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セロトニン神経を鍛えようコミュの障がいは個性だ!!

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精神障がい者のグループホームの世話人をして4年ほどになるんですが、つくずく考えさせられることがあります。
厚生労働省発表の心のバリアフリー宣言でも5人に一人がうつ等、生涯を通じて何らかの精神疾患に陥る可能性があるといわれている中、精神障がい者(これは主に統合失調症の方)への差別、偏見はいまだに根強く国が言う当事者を施設から地域へというのは良いが、地域の受け皿が十分に出来ていない状況で共同、共生には程遠く正しい地域への知識の啓発がもっと必要だと感じます。
利用者の一人がポツリと言った「自分はいつになったら仕事が出来るようになるのかなあ?」とつぶやいたその一言がいつまでも心に突き刺さった。
極端な言い方だが、社会に適応するためには、あなたはある意味、転落しなければならない。ある精神疾患者がどこもおかしくはないということはよくある。ただその人があまりにもエネルギーがありすぎて社会に適応できないだけというケースだ。彼は道を踏み外す。精神障がい者というのはあまりにも独立した個性でありすぎるのだ。精神障がい者というのは一定の事にあまりにも才能がありすぎて社会に適応する事が出来ないのだ。それに、あらゆる天才たちは常に社会と不適応であり続けるということを覚えておくべきだ。そして、あらゆる天才のうち80パーセント近くの人が必ず精神病院の旅をするという統計もある。
そして著名な精神分析医R.Dレインも言っているように精神障がい者の中に少数に正常より転落したのではなく、実は正常を超越した人たちがいるという現象に気づいている。精神療法医などを必要とするのじゃない何百万人という人々がいるかも知れない。彼らは最初のいわゆる悟りの境地に到達しているのだ。それを精神療法いうものはどれもこれもある意味、強引に正常に戻そうとしている。そういう人たちというのはあなた方よりましな状況にいるのかもしれない。彼らは成長を遂げているのだが、ただその成長があまりに風変わりなので最初はそうならざるを得ない。彼らは最初の悟りの段階に入っているのだろう。私たちはその人たちに罪悪感を抱かせてしまったかもしれない。私たちは「あなたは気がふれている」と言う。だから彼らもそれを隠そうとし、しがみつこうとする。そして固執するのが長くなればなる程狂気もそれだけ長くまとわりつく。
異論があるかもしれないがフロイドも言っている。「人間は決して幸福にはなり得ない。人間は病的に不幸か正常に不幸であるかのどちらかだ」と。
ちょっと過激な発言をしてしまいましたが、障がい者にとっての一番の癒しは家族の押し付けではない、かくれた慈悲の愛が大事だと思います。そして服薬は大変重要で昔と比べて処方薬のレベルは格段に上がっています。

しかし、うつ病等の疾患者には薬は杖にしかならないことを再認識しなければいけない。もちろん助けにはなるが、それだけに頼ってはいけない。今はきついかも知れない。だが、食事療法、運動療法、90パーセント以上のセロトニン神経を生みだす胃腸学等、呼吸法さまざまな角度から私達の意見を交換をしていきたいものだ。

何事もバランス感覚が必要ですよね。過ぎたるは及ばざるが如し。

コメント(39)

何をもって正常なのか
どこからが正常ではないのか

果たして、そもそも正常いう言葉自体が正しい在り方なのか

精神科医様にお伺いしたいところです。
あくまで“有能”な方にですが・・・
病んでる方が読むには慰めにならず、多少過激だとは思いますが・・・
発症1年数ヶ月(実際に症状が出始めたのでは3年程)、通院開始後は休職をしています。
数ヶ月前に読んだら、きっと“ケッ!”っと思ったと思いますが、今の私は少々賛成です。

特に“薬は杖にしかならないことを再認識しなければいけない”は今は同感です。
皆さん担当医には苦慮されているようですが、私は本当についていました。
相性、考え方、治療方法等、今の担当医がピッタリです。

