ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

未来からの最終警告を預かる会コミュの日蓮が弟子の本懐

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


未来において、如来たちは、
教えにはいる幾千億という数多くの入口を説くであろう。
これらの教えの指導は常に変ることなく、
もろもろの教えの本性は常に光り輝いている。
このことを知って、人間の最高者である仏たちは、
余の唯ひとつの乗物を解き明かすであろう。
法華経 方便品

法華経とは、本来、一乗法。すべての教えが、その入り口は違っても、その出口では唯一つの乗物なり、すべての人を救うという心の大きい大乗法である。間違っても自分たちの宗教、宗派、宗教団体のみが救われるという心の狭い教えではない。日蓮が出るまでは、法華経は、どの宗派からも愛されるお経であった。それを敢えて狭くしたのは、日蓮である。
「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」と彼の他宗非難も甚だしかった。それは、『自分たちだけが正しい、自分たちだけが救われる、他は地獄に落ちるという思想』があれば、何としても他を救いたいとの愛と使命感と上増慢により、その熱意を持って信者はその教えを広めるからである。現に、仏教系信仰宗教の半数以上が、日蓮系である。しかしすべては、方便であった。彼もまた、無間地獄に隠れすむ地涌の菩薩の勅命を受け、この地球に下ろされた聖人の一人であった。

疑っていう。正法・像法の二千年のあいだに、
地涌千界の菩薩がこの世界に出現して、
この法華経を弘められるのか、と。答えていう。
しからず、と。
日蓮御書 如来滅後五五百歳始観心本尊抄

それは、彼の後に来る上行菩薩の預型でもあった。
まもなく、巨大宝塔、天の花、空中楼閣(UFO)に乗って地涌の菩薩(天使的未来人)がその姿を現す。

この時こそ地涌千界の菩薩が出現して
本門の釈迦の脇士となり、
一閻浮提第一の本尊がこの国に立つのである。
 日蓮御書 如来滅後五五百歳始観心本尊抄

キリスト教では再臨、空中携挙と呼ぶのだが、四種の会衆たちを空高く昇らせるという現象を地球人は目撃する。現代風によれば、UFOによるアブダクションだが。

「われわれは二人の如来から遠く離れている。
われわれも如来の威光によって空中に昇りたいものだ」と。
そこで尊きシャ−キャ ムニ如来は
これら四種の会衆たちが心の中で考えていることを察して、
そのとき神通力によって四種の会衆たちを空高く昇らせた。
法華経 見宝塔品

この時、上行菩薩が人々の前に出現するのだ。

世はみな正法にそむき、
人ことごとく悪に帰している。
ゆえに善神は国を捨てて去り、
聖人もこの国を見すてて帰らぬ。
それゆえ魔来たり、鬼来たり、
わざわい起こり、難おこる。
日蓮御書 立正安国論

あの時もそうであった。日蓮は、上行菩薩の預型。日蓮は、『立正安国論』を持って、法華経への信仰に帰依せねば、モンゴル(蒙古)の来襲があることを預言したのだ。
上行もまた、『立正安国論』を持って、法華経に従い正しき信仰に立ち返らねば、天魔(悪魔的未来人)の来襲があることを預言するのだ。そして、法華経の本当の意味も上行(聖人)は、人々の前で談ずるのである。

愚者が法華経を読み、
賢者がその義を談ずるときには、
国も騒がず災難も起こらぬ。
しかし、聖人出現して仏のごとく法華経を談ずるとき、
一国も騒ぎ、
仏の在世のときにも増した大難が起こると思われる。
いま日蓮は賢人ではない。
まして聖人などと思いもよらぬ。
日蓮御書 上野殿御返事

ここに書かれた「仏の在世のときにも増した大難」とは、疫病とそれにより引き起こされる飢饉、地球内で引き起こされる「自界叛逆難」と天魔の地球侵略「他国侵逼難」である。

また法華経の行者を遣わし諌めても、
それがわからず、
かの法師等に心を合わせて世間の政道も出世間の法も破り、
法外に法華経の敵となったのである。
すでに時も過ぎ、
この国はまさに破れようとしている。
疫病がすでに戦に先立っておこることも、
その徴である。
あさまし、あさまし。
日蓮御書 三沢鈔

