?)それが問題だと認識する力がなかった。蛇によって力を与えられ、それを認識するに至った。それは悟りに至る前々前段階にきたということでしょうか。
グノーシスに対する見解は、研究者、及び翻訳する際の言葉によっても変わってくるので難しいですね。

神(真理)とありますが、
>真理は文字の中にはない。
ともあります。

よろしければ、詳しく教えてください。


アダムとイブが智慧により寿命等を認識するに至った、というのもひとつの考え方ですが、
正統的には、神との約束を破った(もしくは俗っぽく言えば、男女の仲を知った、という説もありますが)ために、永遠の命を神が奪ったということになります。

エドガーさんの書かれている説はグノーシス派の思想ですか?

>前々前段階
とありますが、前段階や前々段階をどういったものに規定された上のお話でしょうか?

質問が多くてすみません。
無知なもので・・><。
いろいろ教えてください。
kana様
話がとんでいて、ごめんなさい。
上に書いたのは自分の想像(考え)もあります。
少し仕事の時間的余裕ができたら、追加コメントしますので、もう少しお待ちください。
あっ、でも、たいしたコメントにはなりませんので、期待はしないでください。
ああ、時間の自由がきいた大学時代が懐かしい。
エドガー様

お時間の余裕のある時に是非お願いします!!
楽しみにしています♪
kana様

グノーシスについては、いろいろな説があるので僕の理解しているところを説明します。

ローマやヘレニズム地方には、キリスト教が起こる前から、
人間は神と直接つながっているが、普通の人はそれが認識できていない。神とつながる知恵(グノーシス)を会得することが人間には重要だ、
という思想があった。
この考え方は、キリスト教がローマ帝国の中で(を背景に)広がってくるにつれ異端の考えとされるようになった。

キリストに対する(ついての)考え方もいろいろあったが、教会の組織化がすすむにつれ、その教義は統一されていった。(ニケーアなどいくつかの宗教会議で解釈が統一された)。
キリスト教の教義統一過程で、キリストから聞いたと伝えられる思想や福音書の中でも異端とされる考え方が多くでてきた。それらはもともと異端とされていた土着の考え(グノーシス)と融合するものもあった。

このため、正統キリスト教(ローマ・カトリック教会)対異端(グノーシス派)という図式ができあがった。しかし、教義を統一した教会と違い異端の方は、統一されなかったので、いろいろな考え方がそのまま残った。よって、これがグノーシスだという統一された考え方(教義)はない。

この異端のグノーシスの考え方の中には、
もともと人間の魂は神と同じものなので、直接つながればよい。キリストもそれを勧めていた(だから教会は不要)。
という考えや、
直接つながるのであるから聖書も不要
と考えるのもあった。
アダムとイブに知識(グノーシス)を教えた蛇は神の使いであると考えるものもあった。:正統キリスト教では、蛇は神との約束を破らせ楽園追放の原因を作った悪者。
また、グノーシスの中には、
地球などの物質界を創造した低レベルの神(創造主)の上に本質である魂を統括している神がいる
という思想もある。
今回発見されたのユダの福音書は、
キリストは創造主レベルより上の魂の神の世界からきた魂である。それを理解できていたのはユダだけであった。他の弟子は創造主レベルと魂レベルの違いがわからず、物質や肉体を重要視していた。
キリストは魂の実在を示すために十字架にかかる。肉体を離れて魂の世界に帰ることはキリストにとって喜びであった。一連の作業の援助は、すべてが理解できるユダにだけ託された
という内容が書かれているものです。

とりあえず、要約だけお話しました。

これらの思想の理解には違いがあると思いますので、kanaさんの理解と違っているところなどがあれば教えてください。

これらの考えはキリスト教以外の考え方と共通するものがあり興味はつきません。
 どうやら『グノーシス』と一括りにしてしまう事には問題がありそうですねぇ。
レスが遅くなってしまってすみません。。。

詳しい説明ありがとうございます!!!!
なるほど。。
エドガーさんの説明によると、グノーシスと教会の思想は全く違いますね。まず、宗教による起源が違うように思います。
神と繋がるという時点で、異端の匂いがしますね。笑


何かのテクストを参照した訳ではないので、
大いに間違っている部分があると思いますが、私が認識していたグノーシスについて。

『キリスト教を信仰し、広めていく段階において、
何を信仰し、どう実践するのか、様々な思想が生まれた。
その一つがグノーシスであり、キリスト教会から危険因子だとみなされた為に、異端のレッテルを貼られた。』


つまり、私は、グノーシスはキリスト教の中の一派に過ぎないと思っていました。

エドガーさんの対抗する図式を参照すると
正統教会=ローマカトリックとするならば、
異端=グノーシス派
となります。

上手く説明できませんが、そこまで強大な、異端を代表するようなものではないと思い込んでました。

確かに、異端の派閥と言えばグノーシスですが、
コンスタンティヌスが聖書を編纂する際に、ユダの福音書は採用されるに至らなかった為に異端とみなされたのならば、
『何を以て異端とするのか』
という観点において、
グノーシスの祖を辿るのは難しい気がします。

異端の概念は後付けなのであって、
土着の考えと融合したり、キリスト伝来と噂される様々な見解を取り込んだとしても、
それは、正統キリスト教会も同じですし。


奥が深くて興味深いですね!!
勉強になりました!


