ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ヨコハマメリーコミュのメリーさんの故郷の写真

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
1999年よりメリーさんについて調べてきました。
彼女の故郷にも二度足を運び、親族にもインタビューをしています。
(単なる興味本位でしたら、ここまでしません)

この場をお借りし、小出しにしながら私が調べてきたメリーさんの情報をアップします。
どの程度の露出にするかは、皆さんの反応をふまえて考えます。

*なぜ、こうしたことをするか?
 映画「ヨコハマメリー」は素晴らしい作品です。
 しかし私は「メリーさん」を再定義したい。

 現在メリーさんに対する評価は以下の三つに大分されます。
1.好意的評価=メリーさんは美しい生き方をした気骨のある人。
2.なつかしい思い出(それ以上でもそれ以下でもない)。
3.否定的評価=ずっとその辺を彷徨いていた売春婦じゃないか。祭り上げるなんてとんでもない

ネット上での評価はほとんどすべてが1と2ですが、市の中心部の商店街の方々のなかには3の方々も多いです。
たとえばイメージとは違いますが、GMビルのオーナーは3です。
ネット上で1と2の方が多い最大の理由は、年齢のせいだと思います。

わたしは1〜3のどれとも違う評価をしています。
その最大の理由は直接彼女に会ったことがないからです。
しかし彼女と関わりがある人たちと何人も会って話をし、自分のなかの彼女に対する評価がどんどん変化していくのを感じました。
単なる観念のこねくり回しではなく、足で調べてそうなったのです。

「横浜ローザ」も「ヨコハマメリー」も「PASS」も作品に過ぎません。
現実の一断面をフォーカスしたに過ぎないのです。
メリーさんはもっと多面的です。
彼女は「かわいそうな戦争の犠牲者」ではありませんし、気品はありましたが、かなり図々しさも兼ね備えていました。
じつは毎年正月になると故郷に帰っていましたし。

そういうわけで写真も含め、これまで調べてきたことを公開していきます。
五大路子や中村高寛がリードしてきたメリーさんに対する評価を、白紙に出来ればと思います。

彼女の故郷の写真は、話の信憑性を保証するためのものです。

コメント(17)

*映画「ヨコハマメリー」と同じ場所の写真その1
(左=画質が粗いもの=映画「ヨコハマメリー」より
 右=私が撮ったもの)

場所はメリーさんの実家の最寄り駅の前の道です。
商店街もバス乗り場もない無人駅の真ん前の通りです。
映画「ヨコハマメリー」と同じ場所の写真その2です。
(1枚目=左=画質が粗いもの=映画「ヨコハマメリー」より
 2枚目=右=私が撮ったもの)

最初の写真(駅前の写真)の突き当たりを右に曲がり、3、4分歩いた場所の左手です。

映画の中にはもう一枚写真が出てくるのですが、3枚目の撮影場所は分かりませんでした。

以後、横浜時代を中心に彼女の故郷の話もすることを考えていますが、映画の内容とは違う部分が多々あります。
「横浜に帰りたい」
晩年の彼女はそう言っていたそうだ。では彼女の故郷は魅力に欠ける場所なのだろうか?

その土地は林業が盛んだ。木を削ったとき特有の香りがそこかしこに漂っている。山里だということもあって、ひんやりした空気が新鮮で、どこまでもマイナスイオンに包まれているような心地よさを感じた。田舎の常として親切な人ばかり。わたしはすっかりここが好きになってしまい、帰浜後、ここがどれだけ素晴らしい場所なのか、吹聴して回ったものである。

メリーさんが「帰りたい」といったのは、彼女自身の問題であって故郷がつまらない場所だからではない。彼女の一族は最寄り駅からほど近い場所に、四軒がひとかたまりになって暮らしてきた。メリーさんの実家の四つ角を挟んだ斜め向かいが一族の本家である。家業は製材所で、昔に住む別の親族とともに共同経営している。その事務所でわたしは家長の方に話を伺った。ほかにも数名の方がいらしたが、全員が親族や近所の方々なので非常にやりづらかったんを覚えている。