日本国の大疫病と大飢渇と同士討と
他国より攻められるのは総罰である。
日蓮御書 聖人御難事

しかし上行がそれを預言するのは、あくまでその大難を幸福な未来へと変えるため。地球人には、もう一つの選択肢が与えられている。
地球人の信仰の本質は一つであると認め、宗教を一乗に帰し日蓮の悲願である「一天四海皆帰妙法」と愛と相互理解で世界平和を実現させ、遠い昔に宇宙の真実を悟り無量の寿命を得(久遠実成)、自分たちだけではなく、地球の我々も同時にも助けたいと、方便を使い我々を教え導いてきた存在、地涌の菩薩をこの地球に導き入れることである。もちろんその暁には、彼らの持つ不老不死の科学技術も与えられる。

天下万民諸乗一仏乗となって、
妙法ひとり繁昌するであろうとき、
万民一同に、
南無妙法蓮華経と唱えたてまつれるならば、
吹く風も枝をならさず、
雨は大地を砕かぬ。
代はさながら伏儀 ・神農の世となり、
今生の不祥の災難をはらい、
長生の術を得、
人や法の上に不老不死の通理あらわれるであろう時を、
おのおのごらんあれ。
日蓮御書 如説修行鈔

では、宗教の本質とは何であろうか。それは、一念三千の理法である。凡夫の一念三千世界。平凡な人間の想いがこの世界を創りだしている。

この三千(の世界)は、一念の心に在り。
もし心なくんば、すべてなし。
いささかでも心あれば、
すなわち、三千(の世界)を具す。
、、、ゆえに、
称して不可思議となす。
意ここにあり」と。
日蓮御書 如来滅後五五百歳始観心本尊抄

この大宇宙の大生命(仏)は、自らを刻み万物を創造した。故に万物には、その大いなる力を有している。これを法華経では、「一切衆生悉有仏性」と言うのだ。しかし我々人間にその最も高い密度を与えた。


毘盧遮那如来の依報も正報も
凡夫の一念のなかにある
日蓮御書 諸法実相鈔

地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたずね候へば、
或は地の下と申す経もあり、
或は西方等と申す経も候。
しかれども委細にたづね候えば、
我等が五尺の身の内に候とみえて候、

仏と申す事も我等の心の内にをはします
日蓮御書 十字御書

仏は、我等が身の内、心の内にあるのだ。我々人間は、その生命の中に仏を有するのだ。だから我々の思い(一念)は、我々の内部の仏(潜在意識)に伝わり、外部の仏(三千世界)に伝わりその思いを実現させるのだ。まさに、凡夫の一念三千世界である。
我々人間は、自己の中に、尊い仏の力(神)のあることを認識し、同じ仏を共有する他者に慈しみの心を持ち、心の中の穢れを洗い清め、積極思考と最大限の努力で、如何なる苦しみにも負けず活きて活きて活き抜きなさい。そしてみんなが幸せになれる世界を築きなさい。
これが宗教の中に隠された宗教の本質、根源的思想ではないでしょうか。
特に日蓮宗は、「自分たちだけが〜」とする思想が強く、その組織拡大のために他に迷惑を掛けてしまう傾向をも否めない、また南妙法蓮華経の題目を唱える唱題も、積極思考、プラス思考の型すなわち『心に希望の光を灯し生命の持つ力を最大限に発揮するための信仰の型』の一つにすぎない。

一念三千を識らない者には、
仏、大慈悲をおこして、
妙法蓮華経の五字のうちにこの珠に
つつみ末代の幼稚な衆生の頚に
かけさしめたもうたのである。
日蓮御書 如来滅後五五百歳始観心本尊抄

南無妙法蓮華経の五字のうちに一念三千の理法という珠を包んで我々に与えてくれたのだ。その意味で尊い教えと言えよう。しかしこの地上のあらゆる信仰の根本には、表現こそ違えこの思想がある。信仰の型ではなく、この宗教の根源的思想で、世界を一つにし、平和な世界を実現しなければならない時がそこまで来ている。この意味で、三千世界と我々の生命(内なる仏)とを繋げる心こそ、世界のあらゆる宗教宗派に共通する本門の本尊(真の本尊)なのです。

この時こそ地涌千界の菩薩が出現して
本門の釈迦の脇士となり、
一閻浮提第一の本尊がこの国に立つのである。
日蓮御書 如来滅後五五百歳始観心本尊抄

日蓮が、釈迦入滅、五五百歳(2500年)にこの日本に立つと預言した本尊こそ、我々の心なのです。この書の題名を見て下さい。「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」。
『(釈迦)如来の滅後、五五百歳(2500年)にして始めて心を本尊と観る抄!』
はたして今までの宗教のやり方で、世界を一つにできるのでしょうか。世界の全ての人々を一つに宗教・宗派に帰依させることは可能でしょうか。
創価学会の池田大作さんが、イスラム教徒は絶対に改宗はしないといっていました。布教活動(折伏)をし、組織に入れ自分たちの祭式を押し付けるやり方の限界を彼自身も知っているのです。組織を作り組織の拡大をするそのやり方には、限界があるのです。組織という物は、大きくなればそのトップの利害関係で分裂し、その信者はお互いに憎みあうものなのです。組織と言うのは、ある意味で枠を作ることなのです。その枠を作り他を排除しようという考え方こそ今の世界の争いの元凶になっているのです。
逆に、宗教の本質は同じなのだと、お互いの宗教の価値を心の底から認め、民族、人種、国家、宗教、宗派、組織の枠組みを取り払い、平和な世界を実現する道を進むべきではないでしょうか。そう、それを実現することは、一切の仏法が滅ぶことになる。個人の信仰の型としての宗教は残ってもいいのですが、宗教の枠、宗教組織は、そのアイデンティティをなくし滅びることとなる。

第五の五百歳に一切の仏法滅びるとき、
 日蓮御書 撰時抄

今までの地球人の信仰は、『民族、人種、国家、宗教、宗派、組織という枠組み』に対する信仰でした。しかし、これからは、『自己の仏(生命)と万物を包括する大宇宙の仏(宇宙の大生命)』への信仰に切り替え、愛、慈悲で世界を一つにしなさいと言っているのてす。
しかし、それに従えない人々、宗教宗派もいるでしょう。また、この仏滅の時は、そんな人々との闘諍の時となるのです。

濁った世の悪比岳は、
仏が方便として時に応じ相手に応じて説かれた教えを知らず
日蓮御書 立正安国論

いや、闘諍などしてはならない。しょせん上行一人でなにもできるものではない。上行は、単に人々に真実を教え、開目させる役目に過ぎない。

いったい、一人の盲目の眼をあける功徳すら申しようがないほどである。
いわんや日本国の一切衆生の眼をあける功徳をや。
いかにいわんや一閻浮提四天(この世界全体)の人の眼の見えないのをあける功徳をや。
日蓮御書 乙御前御消息

何故、日蓮は「自分たちだけが〜」という思想を与えて法華経の信仰を日本に、そして世界に広めたのであろうか。それは、日蓮の弟子たる者が、『広大無辺の心と知恵』で『この世界の不浄を浄化』して『生きとし生ける者すべてが幸福になれる安心立命の世界』を築く手助けをさせるためです。
日蓮の弟子たる者こそが、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩とならなければならないのです。
今は、日蓮の弟子も組織の違いで憎みあっている状態です。しかし日蓮の弟子が、いや世界の全人類が、祭式や組織ではなく宗教の根源的思想すなわち大白法で『一天四海皆帰妙法』を実現させ、諸々の仏(地涌の菩薩)をその本土(地球)に帰らしめ、みんなが幸福な世界を造らせるためだと、私は思っています。

天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、
扶桑国をば日本国と申すあに聖人出て給わざらむ、
月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、
日は東より出づ日本の仏法の月氏へかえるべき端相なり、
月は光あきらかならず在世は但八年なり、
日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき端相なり、
日蓮御書 諌暁八幡抄
「日蓮大聖人御書全集」


コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

未来からの最終警告を預かる会 更新情報

未来からの最終警告を預かる会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング