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白米に支配されてますコミュの米年表製作(歴史の教科書を信じるな)

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先日、アフリカの洞窟で、原始時代に描かれたと思われる
壁画が新たに発見されたと報じられました。

その内容とは、異星人と思われる人物が、地球に降り立った
様子を描いたものとされています。
まあ、既存する類の壁画だと思いがちですが、
今回ばかりは少し様子が違うようです。


その宇宙人が地球に降り立った時に乗ってきた乗り物が
「米俵」と非常に酷似しているというのだから驚きです。

更に、その洞窟から南方に一キロ程離れた所で
新たな壁画が発見される。そこには、飛び交う無数の
米から逃げ惑う人々が姿が…!!!


どうにも、我々が今まで教えられていた歴史は
捏造の線が濃色になってきました。
そこで、皆さんが知っている情報を
寄せ集めて、それを年表として完成させようと思います。


とりあえず、俺が現段階で入手した情報を統括すると

○原始時代(初期)

空から異星人が米俵に乗って、地球に飛来する
   ↓
地球人とイザコザがおこる(利権絡み)
   ↓
数日後、無数の生米が地球を襲来
   ↓
翌二年、母船である米俵が、巨大もち米を大陸に投下。
太平洋完成。



当時は、米は食物というより、兵器としての概念が強かった
ようです。それが何故、今では我々の食卓に並ぶように
なったのか?歴史の真実を知っている方は、各々時間軸に
沿って、年表の続きを書いていって下さい。

コメント(8)

はじめまして。新たな情報を入手しましたので
続きを製作させて頂きます。

○原始時代(初期終わり頃)

翌三年、人類が生米が火に弱いという事を突き止める
   ↓
この事実を受けて、アインシュタインの先祖に当たる
人物がフライパンを発明
   ↓
次々と生米が捕獲され、香ばしく炒められる。
ビビッた宇宙人側は生米での攻撃を停止し、地球より撤退。
後にこの反撃方法は「チャーハン作戦」と呼ばれる事となる。
   ↓
生米の残党をどうするか、それぞれの村のトップが集まり
大規模な会議が行われる。


すみません。私が入手している情報はここまでです…
 裏が採れていないのでココだけの話にして頂きたいのですが『エルビスは実は生きていてメンフィスで稲作をしている』って本当でしょうか?

 事実だとしたら至急、年表に加えて下さい。
『武器としての米』

米がまだ食料として認識されてなかった時代(ジュラ紀末期)
の研究をしています。

ふわふわしていて、
思い切り顔にぶつけてもあまりダメージを与えられないパンや
すぐにちぎれて、絞殺するための武器にならない麺と違い
米は太古の昔から、武器として活用されてきました。

とくに生米は、
手に握り、敵の目を狙う目潰し用の武器として
リュックにいっぱいの米を背負いが
狩りに出かけるのが、当時の狩猟スタイルでした。

また、煮た米で作る小型の爆弾や
(当時は米爆弾と呼ばれていましたが
今では『おにぎり』と呼ばれ食されるようになりました)
煮て練った米で作った、捕獲用の粘着米マットでは
(現代では『餅』と呼ばれてます)
多くのゴキブリを死に追いやった、と言われています。

さらに蟻地獄を真似て、
大量の生米を使って考案された罠『米地獄』や
米を用いた『米道』という武術も存在していました。
(米道についてはまだ私も勉強中です)

このように、武器(道具)として用いられていた米が
いつの時代から、食べ物として我々を支配するようになったのか
これからも研究結果を発表していきたいと思っています。

次回の予告『米国』
室町中期から今も残る伝統的な福井県の冬の大祭でいて、
そして2チャンネルでもおなじみの”おにぎりワッショイ”。

あれは大昔に襲来してきたとされる米を神格化し、
畏敬の念を表してああいった祭りを当時の人が始めたそうです。

ただ、村毎にいかに大きなワッショイができるか考えすぎた結果
田畑の取り合いになり、いつしかそれは全国に飛び火して
争い事が絶えず、常に幕府の悩みの種として米は存在したのです。

建武式目を制定した足利尊氏はその中で”ばさら”を禁止しました。
これは当時の社会風潮であった華美な文化のことで
大きなワッショイは先の記述のように争いの種になる上
非常に派手で豪奢だったために真っ先に規制の対象となったのです。

しかし全ての祭りを禁ずることは難しく結果として
江戸時代初期まで続くこととなり、
時の将軍徳川吉宗が越前(今の福井県)に限りワッショイを認めるまでは
全国区で米を崇める風習があったそうです。

吉宗が米将軍と呼ばれた所以は実はこういうところからだったのですね。
「米国〜アメリカ大陸はいかにして強くなったか」

こんばんは。
今日の授業は前回の予告通り「米国」についてです。

もともと米国はとても弱い国でした。
というのは、
アメリカ大陸は土ではなく
「米」で出来ている大陸だったからです。

「土」という鉱物が米国に登場したのは
今から約百年前。
チャーリー・チャップリンが初めてサイレント映画を作った頃でした。

当時、土は米に比べ、安価で入手でき、足元にいっぱいあることから
一気に地面を土で埋め尽くそうという運動が起きました。

その反面、
『土は米に比べ粘着力が低い』という意見や
『土は米より重いのでガーデニングに不向き』
『土は汚い』
という意見も台頭してきて
あちこちで米派と土派の武力による衝突が起こりました。

