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伊藤和夫コミュのフィーリング派撲滅を願うが・・・

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 自己紹介からは話題がそれるので、新しくトピックを立てます。

 伊藤先生は「英文解釈教室(改訂版)」や「予備校の英語」で、ご自分の挫折感を吐露しておられましたが、私が家庭教師をしていたときに生徒にやらせていた「ビジュアル英文解釈PART?」のはしがきにも、以下のように書かれています。

・・・・高校生の大部分は高1か高2のどこかで、教科書の内容が急に難しくなり、今までのやり方、単語の意味を調べたあとは、フィーリングと想像力を働かせて文の内容らしいものをデッチ上げるというやり方では、一歩も先に進めないことに気がついて、ガクゼンとするのですが、それは当然のことなのです。そういうときにどう考えたらよいかという方法は今まで誰も教えてくれなかったのですから。そして、これから先もそれを教えてもらえる機会は普通はないのです。・・・

 伊藤先生はかなりの皮肉屋です。「予備校の英語」のはしがきの終わりは、いかにも伊藤先生らしい皮肉たっぷりの文章なので、私はすごく気に入っています。これ↓です。

 ・・・・その時代に残るのは会話英語とかカルチャー英語という、うまそうな匂いだけで実態のない、ごく薄っぺらなものでしかないと思う。ただそれですべてが終わるはずはない。この日本人の中で、一部少数ではあっても英語の読める人が必要だという事態は必ず存続する。
 やがて、おそらくは四半世紀を隔てて、なぜあの時代、つまり二十世紀の一部の日本人はあの環境であんなに英語が読めたのかという問いかけがなされる時が必ずやってくる。その時になって、眠れる森の「美女」ならぬ眠れる森の金庫番を勤める「老爺」、または老いた兎(うさぎ)の役が筆者に最終的に割り当てられるという百万分の一の偶然に期待しつつ、とりあえず当面の筆をおくことにしたい。    一九九七年一月九日

亡くなったのが、13日後の1月21日です。伊藤先生は、自分の確立した方法論が生き残ることはないと、半ばふてくされているんですね。伊藤先生の構文重視の考え方が21世紀中に絶滅することはないですが、伊藤英語を受け継ぐ者たちは全体の中のごく少数であることは間違いないと私も思います。良いものが残るとは限らないのです。
 
 きょろさんの言う「文法」は、駿台では「構文」と呼んでいました。文法というと、仮定法とか動名詞といったものを連想します。仮定法や動名詞の正しい理解は、長くて構造の複雑な英文を読むときの頭の働きに対する理解にはつながりません。「英頻」をやっただけでは、普通は、長くて構造の複雑な英文を読めるようにはならないでしょう。難解な長い英文を読む際の方法論、つまり、“英文を正しく読めている人の頭の中の論理的な働き”を、いわゆる普通の文法と差別化する意味で、駿台ではあえて構文と呼んでいました。駿台の授業では、構文という言葉が頻発していましたね。

 野口悠紀雄は、 『「超」勉強法』の中で、「中学校の教科書を丸暗記すれば、それですべてOK」だとかノー天気にのたまわっていますし、堀江貴文は、自著の中で「とにかく大学入試の英語は、単語をなるべくたくさん覚えればいい。あとは何もしなくていい。」と言い切る始末。野口や堀江はたまたま才能に恵まれていて、単語とフィーリングだけで解決できます。私の友人にもこういう人間はいます。その友人は伊藤先生のことをボロクソに言っていますね。そういう人たちに、私は伊藤先生の考え方の良さを説こうとは思いません。彼らにはそれが不要だからです。ただ、そういう人たちには、人に英語の勉強方法を教えたりしないでくれと言いたいです。ただ、残念ながら、中学・高校の英語の先生の大半は、野口・堀江式の頭なんですね。




コメント(17)