家長はメリーさんとは全く似てなかった。分厚いめがねの奥の目は小さくて丸く、どことなくタヌキを連想させた。年齢はメリーさんよりひとわまり下で、その世代としては中背である。

「あの人が」……彼はメリーさんのことを「あの人」と呼んでいた……「あの人がそういう商売をしていたのは知っているよ。伊勢佐木町で80過ぎてね……。その話は酒の席で本人から聞いた。もう死んだけどね。老人ホームで」一族の間ではメリーさんの話はタブーになっており、よその土地からやって来た向かいの家の嫁は、晩年のメリーさんが故郷にいたことも死んだことも知らなかった。まだ横浜で健在だと思っていたそうだ。

「あの人の話はしないほうがいいな」と言いつつ、家長氏はうれしそうに、軽く小ばかにしたような感じで話をつづけた。話したくてうずうずしているようにも見えた。「わたしは彼女よりひとまわり以上年下だから、それほどよくは知らない。私が子供の頃には、もう村にはいなかったから。でもときどき帰ってきてたね。顔は知ってるよ。
よく覚えているのは、昭和20年代の終わりか30年くらいのことだったかな。突然帰ってきたことがあるんだ。その頃、わたしは学生だったな。
(メリーさんは)鳥の羽がついた帽子に(ひざを組んだ脚を触りながら)こんなブーツを履いてさ。西洋訛りの服装をしていたね。西洋でも位の高そうな格好でさ。あんな服装をしてる人はいなかったから、みんなが足を止めて見とれていたよ。背も高いしね(実際のメリーさんは背が低いが、この土地の老婆としては平均的な身長ではある。ブーツのせいで背が高く見えたのだろう)

そのころになると、さすがにモンペや袴を履いている人はいなかったけど、それにしてもとっぴな服装だった。
10年位前まで、オンリーから手紙が来ていたよ。差出人の名前は知ってるけど、言わない方がいいな」

「その人はどうしてここから出て行ったんですか?」私は訊いてみた。
「人減らしで…」あるいは「人でなしだから……」と言われたが、どっちだか聞き取れなかった。
聞き返したら、なにも話してくれなくなった。
「ここいらであの人の話を訊いても反感を買うだけだよ。訊かないほうがいい」

*写真はメリーさんの最寄り駅
メリーさんの故郷では集落のことを「部落」とよぶ。
彼女の実家のある部落には、住人が誇りとするものがある。それは村人が総出でつくった人造の溜池だ。働き手である男子があらかた招集されてしまった昭和10年代後半、小学生の女の子まで動員して文字通り村人総出で工事したという。「みんなで力を合わせれば、専門家がいなくたって何でも出来るんだ」という強い気持ちを実証するものとして、地元の小学校の教材に取り上げられている。

この池からメリーさんの実家まで300メートルあまり。ほぼ間違いなく、メリーさんも造成工事に参加していたと思われる。

わたしはこの池のほとりに建立された造成記念石碑の設置委員長であるUさん(昭和14年生まれ)に案内してもらいながら、詳しいお話を伺った。

池は25メートルプール四つ分くらいの大きさだ。奥行きはおよそ50メートル、深さは6メートルくらい。ヘドロが1メートルくらい堆積してるんじゃないか、という。現在、ヘドロ除去のため、三年に一度、水抜きしているそうだ。

池にはフナと鯉、エビ(鯉のえさ)、タニシが住み着き、冬になると100〜200羽の渡り鳥が飛来する。
Uさんは「子供のころはよく泳いだり、筏を浮かべたりして遊んだな。鯉釣り大会したりもしたもんさ」といって目を細めた。

地元の人は保育園の散歩道にするなど、幼少期からこの池に親しんで育つ。眺めがいいので百姓が一仕事したあと、ここに来て休憩したり、弁当を広げたりすることも多い。池の畔は桜の名所でもある。今頃、彼の地では花見の真っ最中であろう。

池は小高い場所にあり、堤の縁に立つとメリーさんの実家近辺が快適に見渡せる。そのまま池の脇を通り過ぎ、土がむき出しの道で歩を進めると山林に入る。その奥に竪穴式住居があるという。
「でも行っても単なる山だから(普通の山にしか見えないから古墳だってことが)、分からないよ」とUさん。
この地区には、古墳が三箇所ある。旧石器時代から人が住んでいたためだ。池の堤防を作るとき脇を掘ったところ、みかん箱がいっぱいになるほどの土器のかけらが出土している。

*写真 郷土の誇り、溜池の写真
>笑う白狼さん
レス、ありがとうございます。
もしかして最期まで反響なしかな、と思っていたのでほっとしました。

場所が特定出来ないように注意しながら、しばらくメリーさんの故郷の話を続けます。
横浜時代のエピソードに関しては、もうしばらくお待ちください。
メリーさんの故郷は街道筋から外れた場所にあり、山に囲まれているため、江戸時代までは孤立したエリアだった。したがって世界はせまいまま完結しており、産業も娯楽も地域内の自給自足でまかなわれていた。

藩から市場制度が認められていたため、現在商店街になっている通りが市場になっていた。「商店街」といっても、コンビニはおろか、食堂さえない。農業関係の品や生活必需品を取り扱う店が、細々と営業している。私は日用品をまとめて取り扱っている乾物屋のようなところで、カップラーメンと菓子パンの昼食を取った。店の片隅にある窮屈なテーブルをお借りしていると、近所の方々がやってきて買い物がてら、異邦人にも声をかけてくれる。会話を楽しんでいると、知らず知らずのうちに郷土の歴史や地理に詳しくなってしまうのだった。

「そうそう、おもしろいものがあるんだ」店主はそういうと、私を外に連れ出した。アスファルトの割れ目から一本の若木がにょっきり顔を出している。なんでもテレビ局が取材に来たこともあるそうで、店のシンボルとして大切にしているそうだ。
5の補足;
商店街は駅からずいぶん離れた場所にあります。
近代に入り、村を貫通する国道ができたのですが、その国道から脇にそれた場所にあります。
駅前には商店が一軒もなく、バスはおろか、タクシーさえもいません。旅館の類もありません。
>現在メリーさんに対する評価は以下の三つに大分されます。
>1.好意的評価=メリーさんは美しい生き方をした気骨のある人。
>2.なつかしい思い出(それ以上でもそれ以下でもない)。
>3.否定的評価=ずっとその辺を彷徨いていた売春婦じゃないか。祭り上げるなん>てとんでもない

檀葉様
言いえてますね。
所詮私は、2でしかないんです。
現実は、3なんですよ。

私は、初日の伊勢佐木町の行列に並んだニュースの写真に私は映っています。
そして、映画に感動して涙しながら五大路子と握手もしていただきました。

でも、冷静に考えてみると所詮、2でしかないんです。

大好きな映画「ヨコハマメリー」。
でも、所詮2でしかない自分が何故か哀しいです。
>YOKOHAMA77さま

いえいえ、2の方がうらやましいですよ。
1933年(昭和8年)3月27日、メリーさんは自宅から2キロほど離れた場所にある小学校を卒業している。個人情報保護に厳しい世情を受けて卒業名簿に目を通すことは叶わなかったものの、事情を説明し、教頭先生に確認して頂いたので間違いないはずだ(本当は卒業写真に写っている12歳当時のメリーさんも確認したかったのだが)。
 
 メリーさんが通った小学校の校舎は昭和50年代まで木造だった。この辺りの小学校はみんな似たり寄ったりで、都会の学校からかなり遅れて建て替えられた。現在は、味気ない鉄筋コンクリート製である。

 小学校に隣接して中学校が建っていた。木造時代の写真が小学校の廊下に掲示されているので、当時の様子を知ることが出来た。小学校が三棟の平屋なのに対し、中学校は当初一棟の平屋だったが、のちに建て増しして二階建てになった。しかし建設当初、両校の校舎はデザインも大きさもお揃いだったそうだ。

