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癒しの森コミュの新老人を生きる

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2007年4月から掲載さえている聖路加国際病院理事長日野原重明先生の「新老人に生きる」を癒しの森に収めておきたいと思います。
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新老人を生きる

若い世代のモデルになろう
                 日野原 重明(2007年4月3日 読売新聞)

私が「新老人」という新しい言葉を提唱したのは2000年9月のことであった。
 私は自分が85歳になった頃(ころ)から、元気な老人像をアピールするためには、健やかに生活しているモデルが必要だと思い、いろいろのことを考えている内に、老人の定義を変えたらと思うようになった。
 今では法律用語に「老人」という表現は抹殺され、「高齢者」と呼ばれている。何故(なぜ)厚生労働省が老人呼ばわりを改めたかというと、日本では「老」の字に感じのよくない言葉、例えば老廃物とか、老醜というよくない付加語をつけたために老のイメージが汚れたからのように思う。
 
 もともと中国では、老とは非常に尊敬された用語で、長老とか中老、または老師とか、老練という言葉があり、人生の先輩者としての尊敬の念が込められているのである。この老人を英語で表現するとthe elderlyとなるのである。
 
 65歳を超えて未(いま)だ元気な人は今までとは違った方面の仕事をするか、何かのボランティアの仕事を選び、運動を続け、趣味のものを現役以上に楽しむことを勧める。そのようにしている75歳以上の素晴らしい老人をモデルとして若い人が励むことが望まれるのである。
 75歳以上の心身共に健やかに生きている人の姿を65歳以上の方が目指して励む、また65歳以上で健やかに生活しているモデルを40、50歳の人が真似(まね)る。このようなモデルになれる人々を新老人の会員として、学習や運動や趣味を互いに深め、子供たちに平和を教える老人となることを期してこの新老人の会が2000年9月に発足したのであった。
 この集団は、今や全国に20か所の支部またはブランチを作り、互いに連絡をとって学習を続けているのである。
 この会をスタートする時、私は四つのスローガンを掲げた。
 1 愛し、愛されること
 2 創(はじ)めること
 3 耐えること
 4 そして世界の平和の実現を期して子供に真のいのちについて教えること
 子供たちもこの元気な老人をみてモデルとするよう、さっそうとして生きている老人を尊敬してほしいのである。(聖路加国際病院理事長)

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平和のメッセージ伝える大役
                 日野原 重明(2007年5月1日 読売新聞)

 私が「新老人の会」を発足させたのは、今から6年半前のことで、89歳の時であった。実は、私がその1年半前に、理事長をしていた(財)ライフ・プランニング・センターから、熟した赤いリンゴの絵を表紙にしたパンフレットに、「第三の人生」と「新老人」という文字をあしらった印刷物を発行したことに始まる。

 日本人の平均寿命は今や82歳で、半世紀近く前に国連が老人の定義を65歳以上とした時の日本人の平均寿命68歳に比べると、その間に14年も延びたので、もはや65歳以上を老人呼ばわりするのはおかしい。そこで私は、10歳加えて75歳以上を本当の老人と呼ぶことにし、その齢の老人のために新しい名称として「新老人」という呼称を考え、老人を若返らせたのである。

 これは、日本が世界の最長寿国であることからの発想であった。年金も介護保険も75歳以上に提供する。ただ、65歳でどうしても虚弱となり、自立できなければ、それは病人として保険サービスを受ければよく、そのための財源は消費税を少なくとも10%以上にすれば可能と考えた。自民党の谷垣禎一代議士が、総裁選に立候補直前、私の政治上の意見を求めて聖路加国際病院に来院された時、私は総裁候補の中で消費税を10%とするマニフェストを掲げた彼の勇気を絶賛した。

 日米戦争が始まった時、それを経験した小学生以上の日本人は、全国民1億3000万人弱の中で、今や9%を割る少数派となってしまったが、その層は、おおよそ75歳以上の老人だ。こうした戦争体験のある大人が、直接将来の日本をつくる子どもたちに、戦争の悲惨なこと、戦う国々にとって人間のいのちを失う悲劇であることを伝えるのは、大変有意義なことだ。日本が米国に宣戦布告前に真珠湾攻撃をしかけ、戦艦5隻と2300名の将兵のいのちを奪ったことなど、真相を伝えることで、その老人が子どもにとってのモデルになることもできる。

 「新老人」には、将来の日本を作る小学生に平和のメッセージを伝える運動の立役者となってほしいと願うのである。(聖路加国際病院理事長)
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自立した高齢者の多い国に
                  日野原 重明(2007年7月3日 読売新聞)

 日本人の平均寿命は、世界でも一番長い国のグループに入っており、男子は78・53歳、女子は85・49歳で平均82・01歳である。ちなみにこの数字は、日本人として生まれた直後(0歳)の者が、そのあと何年生きるかという0歳での寿命の平均である。

 老人の定義は今から約半世紀前から、65歳以上と国際連合を中心に決められているが、たとえば、終戦直後の日本人の平均寿命は60歳であった。だが、最近の統計では、82歳になっているので、戦後62年間で、22年も伸びていることになる。

 さて、65歳になった日本人がそれから先何年生きるかという予測をみると、男子は18・11年、女子は23・16年、平均20・63歳であるので、これを余生というにはあまり長すぎる。

 日本では60歳前後になると引退する習慣があるが、これから、ひと働きもふた働きもできるほど長い第二の人生が保障されているとなると、老人の定義を10歳底上げして75歳以上とするのが適正と考えたい。そこで、私は75歳以上で、何かの病気があっても、自立し、社会活動に参与している元気な老人を「新老人」と定義した。さらに、それよりも若い成人も含めた「新老人の会」を2000年9月に発足したのである。

 たとえ75歳を超えても、今までやったことのないことに挑戦すると、今まで陽(ひ)の目を見なかった良い遺伝子が掘り出される可能性もあるので、それを伸ばす努力を進めてきたのである。

 もし、日本政府が65歳以上を老人(政府は「高齢者」と定義している)と呼んできたのを、75歳以上に底上げすれば、日本は若返り、世界一の高齢国家との呼び名を返上できると思う。

 2005年の人口データによると、日本の65歳以上人口は20・1%で、75歳以上は9・1%、1160万人もいる。

 65歳以上の人で、病弱であり、医療や介護を要する人は、国民保険でカバーすればよい。そこで、日本の老人には、もっと自立した上で、後に続く若い人の良きモデルとしての新老人となってほしいのである。世界一の長寿の樹(き)の幹に、日本は何を入れるのかは次回に述べよう。(聖路加国際病院理事長)

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歩き方学び 若々しく
                  日野原 重明(2007年8月7日 読売新聞)

 今回は、楽しいおしゃれ教室を紹介しましょう。

 私が2000年に、多くの高齢者に呼びかけて新老人の会を発足させて、間もなく7年になりますが、会員で一番数が多いのは75歳以上の老人です。75歳以上になっても健やかにいきいきとして生活している年上の会員を見て、ひきつけられた65歳以上の会員がだんだん増えました。さらに、20歳を過ぎて成人の仲間入りをした若手が、元気な65歳以上の老人をモデルとして、自分も何十年か先にはああいう老人になりたいと願って、この会に入会する若者もだんだん増えてきました。

 そこで、私は75歳以上をシニア会員、60歳以上をジュニア会員と呼び、さらに20歳以上をサポート会員としましたが、この全員が正会員です。それで、総会員数が増加しただけでなく、年代層も拡大されたのです。ずっと若い会員からは、何年か先を歩む先輩の生き方をモデルとして、生きる元気が与えられるという声が聞こえてきます。

 人間は早晩、加齢により老けた老人になるなんて悲観的に考えないで、ああいう先輩のように上手に年を重ねたいと願う若手の人には、モデルとなる先輩と親しく交わる機会が必要です。そのため、いろいろなクラブに入って一緒に学習したり楽しむ中で、そのモデルとなる先輩と接近できる仕組みが、新老人の会の中に作られました。

 その一つとして、私は70歳代の男性を中心に、「さっそうと歩くクラブ」を発足させました。50歳代で身長175センチの美しい元モデルのご婦人に、「あなたが年配の男性を若返らせてくださいよ」と、若返る歩き方を指導するボランティアを頼んだところ、「うれしい、喜んで引き受けます」と二つ返事で、早速、クラスが発足しました。

 今まで、人生の大半の経歴の中で、歩き方を学んだことのなかった男性がクラブに入って、歩き方や声も若く、それに表情も明るい、このモデルさんの指導でコースが始まったのです。ところが、年配の婦人たちも私も私もと加わり、すぐに定員を超えてしまいました。女性はおしゃれなドレスを着て参加するのですが、教室の前後の大型ミラーに映る自分たちの姿にほれ込むので、さわやかな空気が満ちあふれる社交の場となっています。(聖路加国際病院理事長)

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100歳まで 上を向いて歩こう
                 日野原 重明(2007年12月4日 読売新聞)

私は2000年9月に、75歳以上の元気な老人に呼びかけて、「新老人の会」を作った。

 その後、60歳以上をジュニア会員、さらに20歳以上の若者をサポート会員として会に招いて、立派に自立している75歳以上の会員をモデルに、若い人たちにも、「上手な老い方」を先輩から学んでほしいと呼びかけた。

 そこで、75歳以上のシニア会員の生き方を見ていて、一般の人が考える老い方とは違っていることを発見した。

 人生は峠を上り下りするがごとしという表現がある。人生の50歳までが上り坂、それ以後、寿命を全うするまで、男女平均して34年間の下り坂がある。これが、在来の日本人の平均的な生き方といえよう。

 だが、私はこう考える。新老人シニア会員は上述のように、50歳が自分の人生の頂上となるのではなく、75歳が人生の頂上となり、100歳までのあと25年は、身体行動は少しずつ穏やかになりながらも、精神ははつらつとして活動する。

 つまり、100歳までは自立できると考えてよいと思う。同じ三角形でも、斜面を長くした100年人生になる。

 日本人の100歳以上の人口をみると1963年にはわずか153人だった。それが2007年には、3万2295人という数にまで増えている。

 新老人は一応、100歳を目途(めど)に自分をシェイプアップしてほしい。そのためには、たとえ杖(つえ)をついても、車椅子(いす)を使っていても、自力で行動できるように訓練し、そして、老人の生き方が子どもたちにはさわやかな姿として映るように、背筋をまっすぐにして、上を仰いで歩き続けてほしい。

 新老人の会には、さっそうと歩こうというクラブがあり、ボランティアの元モデルさんに指導してもらっている。ここに集まる老人の眼(め)は輝いている。坂本九が歌った、あのさわやかな「上を向いて歩こう」の歩き方を具現しておられる。   


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