駿台ではそういう使い分けをされてたんですか。なるほど。
ただ、うーん、どうなんでしょう。伊藤先生の著書でも構文という言葉が使われている英語構文詳解などは、パターンに徹した感があるように思うのですが。

フィーリングのお話ですが、いまでは才能がないからこそフィーリングという考えになってきているように思われます。これはテリーさんが例にあげられていたような高度な意味のフィーリング(文法なんぞ知らなくても読めちゃうんだよなんていって、本当に読めてしまう)とは区別された、言わば体育会系的フィーリングですが。
塾講師の研修期間中にも、そういう話を他の先生から聞きました。今の生徒は文法がわからないから、フィーリングでいくんだ、共通構造ではなく、とにかく単語と熟語、それにプラスした一定のパターンを教え込むんだという教え方をしていました。テリーさんと同じように、ぼくもそれに非常に疑問を感じて、塾を辞めた原因の一つだったのですが、中学生相手の塾の場合は、文法ばかり教えていたら、親が敬遠して生徒が来ないということまで聞かされました。
ですから、そこで大学受験を目指す生徒たちと、そうでない生徒たちの間で乖離が生じているのではないかと思います。上の文法を敬遠する親たちの考えとは裏腹に、大学受験を目指すには、英文を読めなければなりません。当然のことながら、受験を目指す生徒たちは、そのための「勉強」をしたがります。彼らのクラスで、オーラルばかりやっていたら、やはり生徒からも親からも苦情がくるでしょう。ですから、それは、一部の進学校や大学受験予備校が得意なところになっているわけですね。(ちなみに、そもそも伊藤先生の日本語さえ理解できないという話すら耳にする中で、ここにおいて伊藤英語が使われていれば、ある程度普及しているというのが、僕の考えです。)
そういった流れは、いわば、生徒たちが三層構造になってしまっている結果ともいえます。フィーリングや単語だけでわかってしまう語学的なセンスを持ち合わせた生徒、文法を頼って学習に役立てる生徒、前の2つとも難しい生徒から、見よう見まねで、オーラルや体育的フィーリングという具合です。いや、なってしまっている結果というのは、語弊がありそうです。いままでは、興味や語学的なセンスを持ち合わせた生徒、文法を頼って学習に役立てる生徒、そして、そのどちらでもない落ちこぼれという三層だったのが、オーラル、文法偏重からの脱却という時代の趨勢につられて、過去であれば落ちこぼれであったのが、新たに形を変えて、ある意味では、救われる受け皿ができたという肯定的な評価を与えることも可能ではないかと思います。 もちろん、これはヒエラルキー構造であって、(しかもかなり歪んだ)それぞれの数には、かなりの偏りがあります。
まさに、その構造に狙いをつけて、NHKにも出演して一躍時の人となった大西泰斗先生のようなやりかたをとっている人もいますね。
ぼくはこうした文法を使って、「勉強か趣味なのかわからない形」で生徒を英語に馴染ませるために、学習の初期に用いるのは意義があると思いますが、それでは、長文といかに向き合えばいいのかが、いまいち曖昧なままです。そういったものを、いわば、伊藤先生のような解釈へといかに架橋させるかが課題ではないかと思います。池田和弘という人はそれにチャレンジしたのだと思いますが、現時点では失敗していると思います。

テリーさんに個人的な恨みなどあるわけがありませんが、どうも意見が異なってしまう(;´Д`)伊藤先生に関して言えば、恐らく、どこまで広まっていれば普及していると言っていいのかが違っているからだと思いますね。テリーさんの世代のほうが、生徒全体のレヴェルが高いことの証左なのかもしれません。
 変だなあ?私はきょろさんの書き込みを読んでいて、ほとんど齟齬を感じないのですが?今のところ、きょろさんとほぼ同感のつもりなんですけど(^o^)。
 何をもって普及しているか否かを論じるのは確かに難しい問題ですね。私の高校の仲間うちでは、むちゃくちゃ普及していたと言えます。