 中学校の開校は昭和24年と、小学校に比べてかなり遅い。それはこの村が隣町から分離独立したのにあわせて、中学校を開校したからだ。その後、村はふたたび隣町と合併して元の鞘に収まり、オイルショック以降、人口が減ったことも影響して中学は廃校になった。この校舎は縫製工場として、第二の人生を歩んでいる。

*かつての中学校校舎(現・縫製工場)
 メリーさんが通った頃の小学校は、こんな風だったという。
 メリーさんの最終学歴は、小学校卒である。しかし絵を描くのが趣味で、筆ペンで紫式部の絵を描いたりと風雅な一面を持ち合わせていた。普通の人が知らないような難しい言葉を使っているなど、教養の高さを伺わせるエピソードも聞いている。きっと女学校(現在の中学校に相当)に対して強いあこがれを持っていたのではないだろうか。

 女学校に行くためには金があって勉強も出来なければいけない。私が話を聞いたメリーさんよりひとまわり若い老女は、父親から「女学校に行くか、嫁入り道具を揃えるか、どちらがいいか?」と訊かれ学校を選んで進学した、という。女学校に進学するのは1クラス40人のうち5人程度だった。

 当時の女学生は、男子生徒とまったく関わり合いになる機会がなかった。電車に乗るときも「今はこの路線は単両編成で運行するのが普通ですけど、私たちの頃は三両編成でした。一番前の車両に男子中学生、いちばん後ろの車両に女学生が乗るのが習わしだったんですよ。

 当時の鉄道は汽車だったんですよ。石炭焚くでしょう。煤煙がすごくて。トンネルに入る度に窓を閉めてましたね。A町から大きな街であるTに行くときは良いけど、逆方向に行くときはトンネルがようけ(たくさん)あって大変でした。

 男子学生とのデート? あったかもしれないけど、私はしたことないし、そういった話も聞いたことがありません。わたしは男の子とは話もしなかったわ。

 小学校は四年生まで共学。でも卒業しちゃうと全然話さなくなるんですよ。汽車でも別々だし。小学校のクラス会も全然なくて、最初のクラス会は卒業してから二〇年くらいしてからだったかしら。そのときやっと同級生の男の子と話したんですよ」とのことだった。

 一方、女学校のクラス会はかなり多く、毎年やっていた時期もあったそうだ。いまもときどき集まっているが、同窓生と再会するのはとても楽しいという。
昨日メリーさん伝説の起点となった週刊誌のグラビア記事を発見した。
(写真)
メリーさんのマスコミ露出は1980年か81年が最初だと予想を立てていたが、1982年1月だということが判明。
ほぼ予想通りだった。

「子供の頃見たメリーさんは怖かった」という話をいくつか聞いているが、この写真を見ると納得出来る。
目張りがあまりにもすごい。

この記事には(半ば虚言だが)彼女の身の上話も出ていて、実はデビュー時点ですでに多くの謎が解明されていたことが分かった。

メリーファンにはショックかも知れないが、この記事を書いた記者は、メリーさんに脱いでもらって身体のチェックまでしている。

のっけから、メリー伝説は汚されていた。
大変興味深く読ませていただいております。
ただ、メリー伝説は汚されていた、とのことですが、その話を読んでも別に汚されているようには感じないのですが。
勝手な感想をすみません、続きを、楽しみにしております。
>K.Mさん
書き込みありがとうございます。

現実問題として、メリーさんの謎や身元を少しでも暴く行為は冒涜だ、という方、いらっしゃますので。
K.Mさんのような方ばかりだと楽なのですが。

勝手ながら以後、更新はブログで行うことにしました。
 ↓ ↓ ↓
「メリーさんの故郷の写真」
http://yokohamamerry.jugem.jp/

よろしくお願いいたします。

ログインすると、残り3件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ヨコハマメリー 更新情報

ヨコハマメリーのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング