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上江洲義秀先生と歩む会コミュの自力門と他力門

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自力門と他力門について


私たちの「真我という宇宙意識」に至るための道は大きく分類して二通り有ると思う

それは自力門と他力門という門ではあるけど、

終着点は同じ真我であり、同じ「真の私自身」であるとおもう


それが終着点でもあり、そこが、更なる「絶対・完全なる御方」へと向かう出発点でもあるところの

「真の私」真我への道も

その真我へと至る、どの側面を強調するかによってキリスト系と仏陀系のふたつに分類されるのではないだろうか

しかし、いずれにしても、そこの道を登って至った頂上は、

更なる「絶対なる存在・完全なる御方」への探求の始まりでもあることには変わらない



真我の側面を意識から重点的に捉えると「宇宙意識」であり、それは非二元性・非分離性・全体性の意識であり、

それを、よりその宇宙意識それ自体をハートの側面から捉えると「愛そのもの」であるし、

それを絶対主体なる側面から人格的な面に力点を置くと「絶対なる神」そのものということになる

この絶対なる状態、真我を、

宇宙意識・非二元性の面からの力点が、より多くあるのが仏陀であり

同じ真我を愛という側面・絶対主体面に力点がより多くあるのが、キリストであるようにおもわれる



これをグルジェフの云うように高次感情センター・高次思考センターという機能という面から捉える説明方法もあり

エレブナのように、この絶対なる存在を三位一体の「聖霊・ロゴス・創造」と捉え、

現象界含めてマインドを超えるにはマインドを最大限に活用することも視野に入れた接近の道を詳しく解説する道

また

ヒンズー教のように「サット・チット・アーナンダ」「サット存在・チット全知の智慧・アーナンダ永遠の至福・愛」

への絶対なる状態への人格的側面からに力点が置かれる道など、

私たちにとって大きな道が数多く存在するけども

この道の終着点はいずれにしても、

更なる「愛と実在と絶対」への出発点であることには変わらない、

それが「絶対なる御方・絶対なる存在」へと続いている無限なる上昇の道であると思われる

しかし
此処で、私たちが注意しなくてはいけないこと
落とし穴も有ることである

これが「似て非なる道」である

ぎりぎりまで同じ様に、自我(エゴ)からの開放と悟り、究極を標榜し、
自我の終焉と、真我の覚醒、愛を唱えていても、最終的に私たちを開放へと導かない「道?」も存在する

しかし、これは究極的には、各人の私たちの個人責任であって、
その似て非なる道?に誘導する者の責任ではない

これらの脇道に逸れてしまうのは、全て私たちに責任がある

だからこそ
果たして、本当には私たちは
何を求めているのか
何が真実の自分の究極の目的なのか、
私たちは自分に、だまされているのではないのか
本当に真我を、究極なる御方を求めているのかどうか、そのこと次第で

ことは最終的に変わってくるのだとおもわれる

だからこそ自分に騙されてはいけない

本当は自分は真我を求めているのか、どうか

自分は神というものをどのように捉えているのか

自分は本当には何を願っているのか

何が真の願望なのか



その昔、
ある禅寺で、ある求道者が、弟子にさせて貰うために、師に自分の腕を切り落として差し出し、
入門を願い、その誠意を示したという

このことは、真我探求に於いて
この腕だけではなく、自分の全ての力と、精力と、思考の全努力を全傾注すべきである
超努力という見本でもある


一般的に言って、この超努力ということは、一見しては努力を説かないクリシュナムルティー達が
努力の必要のない道の事のように間違って見られるが、決してそうではない

まさに逆である

クリシュナムルティーの

ニサルガダッタ・マハラジの

ラマナ・マハリシの

「あるがままを見る」、
「あるがままを生きる」と云うこと、
「努力は起きる」ということ
「行為は起きるのであり、だからあなたは在りなさい」ということ、
「無為」ということ
「いつも気がついていなさい、眠っているときも、夢を見ているときも」ということ