 英語学者や英語を教える立場の先生が、英語教育の問題を論じる本を出していますが、ほとんどの人が伊藤和夫を無視していませんか?こいつらは伊藤先生に嫉妬しているから触れないのか?、それとも伊藤先生を知らないのか?どっちなんだろう?と思うことがしばしばありました。
 高校の英語の先生で、伊藤先生のことを全く知らない人はたくさんいると思いますよ。たくさんがどの程度なのかという問題もありますが。だれか調査してくれないかなあ・・・。 

 構文という呼び名は、確かにso that構文とか強調構文といったパターンに徹したイメージを伴なう場合にも使われています。短く言えば“英文の構造”という意味ですね。駿台の校内テストでは、日本語和訳の解答で構文上の誤りがあるところは、Kマークがつけられていました。
 
 
 私の時代は受験生の数がすごく多くて、受験バブル時代でした。駿台の最上位国立大学志望コ−ス(浪人生のみ)の選抜試験の競争率が5倍以上でした。駿台に入れなくて、不本意ながら代ゼミで浪人した友人が翌年東大に受かりましたが、こんなことは今はないでしょう。

 私も学生時代に塾講師をしていて、きょろさんと同じ経験をしましたよ。文法は教えるなと注意されたことがあります。「今の中学・高校では文法は教えないから、ああいう教え方は止めてくれ。」と言われたことがあります。腹たちましたよ。単語と熟語の意味を言って、和訳をつけただけで、英文を理解できたように生徒に錯覚させる、学校の先生お得意の詐欺的指導をやれというのですから。

 家庭教師は自分のやりたいようにできますが、私の教え方、つまり伊藤メソッドにはまってくれた高校生もいれば、毛嫌いする高校生もいました。

 池田和弘という人がそういうことに挑戦したんですか?調べてみます。
テリーさん、お返事ありがとうございます。

まず、訂正を
>前の2つとも難しい生徒から、見よう見まねで、オーラルや体育的フィーリングという具合です。

前の2つとも難しいから、見よう見まね・・・という生徒です。の間違いでした。


> 変だなあ?私はきょろさんの書き込みを読んでいて、ほとんど齟齬を感じないのですが?今のところ、きょろさんとほぼ同感のつもりなんですけど(^o^)。

それはよかったです!(=゚ω゚)

たしかに、英語学者たちが伊藤先生の英語を軽視している傾向があるように思いますね。
英語学者になるような人物は、海外で英語を習得した人が多かったりするのも原因なのでしょうかね。学者でなくとも、教える立場の人が公で論じないというのも、たしかにそうかもしれませんね。
恐らく、テリーさんはご存知だと思いますが、
伊藤先生を私淑されていた入不二基義先生のような方
http://homepage2.nifty.com/irifuji/
も居りますが、哲学者だったりするわけで、
英語を専門にされるわけではなかったりするんですよね。

池田和弘先生が、そう思って挑戦したのかはわかりませんが、 そのように読めます。なんとも言い難いのですが。
> 恐らく、テリーさんはご存知だと思いますが、伊藤先生を私淑されていた入不二基義先生のような方

 ご存知どころか、入不二さんとは7年前にメールのやりとりを数回したことがあります。今、久しぶりに入不二さんのHPを見ました。今は東京なんですね。7年前は山口県でした。
『予備校の英語』の著者は伊藤先生ですが、まとめたのは入不二さんです。確か本の一番後ろに入不二さんがコメントを書いていましたね。
 私の浪人時代には、入不二さんはまだ駿台の教壇には立っておられませんでした。駿台で7年間英語講師をなさった方で、人気講師だったそうです。山口への転勤で、駿台を去られたようです。
伊藤先生と入不二さんは大学も同じで、2人とも哲学科出身。私は入不二さんに伊藤先生の伝記を書いて欲しいと思っています。

