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東大LS三期4組コミュの山室恵教授より

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山室先生から、「ロースクール教員のたわごと」という原稿を、クラスの皆様に読めるように頂きましたので、ここに転載いたします。長文ですが、先生からの熱いメッセージをお読みください。


「ロースクール教員のたわごと」

東京大学大学院法学政治学研究科教授・弁護士
                      山室 惠
  MEGUMI YAMAMURO
1 転職―― 私は、1974(昭和49)年4月に判事補に任命され、以来30年余り裁判官を務めた後、2004(平成16)年6月、定年まで9年近く残して退官した。そして、同年7月に弁護士登録をするとともに、同年10月に東京大学ロースクール(正式名称は「東京大学大学院法学政治学研究科法曹養成専攻」)の教授になった。ロースクールにおける2006(平成18)年度の担当科目は、上級刑事訴訟法、刑事実務基礎、法曹倫理及び模擬裁判である。

 裁判官時代に担当した事件は数え切れないが、東京地裁の裁判長として判決を宣告した著名事件は、地下鉄サリン事件の実行犯であった医師を無期懲役に処した事件(平10・5・26判時1648号38頁、判タ985号104頁)、弁護士一家殺害事件の実行犯であったオウム真理教の幹部を死刑に処した事件(平10・10・23判時1660号25頁、判タ1008号107頁)、強姦の被害を警察に届けたため殺害された逆恨み殺人事件(平11・5・27判時1686号156頁)、裁判官による児童買春事件(平13・8・27公刊物未登載)、判決宣告後の説示の際さだまさしの歌「償い」の歌詞に言及した三軒茶屋駅暴行事件(平14・2・19判時1789号160頁)、東アジア反日武装戦線・大地の牙のメンバーであった女性活動家による連続企業爆破事件(平14・7・4公刊物未登載)、近年で最も長い審理期間を要したとされるリクルート事件(平15・3・4判タ1128号92頁)等である。

2 マスコミ三大愚問―― 裁判官は、若い時代に様々な研修を受ける機会がある。民間企業への派遣、行政機関や在外公館への出向、海外留学等であり、期間はいずれも年単位である。このような研修制度が始まったのは1982(昭和57)年度であり、最初の研修先は報道機関で、期間は数週間であった。報道機関へ研修に行った裁判官の話によれば、記者から、判で押したように同じ質問を受けるので、その質問は「マスコミ三大愚問」と呼ばれるようになった。マスコミ三大愚問とは、「?裁判官はカラオケに行きますか。?裁判官は賭け麻雀をしますか。?裁判官はトルコ風呂に行きますか」である(※1)。
 何度も同じ質問を受けるうちに、マスコミ三大愚問に対する模範解答が用意されるようになった。それは、?に対しては「人並みに」であり、?に対しては「ご想像にまかせます」であり、?に対しては「ノーコメント」である。

 模範解答について私なりに解説を加えると、?については、カラオケの好きな裁判官は多いし(私もその一人であった)、「人並み」以上にうまく歌う裁判官も少なくない。「人並みに」という答には、裁判官がごく普通の生活をしていることを強調したいという思いが込められているようでもある。?については、少なくとも当時は、私を含めて、麻雀の好きな裁判官は多かった。めっぽう強くて「雀聖」「雀鬼」等と呼ばれる裁判官もいた。「賭け麻雀」の「賭け」の部分が質問のポイントであろうが、正直なところ、賭博罪に当たらない程度の低いレートで「賭け」ていた。「ご想像にまかせます」という答には、「賭け」の部分に対して正面から答えず、しかも肯定のニュアンスを含ませるという巧みさが窺われる。?については、自分自身のことは当然分かっているが、他の裁判官のことは知らないし、そもそも、こういうプライベートな事柄について答える義務はないから、「ノーコメント」と突っぱねるのも許されるであろう。

 マスコミ三大愚問の存在は、世情に通じているはずの記者であっても、裁判官の生活についてほとんど知らず、巷に流布されているステレオタイプの裁判官像を鵜呑みにしていることを示している。

3 何でもありの週刊誌―― 同じマスコミでも週刊誌となると、「何でもあり」で、いいかげんな記事を載せることがある。ある週刊誌は、イトマン事件の被告人が保釈後に逃亡したことを取り上げ、保釈を許可した大阪地裁の裁判長について、「司法関係者によれば、この裁判長は酒も飲まず、麻雀も打たない。勉強ばかりしてきたから、判断を間違えた」という趣旨の記事を書いた。残念ながら、この裁判長の麻雀好きは「司法関係者」の間で有名であった。この記事を書いた記者は、「司法関係者」に取材することなく、画一的な裁判官のイメージに合わせて適当に作文したものと思われる。

 私自身も、この週刊誌に書かれたことがある。「元過激派の弁護士なんて珍しくもないが、それが現役の裁判官となると話が違ってくる」という書き出しで、私が学生時代に社青同解放派の下部組織である反帝学評に所属していたというのである。その根拠は、上記の女性活動家による連続企業爆破事件の「法廷を傍聴に来ていた支援者の一人が、裁判長席に座っている山室氏を見つけて驚いたんです。なぜなら、その昔、山室氏は社青同解放派系の学生団体・反帝学評の活動に加わっていてデモや集会でもよく顔を合わせていましたから」というものである。残念ながら、全くの人違いである。この支援者の記憶に残っている20歳前後の大学生の若々しい顔と、目の前にいる50歳を超えたオジサンの憎たらしい顔とを比較して同一人物かどうかを判断するのは無理がある。この記事は、「世間知らずの裁判官が多いなか、むしろ、過激派の経験があるからこそ難事件を裁けるのかも?」と結んでいるが、この記者の論理からすると、過激派に属していなかった私は、世間知らずで、難事件を裁く資格がなかったことになるのであろうか。

4 一般の人々が抱く裁判官のイメージ―― 一般の人々は、裁判官と聞けば、頭が固くて、おもしろみがなく、世間知らずというイメージを抱くであろう。現に、作家の夏木静子氏は、「電車通勤をなさる裁判官がいらっしゃると聞きまして、ショックを覚えました。……多くの裁判官が……「裁判官だって赤ちょうちんもカラオケも行きますよ」とおっしゃってくださって、私たちと同じ普通の方だったんだという、当たり前のことに目を開かせられたような思いがいたします」と発言し、落語家の桂文珍氏は、「あっそうですか、裁判官さんは赤ちょうちんに行ったりするんですか。……[裁判官は]どういう毎日を送ってらっしゃるんだろう、きっとお友達も少ないだろうと、裁判官どうしで毎日を過ごして、官舎と裁判所の往復をしているんだったら、刑務所に入っているのも同じじゃないかというイメージを失礼ながら持っておりました」と発言している(パネルディスカッション『みんなの裁判所』自由と正義56巻10号61頁、62頁(2005))。

 司法研修所(「司法修習所」ではない。※2)に入所したばかりの司法修習生やロースクールの学生も、裁判官に対して一般の人々と同様のイメージを抱いている。

 司法研修所教官の時代に修習生を自宅に招いた際、裁判官の給料は低いと信じ込んでいる一人の修習生は、私が官舎でなく自宅に住んでいることで意外な顔をしたし(※3)、別な一人は、庭のガレージにある車を見て、「どなたが運転するんですか。裁判官は、交通事故を起こさないように、運転しないと聞いてますが」と言った。そこで、その修習生に対し、以下の話をした。

5 時速185キロで運転した経験―― 私自身も民間企業に派遣される研修を受けたことがある。ただし、「民間企業短期研修」という最も期間の短い研修である。裁判官になって11年目の1985(昭和60)年春、伊藤忠商事?、東京急行電鉄?及び本田技研工業?の3社へ派遣された。

 本田技研工業?で研修を受けた際、その関連会社である?本田技術研究所の栃木研究所へ見学に行った。この研究所には1周4キロのテストコースがあり、このテストコースで試乗車を運転するという経験をした。最初は、私が助手席に座り、テストドライバーが運転して、時速200キロ以上で数周走った。その後、席を入れ替わり、私がハンドルを握ることとなった。テストコースには、「バンク」という傾斜部分が2か所あり、傾斜の角度は、一番下が0度、その次が15度、次が30度で、一番高い所は45度であった。最初は、試乗車とテストコースに慣れるため、時速130キロくらいで何周か走り、その後、テストドライバーが「もっとスピードを出しても大丈夫ですよ」と言ったため、アクセルを踏み込んで加速した。壁のようにそそり立つバンクに突っ込んだ瞬間、車が大きく左に傾いた。と言っても、ジェットコースターに乗った時と同じで、自分の目には、空が大きく右に傾いたように見えた(人間は常に自己中心的である)。45度の傾斜の部分では時速155キロ前後でバランスが取れ、ハンドルに軽く手を添えているだけで、自然にバンクを抜けていった。もっとも、その手は小刻みに震えていた。直線に入って更に加速し、メーターを見ると180キロ。目の前の空気を鋭角的に切っていく感覚であった。次のバンクが迫ってくると、それ以上加速できず、そのまま突っ込んでいき、再び空が大きく傾いた。また直線に戻り、加速した。メーターの針は185キロ。これを何度も繰り返したが、結局、185キロを超えられずに試乗を終えた。車を降りる前、テストドライバーが「車、好きなんですね」と言った。

確かに、私は車が好きである。18歳で運転免許を取得して以来ずっと車に乗ってきたし、アメリカ合衆国に2度滞在した機会にも、常に運転する生活をしていた。すなわち、1976(昭和51)年6月から1年間ダラスにあるサザンメソディスト大学ロースクールへ留学した際には(※4)、行ってすぐの夏に語学学校を途中でキャンセルし、ダラスからサンフランシスコまで車で往復したし、また、1989(平成元)年11月から1年半陪審制度の調査・研究のため渡米した際には(※5)、車を運転して各地の裁判所やロースクールを訪れ、走った州は30州を超え、走行距離は3万8000マイル(6万キロ)に達した。

6 説教―― 修習生に対し、このような話をした後、以下の説教をした。

 君たちは、人々が口にする噂や曖昧なイメージ、自分自身の中の偏見、思い込み等々を根拠にして、間違った裁判官像、検察官像、弁護士像を作り上げてしまっている。今後の修習の中で、先輩をよく観察して、間違いを正していく必要がある。虚像を実像に変えていく過程で、自分がどのような実務家になりたいかを考えるべきである。その際、次のことに留意してほしい。(1)人の役に立つことを考える。(2)自分の運命は自分で切り開く。(3)常に勉強する。(4)本気で取り組めば何事もおもしろくなる。(5)小さな成功に満足しない。(6)自分にしかできないことをする。(7)自分の頭で考える。(8)流行を追わない。

 かつて修習生に対してそんな説教をしていた私は、今はロースクールの学生を相手に同じような説教をしている。成長の止まった自分を省みつつ、次代の司法を担うロースクールの学生に対し、祈るような気持ちでその成長を見守っているこのごろである。

※1 裁判官である加藤新太郎氏は、新聞記者から多くされる三大愚問として、「裁判官は赤ちょうちんで飲みますか。麻雀をしますか。カラオケに行きますか」という三つの質問を紹介している(『職業としての法律家』早稲田法学71巻4号144頁(1996)、加藤新太郎編「ゼミナール裁判官論」121頁(第一法規 2004))。マスコミ三大愚問にこのようなヴァージョンがあるのかもしれないが、研修に行った裁判官から直接聞いたマスコミ三大愚問は、上記???の質問であった。

   なお、当時、個室付き特殊浴場は「トルコ風呂」と呼ばれていたが、あるトルコ人が1984(昭和59)年に改称を強く訴え(同年9月10日付け読売新聞の「今日の顔」欄に「トルコぶろの改称を訴えるトルコ人」として紹介されている)、その後、「ソープランド」と呼ばれるようになり、「トルコ風呂」は死語になった。

※2 ロースクールの学生は、「司法研修所」を「司法修習所」と呼ぶ。修習生も、前期修習の間は、「司法修習所」と呼ぶ者が多い。誤用である(裁判所法14条、55条、56条参照)。もっとも,千葉大学法経学部の教授も,2006(平成18)年3月19日付け毎日新聞の「発言席」欄で「司法修習所」と書いているし,裁判所のホームページの中にある「東京地方裁判所長の紹介」(http://www.courts.go.jp/tokyo/about/syotyo/index.html)にも「司法修習所」とあるから,誤用はかなり行き渡っている。

※3 修習生もロースクールの学生も、裁判官は薄給で、およそ自由のない生活を強いられていると思っている者が多い。そうであるかどうかは、やがて分かることになる。

※4 裁判官を含む実務家の当時の留学制度については、『座談会・実務と英米法』ジュリスト600号313頁、314頁(1975)を参照。

※5 1988(昭和63)年春、最高裁長官が日本の刑事裁判に陪審制を導入することの可能性・必要性について検討する旨を明らかにし、その後、最高裁は、裁判官を海外に派遣して調査することを決め、私は、その任を命じられた一人として合衆国の陪審制について調査・研究をした。

(元東京高等裁判所判事、弁護士法人キャスト糸賀)

コメント(2)

時速185kmで疾走する山室閣下、あつすぎるぜ・・・

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