初めの“身体化障害”(ストレスを認めないから膝痛や障害多発)の段階では“認知”が主。
後はカウンセリングの如く、話を沢山聞いてくれて上手く話させてもらいました。
その後“ウツ”併発時は愚痴を聞かせまくってました。ドンドン薬が増えました。
その後回復傾向と認識されたのか“運動”“補助栄養(DHAなど)”“生活リズム”を指導されました。

“そう言われても体が動かない、起きられない、気力がないから無理”と初めは思っていましたが、少しずつ出来るようになってきて、今はかなり回復をしています。自分でそう思えます。
病気が原因で退職勧告を受け、今は真っ向から戦えるようになって来ました。

担当医の考えは、やはり“薬には限界がある”
昔は殆どの場合“療養”を勧めたが、最近の傾向では“運動療法”が認知されつつあるそうです。
セロトニン対策には、やはり日を浴びて運動が欠かせないと。

担当医の良し悪しも大きく作用すると思います。
投薬治療の占める割合は日に日に大きくなってると思います。 薬がない昔だったら、偏見と無理解のなか、自殺か世捨て人か、宗教にすがるかだったでしょう。・・・

結果を残した天才は、常識と偏見を言い換えても差し支えありませんが、凡人はその偏見(その時代が求めてる“正常”)に合わせて生活していくのに必死です。

偉そうにすみません。

> ももすけママさん
良くなられてきて良かったですね。

私の担当医は、よく「薬はそっと背中を後押ししてくれるものだからね」と話します。

やはり薬がよければ良いほど依存が始まるからでしょうか。

先生もきっと試行錯誤されてるのかもしれません。
患者もきっと試行錯誤して行くことは 良いことですね。
セロトニン神経は90%以上、胃腸で作られるのですね。
知りませんでした。
今は鬱もよくなり元気ですが、胃腸が非常に弱いので心配です。
みかさん>
初めまして。セロトニンって胃腸で作られているのですか!
驚きです!私はパニック障害ですが過敏性腸炎で胃腸も弱いのです涙

ここのところお腹も下しっぱなしで体重も落ちるので何かいい方法はないかなと思っていました…。

お薬飲んでも胃は荒れますし。。困ったものですよね。。
スピリチュアルエマージェンシーというのもありますね電球
> にさん

こんにちはわーい(嬉しい顔)
私もこのトピで初めて知りましたあせあせ(飛び散る汗)
でも考えてみると、私は18歳で初めて十二指腸潰瘍になって19歳で初めて鬱になったんです。
やはりセロトニンがうまく作られなかったんでしょうかね。
34歳で潰瘍はピロリ菌除去して完治しましたが、最近(39歳)また超多忙なため胃腸の調子が悪くなってきました。
鬱にならないウチに潰瘍を治さねばあせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)
しょうこ@TWO-MIX祭さんのおっしゃるように、食事に気をつけると随分違いますね。
私は刺激物、カフェイン、アルコールは一切とりません。
で、体が欲するものを食べるようにしています。
それはかなり正しいような気がします。自分にとっては。
でも何がよくて何が悪いかがわかるようになるまでは時間かかりましたあせあせ(飛び散る汗)
気づけば初めて潰瘍になってからもう20年あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)
セロトニンとの関わりをやっと知りましたウッシッシ
お互い早くよくなるといいですねウインク
私は胃腸がとても丈夫です。
セロトニンに良いとされるものも、好物が多く毎日摂ってたけど、鬱になり今も最悪です右斜め下右斜め下
精神疾患を抱えている人に、一次障害として発達障害の特徴を持っている人もいますので、トピ主さんの話は、的を得ていると思いました。
>13コロさん、

セロトニン症候群ではありませんか?SSRIの過剰摂取とか他の薬とのバランスよく採れてますか?
自分と相性のいいお医者さんはいらっしゃいますか?

今は、本当に辛いと思います。凄く解ります。
でも、物事をあまり急がないことが重要かと思います。
その辛さは、あなたを悲しませるためにあるのではないと思いますよ。
この辛さは、ただあなたをもっと油断なくさせるためにあるものではないでしょうか。私達は矢が自分の胸に深く刺さって、傷つかないかぎり、油断しないようにはならないからだと思います。
そうならないかぎり、私達は油断しないようにはならないのではないでしょうか。生きることが簡単で、心地よく、都合がよければ、誰が気にする必要があるでしょうか。 油断しないようになろうなどと誰が悩むことがあるでしょうか。

お医者さんが病を治すのではありません。あくまでもあなた自身が治すのです。

やまない雨は決してありません。

どこかのタレントさんが言ってましたね。生きてるだけで丸儲け。

生は決して深刻なものではないと思います。遊びに満ちたものだと思います。
>コロさん、
>花さん、

・・・読み返して思いました。言葉って難しいですね。

傷つけてしまったら謝ります。

ゴメンね。あせあせ(飛び散る汗)涙

             Peaceful and Loveハート達(複数ハート)
> Kavito(Khaz)さん
たくさんの励ましありがとうございます。

確かに今、自分の状況に埋没してしまってます。でも自分で変なことしない限り、生きてるのでちっぽけな問題かもしれないと言えます。

生を根本的に大らかに喜んで感じる子供のような心をなくしてました。

ゆっくりやって来ます。
ありがとうございました。
>しょうこ@TWO-MIX祭さん

コメントありがとうございます。

確かに食生活って本当に大切ですよね。

私はお医者さんに行ってお薬を飲む前はお酒もよく飲んでいて職業柄不規則な食生活だったのでうが、
お休みをしてお薬を飲む様になってからお酒もナシ生活を今でも続けてます(何故か身体がアルコールを受け付けなくなりました)。

食べるものに関しては、お医者さんに、考えが摂食障害と同様と言われました。
食べ物を目の前にするとカロリーや油が気になりだして最終的に食べたくなくなってしまいます…。


健康でいることがこんなに難しいんだと痛感している今日このごろです。

でもアドバイスいただいた通り、もっと意識して食べ物について考えたいと思います。

ありがとうございます!
>みかさん

やはり、食べものって大きく関係してくるのですね。

身体が欲する食べ物…。わたしはまず食べ物を欲する身体作りから始めたいと思います!

人との待ち合わせや仕事の締め切りなど、些細なことでお腹が痛くなっては日常生活もままらなくなってしまいますもんね。

パニック障害やら適応障害やらそのたもろもろ、自分で理解するのにわたしももう少し時間が掛かりそうですがゆっくり、じっくりですね。

こちらで、一緒に頑張れる皆様とお話出来て心がホッとしました。

ありがとうございます!
ある種の精神的な障害を持っているとされる人々の
ポテンシャルについては、
トピック主さんの訴えたいことはよく理解できますし、
こういう切り口を題材にした洋画もいろいろありますね。

ただそれと、われわれのいまの社会との調和や適合
はまた別の議論として考えるべきものだと思いますね。
相互の理解が必要な、「相手がある」話ですから。

消化器におけるセロトニンと、脳内のそれとの相関関係に
ついては個人的には疑問符です。以前病んでいたとき、
自分でもいろいろ試すなか、病院にいってわざわざ血中
セロトニン濃度を測ってもらったことがありましたが、病中
と寛解期における濃度には、有意な差は見られません
でした。

ちなみに私は座禅呼吸と日光と食事で活性化してます。

それよりも、トピックにおいて「障害者」のことを
「障がい者」と表記されている点が、個人的には残念な印象
が強く、文章そのものの説得力が損なわれているように
思えてなりません。お気を悪くされたらすみませんが。
なるほど。私も統失かな。私の診断書にはそうあります。
同じ統失にも段階がありますね。
>にさん

私もたばこ、アルコール、カフェイン、刺激物は体が欲しなくなりました。
正直な体の声でしょうね。
食べたいものを食べたいように食べられるようになるといいですねウインク

私は3回鬱を繰り返し、2回目はMarceroさんに似ていて丹田呼吸法と太極拳で治し、3回目はレイキヒーリングで治りました。
そして日光に当たることも心がけました。
でもまず鬱の時は朝布団から出ることができないあせあせ(飛び散る汗)
日光を浴びるまでが熾烈な戦いでしたもうやだ〜(悲しい顔)

にさんのおっしゃるように鬱の時は待ち合わせに行くのも命懸け、提出物の締め切りが近づくと死にたくなっちゃうなんて日常茶飯事でした。
でも今ではすっかり元気になって自宅で子供の英語教室を開いて毎日楽しく暮らしています。
ま、明日のレッスン参観と保護者会の準備はまだできていないというところは相変わらずですが、死にたくはなりません(笑)
だからにさんも明るい希望を胸に、今できる小さなことをできるときにできるだけやって、できたらその幸せに浸ってください。
そして脳内麻薬やらセロトニンやら分泌させてくださいね〜。

きっと大丈夫ですよ。
悪いことばかりは続かないから!!
> Marceroさん

私も丹田呼吸法、太極拳、日光を浴びる、などでかなり回復しました。
やはり呼吸法はすごいと思います。

「障がい者」ですが、先日たまたまその話題が出て、「障害者」だと何か害がある人のように感じられるので「障がい者」という表記に決まったとのことです。
なるほど、と思いましたが、やはりぱっと見てなんか違和感はありますね。
意味がわかりづらいし。
「障害者」自体言葉を変えたらいいのかもしれませんね。
何がいいのかはわかりませんがあせあせ(飛び散る汗)
障害者が個性なら、普通と言われる一般は没個なのでしょうか?
へただりがあることや現実は理解できますが、トピ主さんの中での区別はいかがなものでしょうか。
すみません。
たまたま「障害者」が目についてのがレスのきっかけなもので。
言いたいことだけ垂れ流させていただきます。ご容赦を。

個人的には「障害者」でいいと思っています。
そもそもの意味としては、「心身になんらかの障害をもっているひと」といういみですから。
客観的で何の色もないと思います。
(そもそも「障害」とみなすこと自体が問題だ、という主張からみれば駄目でしょうけど)

いうまでもないことですが、その人自身の人格・パーソナリティになにか
まわりの人へ害をおよぼすような、そんな意味合いはまったくありません。

昔からずっと使われてた用語です。

ところが、ここ10年前後で、
「呼び方に「害」という字がつくと、なんだかその人たち自身が害のある存在
みたいなかんじがしてよくないと思います!」
「害という漢字がいけないと思います!」
「じゃあ、ひらがなにしましょう」
「ちがう漢字をあてましょう」

と、自称
「障「がい」者に理解のあるひとたち」
がさわぎだしたんですね。
「障がい者のひとたちも、こうしたほうが心を痛めないにちがいない!」と

特段アンケートをとったり、そういう主張がおおくの障害者のひとたちから
でたわけでもないのに。
へんてこな話です。

いまの日本の国というのは、一部の声の大きいアレな人たちが「弱者差別だ!」
「配慮しろ!」というと、少々(というかかなり)おかしな主張でもあまりふかく考えず
に通ってしまうことが多い、ちょっと困ったとこがあります。

この件についても、ちょっと考えれば「的外れなおせっかい」であることが
わかろうものです。

「害」を「がい」に書き換えただけでも、意味は「害」のまんまなんだから
もし上のような主張をするにしてもなんら本質的な解決にななってません。
そもそも、「障」のほうだってよくない意味の言葉なのになぜ・・・(苦笑)
この言い方がいやなら、欧米の「disability」「hanndicapped」等参考に
して「〜が不自由な」とか「ハンディを持った方」等をはじめより適切な呼び
方を考えてそれを広める運動をするのがあるべき方向でしょう。

・・・・そもそも、障害者の大半は「そんなこと、どうでもいい」と思っている
はずです。障害が、障がい、になったところでなんの意味もないのです。

だから私は、いろんなとこで「障がい者」という文字をみると、切ない気持ち
になって、こういうことを言わずにはいられないんですね。

とくにトピ主さんのような最前線で素晴らしい取り組みをされているような方
が言われてたりすると、なおさら切なくなるわけです。

乱文失礼しました。

【補足】

座禅呼吸については、とくにお教えできるような大層なものはないですよ。

どこにでもあるノウハウ
・姿勢を整えて
・鼻から吸って口から吐いて
・すうとき短く、吐くとき長く 必要に応じて息とめたり
・長くて30分以内

とかくらいを意識して毎日やってます。
詳しくはいろんなサイトでやりかた調べるとよいです。

自分が重視してるのは、
座禅呼吸そのものではなくても、
「脳内酸素濃度が低下すると、セロトニン活性が向上する」
という説を個人的に信じている点で、
(座禅もその理屈に沿ってると思っている)
たんにいらいらしたり不安感が募るとき等は
意識的に息を深く長く吐く→そのまましばらく息とめる。など
やってます。

前頭葉近辺がじわーっと気持ちよくなって、セロとニン神経
が活発になってくる感じがしますね。

以上補足でした。
障害者=「できないことに対する障害の壁がある人」と考えていますので
障害者という言葉自体は差別的ではないと思います。

ただ、これは障害を持つ本人自身が言う言葉であって
障害を持たない健常者が障害を持つ人に対して、言う言葉ではないので
「障がい者」や「障碍者」などの表現に変えることも
間違っていないと思います。
(読み手によって異なるだけだと考えています。)

※発達障害でも「発達障がい」や「発達障碍」の言葉
 は良く使われます。
トピ主が中二病なだけだと思われますが

多分10代の方でしょう

生暖かい目で見守ってあげましょうw
トピ外れですが、以前、不安神経症になり、東洋医学系の先生に 呼吸のことを指摘されたことを思い出しました。

情緒不安定の人は、呼吸が浅くなってるそうです。

その先生は、「私は呼吸がポイントだと思っています」て話されてました。
その大切さを解らず全然実践しなかったけど、これからやってきたいと思います。
まじめなんだから、本当にもう。(笑)失礼!!

>情緒不安定の人は、呼吸が浅くなってるそうです。

そういう時は決して呼吸法、瞑想等はしないで下さい。

今は、ただ、自分にとって本当に気持のいい呼吸を心がけてください。(方法とかは考えず)

決して急いではいけないと思います。

セロトニン神経を元に戻すためにも。
> Kavito(Khaz)さん

呼吸法や瞑想が良くないことがあるなんて、と初めて聞きました。

普通か゛没個性なんて飛躍し過ぎ
そもそも普通って何なのさから始めて欲しい
人から差別されない幸せを享受しているのだから

障害を個性とする為に生きようと私も思う
管理人であるKavito(Khaz)さんがコミュの開設から数年たってあえて現在、このよくいえば啓蒙的、見方を変えると精神障害者への憧憬とも思える様な内容のトピックをたてる意図はなんでしょう?

文面からKavitoさんが、何らかのセロトニンの分泌にまつわる病気(鬱、神経症etc)を自分で体験し解癒した経験を持っていない気がするのですが、いかがでしょうか。

もしKavitoさん自身が実体験と解癒を経験しないでこのトピックの文を書いているのだとしたら、私には客観性を欠いた精神障害者への憧憬でしかないように思えるのですが。

ちなみに私は解離性障害と気分変調症です。
30で障害を発症してから薬餌療法と心理療法士によるカウンセリングを受けています。それを踏まえた上で、また自分自身が僧侶の立場として、言わせていただくと精神障害は「悟り」の初期段階にあるという文面は実体験と仏教学的な視点から極めて語弊があると言いたい。
悟りは自己と自分が認識する世界という二項対立の関係の客観的な自己分析の果てに、自己も自己が認識する世界も固定的実体を持たないがゆえに、二項対立を超えて一元論的な世界を獲得してゆくことにある。
精神障害が正常な客観的自己分析を継続的に行なう事が困難な状態であることは実体験しています。
呼吸は浅いですね
仕事終わるとハアハアしてしまいます
タメ息も沢山

鬱や糖尿は嫌われ者だけど
私そうよexclamation
誰にも迷惑掛けてないexclamation

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