ユダの福音書によるキリストの最期は、
自殺とも読み取れる為に、
ローマカトリックは認めないでしょうね・・。

有り得ませんが、バチカンの文書を全て公開すれば、
謎は解けるかもしれないですね。笑
バチカン文書も、人間の魂など今の科学で分析できない見えないものへの知識が深まると隠す意味がなくなるので公開されると思います。それまでもう少し(あと100年〜200年くらい?)かなと思います。

新約聖書を読むと、イエスはその頃の教会(当然ユダヤ教のですが)を否定するような言動があるように思います。形式的な祈りや律法を否定し心のあり方を問題視しています。これは、グノーシス派の考え方にむしろ近いと思います。

キリスト教は発展するにつれて、教会が勢力をもつようになりました。教会はさらに自分たちの利益を温存・拡大するために、誰も教会と聖書を通じてでないと天国にいけないと言い出しました。また当時は多くの人が文盲だったので、聖書を読めるのは教会の神父とかに限られました。

これが1500年代に起こった宗教改革の背景にあります。誰でも聖書を読んで自分で理解すれば教会(当時の教会は腐敗しているところが多かった)によらずとも、天国にいけるといいだしたのが、神父たちの中のニュータイプだったルターやカルビンです。

さて、グノーシス派ですが、神につながる知識はもともと人間の中に内在している、あるいは教会であげる形式的な祈りより心の中で真に神を求める方が重要だと彼らは考えました。

教会にとってはこの考えは、教会を否定すると思われ敵と認定しました。教会を信じて教会に寄進してくれる人に寄生虫のようにたかり、寄付を集めて遊び暮らしたい教会の上層部にとって、グノーシスの直接神につながればよいというのは、教会を否定する悪しき思想でした。よってそういった考えを異端として否定し、グノーシス派の人々の殺害・追放を一生懸命行いました。教会が敵と認定した思想・団体はすべてグノーシスとくくって迫害しました。

真の知識を求めるグノーシス派の人々は、迫害を避けるためその思想を隠し地下にもぐって、信用できる人だけに真実を伝えようとしました。そのためもあって、グノーシスの思想は統一見解ができるのが難しかったのです。

僕の興味としては、グノーシス派の考えと仏教など他の宗教の考えが似ているため、真理はグノーシスにあるのではないかと思えることです。
はじめまして。

Kanaさん、エドガーさん、とても為になる議論をありがとう御座います。

1970年代にエジプトでマービン・マイヤーによって発見された
パピルス冊子の「ユダの福音書」は、現時点で現存しているもの
として西暦140〜160年頃に書かれたものが有力です。
もちろん、多数の哲学者の理念から写本も行われ、発見された
この他にも多数存在すると考えます。

虫食いで、さらにコプト語で書かれているため、なかなか解読にも
時間が掛かるようですね。最近、また色々と分かってきたようですよ。

聖書に関する教典の「ユダの福音書」や「マリアの福音書」は、
他の四大福音書と大きく異なる内容です。 ゆえにローマカトリック
からすれば、間違いなく禁書として扱いますね。異端者として
マニ教など多くの教団が排除・抹殺されています。

「ユダの福音書」を見ていくと、とても興味深い内容ですよね。
イエスの神と、この世を創造した神が異なり、我々人間を創造した
のはヤルダバオート(デミウルゴス)、つまりネブロ(反逆者)と
サクラス(サタン:愚か者)と明記されています。

アダムとエヴァの創造についても、旧約聖書よりも明確に記載されて
います。サクラスによって指示されたミカエルから質として霊が
与えられ、大いなる者に指示されたガブリエルは、支配されることの
ない魂を与えた。

この魂が知恵(思考と感受性)です。失われることのない光でもあります。

現存する書物でキリストの言葉や行動を検証してみても、やはり
この理論に間違いがないように思われます。

グノーシス主義に様々な解釈がありますが、我々人間を創造した神は、
光と闇の一対のどちらの神なのか。とても興味がある話ですね。

四苦八苦や物質ありきを考えれば、間違いなくこの世は滅びの国と
言えるでしょうけどね。となると、彼は知恵の生かし方を誤ったかも
しれませんね。キリストは単なる逃避者にすぎず、神の期待には
応えられなかったと考えます。

ただ、知恵の伝道者というのが本来の目的ならば、それはそれで
達成したことになるかも知れませんけどね。

この理論からすれば、死して滅する者は輪廻がなく、光を持つ者だけが
輪廻として復活する。と言うことですね。前世の記憶がある者は、
私も含めて光の者と言えるでしょう。

ちなみに私は光る雲を見たことがありますよ。
はじめまして。

私のプロフィールを読んで頂ければ、どういった人間であるのか御理解頂けると思います。

創造主とは、光りをまず創造しました。

イエス=キリストは、クリスチャンの間では創造主そのものであるといった解釈がなされていることが多いように思いますが、実際はそうではありません。

光りとは、天地一切を創造した光りを放つ智慧のことですので、その一部でイエス=キリストの御身をご創造された。。。これが創造主、いわゆる、父と呼ばれている存在です。

私が重大な啓示を頂戴してからすぐに、この福音書の発見のニュースは世界中に流れました。

最近、やっと本を開けるようになりましたので、読ませて頂いていますが、あまりに解釈が違う。

皆、聖人・聖者がどのような思考でいるのかをご存知ないので致し方ないとは思いますが・・・

そのうちに、書籍にてこの内容について発表したいと思っています。

多分、皆さんがあまり考えついていない内容になると思います。

どうぞ、宜しくお願い申し上げます。


初めまして。
ユダの福音書読んだ感想なんですが、
魂の肉体からの(強制)解放=殺人や自殺幇助につながると思うので、キリスト教的に考えるとやっぱり罪でありその部分は正しくないとおもいます。

奇跡を起こせない人間のユダがキリストの信頼を得てお金を預かった部分は正しいように思います。
キリストの教えはお人よしですが、貧しい人に食事や施しを与えたり病人を治すにはお金がかかる。
時代背景を合わせて考えると、当時為政者側からすれば人望を集めるキリストの行動は邪魔だったのではないでしょうか。スパイや暗殺者を送り込んでも不思議ではない気がします。

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