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日本(世界)城めぐりの旅コミュのNo1.岩殿山城

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岩殿山城

通称 岩殿城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 小山田氏
築城年 1530年代
遺構 曲輪、空堀

以下、Wikipediaより・・・

岩殿山城(いわどのやまじょう)は、甲斐国都留郡郡内(現在の山梨県大月市賑
岡町)にあった城である。形式は山城で、標高634メートルの岩殿山に築かれた。小山田氏の居城であり、戦国時代には東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていたことで知られた。山梨県指定史跡(指定名称は「岩殿城跡」)。

戦国時代の1530年代に武田氏の親族衆の扱いを受けた小山田氏により築城された
と考えられている。大月は武蔵国など関東地方へ至る街道が交差する地点に位置し、甲府盆地と異なる地域的まとまりをもっていた。小山田氏は戦国時代に一時武田氏に対抗したが、武田信玄の傘下に入った。その後は軍事的に武田氏が相模の後北条氏や駿河の今川氏、武蔵の上杉氏らと抗争した際の衝突地点となり、国境警備の役割を果たした。

東西に長い大きな岩山をそのまま城にした。全方面が急峻で、南面は西から東ま
でほとんどが絶壁を連ね、北面も急傾斜である。東西から接近できるが、それも厳しい隘路を通らなければならない。各種の防御施設が配されたが、天然の地形のせいで郭も通路も狭く、大きな施設の余地はなかった。周囲には集落や武家館が点在していたと考えられている。

1582年(天正10年)に織田軍が甲斐に侵攻したときに岩殿山城は調略で開城し、
小山田信茂は処刑された。江戸に武家政権を成立させた徳川家康は、幕府の緊急事態の際に甲府への退去を想定し、江戸時代にも岩殿山城は要塞としての機能を保たれた。

岩殿山は修験道の場としても知られ、密教の修験者たちの信仰の場にもなった。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%AE%BF%E5%9F%8E)

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僕が岩殿城に行った時、麓の館で係員に聞いた話では、小山田氏は元々、都留の
豪族でそちらの方に居を構えており、岩殿城は砦の一つにすぎなかったらしい。大規模な居館跡などは発見されていないので烽火台兼砦のようなもので、常駐軍もいなかったのではないかという話でした。

僕のイメージでは小山田氏の本拠地として、山頂に館を構えて睨みを利かせてい
るというモノだったのでちょっとガッカリだったけど、この山を登るのはかなり疲れます。流石は日本三大山城と謂われるだけはある。
僕が行ったときは、雨上がりの日だったので写真に靄がかかってるけど、晴れた
日に行ったら眺めは抜群だろうね。因みにこの山にはマムシがいるようなので注意です!
僕は帰り道の小道で、嫌な感じ(第六感!?)がしたので、あたりを見回したら
、横の石垣でとぐろを巻いてました・・・。あと一瞬気付くのが遅かったら、飛びかかられてましたね。

写真?:城の縄張り図
写真?:麓の資料館
写真?:山頂より麓の中央道をのぞむ

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