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日本の城と籠城戦コミュの岩屋城籠城戦〜籠城戦の背景〜

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戦国史に残る激闘〜岩屋城籠城戦〜
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◇◇◇◇背景◇◇◇◇

九州の覇権を巡って争われた
名門・大友氏と南方の豪雄・島津氏の激しい抗争は天正六年(1578年)の耳川合戦における大友氏大敗により一気に”島津有利”へと傾きました。

島津氏はこの戦いを境に九州全土を掌中に収めるべく肥後の龍造寺領内の抗争に本格的に介入・侵攻します。

『肥前の熊』と呼ばれる豪将・龍造寺家:当主隆信はこれを大軍で迎撃しますが、島津家久を大将とする島津家のお家芸『釣り野伏せ』の野戦法に敗れ戦死してしまいます。 (沖田畷の戦い(おきたなわてのたたかい))

一方、大友家も耳川の大敗、大友領内の反乱、龍造寺氏の衰退。
そして家中最大の軍閥であった立花道雪を病で失っていました。



天正十四年(1586年)
この事態に際し隠居から還俗した大友宗麟はなんと大名家でありながら自ら上方に赴き、時の関白・羽柴(豊臣)秀吉に九州の情勢を訴え、出馬を促すという行動に出たのです。
宗麟は国勢盛んな島津家に抗し、単独で本領:豊後を保持するのはもはや不可能と考えました。




●関白:羽柴(豊臣)秀吉
秀吉は当時、中国・四国地方を平定し、その勢いで九州・関東をも制覇して天下統一を狙っていました。
しかし東海道の雄:徳川家康に小牧・長久手で思わぬ痛み分けを喫します。
それゆえ即座に大友宗麟の要請に応え上方を留守にすることは出来ませんでした。
総力を挙げて九州に赴けば家康が畿内を脅かす可能性が高かったためです。


秀吉はまず島津義久に降伏勧告を行いますが、
薩摩:島津氏は抗戦の態度をとりました。
そこで秀吉は家臣の仙石秀久を九州への援軍の戦目付:総大将とし淡路の兵を率いさせます。

四国の長宗我部元親・信親、十河存保などの諸将もこれに参陣させ、総勢2万の軍勢を先発隊とし大友家への援軍の準備をさせました。

自らも家康との講和をすすめ、中部・近畿・中国の将兵を集めた九州への征西軍、総勢およそ20万(本隊は12万とも言われる)の大軍を準備します。



島津の北上軍は連戦で疲れ始めていましたが
龍造寺領を蹂躙して後、その郎党を自軍に取り込み、大友家の離反者を加えてふたたび息を吹き返していました。

島津家当主:義久は来襲する関白秀吉との本格的交戦の如何を熟考します。その結果、上方の援軍を撃って九州を統一し、海路を封鎖して九州全土を要塞に見立て、秀吉との雌雄を決する結論に至ります。

ここに九州・大友家は秀吉の援軍のみを頼りにし、島津家は九州制覇に乗り出します。





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●筑前国岩屋城
筑前は交通の要衝・立花城を東、堅固な守備力を持つ宝満城を西の軸とし、その他の支城・砦をもって西国屈指の商業都市:博多を囲む防衛線を構築しています。

立花道雪は筑後経営と立花城の監督を兼ねて配置されていました。

高橋紹運は島津氏・龍造寺氏に対する筑前防衛の重要拠点:宝満城、前衛拠点:岩屋城の兼任城主として筑前国境ににらみをきかせていました。

高橋紹運は東国にまで其の名が轟く立花道雪と共に各地を転戦して寡兵をもって幾度となく大敵を撃ち破りました。

『紹運あるところ道雪あり』と言われるほど
の勇将です。



◇◇◇◇天正十四年(1586年) 六月十二日◇◇◇◇
島津義久は大友領侵攻に向け
島津忠長を一手の総大将として二万の軍勢を北上させ、筑後・肥前・肥後等の将兵が合流した島津軍は5万(さらに多いとする説もあるようです)にも膨れ上がります。



●岩屋城:高橋紹運の籠城決意
高橋紹運は上方の援軍と島津軍の北上を迎えて
大友家の柱石だった立花道雪亡き後、筑前の要である自らの決断で大友家の命運も決まると判断します。

立花城城主:統虎(むねとら、紹運の息子。後の立花宗茂。立花道雪たっての希望で養子となり立花家を継ぐ。)は実父の危機に使者を送り

”岩屋城は堅固な山城ではあるが、勇猛な島津家の将兵に大軍で包囲されれば退路を失い孤立する”

と指摘。岩屋城を退去して筑前国最高の防御力を持つ立花城か、堅城で城兵の多い宝満城に総力を集めて籠城することを進言します。

しかし紹運は戦略的観点から自らが対島津氏:最前線である岩屋城に精鋭763名で残りました。堅固な宝満城を次男統増(むねます・後の立花直次)に任せ、筑前の要衝・立花城は自らの嫡男である立花統虎(宗茂・立花道雪の養子)に固めさせることを選びます。

紹運は立花城での残存兵力の集中はかえって島津軍をも集中合力させてしまい仮に立花城が包囲され、島津氏の送り込む増援と共に力攻めを受けた場合、数ヵ月かかる上方の援軍到着前に落城する可能性が高いと判断したのです。
そうなれば大友家は筑前一の要衝を一度の合戦で失い、立花家・高橋家も城を枕に滅亡すると判断したのです。
また死戦になることが間違いないため、外様の筑紫家の兵が多く居る宝満城での籠城は一致団結できず謀反が起こる可能性も考慮しています。


紹運は筑前の主将である自らを最前線に晒せば島津軍はこれを無視することはできないと考えました。

岩屋城で島津軍の鋭鋒を一手に引き受けて時間を稼げば、

◎島津軍の疲労・損害を大きくできる。

◎島津軍が岩屋城を攻略し、続く宝満城を強行突破・立花城を包囲したとしても、真夏の猛暑によって既に疲労した軍勢では堅牢な立花城は簡単には攻略できない。

◎そこに上方軍の来援があれば形勢は逆転できる

という見通しを立てたのです。

これは戦略的観点からすれば正しい判断ですが、紹運にとってはまさに捨て死の道であり、
一糸乱れぬ籠城を行わなければ戦略の成功どころか、圧倒的不利な状況で味方の裏切りに会い犬死することも考えられました。
そこで紹運は城兵に対して、籠城に反対する者は去ってよいと通告します。
しかし長年、紹運と共に戦ってきた将兵たちは紹運の指揮の元、全て城に残り戦うことを選びます。

実父・紹運の岩屋城での決死の決意を知った統虎(立花宗茂)は父を救う手立てに窮まり、養子としてまだ主従関係の浅い立花家将士に岩屋城への援兵を懇願します。紹運の悲痛な意気に感じた将士十数名が岩屋城に入ることを名乗りでます。

無論、この援軍は決死隊を意味します。



?:【開戦】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=6761054&comm_id=731999

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●岩屋城籠城の人員数が諸説があるようで
 『九州軍記』   約600人
  『九州治乱記』  558人
  『西国盛衰記』  763人
  『筑前国続風土記』約600人
  『陰徳太平記』  763人
  『紹運記』    747人

といわれているようです。

コメント(10)

おおお!!岩屋城籠城戦やね。これぞ、戦国の籠城ぞというような激しい籠城戦ですなあ。
書くの難しい;
MASAさんの苦労がわかりますわ;
数ある籠城戦の中でも岩屋城の籠城戦が一番好きです。
見事な武士の最後を飾り、自軍を勝利に導いたのはすばらしいとしか言えませんね。
降伏した人がいないというのも籠城戦では非常に珍しい気がしますね。紹運の人徳が窺えますね。

そして島津の人たちが敵である高橋紹運を褒めちぎっているところが、戦国ならではの清清しさがあって感動しました。
本当に、紹運の武人としての指揮もさることながら
その精神性に気高さを感じます^^
南国の武士ならではのエピソードが多くて語り草になるのも
納得できますね^^
遅ればせながらご挨拶をm(_ _;m
忙しくてどうにもならんです。。。
高橋紹運、高潔な武将でしたね。もう少し生きながらえて
欲しかったです。関ヶ原まで生きていたら53歳、宗茂と
父子で家康と対決という光景が見たかったですね。
>Masaさん
これは、書き込みいただきまして恐縮です^^;
高橋紹運・立花宗茂親子と島津家の連合軍というのは
空恐ろしいですね。
家康の急所を押さえ、
関ヶ原を一日で終われないように
したかもしれません。
惜しい・・・それが魅力の勇将ですね^^
文章を少し直しました^^
より詳細になった分、文章も長くなりましたができるだけリアルな感覚の物にできたかなと思います。
ご一読を^^
【立花道雪死去】天正十三年(1585)9月11日
http://www.sengokudama.com/contents/060911.html
大友家の名将・立花道雪が筑後北野高良山の陣中で病没。享年73歳(日付は10/22とも)。

今日は道雪の命日にあたります。

リンク先にはかの武田信玄ですら立花道雪に一度、会って見たいと語ったことがあったとありまして、太陽も驚いています。
道雪の武勇の轟き方は尋常ではありませんね。

故の其の死によって岩屋城の運命も徐々に籠城の日へと向かうに至ったことなのでありましょう。
たしか反対するものは退去せよと言ったのではなく、長男あるは家督をつぐものは退去せよと厳命したんじゃなかったですかね!どちらにしても紹雲の心構えはすばらしいです
>こうちゃんさん
貴重な書き込みありがとうございます^^
さすが紹運らしいですね。
武士は家を残すことを本分としています。
そのための恥、そのための意地・・・そしてそのために戦うのでしょうね。

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