これら全ては

私たちが極限までの超努力の実行の末の事柄であること、を忘れてはいけない

これは安易な道ではない、大変な努力を求められていて、その努力の結果

その真我という「気づき」「愛」「ワンネス」ということへの到達は努力ではないと言われるのだ

「無為」に至るには、行為の本質を見極める、超努力という極限の努力をその前に経過しているのだ

此処で云われている「あるがまま」とは存在次元のあるがままであり、
このマインドという色眼鏡で見ることのできる、現象界の対象世界では無い

「あるがまま」とは私たちの認識領域、体験領域、知覚領域にあることがらではない

私達は輪廻を続けていても、決して「あるがまま」に出会ったことはないし、
この現象二元性の次元の中では今後もないであろう

なぜなら
この輪廻から脱して涅槃の境地、解脱に至り、輪廻から解放されなければ
決してこの「あるがまま」に至ることはないからである

であるので
クリシュナムルティーやニサルガダッタ・マハラジ、ラマナ・マハリシの示していることは
一見しては、努力をしないことに様に錯覚されているけど

それは全く違う
努力を超えた世界のことを示している、
超努力を経過した後の事柄を示しているのだと思う

それは
あの禅宗に入門する者が、自分の腕を切って差し出すような、
決死の覚悟と、極度の真剣さの末に開かれている厳しい門であることを
決して忘れてはいけないとおもう

いずれにしても
真実なる道に於いては

出発点でもあり終着点でもある、その山頂に至る道は数多く存在はしていても

その山の頂は、いずれも
「真の私」「真我」であり宇宙意識という全体性・非二元性の愛で在ることは間違いない


さて、この道は

大きく分けて「自力門」と「他力門」というふたつの道である

仏教に於いては
禅宗や密教・真言宗では、この自力門の側面が強く
浄土宗や真宗では、他力門の側面が強く反映されている

また
真我探求の道に於いても

上江洲義秀先生たちのクリヤヨガの系統と

クリシュナムルティーの様に「否定的接近」から接近していく、系統はあっても

この両者は、同じく絶対なる真我という宇宙意識が、私たちを開放に導く道であることには変わらない

現象界に於いては私たちの行うことは、全てがマインドによる「偽我である自我(エゴ)」の行為であり、
起こることではあるけれど

それにもかかわらず、いやそれだからこそ私たちに求められていること

それが「八正道」であり、自由であり

内なる愛に、真我に、向かうことであり

内なる真我である「私自身」に全力で向かうことである

私ではないものと自己同一化することなく、である

これらは
一見すると
クリヤヨガとクリシュナムルティーやニサルガダッタ・マハラジやラマナ・マハリシ達の相違点の様に見えるけども

その真我覚醒した本人の傾向ということが、その教えに反映されてくるのは

前述の「絶対なる三位一体」にどのようにして至ったのかによるとおもわれる

であるので、そこに差違は認めることは出来ない、これらは同じ道の異なった見方にすぎない

その宇宙意識に至るという、既にはじめから存在している「眼」(非二元性の宇宙意識)の開眼であり

また、これは
覚醒という恩寵そのものであり

「啄同時(そったくどうじ)」というプロセスでもある

これは
私たちの超努力という、まさにひよこが孵化し、卵の殻を破るときの中側からの作業と
外側からの親鳥のくちばしである恩寵による作業により、
この内と外の同時の作業で
そのひよこは卵の殻という自我(エゴ)を破ることができるのであり
現象的にも「在る」という存在に生まれることが可能となるプロセスなのだ

真我の覚醒に於いては、自力門にしても、他力門にしても結局は同じ事を
どの方向から、どの立場から解説しているかの相違に過ぎないと思われる



であるので、これは同じように
「クリヤヨガ」や否定的接近を強調するクリシュナムルティーらの真我実現の道も
道に至る過程に於いてどの傾向が顕著であるかの、違いに過ぎず
単に、その覚醒した本人の特性がどのように反映されているかに過ぎないことであり

このふたつの道は、全くの同じ頂上にたどり着く

そこが「愛」であり
存在そのものであり
「絶対なる御方・神」であり
「私」である


だから私たちは
その差異に心を奪われて
本質を見失ってはならない


けれども
似ているけれど、中身の全く異なる者がある

同じ言葉と、同じような様な表現をし、一見すると同じような体験と経験を与え
神や愛を真我を崇拝の対象として、二元性の中に引き戻す者
神として、権威として現れるものに惑わされてはならない
絶対なる御方は非二元性である非分離性の内なる私自身であり
わたし(I AM )以外の外部なる崇拝の対象ではない

だから
似て非なる者を、似ていても非なる者とハッキリと識別しなければならない


そして、逆に

異なってみえて、違って見え
非なるように見えても、全く同じものを同じものである、

と正しく識別しなければならない



ここが正しい思考

正しいマインドの使い方が求められる所以である












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