ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

加藤周一コミュの私見では、(「孤立」を破る) 今日の鷲巣力さんのZOOM『朝日カルチャー講座 第一回目』の感想

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
今日の鷲巣力さんのZOOM『朝日カルチャー講座 第一回目』の感想

質問者とのやり取りで、鷲巣力さんが「日本人は「いま・ここ」という言葉に象徴されるものの考え方であり、且つ集団主義で、大勢順応だから、ひとりかふたり、少数の人間が違う意見を言うと『空気を読めない』と言われ、阻害される」「結局、そうすると、みんな同じ意見になるから、何も考えないでいい」「そうすると集団の大勢に従っていれば楽でいいから」「だから余計、個人が考えない、考えなくなる」(以上、大意、要約)

ここのところが、今風に言うと「刺さり」ました。日本が二つの意味で「孤立」している
。海流に阻まれ、島という地理的条件として「孤立」。それに加えて文化的にも「孤立」している。
外国人と日常生活の上で接する機会がない。外国人に見慣れていないから「恐怖心がある」。「日本語」が言語的に「孤立している」。

「日本文学史序説」には外国の文学が沢山、登場し、一部には、ペダンティック(衒学的・奇をてらう)と思われているが、それは西洋崇拝の為ではなく、日本の孤立を破るための方策であって、日本人、日本文学を海外の人に知って、理解してもらうためであります。文学史に外国の概念、知識を導入すれば、理解がしやすいからであります。

吉本隆明氏が加藤さんを「西洋乞食」といったことに言及されたが、そうではない証拠として、たとえば大抵の日本人は外国人と対談するとき、日本側では「そうです」「そうです」というが、加藤さんはそうじゃなかった。

例えば当時、飛ぶ鳥落とす勢いだった、ジョージ・スタイナーとの『世界』での例を引き、両者は、速記者が聴取不能なほど、白熱した議論、闘いだったとした。鷲巣さんが加藤さんから直接、あとから聞いた話として、最初にスタイナーが「英語」「フランス語」「ドイツ語」どれでも構わないと、加藤さんを馬鹿にした、挑発するような態度だったが、加藤さんも負けじと、どちらでも構わないのは同じだと応じ、けんか腰の対談が幕を切って落とされた。最初から、荒れる気配が垣間見えた。加藤さんは外国人を見下さないし、また拝跪するようなこともなかった。水平な人間関係に徹した(僕は、
先日のトランプと高市との関係をいま思い出している。真逆だ)。



私見では、(「孤立」を破る)。これがキーワードかもしれない。日本から世界に「日本」のことを発信することによって、孤立を解消し、破る。また、このことは、日本国内でも、有効に作用するのではないか? 孤立はメガロマニー(誇大妄想)を呼び込みやすい。あの愚かな戦争のきっかけは、それも絡んでいる。それは正確な観測や判断を妨げる。

『世界』 第345号・1974.8
https://kshu2.minim.ne.jp/gs.htm

同年12月
「文学と人間の言語―日本におけるG・スタイナー」加藤周一・スタイナー・由良君美と鼎談「西欧・社会主義・文化―「先進文明」の希望をたずねて」(慶應義塾三田文学ライブラリー)
https://kshu2.minim.ne.jp/gs.htm

https://kshu2.minim.ne.jp/digidepo_12442944_0001.pdf


コメント(2)

どうしたら「孤立」を破れるか?
「孤立」と「個人主義」は違う。集団に「個人」が埋没していれば(非個人)、一見よく似た共同行動はとれても、真の「連帯」は成り立たない。連帯は個人と個人の自由意志でのみ成り立つから。
樋口陽一先生は下記の記事で「個に徹し、時に連帯を恐れない」と仰っておられる。そこから始めようではないか
↑ 2016年6月9日 樋口陽一「人生の贈り物 私の半生」(*)(朝日新聞)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

加藤周一 更新情報

加藤周一のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング