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狩猟採集漁労民コミュの狩猟採集民に目覚めた切っ掛け(自己紹介)

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 トピックはそれぞれ自由に設定していただいて結構です。

 私はオーストラリア先住民の内の一民族アランタを中心に研究していますので、そちらの話題は「アランタ」コミュニティでやっています。
 
 ここではもっと一般的な話題を共有したいと思っていますので、宜しくお願い致します。

 もともと、私が狩猟採集民に関心を持ったのは、青年期に畑正憲さんと一緒にTV出演していた二カウさんが最初だったのかな、と思います。その後、長じて、伊谷純一郎編になる原子令三さんのピグミー論文を読んで、研究者としての関心になりましたが、その時は、自分が研究することになるとは思っていませんでした。

 本格的に関心を持ち始めたのは、バブル崩壊後になって、親父さんが失業の危機に直面した時で、その時、「(現代日本)人はなぜ会社にポジションを失うと、生きること自体が失われるかのように思ってしまうのか、それは世界から富(貨幣)を直接的に引き出せなくなった私たちの、想像力の根源的な欠如によるのではないか」と思い、「世界から富を直接的に引き出せ」る人びとへの注目が本格化しました(なので、修士の時の副主題はホームレスで、私は彼らを救う対象ではなく、学ぶ対象として付き合ってきました)。

 しかし当時は『文化を書く』以降、ハーバード大学の狩猟採集民研究批判が既に公になっており、それまで農山村の儀礼を研究してきた私にも、反対する声が多かったのを覚えています(私の身を案じて、のことですので、それらの声は嫌ではありませんでした)。
 当時の指導教官に、C大とK大の狩猟採集民研究者を紹介されましたが、後で聞いたら「思いとどまらせようと思って」紹介していたとか(笑)。

 結局、ラテン・アメリカにもアフリカにも行かず、オーストラリアに行ったのは、その時にT大のM井先生からK田先生を紹介されたのが縁で、偶然といえば偶然でした。

 よく、狩猟採取民を研究していると言うと、政治学や経済学の先生方からは、「人は自然には還れない」と言われてしまい、どうも「狩猟採集民の研究=自然回帰の研究」という言説スティルからの重力が強いのですが、私は今現在の人類の姿を正確に測定するには狩猟採集民の300万年史が分かっていないと、目前の現象を判断する上での遠近法を失う、と思っており、それだけでも研究に値する、と考えています。

コメント(22)

人は自然に還れない?
何を根拠に言ってるんでしょう?
その人たちの自然の概念って何なんでしょう?
人の概念ごときで自然を位置づけられる程、自然って
ちっぽけでしょうか?

いきなり失礼しました。

興味あってコミュニティーに参加させてもらいました。

よろしくお願いします
>マーキーさま

 書き込みの順序が逆になりましたが、こちらこそ、宜しくお願いします。マーキーさんの写真、北オーストラリアのバーク・ペインティングですよね。綺麗でいいなぁ・・・。
 いつかデジャリドゥも聞きたいものです。
 うぅむ。入る度にメンバーが増えていて、その意味では大成功なこのコミュニティです。

 入っていただいた方には漏れなく挨拶をするようにしてきたのですが、最近は日記をつけていらっしゃらないmixiユーザーもいるらしく、また皆さんのページでご挨拶をするにつけ、自分では狩猟採集民は研究していないけれども、なんだか面白そうだ、という方も多いように見受けられました(そんな参加の仕方も全く問題ありません)。

 で、そうした方に、身近に手に入る読みやすい本は何だろう、と考えてみたのですが、私が思いついたのは、オーストラリア先住民に関して言えば、ホルダー、ロビン1989(1985-1987)『オーストラリアのアボリジニー』先住民族シリーズ4 河津 千代訳 東京:リブリオ出版、がいい気がします(写真参照)。

 これは先住民族を紹介するシリーズの本で、おそらく図書館の(ひょっとしたら子供の)コーナーに所収されているのではないかと思います(他に取り上げられている民族としては、エスキモー、インディアン、マオリ、南太平洋諸島民、インディオ、ピグミー、ブッシュマン、ズールー、ベドウィン、ラップ人などがいます・・・必ずしも狩猟採集民ではありませんが)。
 
