ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

古事記・日本書紀コミュの古事記・日本書紀をディープに語ろう\(◎o◎)/

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
神話に書かれていることが虚偽かどうかは
関係ない(>_<)

単純に面白い神話をディープに語りましょう。

例えば…
伊邪那美命は出雲の比婆山に葬られたという古事記。
熊野の有馬村に葬られたという日本書紀。とか、

大国主命(大穴牟遅命)は三度暗殺されそうになった。
一回目は赤い猪を捕ろうとしたが
それは巨岩の焼石で焼ただれた。
母の刺国若比売は貝の神の体液と粉砕した殻を混ぜてつくった
母の乳汁を亡き息子に塗りつけて蘇生させた
次に…

みたいな深い談義してみませんか。

もちろん中巻下巻の天皇さんの時代でも構いません。

深すぎる談義をしましょう(^o^)丿

コメント(72)

>>[29]
びっくりです。古事記の国譲りに海に行ったきりになってしまった大国主の息子さんはいましたが、恵比寿様とつなげた説は初めて読みました。

蛭子 恵比寿 エビス様は本当に何者なんでしょう。

七福神を作ったのは、一休さんと言う想定で書かれた本「七福神の謎」という本を読んだ時、ヒルコー蛭子ー恵比寿と書いてありました。

シングルモルトさん。はじめさん。トピックにご参加ありがとうございます。

大黒さんは大国主神が想定されてますが
恵比須さんは知っている限りでは
水蛭子
事代主神
少彦名命の3名ですね。

3名を結ぶのは海です(´ω`)
水蛭子は不倶児で生まれ葦船で海に流されたのちに、海の申し子となりました。
大国主神と神屋楯比売の間に生まれた事代主神は、国譲りの際に鹿嶋の建御雷神が交渉したとき。鳥遊・取魚を美保の岬でしていましたから漁労の神とされています。
少彦名命はカガイモの殻を船にして外国からやってきた神様。大国主神のよきパートナーです。
>>[35]
私、七福神って好きなんです。いろいろな国の神様がひとつの船に乗っている絵なんて世界平和という感じがします。
製作者はともかく、神様を7人まとめた、その考えそのものが日本人らしく思います。

建御雷 怖いですね。相撲の始まりと言われる戦いの時、手が氷の剣になったりするんですよね。
>>[36]
少彦名命は一寸法師のモデルともいわれていますね。
小さくても大国主命の大切なパートナーでした。
そういう意味では 大国様のモデルが大国主の命なら 隣にいるのは少彦名命といえますね。
>>[038]
大黒さんの相方は鯛を抱えた恵比須さん。そう考えると少彦名命が妥当でしょう。
有名な神社の恵比須さんは大抵事代主神を祀ってます。
(今宮戎神社、十日恵比須神社、長田神社、美保神社)
ただ西宮神社の恵比須さんは蛭子神が祀られています。
>>[039]


その西宮神社のある西宮市の隣 芦屋市の海側に
打出小槌 と言う地名があるのが面白いですね♪

京都 祇園にある
ゑびす神社の祭神は耳が遠くて 拝殿でお詣りしても聞こえないので 拝殿の横に回って板を叩いて大声で願をかけないと叶わないと言う… ユニークな参拝方式です(笑)
>>[040]

地名に打出小槌(笑)おもしろすぎるわ。
神社は本だけ見るより
直接行ってみるのが一番です。
恵比須さんが難聴(+_+)蛭子神なら納得できますね。おもしろすぎました(´ω`)
神社コミュじゃないのですが、大国主繋がりで書いてみて良かったです。
皆さんの話で、たくさんの恵比寿様の話を知ることができました。
ありがとうございます。
楽しいけれど怪しい本も読んでいたようです。(*^_^*)

今読んでいる本に「地図と写真から見える!古事記・日本書紀」 トピ主ササーヌさんの提起してくれた日本書紀の伊邪那美が葬られたところの神社が載っていました。
熊野灘に面した浜辺の断崖の写真と共に
神社の説明か、地元のPR記事だと思う文が載っていました。

