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空手(FULL CONTACT)コミュの「競技空手」と一線を画す「兵法・武道空手」とは何か?

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空手家を含めた格闘家の現役引退は実に切ないものです…いくら人一倍体を鍛え、技術を磨いても体力の限界に負けて引退してしまう…ここに素朴かつ重大な疑問があります。「体力の限界に負けていずれ弱くなるのであれば格闘技を修める意義はどこに!?」と。

この疑問にスポットライトを当ててくれるのが「武道」だと私は思うのです。体力の限界に関係なく具体的な強さを維持できる「武術」に「道」を加味したもの。「道」とは理念、礼節、人格性…など「目に見えない内面の強さと豊かさ、人間力」のことを指すと私は考えています。「道」のみを求めるのであれば和室でお茶を点てたり、寺院で座禅を組んだりすれば良いと思います。具体的な強さという「目に見える強さ」も伴うからこそ「武・道」だと思います。武士道の世界で言うところの「剣禅一如」です。

一生涯、強さを維持し人格性を高める。「世界王者」の様な具体的なゴールが無いからこそ極めることが出来ない、果てしなく続く道。空手がそんな武道であって欲しいと強欲な私は願ってやみません。

体力の限界を越しても強さを維持するのであれば「兵法」もまた重要な要素であろうと思います。兵法とは「自分に有利な戦場を作る、または選ぶ知恵」だと思います。例えば宮本武蔵は多人数に襲われた際に一本道に敵を誘い込み、一人ずつ敵を斬り伏せたそうです。

武道が活かされる場は公平な条件で真正面から相手と向かい合う「競技」ではないのかもしれません。不測の事態が起こる何でもアリの「実戦」でいかに自分と大事な人の身を守るか…もちろん武道家であるからには狂犬の様に誰彼かまわず噛みつく必要はありません。しかし不測の事態を安全に治める技術と知恵を持っていてこそ武道家だと私は思います。(実戦に関してはそもそも実戦とは…という「そもそも論」を展開するとキリがないのであらゆるケースを「場合分け」して論じるのが妥当だと思います。)

皆様は「兵法・武道」としての空手とはどのようなものだとお考えですか?是非ご意見をお聞かせ下さい。

なおトピ主は建設的な批判であれば謙虚な姿勢でうかがう所存です。議論に「幅」が出てきますからね。

是非、有益な議論を展開しましょう。

コメント(2)

>1 レンさん
書き込みありがとうございます。

>武道としての空手は「練磨を怠らず、自身も他人も守ろうとする心を持ち続ける事」だと思っています。
賛同致します。

>試合の為の稽古しかしなくなったり、他の流派・武道から技術や人の考えを学ぼうとする姿勢さえ奪われがちになるので注意をしたい所です。
賛同致します。試合にルールは不可欠ですからね。試合=全てだとルール内のみの稽古に終始しますからね。

>「何も経験していない素人より身を守る術があるのでは?」と思います。
そうとも言えるし、そうでないとも言えると思います。競技者は人一倍、体を鍛える一方でルール内でのみ通用する技が身につきますからね。またルール内で稽古していると発想が固くなる可能性もあると思いますね。素人のような「頭の柔らかさ」というものには学ぶべきものがあると思います。ブルース・リーが「水になれ、水はどんな器の形にもその姿を納められる」と言いました。つまり自分が持つ技術を必要に応じて絶えずモデルチェンジさせていこうという姿勢が重要だと思います。一言で言えば「技術、思考の総合化」ですね。

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