 各巻45頁程度で、図版も豊富な図書ですが、執筆者は各民族の研究者なので、(出典がないのが痛いのですが、)一定の水準を保っています。
>ざふぁー照れさ さま

 どうも、はじめまして。
 書き込みありがとうございました。
 いやぁ、大きな問題ばかりで、どれがどう、と直ぐにはお応えできない問題ですが、あしからず。

 幾つか、手続きを考えてみると、「戦争」「狩猟採取民と農耕民」「遺伝子と脳」「脳と環境」「男女(というかジェンダー)」「土地」それぞれに分けて、別トピックを作成したら、衆知が集う場になるかもしれませんね。

 実際、どれも研究者がそれぞれのフィールドから事例を持ち寄って、考えている最中でして、例えば、「土地」一つとっても、私の調査しているオーストラリア先住民アランタ民族の「カントリー」というのは、もともと彼らが子どもは聖地からの精霊の生まれ変わりと考えており、生殖とは強く結びつけていなかったことから、土地は同時に自分達の先祖であり、自分達がそこから来て、そこに戻る場所として語られていたようです(1900年頃のSpencer&Gillenの民族誌に書かれている話です)。
 ところが同じ狩猟採集民でもボツワナ共和国のブッシュマン(コイ・サン族と呼ばれることもありますが、どれも起源は他称です)の場合、古典的な民族誌に、こうした土地を巡る記述は殆んどなくて、近年、集住を強いられるようになってから、寧ろ土地への愛顧が強まったのではないか、との報告もあります。

 そこで、戦争(これは何をどう定義するのかにも依りますが)も、すいぶん違った形態が報告されていて、アランタの場合は、例えば、ピチャンチャチャラという直ぐ南の民族との戦いは初期の民族誌の報告にも出てきます。
 他方で、アフリカのピグミーなどの場合、戦いどころか、税金の取立ての際にさえ、森の中に跳散してしまうことが、日本のパイオニア的な研究者からも報告されて来ていました(同じアフリカのブッシュマンについては、菅原さんなども原稿を寄せている『暴力の文化人類学』という本もまとめられています)。

 そうすると、正確に「狩猟採集民」とひとまとめることができるのか(これに関してはCHAGSでもここ数回話題になっています)、どこがどのような戦いの文化をもっているのか、彼らの戦いがいつからどうのようにして近代的な戦争へと巻き込まれていくようになったのか(これについては紛争の人類学というサブ・テーマがありますので、栗本英世さんや福井勝義さんの本などが接近し易いでしょうし、南米先住民の研究者だったクラストルの、暴力の考古学の和訳も出ています)、などなど、いずれも大きな問題で、ぜひとも研究者がもっと欲しいところなのです。とくに、ざふぁー照れささんのように、若くて熱心な方を。

 という訳で、ざふぁー照れささんがもし大学のレポートに取り組んでおられるようなら、是非こうした自分のやる気が出るテーマに取り組んでいただいて、僕らに教えて欲しいなぁ、と思う次第なんです。

 いやぁ、実際、道は長くて、長期戦なのです(笑)。その長期戦を、モチヴェーションを落とさずに継続し続けることが、一つのコツなんですわ(こういうところは研究者が狩猟採集民的でいられなくなるところなのかもしれません(笑))。

 それでは、また。
挨拶はこちらで良いのか分かりませんが、みなさまはじめまして。
僕は狩猟採集民を専門にしている訳ではありませんが、たいへん
興味のある内容でしたので参加させていただきました。
よろしくお願いします。

ちなみに専門としているのはヒトの島への適応過程です。
なので狩猟採集民についてはもっと勉強しないといけないな、と
思っています。
また、世間一般では狩猟採集民=遅れてる、農耕民=進んでる
と言う間違った知識が氾濫しているのをみてると残念に思います。
>oceanさま

 あ!

 すみません。こちらの記事を読む前に、日記にご挨拶を書きこんでしまいました。

 人の島への適応、ですか・・・。

 面白さと難しさが同居している感じですねぇ。

 僕が思いつくのは、やっぱり一つは網野(善彦)さんで、「島」といっても、日本が生活感覚として「島」国と言うには広すぎるように、どこまでを島とするか、という問題がありそうですよね。
 次に思いつくのは、(誰だったか名前を度忘れしましたが、)日本では宮本(常一)さんなども前期から後期へ見方を修正したように、「海」を「島」切り離すものと見るか、それとも「島」をつなぐものと見るか、というのがありますよね。
 あ、そうか、どっちもあり得て、そのキャリナゼーションみたいな研究なのでしょうか。

 ちなみに、オーストラリア先住民の研究では、堀江さんと向山さんの論文で、最初のオーストラリア人(古代型ホモサピエンス)が素朴な筏しか持ってなかったとしたら、どうやって行き先の保証のない島の間を渡ったのか?という研究を1991年に発表してて、面白かったです。
 
 oceanさんの研究にも興味津々です。

 ただ、私もmixiに入り始めて半年過ぎ、最近分かってきたのですが、大所帯化した学問・研究系のcommunityは、参加者が多い割には相互に牽制してか、トピックがすくなく、自己紹介した後は停滞する、という傾向が濃厚なようです。
 そういうことにならないように、お気楽なトピックでも構いませんので、居心地良くしていただければ幸いです。
 
>shuujiさん
わざわざお越し頂いてすみません。
最近mixiに参加したばかりなので日記が少ないんです(笑)

僕が専門としている島は沖縄本島とか佐渡島とか、北海道で
言えば奥尻島とか利尻・礼文島などの小さい島です。
北海道本島や四国なんかは”島”としては広すぎます。

一応、この分野の研究の根幹にあるのは農耕の起源とか社会構造
の複雑化などの問題を大陸で研究するととんでもなく大変だから、
島で研究してそれを大陸に応用しましょうと言う事でしょうか。
島を研究する利点は、
・大陸よりも環境が単純である事。
・その環境には明確な境界線がある事。

そして大陸は4つしかないですが島は無数にあって環境も全て
違います、環境が違う島に生物はいかに適応し進化して行った
のか、その過程を比較・研究することによって共通のメカニズムを
発見していこう、と言う感じです。
また、文化は適応する為の手段と考えられるので狩猟採集民が
適応の過程として農耕を始めるにはどういうメカニズムがある
のか? なんかが見えてきたりします。

オーストラリアの話に近いものとしては、イースター島がある
んじゃないかなと思います。 あの島に住んでる人たちって
白人がやってきた頃には船を作る技術を殆ど持って無くて、
周りが海なのに漁を殆どしないらしいです。
たしかポリネシア人が数千キロを航海してやってきたと考え
られてますが、その高度な航海術がなんで廃れたのかが謎ですね。
>ocean さま

 はぁ・・・・なるほどなぁ!

 その研究、面白そうなので、是非、結実させてください。

>その高度な航海術がなんで廃れたのかが謎ですね
 
 この連想の続きで言うと、バリ島も漁をやるにはやるのですが、そんなに盛んではなくて、人類学者が調査に入った頃は6割程度の領地が農耕用だった、という話もあるのですが、あれも不思議と言えば不思議な。しかしバリの研究者はそれ自体が農耕研究者に偏っているので、バリの文化変容の歴史と、間氷期との関連などを付き合わせた研究を知らず、それをやったらそんなに不合理ではないのかなぁ?
 あと、オーストラリア先住民は初期農耕をやっていた、という研究もあって、藤原宏志さんなんかが一時、研究していましたが、3万年前の土壌から稲(正確にはそれと同型のプラント・オパール)が見つかってて、なぜその後にこれが根付かなかったのか、というのが一つの謎になってます。

 よく、不可逆な技術とか知識とか言って、それを「時代」論に結びつける論者も居るのですが、こうした盛衰史を見ていると、それが謎や不可解に見えるのは、僕らもいつの間にかその発想に嵌っているからかもしれませんね。
エッ!? オーストラリアで農耕があったんですか!?しかも3万年前!? 日本で農耕が始まったのは8千年位前ですよね? パプアニューギニアからケープヨークに農耕が伝わってたというならわかるのですがそれにしても3万年前にパプアニューギニアで農耕があったとは考えられないですよね〜。 でもほんの百年、2百年で文明がここまで来てることを考えると5万年の歴史で何があってもおかしくはないですよね〜。そのアボリジニの農耕について詳しく教えて下さい!
>shuujiさん
バリ島の事は詳しくないのであれですが、農耕に重点が置かれ
ていたって事はそれだけで人口を養えていたか、島が密集してる
ので近くの島との交易で足りない食料をまかなっていたのかも
知れませんね。 

藤原宏志さんの話は聞いた事がありますが、詳しくは知らない
ので今度調べてみます。
 お?!なんか、「学問・研究」コミュニティみたいになってきたぞ・・・ていうか、「学問・研究」コミュニティなんだけど(笑)。

>マーキー&oceanさん

 藤原さんのオーストラリア研究話の出典は、

藤原 宏志
1986「オーストラリア野生稲の考古学」、梅棹 忠夫監修『狩人の夢 オーストラリア・アボリジニの世界』神戸市スポーツ教育公社:82。
1998「自然環境と水田稲作」『稲作の起源を探る』岩波新書:176-179。
 
 に書いてあります(前者は図録なので、ちょっと手に入り難いかも。後者にはその後の研究も踏まえた考察が書かれていますが、「稲作の起源」そのものが焦点になっているので、オーストラリア先住民に関しては、余り書いてありません)。ただ、気をつけて欲しいのは、「農耕」といっても、日本人がやっていたような集約的な水稲農耕をイメージしないほうが良いですよ。あくまで、プラント・オパール法による遡及的推測なので、その実態はよくわかっていません(はっきり言えば、一部の遺構に稲の痕跡が見つかった程度です)。しかも稲の種類がジャポニカとかインディカとかとも違って、確か(今、手元に文献がないので)丈が数メートルあるような奴ですから、まぁオーストラリアも、特に東北部は熱帯雨林から温暖湿潤的な環境にあって、今でもパーマカルチャーの発想の源になった土地なので、一口に「オーストラリア先住民」と言っても、色々ある訳ですよね。

 この他、オーストラリア先住民の(上述の意味での)「農耕」や「焼畑」の考察については、以下の文献が入手し易いでしょう。

松山利夫
1993「オーストラリア・アボリジニの萌芽的農耕の要素」、佐々木高明編『農耕の技術と文化』東京:集英社:485-502。

 これはあの照葉樹林文化論の佐々木さんへの退官記念論集みたいなものなので、オーストラリアに限らず農耕文化への複数の考察が論じられています(Nacsis Webcatで佐々木さんの名前で検索すれば、農耕の起源に関するより相応しい編集本もあったはずです)。

小山修三
2002『森と生きる 対立と共存のかたち』東京:山川出版社:5-42。
 
 オーストラリア先住民の文化には、ブッシュ・ファイアがあるので、小山さんのは、そのブッシュ・ファイアを初期の焼畑として遡及的に推測したものです(もともと、オーストラリアの研究者による有名なタスマニア考古学があったものを踏まえています)。

 まぁ皆さん、余り根を詰めてcommunityの話題に引きづられても、自分の研究が立ち遅れますから、お気楽にね。特に研究者気質の方は、「誠実に」話題に引きずられて、疲れてしまい易い気がするので(笑)。

 ・・・
 
 と、書いた後(8:20)に、さっき自宅に戻った際に藤原さんのファイルを確認してみたところ、「約3000年前」と書いてあり、「0」を一つ読み違って、漢字変換しておりました(笑)。
 「色々」あったのは、オーストラリア先住民の世界ではなく、私の頭の中でした。いやお騒がせして申し訳ない(笑)。

 正確な情報を追加しておくと、その「野生稲」は、丈が「4メートル」もあって「穂にはモミがな」い、というもので、見つけた場所は「カカドゥ国立公園」の「イエロー川の岸辺」とのことです(この結論は、藤原1998でも変わりありません)。
>shuujiさん
確か、洪水になっても枯れない品種だったと記憶してます。
うろ覚えですが^_^;

あまり関係ないですが、稲作が一気に広まったのは水田稲作の
お陰じゃなくて陸穂とか焼畑の影響が大きいと言う調査結果を
インドネシアあたりの研究者(名前失念)が発表してるそうです。
水田だと狭い土地で収穫量も多くある程度安定した収穫が得られ
ますが、陸穂や焼畑だと広大な土地が必要で収穫量も少なく
早いサイクルで新たな土地が必要になる為だとか。
水田をやってる集団と戦争して土地を奪ってまで陸穂や焼畑を
やっていたそうです。

これが事実だとすれば、日本でも同じ事が起こっていたのかも
知れないなと思ってます。
>oceanさん

 「丈が4m」って、「どうやって収穫してたんだ?」って、想像力が膨らむよねぇ(笑)。
 
 へぇぇ、面白い考えですね。
 しかし、そんな不安定な収穫量だとすると、なぜにまたそこまで米に執着したのかなぁ(例の「(甘)味」でしょうか)。
 それと、他方で既に水田があったのも、面白いですね。

 日本で焼畑と言うと、宮崎県椎葉のが有名ですが、(別件で調査に行っていた事があるので知っているのですが、)今のは観光用に一部復活したものだから、ちょっとあそこからは想像がつかないなぁ(ただ、水田農耕地帯と違って、冬神楽で、冬至の日に、火を移す儀式が非常に重視されていたのが「焼畑」と相関しているようで面白かったです)。

 う〜ん、このトピックは一応自己紹介用のそれなので、この話を続けるとしたら、今度は「狩猟採集民から農耕民へ」というトピックでも立てましょうか(笑)?(オーストラリア先住民の歴史では、植民地産業に雇われる中で「狩猟採集民から牧畜民へ」という動きがありました。)
そうですよねー 3万年ではないですよねー。びっくりしました。そうですか松山先生もアボリジニの稲について本を出していたんですね。何回か話をした事ありましたがその話題がでてこなかったものでしりませんでした。しかし、野生の稲があったとしてもそれを栽培までしてたんですかね〜?もしそういう事実があればきっと歌としてその付近の部族に残ってるはずですよね。僕のお世話になってるところでは米をビラッタといってますがそれはマッカサンから伝わったものだそうです。アーネムランドはかなり昔からインドネシア、中国、日本とは交流があったと聞きましたよ。
>マーキーさま

 いや、お騒がせしました(笑)。
 あのあと、図書館に行ったので、赤澤威さんのモンゴロイド・プロジェクトの成果がそうとうまとまってて、この辺りの話は『モンゴロイドの地球2 南太平洋との出会い』がハンディですね。

 マッカサンが伝わっているということは、やっぱり北or東北部ですよね(鶴見良行のコミュニティがあるので、これからその話題も出るかもです)。僕がお世話になっているのは、中央沙漠地帯で、年間降雨量250mm以下なので、自然状態では「どうやっても」稲は無理です(笑)。

 藤原さんの限られた記述でも「野生稲利用の歴史はまことに古い」が「なぜ栽培するにいたらなかったかについては、今後より多くの分析が必要である」とのこと。まぁ、プラント・おパール法だけの研究からじゃ、そこまではさすがに推測できないでしょうねぇ・・・。

 ところで、一気に話を抽象化すると、「栽培」と「野生」を言説上対比して術語に取り込んだのはレヴィ=ストロース。そうすると、彼の『野生の思考』のモデルになっているのは、「やっぱり」狩猟採集民だということが、改めて分かりますね。 
>shuujiさん
浮稲性と言う性質をもったものがある様で、雨季などで水量が
増して来るとどんどんと丈が伸びていって、水面に穂の部分が
浮いた状態になるそうです。

・・・っと、やはり新しいトピ立てた方が良いですね^_^;
 凄いなぁ。

 いや、学問系のコミュニティで、変な論争にもならずこれだけ話が続くのって、珍しいんじゃないかなぁ(笑)。

 いやぁ、良い人たちが集ってくれた(泣)。

 やっぱり「狩猟採集民」に集う人間に悪人はいない(ホントか(笑)?)。

 で、ところで、10日ほど出張するので、このやり取りへの参加がしばらくできなくなりますが、どうか皆さん、居心地が良い様にトピック等、御自由にお立て下さいね。
 
 それではまた。
〉oceanさん なるほど!それならカカドゥ辺りの環境と照らし合わせてもなっとくいきますね〜。 僕的には栽培に至らない理由としては第一に宗教的な問題が挙げられると思います。しかしこれはかなり精神世界の話になっていくので今後、機会とあれば書き込みしたいと思います。。。 〉shuujiさん お気を付けて〜
>マーキーさん
 管理人、戻りました(笑)。

>oceanさん
 新トピック作成ありがとうございました。この話題はそっちに引き継ぎましょう。

>皆様
 新たにお二人の参加があったようです。原則的に、新たな参加者があった場合、その方の日記にご挨拶を書かせていただいているのですが、日記公開をしていらっしゃらない方には、いきなりメッセージもどうかと思い、連絡を取っていませんが、他意はありませんので、悪しからず。
 ごゆるりとおくつろぎ下さい。
 狩猟採集民のcommunityは閑散として空隙の多い社交空間です。
 どうも管理人です。

 この数ヶ月、仕事に追われ、mixiに入っても殆んどメールしかチェック出来なかったので、新しく参加された方々へのご挨拶も滞ってしまいました。

 上述しているように、原則的に、新規参入された方には日記閲覧が可能な場合、そこに挨拶をかねた書き込みをするようにしてきたのですが、最近は、メンバーも幸い33人と順調に伸びてきている半面で、誰が新規参加者だったか覚えきれなくなり(情けない)、また、日記閲覧が出来たに方にはメッセージをいきなり送りつけるのもどうかと思い、挨拶が出来ない方も出てきております。悪しからず。

 まぁ、もともと更新もボチボチのコミュニティで、農耕民が忘れた頃にいつの間にか動いている予測不可能性が狩猟採集民の良いところでもありますから、御海容に受け止めていただいて、お寛ぎいたければ幸いです。

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