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トランスパーソナル心理学コミュのスタニスラフ・グロフ

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10年以上前に、お世話になっていたセラピストの先生が、日本人としては唯一、グロフのセラピスト養成コースの第1期生でした。
そんな縁もあり、僕自身が、グロフの存在に注目するようになったのは、ウィルバーの著作と出会う以前のことでした。

ところで、グロフには、ドラッグによってもたらされる神秘体験についての研究をまとめた著作があります。
昔、インドにいた時に、たまたまグロフのその英語の原書を本屋で見かけ、早速購入したのですが、引越しの際にどこかに紛れ込んでしまい、もう何年も手元にありません。

ちょっと読んだだけなので、内容は、あまり記憶にないのですが、誰かこの本を読んだ人はいませんか?

また、グロフのブリージングのテクニックを体験されたことの有る方がいましたら、宜しければ、感想などお願いいたします。

その他、グロフに関することを、何でも語り合いましょう。

コメント(20)

年末にはじめて体験しました。京都で。
私の場合、何かが見えたとか聞こえたとかそういうことはありませんでしたが、「呼吸ひとつで、肉体が今まで知覚したことないこんな感覚になるんだぁ〜」と、ビックリしました。
GWの前後にまた体験するつもりです。
今度こそはもっとすごい体験をしてみたいです。
ブレスワークの経験はありませんが、レイブに行ったりしている課程でこんなことを考えたことはあります。

http://www.geocities.jp/humuluslu/columunindex.html

「深層からの回帰」はまだ買えますね
6年ほど前に、ブレスワークを3回ほど体験しました。
各回とも、不思議な夢?ビジュアルを見たのですが、
初回は私にとって、魂を揺さぶる、旋律が走りました。

人間ではない存在(紫色した人間のような影、
今から思えば、宇宙意識?)を
たくさん感じ、自分がまったく、考えてもいなかった
ことを、メッセージで話しかけられました。
その後、身体は疲れて遠い故郷の星に戻り、仲間に会い、
メッセージを伝えられる。

という体験でした。
スピリチュアルをリアルに体験したのは初めてでしたから、
ビックリしました。
しばらくの間、体調も良く、あまり、注目していなかった、
精神面を大切にするようになりました。

できるなら、もう一度体験したいけど、体力的に厳しいです。
留学時代にグロフのブレスワークを受けた事があります。僕は、当初グロフの理論は、なんでも誕生時の記憶に結びつけちゃう気がして、懐疑的だったんですが、授業の中で3日間ブレスワークをするってことだったので、「これは、お得」と思って、授業を受けました。

ワークでは、呼吸を開始するとともに、手がグローブのように膨らんできた感じがして、しだいに自分と外界の境界がなくなってきたような感じがしました。そのうち、身体特に頭がしめつけられるように痛くなりました。グロフの理論どおりの事が起こったので、「洗脳されちゃったかな?」と思ったのですが、そのうち、しめつける力が非常に強くなって、あれこれへ理屈をこねる余裕が無くなり、なんと、僕は、呼吸困難に陥ってしまいました。グロフと助手の方が介助してくれておさまったのですが、自分ではなにが起こったのかわかりませんでした。しかし、この経験は、自分が生まれたときの経験に関連しているような気がしました。

レポートを書かなければならないので、一応、母親に電話をかけ、自分の生まれたときの様子を聞いたのですが、その時、本当に驚くことを聞きました。母によれば、僕は、窒息して生まれてきたらしいのです。つまり、「オギャー!」って言わなかったんですね。医者におしりをたたかれて?初めて呼吸を開始したのだそうです。

僕は、そんなことがあったなんて、その時母から話を聞くまで知りませんでした。母によれば、「あんたは、生まれたときから、迷惑ばかりをかけてきた」そうです・・。

生まれたときの記憶というのは、頭では覚えていないけど、身体では覚えているのかもしれませんね。ブレスワークで、それまで忘れていた、窒息して生まれてきた「誕生寺の記憶」がよみがえったのだと思います。

グロフのワークでは、その後、自分が切腹するシーンが出てきたりしました。グロフは、「切腹シーン」は、「自我の死」を示しているのではないかと言っていました。切腹のシーンは、非常にクリアーだったのですが、それが過去生だったのかどうかはわかりません。ただ、その頃、自分が変わっていた時期で、「自我の死」の象徴である事は、とても納得がいきました。

今では、僕は、グロフの理論に、ほぼ共感しています。
「誕生寺」というのが気に入りました
パラトラバ雅さん

僕が読んだ本は、「LSD Psychotherapy」だったと思うのですが、記憶が定かでありません。(LSDなどのドラッグ体験に関する本であることは間違いありません。)
7年前にインドの本屋でイタリア人の友人に勧められて購入したのですが、飛ばし読みをしただけで、内容もあまり覚えていないのです。(英語もそれ程、達者ではないですし・・・)

友人は、この本を読んで非常に感銘を受けたそうで、それで積極的に勧めてくれたのですが、彼自身が優れたセラピストでもあったので、最初はあまり関心のない領域だと思ったのですが、購入したのでした。