これが後の世で言う『米騒動』です。

米騒動は十年以上も続きましたが
これに終止符を打ったのが『餅』より数倍もの強度を誇る『アスファルト』の登場でした。

アスファルトは、最初こそ、
今まで地表を覆っていた米や餅に比べ
『色が黒過ぎる』という批判をされていましたが
雨の日も靴がベタベタしないことが分かるや否や
爆発的な支持を得て、米派を一掃しました。

これを機に、
アメリカの地表は、土とアスファルトで覆われるようになり
『強国アメリカ』となったのです。
ちなみに、黒人差別問題を緩和させたのも、ちょうどこの時期でした。


ということで、
あまりうまくまとめられませんでしたが(笑)
次週の予告は『米肌から餅肌へ〜美しさの追求』をお送りします。

それではまた来週!
はじめまして、宗教的な側面から米について研究している大学生です。

ヨーロッパの米崇拝は有名ですね。
ライジングサンも元々は「rice in the sun(太陽はおにぎり)」であったものが、おにぎりは食べるものだという主張から「ricing sun(太陽おにぎり中)」に派生し、いやおにぎりは作るものだということからおにぎりを作る時間だけをライジングサンと呼ぶようになったという仮説は否定出来ないと思います。

聖書にも「神は世界を7日で作った。しかし、米は八十八日かかった」とあり、キリスト教においても米は神聖なもので、結婚式では悪魔祓いとして米を新郎新婦にぶつけるのは、武器として使用していた時代の名残もあるのでしょう。

日本でも戦国時代に、織田信長が勢力を拡大し始めるとポルトガルから米をまく文化をまねしはじめるようになるのですが、関ヶ原の合戦の後、自分の子を食べるような飢餓が溢れ始めると「白ければいいだろ。塩まけ塩を」と塩をまくようになりました。しかし、結婚ということは食い扶持が一人増し。食うにくわれなくなり追い出すことから、日本では追い出すとき塩をまくようになったという話です。

この飢餓の原因も元々は、米をまく文化がわるくね?と考えた家康は、やむを得ず鎖国を行ったのは言うまでもありません。このように、米が政治与える影響は大きい物があり、マリーアントワネットがいった「パンが無ければケーキを食べなさい」は「ケーキはおかずだろ。米を食えよ」と米派から大顰蹙をかったものです。フランス革命がこれによって起こったかは疑問点が残りますが影響力は大きく、米派が大きく増えたのもこの頃だったと記憶しています。

すいません、ヨーロッパの宗教裁判のことを調べていたら、日本の裁判について大きく米が関わっていたという文献を見つけたので紹介させていだきます。

そもそも、裁判は人を米として扱うという宗教的な側面から派生したとその文献には記載されており原告はもともと「現在穀物である者」を語源とする「現穀」、「現在穀物ではない者」とする「非穀」を「栽培」するという儀式から始まっていたそうです。ただ現在の「裁判」という形容には程遠く、内容は飯時になれば飯をくってお腹いっぱいになったら仲直りしましょうというという極めて簡素なもので、その飯の旨さで仲直りできるかどうか決まるので、飯がうまく特に炊ける人を「飯事(はんじ)」とよぶようになりました。

なので、黒人は黒いことから「米ニアラズ」とされ、黄色人は「良イ米ニアラズ」と差別され、正しく裁判をうけることもできなかったそうです。(出典:World of rise〜世界の米と人種差別〜より抜粋)

次第に、文化が複雑化するにつれ、飯事のしごとも増えた頃からその場でご飯を炊くだけでは難しいと「ご飯を美味しく弁当に詰める人」「弁当士」なるものがあらわれますが、その弁当が美味しいかどうか判断するのは「ごはん大好き健二」を語源とする「健二」が確認することになっていました。しかし、あまりにも食べ過ぎてしまうため。「こりゃぁ、弁10ではなく弁5だな」といったのが「弁護士」の語源とされています。

この後頃から現在の裁判へ形容が変化し続けていくのですが「栽培側にも米を美味しく食べさせてほしい」と「栽培官制度」が実施され始めましたが、「そもそも仲直りするための米をなぜ、栽培側が食べるのか」という疑問からしばらく放置されていましたが、最近になってようやくその権利が認められるようになったそうです。


『米肌から餅肌へ〜美しさの追求』

人類にとって、米は、
長い年月の間、「武器」として使用され
「食べ物」として認識されるまでに、数世紀の歳月を要したことは
前々回に説明いたしました。

ですが、「米」の利用法はこれだけにとどまりませんでした。

「食べられるもの」という発想が浮かばなかった人類は
米を武器として利用するだけでなく、「衣服」として利用することを考え付きました。

しかしながら、米は粒状であるため、
煮て潰し、ペースト状にして薄っぺらく引き伸ばし、
乾かしたものを、衣服「通称・餅ウェア」として提案したのが、
かの有名なアレッサンドラ・ファッキネッティの祖先にあたる
クリストファー・マッカーデル・オギエンコ Jr でした。

「餅ウェア」には、いくつかの問題点がありました。

1.雨に弱い
2.なんかベタベタする
3.すぐやぶれる
4.半透明だから大事な部分が隠しきれてない
5.虫が寄ってくる
6.ASUKAが・・・

なお、「布」が登場してから、上記の問題点を抱えた餅ウェアは
消え去ってしまいますが、その名残として
現代でも残っているのが「ギョウザの皮」だと言われています。
(注:春巻の皮ではない)

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