日本書紀の一書(別伝)では伊邪那美は紀伊国の熊野の有馬村に葬られたと記す。
巨大な岩をご神体とする花窟神社(ハナイワヤジンジャ)が葬地だとされ、記事では住民が花を供え鼓や笛の演奏に合わせて歌舞し、霊を祀ると語っている。
神社では年に二回、それを再現するように、花で飾った綱をご神体にわたす「お綱掛け神事」が行われている。
すぐそばに迦具土を祀る王子塚もある。
私も神事をちょっと観てみたい。

と書いてある一方、別のページの古事記と日本書紀の違いを書いたところには、
書記の本文では伊邪那美は死なず、迦具土の登場は無く、伊邪那美が天照も月読も須佐之男も出産する。‥省略‥別伝にはに古事記と似た話も載せるがあくまで異伝扱いだ。
と書いてあります。
そうなると、やっぱり人間臭い神様たちの出演する古事記の方が面白いです。
>>[044]

何なんでしょうね。日本書紀のあくまでも、一書は別伝だからあまり信じなくていいみたいなスタンスの研究者が多いのは(怒)
ぼくはもっと一書は格の高いものとして扱うべきだと思います。
だって舎人親王をはじめ、当時の一流の知識人が、氏族に伝わる伝承を取り調べ、精査し、厳選した神話が日本書紀なんですから。

国書の格であり、当時の海外は日本にとってアジアだけであった。
漢文で伝わるように書き記したのは世界を意識して書かれたものだから。

本文は異文化の人でも理解できるだろうとレベルを落とした神話だと思うんです。

熊野の有馬村に葬る。
花をもって祭り、笛や旗を降って舞い踊るという慰霊を行っていたというのは
純日本はしめやかによりはむしろ賑やかな葬儀を好んだのではないでしょうか。
大国主命は須佐之男の5,6代後の子孫?

その大国主命オオナムチが須佐之男の娘と結婚するときのお話。

根の堅州国に着いたオオナムチは スセリ姫に一目惚れをしました。

「お父様、私の夫にぴったりの 麗しき男性が訪ねて来ました。」

「なぬ、そいつは 葦原色許男(女好きの事?)じゃ。 

もう、わが娘に手を付けるとは 腹が立つ。

そうだ、へびの部屋に泊めてやろう。」

スセリ姫はオオナムチに こっそりと布きれを渡しました。

「この布を振ると 蛇が寄って来ません。」

布きれのおかげで眠ることができました。

次の日は、ムカデと蜂の部屋に泊められました。

ここでも 布きれのおかげで 刺されず寝る事ができました。

「うーん、なかなかやるな。そうだ、外に連れ出そう。」

外で 矢を放ったスサノオは

「おい、色男、あの矢を 拾って来い。」

「はい。」

相変わらず、素直なオオナムチは野原に放った矢を見つけに

行きました。

すると、スサノオが火を放ち、

オオナムチはあっという間に火にかこまれてしまいました。

もう駄目か、と思った時、ネズミが出てきて言いました。

「ホラ ホラ、ズブ ズブ」

オオナムチが一歩踏み込むと、ズボッっと 野ネズミの穴に落ち

炎を避けることができました。

子ネズミたちが スサノオの矢を持ってきました。

「お腹がすいて、少したべちゃった。」

オオナムチが かじられた矢を持って、スサノオの屋敷にもどると

スセリ姫が泣いていました。

オオナムチの帰還に びっくりしたスサノオのですが、

結構、見込みがあるかもな。と思い始めました。

「おい、色男、私のシラミを取ってくれ。」

快く引き受けた オオナムチも びっくり!

スサノオの頭には ムカデも… ぞー・・・プルプル

スセリ姫はこっそりと、木の実と 粘土を渡しました。

木の実を噛んで 粘土と混ぜて

カリ、ポイ ベチャ。カリ、ポイ、ベチャ。

「俺のシラミを取れるとは、大したものだ。うんうん・・・・・」

頭をさわられて、気持ち良くなった スサノオはウトウトと眠ってしまいました。

眠った間に スサノオの髪を柱に 縛りつけ、

家宝の 太刀 弓矢 詔琴を持って、スセリ姫と手に手をもって 屋敷を逃げました。

駆け落ちですか。若いですね。

ところが、出口で 琴をぶつけてしまい、大きな音を立ててしまいました。

大きな音に 目覚めたスサノオは 

柱を引っこ抜き 二人を追いかけました。

「おのれ!俺の大事なものを 持って行きおってー。

娘も、宝も お前にくれてやるから、

馬鹿な兄共を退治して 必ず娘を幸せにしろよー。」

あー。親の心ですね。どこの父も 娘を取られる時は 

こんな心なんでしょうね。  ・・・父を思い出します。 (T_T)


二人は兄たちを やっつけて 出雲に 大きな屋敷を構えました。

ところで、ヤガミ姫は?

ヤガミ姫も オオナムチの子を産んだのですが、

本妻のスセリ姫が怖かったものですから、

木の股に子供を置いて因幡に帰ってしまいました。

他にも 嫁を取ったそうですよ。

越のヌナカワヒメ、宗像神社のタキリヒメ、カムヤタテヒメ

結婚は国土拡大のためだったかもしれません。

最良の相棒、少彦名命と出会い、国を作っていきました。


                        
前回の書き込みから一年以上経っているので独り言として。古事記の成立時代の背景もあり、月読命より女性のアマテラスを優先させるがため、月読の伝承は省略された…のはないでしょうか?
>>[047]

私もツクヨミ様が好きで、
何で??
アマテラス様とスサノウ様はメインキャストなのに

右目から生まれた次男君が全く影が無いのは…

おかしいです!

太陽晴れと月三日月は陰陽として大切にされてるのに…(怒)
当時の大君様達には、都合悪かったのかなぁ〜?
?な事があります。

イザナミ様が先に声をかけたら
国産み失敗します。
イザナギ命が声かけると
国産み成功します。

それって、男性が上って感じですが、

(今の所皇室も男系男子!絶対)
みたいな所ありますが、
では?
Why?アマテラス様という女性が一番なんですかね?

そこにも政治的な事があるのかなぁ〜


それと!
スサノウ命は“母に会いたい!!"って
泣きじゃくって、イザナギ命に追放されるけど

イザナミ命様から逃れて、
御祓して産まれてるから、
スサノウ命にとっての母って?誰?

すみませんm(__)m
ディープなお話ではなかったですm(__)m
>>[48]

はっきりは覚えていないのですが、
確か古事記の天孫降臨の際ニニギノミコトが語った言葉の中にあったはずです。
出雲に近いからか
うちの近辺には古事記、日本書紀に因んだ神社や場所などが沢山ありますウッシッシ
トピ主のササーヌさんが書かれている大国主命が騙された巨岩の焼き石
これも鳥取県南部町にある
「赤猪岩神社」で祀られています。
この世にあると災いを呼ぶので、地中に埋められ、上に大きな石をいくつも乗せて封じてあります。

>>[50]

明治神宮宝物殿に歴代天皇の肖像画が掛けられているのですが、それを見ると、平安時代くらいまでの天皇に女性が多かったのが分かります。いわゆる男系天皇が世界一長く続く日本の天皇家、というのも、その後からなのでしょうね。それだけ天皇家は長く続いている、とも言えるでしょうし。
天皇ではないですが、応神天皇のお母さん神功皇后は、臨月こえたお腹の妊婦なのに、神託を聞いたからと甲冑を着て自ら出兵しに行きました。なので、男性女性という捉え方が、今と昔では違って居たように思います。性別よりも、立場が優先される時代だったのかなあ、とも思います。
>>[50]

スサノウ命は“母に会いたい!!"って  ......以下略

確かに。イザナミ奥さんから汚れをぬぐい去る為に、イザナギ旦那が禊ぎ払いした時に生まれたのがスサノオ子供なのだから、イザナミを母親というのは疑問が残りますね。今まで気付きませんでした。付いた汚れの素ということで、イザナミがお母さんということ?
まあ、そこら辺りは、古事記ということで、おおらかに見てください、ということかもしれませんね。
>>[053]


神功皇后は大正年間までは天皇とされていました


『記紀』が主に伝えたい内容として 現在の第125代・今上殿下まで繋がる 万世一系の天皇家の系譜です

その歴代天皇の漢風諡号を付けたのは 奈良時代後期の淡海三船なんですが それにも何らかの意味があるのではないか… とも伺えます

ポイントになる大王が何人が居ますが 特に

初代 神武
10代 崇神
15代 応神
それから現在ではカウントはされてませんが 神功皇后

この4人だけ“神”の文字が付されています


このコミュニティで出す話題ではなかったのかも知れませんか
( ̄▽ ̄;)
ちょっと面白い話かな… と思いまして(笑)
>>[53]
横からスミマセン(;´∀`)
男系の天皇、というのは父方の血筋(父の父の父の…)を辿っていくと初代神武天皇にたどり着く天皇のことです。
どの天皇も父を辿った先祖に必ず天皇がおりますので、すなわち2代目以降歴代の天皇は男女に関わらず全て男系天皇なんですよ(*´ω`*)


>>[50] ものすごい前のコメントに返信で申し訳ありませんあせあせ(飛び散る汗)
月読のストーリーが少ないのってやっぱり気になりますよね。昼の太陽と夜の月は相対するもののような気がするのに・・・。古代人にとって昼の太陽と対するものは黄泉の国だったのかな??

さて、声をかけるのが男性が先というのは、歌垣の影響かな、と思います。
正確には歌垣に残っているように、婚姻は男から女へアプローチするものという民間の意識の問題とか。
で、子どもは現在みたいに個人の子というわけではなくそのウカラのもの(アフリカの少数民族で今でもそういう文化の民族いますよね)だから実際イザナミからうまれてなくてもその婚姻した間のウカラ(イザナミとイザナギしかいませんが)として扱われる、みたいな。
>>[57]

日本書記をみると

ある本にはこう、ある本にはこうと書いてあります。

発掘調査をすると、出雲と大和は別の文化です。

でも、出雲の話をかなり混ぜてある。

日本書記も古事記も、今の天皇と繋がっていない天武系天皇と藤原氏が自分達の都合の良い話を作ったもの。

沢山天皇は出てきますが、普通に歴史を研究してる人で神武がいたとか、海をかき混ぜて日本が出来たとか考えてる人はいません。

とりあえず、本当に継体が大王の子孫かわからないというのが一点。

継体は手白香皇女と結婚する事で入り婿して前の政権と繋がっている。つまり女系で繋がる。

天武は天智の娘を妃にして繋がる。

光仁は、記紀から離れますが、妻が天武系。井上は失脚したので今の天皇と奈良時代の天皇は他人ですが。

あまり古い話は言い伝えを書いただけなので現実と繋がるのは天武近辺の話と考えられます。

と考えると、昔は女系でも気にしなかったと思います。

明治政府はスローガンが好きだからバンセイイッケイとか言ってましたがね。

女系は駄目なんて、武家の思想が混ざってると思います。
>>[59]
私の論点は「女性の天皇が多かった」ことを女系だったという解釈に繋げておられることに対して、その前に言葉の定義として「女性天皇」と「女系天皇」は全く異質のものですよ、そういうことではないですよ、という点の指摘ですのでご理解を…。

私も記紀は原文から目を通しておりますし、考古学も多少はかじっておりますのでテレジアGさんのおっしゃることも推論としては理解できます。かくいう私も皇統の途切れについてはその可能性が高いと認識しております。
ただここで気をつけなくてはならないことは、学問的には未だ推論の域を出ていない(皇統が途切れているという確たる証拠が歴史学的にも考古学的にも見つかっていない)ということと、学問調査や実際の事実がどうであったかは無関係に、記紀に書かれていることが「真実」として1300年間受け継がれたことで現代の日本国の基盤に繋がっているという現実。
推論と学問的結論と真実の違いを混同しないように私も気をつけたいと常に考えております。
>>[60]
ただ、古事記、日本書記はまるごと信じる人はまずいませんよね。

という事は推論なくして語れない。

で、私が、書いた話は、日本書記をみると女系で前の天皇と繋がるケースが結構あるよ。という事実。光仁の場合誰かが女系で前の天皇と繋がりたくなかったのか、井上が陥れられた為に奈良時代の天皇は今の天皇にとって他人という事態に。

勿論日本書記の記述はあてにならないというなら推論なんでしょうが、信じるなら、昔は女系でついでるケースがあります。これは推論ではないです。

なので、勿論日本書記に全然信ぴょう性が無いと仮定すると、確かに推論ですね。
男系だけが正統という

男尊女卑

結構ですね。

秋篠宮の子が男を産まなかったら天皇家滅亡

私は天皇いらないから大賛成です。
>>[62]

自己紹介どもです(。>��<。)

トピの本筋からはズレてる気もしましたが、少し気になったもので…。

「男系」という言葉の字面上つい「男尊女卑」を連想してしまいがちですが、男系継承の本質は「徹底した男性排除」です。もしここにどうしてもジェンダー論を持ち出すのであれば「女尊男卑」となりましょうか。

皇統が皇統である所以は、皇統以外の男子を受け入れないことにあります。(実際の血統問題とは無関係のためここでは敢えて触れません。機会があれば別の機会に。)

分かりやすく説明するならば、女性でありさえすれば誰でも皇族になる方法があります。一方、男性は皇統男子でない限り皇族になる方法など存在しません。

天皇は皇統の人間でなければなることはできないため、歴代天皇は全て皇統男子または皇統女子です。

確かに、近代の皇統女子には皇位継承権がありません。しかしその理由は男尊女卑などという単純・短絡的なものではありません。

理由は大きく分けて三つあります。

一つ目、皇統以外の男子を受け入れないが故に、もし皇統女子が天皇になった場合は、生涯未婚あるいは皇統男子と結婚しなければなりません。実際、歴代女性天皇は全員この鉄則に該当しています。
近代的倫理観に鑑みるならば、このようなことを強いられざるを得ない立場に女性を追い込むことのほうが問題となるでしょう。従って近代的には寧ろ皇統女子への皇位継承のほうがあってはならないことなのです。

二つ目、天皇の仕事が激務すぎること。国事行為もかなりのハードスケジュールですが、本業である祭祀も年に何百回と非常に多いです。特に祭祀においては天皇以外の代理を立てることはできませんし、日程の変更もほぼ不可能です。女性であるが故に必要となる生理休暇や産休、育児休暇などを取ると、その間祭祀ができないことになります。(実際、歴代女性天皇において問題となっています。)

三つ目、そもそも祭祀には「穢れ」を持ち込めないということ。(「穢れ」とは外見上の汚れではないので注意。) 女性は、人の誕生や血液に関わることが多いため、これらの期間は、肉体的健康とは無関係に祭祀に携わることそのものができません。一般の女性や怪我をした人などもこれらの期間は神社参拝など控えるべきですが、宮中は特に厳格です。女官さんがうっかり訃報を受け取ってしまっただけで放射能汚染レベルの大騒動になるほどです。

これらの事情により、近代においては女性が天皇になることはありません。しかし、天皇には皇統男子がなることに対して、神宮の斎主には皇統女子がなります。将来的には愛子内親王が斎主となることでしょう。こちらは逆に皇統男子がなることはありません。

これらを総合すると、皇位継承をはジェンダー論で語れるほど単純ではないということですね。
>>[63]

ジェンダー論とかじゃないんだな。

語られている理由は全て宗教的なもの。

信仰していない者、つまり私が聞いてもさっぱりぽんですわ。

大体そんな理由なら何故、斎宮斎王は女性なのか説明がつかない。彼女達も生理はある。

体力をいうなら、年老いた今の天皇より、若い女性の方がありますよ。

それに穢れの概念だって変化してます。昔は、出勤途中に死骸を見たら物忌み、夢見が悪かったら物忌みですわ。男も日々穢れる危険はある。

あと、天皇も、女系で継いでる可能性があります。継体は、今ならバラエティーに出てるなんちゃらと同じ。ヘタしたら、天皇の子孫というのは嘘かもしれない。

だとしたら、手白香皇女という人が天皇じゃない人と結婚して、という事かも。

記録が書かれたのは、天武系天皇の時代。天武系天皇に都合のいいことしか書いてません。

あと、元明は、天皇ではない人と結婚した未亡人。

皇位継承権は、昔は天皇の息子で、母が皇族でなければならなかった。従って身障者も多かったとか。

それが皇孫でも良くなったり、時の権力者の娘の子でも良くなったり。

まあ、今の国際基準は、女性が継いで、婿をとって女王になる方向です。

卑弥呼もアマテラスも女だよね。

アマテラスが孫に継がせるのは持統天皇が孫に継がせるという異例の事をしたから。やりやすくなるようにする為作った話ですよ。

まあ、

一番言いたいのは

女性じゃダメというなら

秋篠宮の子が

男を産まなかったら

男じゃなきゃダメなら

絶滅


という事実。

天皇好きな人は、自分でクビを絞めている

という事実。

そして天皇は別に必要ない

と考える私にとって

絶滅して廃止してもらった方がありがたい

という事実。

以上です。

なにしろ、
>>[64]

信仰云々や好き嫌い云々といった個人主観は人それぞれですし、それはそれでよいと思いますよ。

私の指摘は、サジ加減次第で男尊女卑とも女尊男卑とも言えるものに対して、それを言うならどちらとも言えるんじゃない?という点のみですので、好き嫌い趣向信仰などはそもそも論外です…。

あるいは単に個人的なイデオロギーを主張することで自己顕示欲を満足したいだけなのであれば、指摘した私が野暮でしたということで終了ですが(;´Д`)
別にイデオロギーなんてないですよ。

事実を述べただけ。

そちらこそイデオロギー、それも現実と乖離した事書いてますよね。

例えば仕事が大変だから女には無理?

世界中に女性大統領がいますが彼女達の方が余程忙しい。

今の天皇は良い人だけど、なんせ年を取って入退院を繰り返してる。休んでばかりなんですが?
念のため書いておきますが

ここは記紀コミュ。

当然つくり話が沢山書かれた書物で事実を記録した本ではない。

天皇は、最初は大君

大君、君、大臣、臣、大連、連など豪族連合、大和朝廷の一員が大君ぐらいわかってますよね?
男系相続とは、端的に言えば「y染色体」の遺伝系列にいるかどうか?
だよ。

女子には絶対に遺伝されない「男性だけの遺伝子」
このタネをもっているかどうかが、男系血統のキモなのだ。

女子がどんなに高貴な血筋でいても、持っていないものは持っていない。
女子は所詮、「産むための機械」でしかないから、
男性遺伝子を伝えるための道具でしかない。

それが、男系という考え方だよ。

女性天皇なんか便宜的な一時しのぎだし、
ある時点で皇統が絶えたら、
どこかに男系を持っている人物(例えば皇族を外れた皇子とか)を連れて来て、
男子を産ませる。
その男子は、なんとか「男系の血」を維持できるから、
次代の天皇となる資質を持つ。


まあ、そんなことが実際に古い時代に行われたか?
今さら何の価値が有るのか?
というのは別問題だけどね。
>>[69]
その通りですね。

信憑性について論じるならば、記紀に書かれた内容が考古学的に裏付けられた例は多数ありますが、その逆はありません。

ただし、ここで注意したいことは、記紀は同人作家が個人の思想で書いたものではなく、西暦700年当時の朝廷が作らせた「政府公式見解」だという点です。
日本国にとって「真実ということにした」ものなわけですから、それに対して「信憑性」を論じることは全くもってナンセンスなのです。

むしろ、シラスとウシハクの使い分けや「天皇にとって民は宝である」という発想そのものが既にその時代に存在していたことを読み取ることで、日本人らしい政治感や美徳感の起源の古さに感銘を受けるべきところでしょう。
(西洋においてこのような概念が出てきたのはつい最近です。)

もちろん実際に天皇が民を宝と思っていたかどうかはまた別の問題になりますが、少なくとも歴代天皇の四方拝の内容や亀山天皇や昭和天皇の「我が身はどうなってもよいから民を」という逸話、先の震災における今上陛下の振る舞いなどなどから察することができるのではないでしょうか。

ログインすると、残り41件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

古事記・日本書紀 更新情報

古事記・日本書紀のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。