>理論的にはウィルバー(しっかり存命中ですよ)とグロフは双璧をなしていると思いますが、グロフの場合は臨床実験など膨大なデータに基づいて理論構築をしているので説得力を持っています。

臨床実験のデータの豊富さという点では、確かにその通りですね。

ところで、少し前に読んだ「科学を捨て、神秘へと向かう理性」(ジョン・ホーガン)という本のなかに、ウィルバーやグロフとのインタビューが収録されていますが、何というか、インタビューをしている著者の視線が、とても醒めた感じなのが気にかかりました。(ウィルバーのこともグロフのことも、あまり理解していない感じがしてしまいました。)

著者のホーガンは、有名な科学ジャーナリストなのですが、こうした世界に関しては、やはりスピリチュアルな洞察力の深さの有無によって、物事の見方が大きく左右されるものなのかなと、改めて痛感させられた次第です。
タイトルには、なかなか頷けるものがあるのですが・・・。(笑)

rainさん

僕も生まれた時の出生時外傷体験があるので、やはりブレスをした時に、rainさんと、少し似たような状態になりました。
足を激しくバタバタさせたのですが、多少は解放された気分になったのを覚えています。
もう、12年も前の話ですけれど・・・。
あの人、チェコに帰ったんですかぁ?
パラトラパ雅さん

こちらこそ、お返事ありがとうございます。

>『肉の眼』で、この種の現象を説明しようとすると、一定の限界にぶち当たってしまいます。そもそもトランスパーソナルな体験が実感をもって捉えられていないと、靴の外からかゆい足をかくようなもどかしさを覚えることになってしまいますね。外部観察者的な視点では、核心に迫る描写・記述は困難ではないでしょうか。

全く仰るとおりだと思います。

それにしても、以前から不思議に思っているのですが、例えば、カール・セイガンの「サイエンス・アドヴェンチャー」とか「人は何故、似非科学を信じるのか?」などといった本を読んでいると、何故、こうした優秀な科学者ですら、ウィルバーの語るような異なった知の様式みたいな視点が欠落しているのだろう・・・と思うわけです。
似非科学批判自体は、確かに正しい指摘もあると感じますが、しかし、例えば、占星術のような物質科学の手法では解明できないけれども、統計的には正しいことを、ある程度立証できるはずのことに対しても、科学的根拠が無い、正しいはずが無い・・・という一言で片付けけしまうのは、何故なのだろうといったような疑問があるわけです。(この辺は、カール・セイガンの議論は、全く科学的ではないと思います。)
ウィルバーも「眼には眼を」で語っていましたが、「理知の眼」や「肉の眼」に関わる学問をしていても、その学問的な探求が「黙想の眼」を発達させることにも繋がるケースがあるみたいなことは、実際にあると思うのですね。
カール・セイガンといえば、惑星研究の世界的な権威だったわけですが、こうした天体物理学の大家が「黙想の眼」に関わることには、全く無知だったというのは、個人的にはちょっと考えにくい気もするのです。
話は少し脱線しましたが、結局、優れた科学者といえども、必ずしもバランス感覚が優れているとは限らないということなのかもしれませんね。

>もう1つは、体験者が自身の体験を、その後のライフコースをどう根付かせることができるか、さらにそのサポートを適切な手続きで行える人が身近にいるかどうかも『魂の成長』のプロセスにおいて重要なことであると考えています。

個人的な体験からは、非常によくわかるご指摘です。
一般の日本社会のなかでは、そうしたサポートは、あまり期待できないと思いますから、やはり何らかの伝統に属した形で修行するといったことが、大切なのだと思います。
インドなどでは、サドゥー(出家修行者)の組織が相互扶助のネットワークを形成していますし、社会全体にそれを支える基盤がありますから、ある程度、社会全体からのサポートも期待できるとは思いますが・・・。(東南アジアの仏教文化圏でも同様だと思います。)

>非日常的な体験を「一時的なぶっ飛び」で終わらせるのではなく、日常性の中に引き戻して定着させることにより、個を保ちながらもより拡張したレベルでの意識へ移行できるのだろうと思います。

例えば、引きこもりをしている若者の中には、そうした非日常的な意識状態を体験している人たちも、一定数いるように思えるのです。
もちろん、前個的なレベルの段階での体験を、超個的な体験だと取り違えるケースも多いとは思うのですが、本物の体験があり、だからこそ、社会に適応しにくくなってしまったケースも少なくないように思います。
また、少し話が脱線してしまいましたが・・・。

>禅の修行体系なども、その辺をしっかり押さえて作られています。悟りと狂気は紙一重でもありますから。

今までの人生で、一度だけ狂気スレスレのように感じた体験があります。
その時のことを振り返ると、悟りは無理でも、精神的に一気に飛躍できる千載一遇のチャンスだったのだと感じます。
チャンスは生かせなかったですが、それは準備不足だったので、仕方のなかったことでした。
しかし、そうした体験は、何か彼方なる世界への一瞥を与えてくれます。
狂ってしまうのでは・・・という強い恐怖がありましたが、今となっては、貴重な体験だったと思います。

貴重なご意見、ありがとうございました。

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