 『現代英語教育』(1997年5月号)で、「伊藤和夫」の業績」という特集があったのを知り、バックナンバーを取り寄せたことがあります。その中で、入不二さんが「二つの頂点 ―『英文解釈教室』と『ビジュアル英文解釈』―」というタイトルで執筆していました。入不二さんのHPでも見られます。
 入不二さんは駿台を去られた後は本業の哲学で忙しくて、英語教育にはほとんどノータッチのはずです。それが残念です。私は入不二さんにはすごく期待しているんですが。
 
 以前、私は英語再学習の必要にせまられ、『英文解釈教室』(改訂版)をやり直したり、受験生時代にやった本を再読しました。その際、伊藤先生の影響を受けている人の本を読みたいと思い、入不二さんの『<思考する>英文読解』(駿台文庫・絶版)をやりました。すごくいい本ですね。
何年か前に2chか何かの掲示板で、この本が絶版になったことが話題になっているとろに、入不二さん御本人が登場してきました。
「良い物が残るとは限らないのも事実」みたいなことをお書きになっていました。

 話題はそれますが、伊藤先生が英語科の一番人気ではありませんでした。人気のバロメーターは、夏期講習や冬期講習の講座の受講券売り切れ速度、もしくは教室の立ち見学生の数です。
教育システムを作り上げたのはもちろん伊藤先生で、講師は全員その影響下にあり、その点で伊藤先生を超える人がいなかったのは言わずもがなですが、私の時代では、伊藤先生より人気のある英語科講師は4人いました。筒井正明先生、伊藤先生の後に主任になった高橋善昭先生、奥井潔先生、薬袋善郎先生です。(すみません、かなりマニアックになってきました(^。^))
圧倒的にダントツの人気だったのが筒井正明先生です。筒井先生は当時も今も、都内某私大の教授です。確か91年に駿台を辞めました。アメリカ文学者としても高名な方で、『ラブストーリー』(角川文庫 邦題 「ある愛の詩」)の翻訳者です(この本でのみ、板倉章というペンネームを使っています)。『ガ−プの世界』の翻訳も筒井先生です。駿台の講師としては『英文解釈 その読と解』(駿台文庫)を残しています。すごくいい本です。
伊藤先生がこの本の冒頭で推薦の辞をお書きになっていて、筒井先生もはしがきで、「現場の経験から英語を見事に体系化した最高峰の人として、常に伊藤和夫先生が目標にあった・・・・」と最大の敬意を表しています。
今ネットで調べたら、この本も絶版なんですって?!

 筒井先生も駿台を離れてからは英語教育にはノータッチのはずです。実は私、5年前、地元のフィットネス・クラブで筒井先生に遭遇しました。浪人時代に何回か質問しただけですから、もちろんむこうは私のことは知りません。挨拶して、自己紹介して、数回メールのやりとりをしました。人生の中で一番尊敬している先生が、2キロしか離れていないところに住んでいたなんて!そんなことがありました。きょろさんでも、さすがに筒井先生は知らないでしょう?
この先生の講義は、ホントに感動の連続でした。解説のうまさの人気とはまた別の部分で魅力的でしたね。
どうもこんにちは。

>ご存知どころか、入不二さんとは7年前にメールのやりとりを数回したことがあります。

これまた失礼しました (。・x・)ゝ
「二つの頂点」書かれていましたよね。ぼくも読みました。

『<思考する>英文読解』やられたんですかー
ぼくもやってみたいのですが、なかなか手に入らないんですよね。ヤフオクでは15000円なんていう値段がついてたりします。

筒井正明先生と高橋善昭先生は名前だけしか存じ上げないですね。奥井潔先生と薬袋善郎先生の本は読んだことがあります。

いまはそういう正統派の講師で魅力ある人が居ないですかね。
薬袋先生は、いまは代ゼミに居ますが、一定レヴェル以上の参考書は面白いのですが、基礎力は品詞分解で養おうとしているので、どうもひっかかりを感じますね。誰にでも英文を読めるようになるためのシステマティックな工夫だとは思うのですが、逆に、そのシステマティックさが敬遠されてる気がしますね。とくに駿台とは違って、パフォーマンスが重視されるような代ゼミという場所では。
>筒井正明先生と高橋善昭先生は名前だけしか存じ上げないですね。奥井潔先生と薬袋善郎先生の本は読んだことがあります。

 そうですか。奥井先生は英語科人気講師ベスト5に入る先生でしたが、私から見ると構文解説が浅くて、好きではありませんでした。高橋先生と薬袋先生の授業は好きでした。
 

>薬袋先生は、いまは代ゼミに居ますが、一定レヴェル以上の参考書は面白いのですが、基礎力は品詞分解で養おうとしているので、どうもひっかかりを感じますね。誰にでも英文を読めるようになるためのシステマティックな工夫だとは思うのですが、逆に、そのシステマティックさが敬遠されてる気がしますね。
 
 ほぼ同感です。『英語リーディングの真実』(研究社)は名著だと思います。『英文解釈教室』を卒業できた人が読むにはうってつけでしょう。英文の構造・文法・単語の意味は分かっているのに、どうも英文の言わんとしていることがしっくり来ない原因を解説していますよね。

 “品詞分解で養おうとしている”の部分は、薬袋先生の“Frame of Reference”(英語構文を考えるための判断枠組み)のことですね。構文・文法に関してほとんど何も知らない高校生(大半がそうですが)が、あの様に英文に下線が引いてあって、そこに?(第5文型の動詞)だとかSだとかたくさん書いてあるのを見ると、確かにひくかもしれません。
 薬袋先生は、伊藤先生が救い上げられない生徒に構文理解の重要性を理解させようとしてああしたのではないか?と私は思っています。
世の中、本質的に良いものはひっそりと存在していることが多くなりましたが、英語の教育もまた然りでしょうか。

伊藤先生の偉大さは、大きな予備校の一つを自身の影響下に置くことができたことにもよると思います。
今、伊藤先生の精神を受け継いで誰かに語ろうとする人は、受難の道を歩まれているように思います。

三大予備校の一つを自身の影響下に置けば、大雑把に考えて、受験生の三割に影響を与えることができます。ということは、受験生の二割は「伊藤派」になるでしょう。

今、その「伊藤派」の人が教師になったとしても、それほど大勢の学生の前で語ることはないと思います。
少なくとも、予備校を一つ影響下に置いている「伊藤派」の教師はいないでしょう。
このことに悲しみと危機感を抱いています。
こんばんは(=゚ω゚)ノ

駿台に通っていた友人の話ですが、今でも伊藤先生の話を駿台の先生方はされることがあるそうですね。

先生方の間での評価と生徒たちの評価とでは一致しないことも多いでしょうから、そういう意味では、代ゼミなんかで人気がすごくあっても、生徒たちに対するパフォーマーとしてであったりして、他の講師にも圧倒的な影響を与える存在が居るかというと、今はなかなか見つからないかもしれませんね。
こんにちは^^
私は高校時代地方の私立の受験少年院に在籍していて
下らない授業ばかりを長時間受けた経験があるのですが、
その時は伊藤先生の授業を心底受けてみたいと思ってました。
出身高校では、単語熟語構文をとにかく丸暗記させて
詰め込んで、質より量で勝負って感じでしたので、
学校の授業だけではフィーリングだけで英語が読める天才型の人しか、本当に英語力が伸びなかったと今でも思ってます。
そんな感じの教え方しかしなかった上に、一日8時間もの
無意味な授業と、大量の無意味な宿題を出されてたので、
成績は、ある程度まで伸びたら(センターで7〜8割前後)
それ以上はなかなか伸ばせにくかったです。
そういう押し付けがましいことしかしてなかったくせに、
2次、私大入試直前講座と言う、センター後の無意味な授業
では、関係詞の基本的な省略を見抜けない生徒のことを
教師は見下してました。
ちなみに、伊藤和夫先生の存在すら知らない英語教師もいた
始末です。
だから、このトピを見ると、昔の駿台は凄いレベルの高い
世界だったのだなあと本当に羨ましく思います。

レベルの高い話をしている中に、こんな感じの下世話な話で
割り込んで申し訳ありませんでした^^;。ただ、こういう
ハイレベルな話を語れる環境にいた人のことが羨ましくて
ついカキコしてしまいました^^;
かつひさ太郎さん、こんにちは(=゚ω゚)ノ

実体験が何よりインパクトありますから、どんどん書き込んでください。下世話だなんてとんでもないですよ。

ぼくも英語の勉強を始めたばかりのころ、単語だけ一月で3000語くらいやって、案外覚えられたので、「英語なんてこんなもんかぁ、簡単だなぁ」とか思っていたんですが、実際長文を読んでみようとしたら、全く読めなくてショックを受けたのを覚えています。今から考えれば当たり前ですが、単語ができれば、英語が読めるという幻想は、全く知識のなかったぼくにはあったんですよね。
そのショックから、文法を色々と勉強し始めて、最終的には構文できっちり考えて、フィーリングを許さないという伊藤英語までたどり着きました。単語だけを学習する世界から正反対の世界にきた感じでしたね。
まだ受験期に入っていなくて、定期テストをこなすだけでいいと思っている中高生や、第二外国語をやっている大学生を見ていて思うのは、ぼくが過去に単語ばかりやって陥った状況とは全く逆で、基本的な文法はおさえているけど、語彙が少なすぎるということですね。自分で単語集も買って勉強しているという人は、そう多くないように思います。
これではもったいないですね。ぼくのようなショック療法もあるかもしれませんが、やはり、バランスが大事だと痛感しています。

また書き込みしてくださいね(=゚ω゚)ノ
<かつひさ太郎  

どこの受験進学校でも、そんなもんでしょう。大半の英語教師は、単語と熟語の意味を言って和訳をつけるだけで、生徒に英文を理解させたように錯覚させているだけ。これでは力がつくはずがありません。

私の高校は、受験進学校でしたが受験少年院ではありませんでした。文武両道をモットーとしていて、自由な校風でした。だから、当然浪人率は高くて、男子85%女子55%です。本格的な受験指導はマンモス予備校にお任せみたいなムードがありました。それでも、定期試験の問題や授業はレベルが高いので、英語以外の科目はやっていればそれなりに伸びます。しかし、高校の英語の授業を受けて力が多少でもUPした人は、50人中1人くらいでしたね。

私の高校(在学していたのは80年代前半)はやたらと駿台人口が多い学校でして、生徒の6〜7割が伊藤先生の影響で英語力が伸びたと思います。要するに、英語力が伸びたのは、駿台に通い出したり、英文解釈教室をやり始める高3の時期からです。

私もかつひさ太郎さんと同じような経験をしたことがあります。高2の時に先生が授業中に怒り出しました。前の時間にやった内容を何人かの生徒に質問したのに誰も答えられなかったから、先生が怒り出したのです。この頃になると生徒たちは、高校の授業を聞いてもなんにもならないなあと漠然と感じているわけです。だから、復習もろくにやらない。優秀で真面目な連中ばかりなんだから、いい授業をすれば生徒は食いついてきます。生徒にやる気が見られないのは、教師の授業をまじめに受けてもまったく意味がないということが、生徒がうすうす分かってきているからなのです。自分の不勉強を棚に上げて、生徒を叱って、生徒が悪いと思い込んでいるのです。

夏休みや冬休みになると、買わされた英語の本を読まなければなりませんでした。休み明けに、内容が分かっているかを問う○×問題をやらされました。高2の夏にアイザック・アシモフの「私はロボット」が課題に出されたことを覚えています。この本は日本語訳の本が出ているので、誰も原語の本は読んでいませんでした。たいていは、日本語訳の本が出ていない本が課題に出されましたから、厄介でしたね。まさしく、伊藤和夫先生の「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」式の教育方法です。英文の読み方を一度も教えたことがないのに、英語の本を生徒に買わせて「これ読んどけ。テストに出すから。」です。あの当時は、先生がアホだということが分かっていなかったので、素直に従っていました。そういう教師たち(ほとんどの英語教師)は、誰からも過去の重大な過ちに関して責任を問われずに、今も反省することなく教壇に立っているか、隠居暮らしをしているのです。
レスありがとうございます^^。

>きょろさん
確かに大学生の第2外国語の勉強なんかを見ると
文法ばっかり偏って単語を覚える量が少ないと言う
傾向にありますね。
ドイツ語なんかは独語教師が、単語帳なんて買って
勉強しても意味がないって授業中に学生に言ってましたが
(恐らくドイツ語は性があるから単語帳だけでは
対応できないと言う意味で言ったのでしょう)
初歩の段階では単語帳である程度語彙を覚えるのが
ドイツ語でも一番手っ取りはやいような気がします。

>テリーさん
うちの高校では、美誠社の『英語の構文150』あたりの
和訳練習問題を全部和訳すると言う宿題が高2の間1年を
かけて出されてました。
実際のところ、ある程度文法力がないとその本はちゃんと
和訳できませんし、いかんせん解説が薄いのでその本だけで
和訳力をつけるのははっきり言って天才にしか無理だった
ような気がします。
確かに伊藤先生の本をやった後でその本をやるとかなり
勉強になったとは思いますが、わざわざ1年もかけて
紙に訳を書かずとも、空き時間にちょくちょくチェックして
インプットしてない構文があったら覚える程度の使い方で
十分なレベルの本だったと思います(あくまでも私の主観
です)。
しかも、1年かけてその本を仕上げさせたくせに、教師は
3年の授業でもっとレベルを落とした問題ばかりをやらせて、
そんなにも学力がなくてもごまかしの効くセンター逃げ切り
対策ばっかりやってたような気がします。
ちなみに私が在籍してたこの高校は、今は福利厚生が
いいってことで県内の高校教師志望者にはかなりの人気で
なかなか採用されないのですが、昔からいる低レベルな
(教え方のみならず学力的にも)教師はクビにならず
そのままのうのうと教壇に上がり続けてるみたいです。
>>かつひさ太郎さん

英語以外の多くの外国語の単語帳では、基本的に名詞の性を表す冠詞と一緒に単語を覚えるようになってるんですね。
ですから、名詞の性のことはあまり問題にならないと思いますが、先生は、どういう意図での発言だったんでしょうね。

『英語の構文150』もなかなかいい本ではあるんですよね。
使い方次第というところでしょうか。どんな本でもそうですが。
駿台系列の高校に通ってたので薬袋善郎先生の授業が高一の時間割に毎週ありました。薬袋先生の授業の後の休み時間に先生の授業の素晴らしさに感動したとクラスメートが口々に言っていたのは今でも良く覚えてます。伊藤和夫先生の授業の浪人生のとき駿台3号館でリアルで受けてましたが一番人気は奥井潔先生でした。筒井先生は当時2号館で教えてましたが高校のクラスメートが絶賛してましたね。中3の息子に英語教えてもらってる個別指導の先生、河合やZ会でコマ持ってる先生なんですが今の高校生は伊藤和夫の本は手に取りませんよって言われてしまいました🤷‍♀
>>[4]
存じています。サインまでもらった忘れられぬ師です。
[14] しまだ さんへ
自分は1986年、87年に駿台3号館に通っていました。
あの頃を思い出します。
筆頭、奥井師
今は 伊藤和夫師
以下、話は尽きません。
>>[13] あれはよくまとまっていますが、使い方を間違えると、熟語的な構文は全部公式的に訳すというのはよくないと伊藤先生が批判したことに繋がりかねないですね。

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