ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

古事記・日本書紀コミュの「蛭子」の正体について

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
長年、「蛭子」について疑問を抱いていたのですが、ベスト新書の「天皇家はなぜ続いたのか」(梅澤恵美子 著)を読んでいて、「こう考えられないか?」ってのが出てきたので、皆様のご意見を伺えれば、と思ってトピを立てさせていただきます。

「蛭子」って、恵比寿様と同じとされていますよね。神道の思想から言えば、強い恨みを抱いて無くなった人物を神とあがめたて、祟らないように祭るわけで、「蛭子=強い恨みを抱いて死んだ人物」なのかな、と。そして、「女性から声をかけた=ヤマト政権のうち、女性系統の人物」なのかな、と考えていました。結論として「ヤマト政権のうち、女性(皇后)系統の人物が男性(大王)系統の人物と争って負けて、強い恨みを抱きながら死んだ」と推測しておりました。


ここで、冒頭に上げた本。内容としては、「神功皇后は、大和政権の政略の中で強い恨みを抱きながら死んだ女性ではないか」と。そうなると、国産み神話の中に蛭子の話が出てくるのもよく分ります。また、本の中では神宮皇后が日本海側を海伝いに逃げてくる話もあって、蛭子が海に流された、って話とも噛み合うのです。
そもそも、わざわざ「女性から声をかけたから骨の無い子供が生まれてしまって、海に流した」って話を天皇家の成立神話の中に入れる必要は無いわけで、「古事記が神功皇后と蘇我氏の恨みを慰撫しながら、なおかつ藤原家に都合の良い歴史を定着させようとしたもの」と解釈すると、なるほど合点がいくなぁ、と。


ま、この本の説が通説になるには、いくつかの問題があるとは思っています。が、とりあえず、「蛭子=恵比寿様」が古事記に出てくる理由として成り立つなぁ、と思って考えてみました。
ご意見伺えれば嬉しいです。

コメント(27)

先ず始めに古事記は立体的に読むとその姿が見えてきます。

そして物語はそれぞれが独立したものではなく、互いに関連し合い、補足し合っています。
そうでないと今言われている疑問が解けなくなります。
蛭子も同様で、恵比寿様としても親しまわれています。そして恵比寿様は、別名を持っています。その一つが少名彦名神であったり、ヒコホホデミ命であったり、また事代主神であったりと様々な別名で呼ばれているのは、蛭子を説明する上でヒントになります。
ヒルコの問題ですが、いつもヒルメとの関係が問題になりますね。もしこの対比が成り立つと当然、「太陽の子(太陽の船)」「貴種流離譚」といった話題に発展していくわけですが・・・
「ツクヨミ」「スサノヲ」との関連で消された太陽の子、といったテーマも、かなり怪しいながら、説得力はありますね。
蛭子=不具の子だったという説は俗説なのでしょうか…?
最初に産んだ子が不具だったので、海山に捨てるという神話は、世界中あちこちにありますが、この古事記の話はさらに色々な要素が絡み合っているようです。
もう一つ書くのを忘れました。

最初の「伊邪那岐命と伊邪那美命」の章で淤能碁呂島の冒頭にでてくる言葉は天津神の御神勅が出て来ます。曰く、「この漂える国を修め作り固め成せ」という言葉です。

この御神勅は、「漂っている」状態、つまり蛭子を表しています。そしてそれを一人前にすることが淤能碁呂島です。

ですから古事記の目的は、この一点に集約されていると言っても過言ではありません。これ以降の物語もこの目的のために書かれています。様々な物語の展開を通して。

従って二神(伊邪那岐命と伊邪那美命)の働きは、我々の意識の中に今でも息づいています。この御神勅を成すために。
 直接蛭子とは関わらない小さなことかもしれませんが、ひとつ。「強い恨みを抱いて亡くなった人を神として祭る」というのは神道の思想、と直に言うにはやや語弊があります。それはいわゆる「御霊信仰」の思想で、その発生は古事記の時代よりもほんの少し下った時代だったはずです。接点としては微妙な頃ですが。
 この場合、説の柱のひとつとなっている「怨恨を抱いた死人を祀る」の確立が難しいかと……。他の上代文献(万葉や風土記、書紀等)でその条件に当てはまる類の記事があれば、説得力も増すとは思いますが。
 蛭子やエビスを考えるときには、「海」という存在もキーワードになるかと。海は異界と往来する場所で、そこから寄り来るもの、そこから去るもの、が古事記の中でも存在感を持っている特別なものですので。
 
 大分話がずれてしまいました…。 
はじめまして

古事記を考察するうえで大陸文化との兼合いも配慮すべきである。

いわゆる中崋思想とも言うべきモノである。

巍志倭人伝の記載が示すように卑弥呼の時代から大陸との交流は歴史を考察するうえで無視は出来ない。

えびすという音には現在でも東えびすという言語が残っているように蛮、狄と同様の蔑称でもある。

また胡人という西方の人間をさす胡という文字もまたえびすとも読む。

土着の民に対する蔑称そして名を奪われた者(おそらく違う言語=異民族)の恨みをしずめるための恵比須であるのではないか。

少彦名という名もしくは事代主という名がえびすの存在を示す中には片言という意味が隠されているように思えてならない。

少彦名=少ししか言葉の通じないモノ、事代主=通訳者。

羊太夫の伝説が語るように中央政権と地方豪族のつながりは密接であり複雑なモノであったろう。

各地にえびすが漂着した伝説が残っていることから流されたものは一人ではないとも考えられる。

女系と男系の皇統争いというモノより植民地支配の難しさをあらわしたものであるのではないか。

やはり同じように葦の舟で流されたアワシマとされる淡島神が祭神を少彦名と出雲の大国主とされていることにも注目すべきではないかと思う。
そんな解釈しますか。
私は西宮戎神社が大好きです。
夷という文字は大と弓からなり足を踏ん張って弓を射る人の形を表し古代中国東方の異民族をさしたものとされる。

西宮戎の 戎という文字も戈と鎧の意味であり古代中国の西方の異民族をさしたものだ。

えびすという意味には目をくり抜かれ舌を抜かれ手足を切られたモノという意味すらあると聞いたことがある。

そこから不具の者を意味するようになったと。

残虐な扱いをし怨んで死んで行ったものに対する畏れと呵責が神として崇めさせたものであろう。

いずれにせよどちらも戦いから来ている文字である。

古代国家の成り立ちの際の争乱を想起させる言葉ではある。
サルタヒコについて言及しておられる方がありますが、ヒルコもさることながら、サルタヒコは日吉信仰との関係からもどう見ても太陽神ですね。それが本来は巫祝者であるアメノウヅメに圧倒され、またその親分になっているアマテラスも、本来男神であったのが、巫祝者である女性の反映で女神に転化している状況を考えると、どうも日本においては古来男性の太陽神というのはあまりメジャーではないのかもしれませんね。
分からないなら声に出してその音を噛み締めたら如何でしょうか?
古事記が口承文学ならその音こそヒントでは?
前後の文を10回くらい声に出して読んでみれば掴めるのでは?
みなさま、書き込み、ありがとうございます。(正直、ここまで色々書き込んでいただけると思わずにトピを立てました。)

ヒルコ・ヒルメの対応の話とか、いろいろと不勉強な点が分りました。


>sakuyaさん。
まぁまぁ、落ち着いてくださいませ。少なくとも、トピ主自身は、純粋に歴史の問題として興味を持って古事記を読んでおります。大学で政治学を学んでいたので、どうしても政治史的な発想になってきますけど。いろんな見解が沢山出てきた方が、刺激になっていいと思いますよ。


>つららそーど2.96さん。
御霊信仰が古事記の時代にはまだ確立していなかった、というのは不勉強でした。ただ、古事記になぜ国譲りの話が出ているのかって考えると、御霊信仰のプロトタイプ的なものはあったのでは?って思わなくは無いですが。
もしくは、逆に、古事記の編纂時期が後ろにずれたりしないでしょうか?編纂されたとされている時期に比べて、世の中に出てくるまでに、かなり時間がかかったのではなかったでしたっけ?
 ベドウィン・ピエロさん
 そのご指摘のとおりで、いわゆる御霊信仰の発生は少しずれるか被るくらいのあいまいな時期ですが、その素地はあったと考えてもさほど差し支えはないと私も思います。ただそれが「どこまで」のものであったか、を考えるときに他の上代作品とも照らし合わせないと、感情が先に行ってしまうと思うわけですね。
 もう少し「御霊信仰」に近いもので確実な例があれば良いのですが…。
 国譲りに関してはさまざまな角度からの多くの論文がありますが、メジャーな解釈としてはやはり天孫降臨に関わるもの、というものが多いように感じます。ある意味では、「プロトタイプ御霊信仰(と便宜上言いましょう)」を考証を経て古事記解釈に加えることは、ひとつのアプローチと成り得るのかもしれません。
 古事記は序文(これは正確には上表文であるとか、むしろ偽作であるとか言われていて問題はありますが)に書いてあることを信じるしかないわけですが…。私は古事記成立論の勉強をしていないので、もしかするとご指摘にあるようなことが起きているかもしれません。
 古事記は、成立翌年から宮中で講義されていた日本書紀と違って編纂されて以来かなり長い間埋もれていた書物ですから(最古の写本と言っても1300年代後半)、さまざまな可能性があって然るべきだと思います。
 けれど文体の上代仮名遣いの正確さなどから言っても、あまり大きな時代の前後幅は望めないでしょう。
 ただ、ご指摘の「プロトタイプ」については、十分考察の余地があると思います。これは、面白い視点かと。
 
 と、また長くなってしまいました。
 反応をいただけてちょっと嬉しかったです。
>sakuya様
私は何も意見する気はなく書いたまでですよ。
勿論例のトピックは削除予定です。
ひじょうに遺憾なのは記紀神話を直ぐに騎馬民族の侵攻説で片付ける点です。
どうやって彼等は小さな船に何十頭の逞しい騎馬を運んだんでしょうか?
その回答すら出てないのに騎馬民族で片付けられてしまう現在の学者達を私は信じられません。
私にとって戦前の説が大切だと確信する理由、それは前原や福岡から出てくる遺跡や古墳が戦前の学達が実際に歩いて立てた説が今頃によみがえっているからですよ。
また日本語は英語やフランス語イタリア語と違って1000年以上前の文献が活字体で普通に読める数少ない特別な言語です。
それをよく声に出して反芻すれば自ずと意味は感覚として入ってくるのではないでしょうか。

さて私自身は周囲からは精神年齢5歳とか小学生とかよく言われる性格なので「ガキが馬鹿犬並みにこんなに吠えている」とでも思っていただけたらよろしいかと思います。
皆様、お返事その他、ありがとうございます。
すっかりお返事が遅くなってしまいました。
(いや、別に僕のお返事を待っていただいていた方がいらっしゃるわけでもないんでしょうけど。)


>つららそーどさん。
ご丁寧な解説、ありがとうございます。
文体的に時期がそんなにずれないとなると、「御霊信仰」を前面に押し出して考えるのは良くないのかもしれないですね。「プロトタイプ」の存在を前提としても。
ただ、やっぱり僕が初めて古事記を読んだときの違和感が残るなぁ、という感じはあります。「チョイ役にしか見えない蛭子が、なぜ七福神の一人なんだろう?」と。
ちなみに、神道が道教の流れを汲むとすると(道教の方の知識が薄いのですが、何冊か本を読んでみた感覚として、同根なのかな?という気がしております)、「プロトタイプ」は有ったのかな、という気がします。でも、それだけではやっぱりまだ弱いんでしょうね。


>sakuyaさん
「女性の地位を貶める」の件ですが、僕の読んだ三浦佑之さんの「口語訳 古事記」の解説に、「近親婚のタブーを取り払うために、まずは女性から働きかけた生殖で失敗したものを、男性から働きかけた生殖で成功させて、その後の生殖を正当化する」という趣旨の物があったような記憶があります(正確でなくてごめんなさい)。「逆でも良かったのでは???」と思われるでしょうが、古事記を書いている段階で男性系の血統で王家が続いているので、こういう流れになったんだろうな、と…って、直接関係無い、と言われそうですが、とりあえずその話を思い出しました。


>一角さん
近親婚については、僕の知っている知識としては上に書いたとおりで、僕も積極的にそれ以上の考えを持っていないのですが、蛭子信仰については、まさに僕の疑問の出発点でした。それでこのトピの作成につながりましたので。


>クロイツさん
騎馬民族説は、今は通説からは否定されている、と僕自身は認識しております(間違っていたらごめんなさい)。
騎馬民族説の話がこのトピで出てきた文脈を把握できなかったのですが、上の話と逆により広く「縄文系と弥生系とを分けて、弥生系は半島及び中国北部方面から入ってきたと考えることを否定する」というのがクロイツさんの主張だとすると、通説を否定する考えだと思うので、もうちょっと証拠をそろえて立証する必要があるのかな、と。どっちの意味でしょうか?
蛭子が恵比寿とされたのは、後の時代になってからではないかと思う。
古い時代は早婚だから、女性の体が出来上がっていないうちに子どもを生むものなので、
どうしても死産や畸形が多くなる。
第一子がそのような形で生まれる事が多いので、忌避された例はけっこうあちこちの文明に存在するから。
蛭子の神話もそれを反映したものだろう
しかし海に流された神様がおかわいそうと感じ、海神の神話とも結びついて蛭子は恵比寿になった
そんなとこだと思っているけど

ログインすると、残り11件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

古事記・日本書紀 更新情報

古事記・日本書紀のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング