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三島由紀夫コミュの庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。−−『豊穣の海』の最後の場面の意味

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http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/4891503.html
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/550.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1798720957&owner_id=6445842



小説家は、何故、小説を書くのでしょうか?



もちろん、人に依って、その答えは色々でしょう。しかし、多くの場合、小説家が小説を書く動機は、自分が体験した感情を、或いは光景を、読者と言ふ名の他者と共有したいからであると、私は思ひます。



今日は、三島由紀夫の命日です。



小説家として、彼が天才であった事は論を待ちませんが、彼も又、自分が体験した感情を、或いは見た光景を、他者と共有する為に小説を書いた一人であった証拠が、彼が最後の日に書いた文章の中に在るのではないか?と、私は、思ひます。




彼が、その死の日に完結したと見られる小説『豊穣の海』の最後の部分を、ここで、もう一度お読み下さい。




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 一面の芝の庭が、裏山を背景にして、烈(はげ)しい夏の日にかがやいている。
「今日は朝から郭公(かっこう)が鳴いておりました。」
とまだ若い御附弟が言った。
 芝のはずれに楓を主とした庭木があり、裏山へみちびく枝折戸(しおりど)も見える。夏というのに紅葉している楓もあって、青葉のなかに炎を点じている。庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際に花咲いた撫子(なでしこ)がつつましい。左方の一角に古い車井戸が見え、又、見るからに日に熱して、腰かければ肌を灼(や)きそうな青緑の陶(すえ)のとうが、芝生の中程に据えられている。そして、裏山の頂きの青空には、夏雲がまばゆい肩を聳(そび)やかしている。
 これと云って奇功のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠(じゅず)を繰るような蝉(せみ)の声がここを領している。
 そのほかには何一つ音とてなく、寂莫(じゃくまく)を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。・・・・・


『豊穣の海』完。
昭和四十五年十一月二十五日


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(三島由紀夫『天人五衰』(新潮文庫第46刷)341〜342ページより)

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この末尾に記された日付け(昭和45年11月25日)は、彼が市ヶ谷で自決した日です。つまり、この日付けが事実であるなら、三島由紀夫は、その日の早朝か未明に、この小説の最後の部分を書き上げたのだと思はれます。



上の、この作品の末尾の部分を、私は、何度読み直したか分かりません。私は、必ずしも三島由紀夫の文学に心酔して来た訳ではないし、『豊穣の海』四部作の全てを称賛する読者でもありません。しかし、四部作の最後の小説である『天人五衰』のこの最後の箇所だけは、本当に、何度読み返したか分かりません。その理由は、この日付けが、私自身の人生の一日だからです。



この日(昭和45年11月25日)、私は中学生でした。そして、この日に自分がして居た事をとても良く覚えて居るのですが、この作品の末尾に記されたこの日付けを見る度に、私は、ここに、自分の人生の一日が記されて居る様な気持ちに成るのです。



この小説のこの箇所を読む度に、私は、あの年の自分の事が、或いは、あの年の自分が生きて居たあの時代に引き戻される様な錯覚を覚えるのです。その錯覚が、私をして、この箇所を何度も読み返させて来たのではないかと思ひます。



その『豊穣の海』の最後の部分である上の情景は、この小説の主人公と呼ぶ事も可能な本多が、癌に侵され、死を目前にしながら、親友の恋人であった尼僧を尼寺の訪れながら、その尼僧から余りにも意外な言葉を聞き、呆然とした後、その呆然とした感情の中で、訪れたその寺の庭を見つめ、見た物を描いた情景です。



そこで印象的なのは、「夏の日ざかりの日」が、「何も無い庭」に降り注いで居ると言ふ描写ですが、最近、私は、この情景には、重大な意味がこめられて居たのではないか?と考える様に成ったのです。



それは、少し前の事ですが、インターネットで、或るサイトで見た、生前の三島由紀夫のインタビューの中に、この小説のこの情景が描いて居るのは、彼のこの記憶ではなかったか?と思はせる回想が有ったからなのです。




(クリックして下さい)
    ↓
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これは、昭和40年(1965年)、つまり、彼が自決する5年前に撮影されたと見られるインタビューですが、この中で、彼は、こんな回想を語って居たのです。



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 終戦の時、詔勅(しょうちょく)は、親戚の家で聞きました。都内から離れた所に家族が疎開して居て。終戦の詔勅については、感動を通り越した空白感しか有りませんでした。今まで自分の生きて来た世界が何処へ向かって行くのか?それが不思議でたまらなかった。戦争に負けたらこの世界が崩壊する筈であったのに、まだ周りの木々が、濃い夏の光を浴びて居る。それを普通の家庭の中で見たので、周りに家族の顔も有り、ちゃぶ台も有り、日常生活が有る。それが不思議でならなかった。

(中略)

 頂度、昭和40年41歳の私は、20歳の時に迎えた終戦を自分の人生のめどとして、そこから自分の人生がどう言ふ展開をしたかを考える一つのめどに成って居る。これからも何度もあの8月15日の夏の木々を照らして居た激しい日光。その時点を境に一つも変はらなかった日光は、私の心の中に続いて行くだろう。


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お読みの通り、これは、三島由紀夫が、昭和20年(1945年)8月15日、終戦を迎えた日の回想です。



その時、彼が見た物は、「戦争に負けたらこの世界が崩壊する筈であったのに、まだ周りの木々が、濃い夏の光を浴びて居る。それを普通の家庭の中で見たので、周りに家族の顔も有り、ちゃぶ台も有り、日常生活が有る。それが不思議でならなかった。」と言ふ夏の日差しを浴びる木々の光景だったのです。彼は、その光景が不思議に見えて仕方が無かったと、死の5年前のこのインタビューで語って居たのです。



三島由紀夫は、昭和20年8月15日に味はった「不思議でならなかった」と言ふ夏の日の精神体験を、この小説のどんでん返しとも言ふべき本多の体験として、読者に共有させようとしたのではなかったのでしょうか?−−自身が自決する日の朝に書いたこの情景において。




この小説のこの最後の場面は、若き日の三島由紀夫が終戦の日(昭和20年8月15日)に見た夏の日差しの光景を描いた物に違い無いと、私は、確信します。




平成二十三年十一月二十五日(金)
三島由紀夫の命日に






                    西岡昌紀(内科医)

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コメント(1)

西岡昌紀さん、

動と静…コントラストの中で捉えるとすれば、豊饒の海の最後のシーンは「静」そのものかもしれません。

 残念ながら菅原孝標女が書いたとされている浜松中納言物語を目にしたことはありませんが、夢で転生を告げられ、さまざまな出来事が繰り広げられる物語…それは一霊四魂を現代において輪廻転生を通しての顕れなのかなあ〜と思います。


 
 豊饒の海の最後のシーンと、『三島由紀夫は、昭和20年8月15日に味はった「不思議でならなかった」と言ふ夏の日の精神体験』とのアナロジーに言及されておられますが、私は一霊四魂のあとの「静けさ」ではないか、とも感じます。

 月の海の一つである「豊かの海」は、「神酒の海」と「静かの海」、「危難の海」に囲まれるようにして月の東側に位置しています。



 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
        立石寺にて芭蕉、元禄2年5月27日


 豊饒の海の最後のシーンは、終戦の日とのアナロジーというよりも、私自身は三島の作品のひとつ「音楽」の結末とのアナロジーを感じます。

 『オンガ クオコル」オンガ クタユルコトナシ」リュウイチ』

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