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懐疑論者の集い-反疑似科学同盟-コミュのナンバ走りについて

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疑似科学とはちょっと違うけど、他に適当なところが無かったので・・・・

ナンバ走りってホントにあったのですか?
どうも信じられないんですが。
TVでも、特に根拠を示さず、ただそうであったと断言するだけ。

もし根拠に乏しいのに、まるで事実であるかのように喧伝するなら、疑似科学と似てますよね。
実際のことろはどうなんでしょうか?

コメント(148)

かずめ さん

>しかし、当時の庶民の「走り」が、現代人から見て「走っている」と見えるような機能的な/速い/洗練された走り方ではなかった、という可能性はまだあるのでは、と考えています。

いや、だからそれは「走ることがあったかどうか」ではなくて「走り方の様式がどうだったか」でしょ? 今のような走り方でないと走ったことにならないなんて馬鹿な定義をするのでない限り。

議論は歩行法に集約したほうがいい。あいまいで理解も不十分なパラメータを最初から組み入れても、出て来るものは混乱以外にありません。
>赤ん坊や幼児の動作が自然に二軸歩行になるとしても、そこから速さや持久力を引き出した形での「ナンバ」に到るまでには、やはり相当意識しての鍛錬が要るものではないでしょうか。「自然の動きに近い」から「速度と持続力に優れた動き」とは限らない気がするのですが。

このあたりも混乱されているように思えます。武智氏や甲野氏が「ナンバ」という言葉を深い考えなしにあいまいに使ったからでしょう。

舞踊(武智)や武術(甲野)には「ナンバ」という動きがある。これは江戸時代以前の歩行法が残ったものだ。これを「ナンバ歩き」と呼ぼう。江戸以前の日本人はナンバ歩きをしていた。

乱暴にまとめるとこんな感じなんですよ。「ナンバ」という言葉に舞踊や武術の足運びといわゆる二軸歩行、二つの意味で使っている。むしろナンバという言葉を二軸歩行という意味に再定義している。
そのため「ナンバ歩き」と舞踊や武術の「ナンバ」で混乱が生じている。
いっそ「ナンバという用語は、ここでは使わないほうがいいかも知れませんね。

甲野氏の考える二軸歩行と西洋式の歩行、対比としてはこんな感じなんでしょうね。

(仮想)江戸人の歩行:西洋式歩行
舞踊の足運び:バレエの足運び
(仮想)飛脚の走法:マラソンランナーの走法
(走れないと仮想):短距離ランナーや野球選手の疾走
武術の足運び:不明

で、左をすべて「ナンバ」と総称
>112
ナンバについて、自らの体感や観察による根拠を繰り返し主張されてますけど、個人的にはどうも理解できない体感なんですよね。
例えば>97の、
>朝起きてトイレに行く時手を振るか?
>電車から降りて戒壇を降りる時手を振るか?
と言われても、はい、手を振りますが?としか答えられない。
おっとおっとの体の動きのように、瞬間的にナンバ的(?)な動きをすることがあったとしても、それが私たちの体の中にある本来の動きだというのも論理が飛躍してると思う。
現代人の体感がベースとしても、もっと客観的な説明はないものでしょうか。(112の説明は今までよりは客観的だけど、「黄色人種の一番楽な歩き方」などと言われてもぜんぜん楽と思えないんですよねー)
なぜ私たちがナンバ歩行をしていたかというもう一つの説は、田畑のようなやわらかい土地、平坦ではない山間の土地で、わらじや下駄や裸足のような踵の保護されていない足元で歩く場合は、あまり手を振らない二軸歩行が自然だというものです。
ひょっとすると、意外と江戸っ子とかは現代風に歩いたり走り回っていたかも知れませんねわーい(嬉しい顔)


>111、べべ様

>武智氏や甲野氏が「ナンバ」という言葉を深い考えなしにあいまいに使ったからでしょう。<

これは、違うのではないかと思います。

武智鉄二の理論の根幹には、民族特有の身体操作や身体芸術は、その民族の原初生産性に大きく影響される、という原理があります。日本民族のような牧畜を兼ねない純粋な農耕民族の労働は、右半身が前に出れば左半身が後ろに引かれる、身体のどの部位も捩れない半身の姿勢でなされ、この半身の姿勢を舞踊の用語ではナンバと呼ぶ、と言うのが武智氏のナンバの説明です。“姿勢”ということでは、武智氏の著作の中では鎌倉期の仏像のポーズをナンバと表現している文章もあります。
ただ、武智氏自身の著作中でも、ナンバが姿勢をさしている場合と、運動をさしている場合が混在しており、そういう意味では“あいまい”に使われている面もあります。その辺をふまえて、歩行法であることを明確にしたい場合には“ナンバ歩き”という言葉を使う人がいるのではないかと思いました。武智氏自身は“ナンバ歩き”という言葉は使っていないようですが。

農耕民族ということで、>90、てくすさんの
>現在、世界のどこかで、いわゆる「ナンバ歩き(走り)」の動作が日常的となっている民族や部族は確認されているんでしょうか?<

という質問に対して、武智理論では、牧畜を兼ねない純粋な農耕民族は世界でも稀なので、ナンバの動作が日常的となっている民族も稀である、ということになります。原初生産性に牧畜が含まれている民族の身体活動には、家畜を追いかけたり、家畜の不意の動きに対応したりするための動作が含まれる、ということらしいです。
ただし、民俗学者の野村雅一氏はこれとは反対の見解のようです
http://www.eonet.ne.jp/~pilehead/kirinuki/sigusa.htm

あと、農業生産ということでもう一つ
武智氏は、江戸時代になると農業生産から離れた都市生活者の日常動作については、ナンバ的動作から非ナンバ的(かつ非西洋的)動作への転換が見られ、享保ごろから都会の消費的(非ナンバ的)身振りの生活が始まったとしています。浮世絵では、春信(1725−1770)以前の人物画は皆ナンバで、歌麿(1753−1806)以降からは非ナンバ化が見られ、歌舞伎舞踊では、ナンバから非ナンバへ完全に置き換わる過渡期に、右足が出る際に右肩が出るナンバの動きを守りつつ、逆に右腕だけ後ろに引くことで、非ナンバ的な動作を表現する“逆ナンバ”の所作が工夫されたということです。
>99でべべさんが挙げておられる九代目団十郎も、武智説では非ナンバ的所作の世代になるのかと思います


武智理論では、“農民”であるか否かは重要な要素となります。
このトピで「江戸時代の庶民は走らなかった」「江戸時代の庶民はナンバ歩きだった」といった表現が散見されますが、「江戸時代の庶民はナンバ歩きだった」と、「江戸時代の農民はナンバ歩きだった」では、場合によっては意味合いが大きく違ってしまうかと思います。


参考文献
「伝統と断絶」 武智鉄二 1969年 風濤社
「舞踏の芸 (日本の芸シリーズ)」 武智鉄二 1998年 東京書籍

印象ですが、作者の目的は、日本の伝統的な身体操作法を学術的に究明しようということよりも、日本の伝統芸能が直面している危機を理論付けて、対処法を考えようといったことにあるのではないかと思いました
そのためか、異論、異説の多々ありそうなことを、バッサバッサと斬り伏せて先に進んでしまうようなところが見られ、スルッとは信じられない面もあります
ただ、“ナンバ”に関する諸所の説に、武智理論が与えた影響はやはり大きく、読んでおけば面白いのではないか思います。
>身体のどの部位も捩れない半身の姿勢でなされ、この半身の姿勢を舞踊の用語ではナンバと呼ぶ、と言うのが武智氏のナンバの説明です。

なるほど。これだったら納得できます。
ただ、そうすると、ますます甲野氏や、今ここで使っている「ナンバ」の使い方とも違うことになるので、ますます「ナンバ」という言葉をここで使うのは混乱を招くだけ、という気がします。

>99でべべさんが挙げておられる九代目団十郎も、武智説では非ナンバ的所作の世代になるのかと思います

この辺、甲野氏と大きく意識の違うところですね。
どう解釈したものか......
かねこまさんがご紹介されている民族学者野村雅一氏の文章に
>トルコの近衛兵団のイェニチェリの行進は、ヨーロッパのいわゆるトルコ行進曲に楽想をあたえたことで
>有名だが、かれらの行進もナンバ式なのだ。
とあります。

イェリニチェリには西洋式のマーチをすることもありますが、伝統的な楽曲でマーチをおこうなう時は確かに変わった歩き方をします。
多分、下のYouTube映像にあるようなものだと思いますが・・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=aHCLdIO-DM0&feature=related

私には正直よく分からないのですが、これは「ナンバ」と言えるのでしょうか?
>べべさん

甲野氏と武智氏のいうナンバを乱暴にですが比較してみます。

甲野氏 : 武智氏
武術:舞踏(歌舞伎の)
武術家、武士:農民(農耕)

共通してないところを挙げるとこのようにまったく相反したものとなります。

武智氏のいう「ナンバ」では武士、町人は「非ナンバ」であるから「非ナンバ」である現代日本人とほぼ同じ。
甲野氏のいう「ナンバ」だとちょっと微妙ですけど。

>歌舞伎、武道をここでは外しても、「幼児の歩き方」を考察に入れているのはお気づきになるかと思います。
>これはどういうことかというと、「歩き方」の教育を受けていない場合、しぜんと「ナンバ」の動きで歩いてしまう、ということを重視しているわけです。

幼児の歩きかたというと「よちよち歩き」になりますが。たしかに幼児は足の機能や形態が発達してないために成人とは違う歩き方をします。
ただ、それは古今東西で幼児が「よちよち歩き」をするということですから、古今東西みなナンバとなって良いようですが。
どうも歩き方の教育というものを過剰に評価しているように思います。
力士の話が出たようですが、力士こそ毎日の稽古で鉄砲やハズ押しなど二軸の動きを練習してるはずです。それでも歩く時は「大手を振って」歩くわけです。

現代日本人の歩法と言っても個人個人では微妙に違います。がに股だったり内股だったり。
それでもそれらは個人差として同じように歩く、としています。
和服を着れば腕の振りは小さくなり、坂道では二軸の動きで登ったりもします。
それらは歩法が変わったと言うよりは、状況に応じて融通が利くからと言った方がぴったりすると思うのですが。
昔の人間も「大手を振って」歩くこともあったわけですから。
その「大手を振って」なんですけど、いつから使われていたのか、調べています。歌舞伎だと「大手を広げて」という表現はよくあるのですが、「大手を振って」というのは、聞いた記憶がないので。
今確認。「大手を振って」の用例、江戸の浮世草紙にありました。
> 119 ITALさん
>べべさん

> 昔の人間も「大手を振って」歩くこともあったわけですから。

だからその「大手(=腕全部)」をどう振ってたか、という話を我々はしてるんじゃないんですかw。

「農作業の動きが二軸歩行」というのに違和感を憶えてたんだけど、いわゆる「腰を入れて歩く」という奴なのかな?
それなら納得です。

だいたい、歩きながらする農作業なんてほとんど無い(=手の振りが足とは全く非同期の作業ばかり)だろうから、そこが一番引っかかってたんだけど、手は関係なくて腰を入れて歩く、ということなら確かにそうです。
>私には正直よく分からないのですが、これは「ナンバ」と言えるのでしょうか?

歩きとゆーよりむしろ「踊り」に近いんじゃ?
>116、べべ様
>この辺、甲野氏と大きく意識の違うところですね。

仰るように、武道やスポーツ科学の分野でいう、日本人にとって自然で無理のない身体運用方法としての“ナンバ”と、武智理論の、農耕労働者の生産的身振りとしての“ナンバ”は異なるものかと思います。
武智理論では、農耕労働者の“ナンバ”の動作、すなわち生産的身振りは都市生活者の消費的身振り(非ナンバ)よりも負荷が大きいものであると、想定されています。ここで言う“ナンバ”が単に半身の運動というだけではなく、農耕労働に根ざしたものであるからです。例えば歩行に関して、>123でG@回転中さんが仰っているように、農耕労働では歩行は補助的な運動であり、武智氏は、場合によっては単純な歩きやすさより、土を踏み固めないように歩くことを優先したかも知れないと、示唆しています。


>119、ITAL様
>武智氏のいう「ナンバ」では武士、町人は「非ナンバ」であるから「非ナンバ」である現代日本人とほぼ同じ。<

その点については私の言葉が足りませんでしたが、武智氏の説では江戸時代都市生活者の「非ナンバ」は、農耕労働者のような「ナンバ」でもなく、現代日本人のように腕をふって反動をとる歩き方とも違う動作とされていて、細かい説明は無いのですが、腕は振らないが身体に捻りは入る歩き方、くらいに理解しておけば良いのではないでしょうか


>123、G@回転中様
>いわゆる「腰を入れて歩く」という奴なのかな?<

以下のように記述されています。
『腰を入れて、腰から下だけが前進するようにし、上体はただ腰の上に乗っかって、いわば運搬されるような形になる』
ナンバ姿勢での歩行により肩が揺れることで生じるエネルギーロスを少なくするために、腰を据える、腰を入れるということを言っています。


>118、マネトケ様
>私には正直よく分からないのですが、これは「ナンバ」と言えるのでしょうか?<
>124、BANE様
>歩きとゆーよりむしろ「踊り」に近いんじゃ?<

この行進に関する野村氏の表現は「ナンバ」ではなく「ナンバ式」ですから、
ひょっとすると、右半身、左半身を交互に繰り返す行進(踊り?)をする文化の背景には、ナンバ歩きの伝統があるのではないか、ということが言いたいのやも

あと、近世までの伝統的な「ナンバ」を考える際に、「ナンバの姿勢」は右肩と右足が同方向に出る半身の姿勢だとして、「ナンバ歩き」では肩はどのくらい足に合わせて動くのかという点は、人によって意見がまちまちで、甲野説ではほとんど肩は動かない、武智説でもあまり動かないのに対して、野村氏は
『日本人の「ナンバ」というのは馬の側対歩と同じで、歩くと肩がすごく揺れる。いわゆる「肩で風を切る」というような格好になってくる。そのために、日本人は集団的に歩調を揃えるという歩き方はできなかったのです。』
と言っています。
ご紹介の動画はスポーツ科学的に理にかなった二軸歩行という意味でのナンバのイメージからは外れているかも知れませんが、右半身、左半身を交互に入れ替えるという点で、野村氏の想定するナンバとは、通じるものがあるようにも思えます。

参考文献
「近代化と日本人の生活」國學院大學日本文化研究所編 1994年 同朋舎出版
このトピを見ていて思い出したのが、先日テレビで観たモンゴル馬のレポートでした。
世界の他の地域の馬が、ここで言う「西洋軍事教練式」の足運び(斜対歩)なのに対して、モンゴル馬は「ナンバ式」(側対歩)なのだそうです。
映像で検証していたのですが、本当にそうでした。
ナンバ式のモンゴル馬は馬体の上下の揺れがほとんどないので、騎手への負担が少なく、長距離の走破に向いており、それがモンゴル帝国軍の長征を可能にしたのだ、というのが番組の結論でした。

もちろん馬のナンバの場合は前足と後ろ足が地面に着くのですが、人間のナンバの場合、それと同じく胴体が安定しているなどの利点があるのかはわからないんですけどね。
だいいちそうした「利点」は馬の場合、騎手の立場から見てのもので、馬自身がそれを快適あるいは能率的と感じているかは別ですから。

個人的に興味深かったのは、そうした歩行の方法が、純粋に生得的(遺伝的、先天的)なものなのか、それとも母馬の「お手本」を見て育つなどして後天的に習得する「教育」「伝承」なのかということです。
人間の子供が物心ついて、自分の足で歩行を始める時、ナンバ歩きもしくは西洋軍事教練式の歩き方を誰かから「学ぶ」のか、それとも先祖代々生まれつき自然にその歩き方をするようになっているのか。

チンギス・ハーンは意図的に側対歩の馬を「増やした」そうですが、それは「生まれつき側対歩をする馬を選抜淘汰して品種改良した」のか、それとも子馬の時のしつけなどでその歩き方を教え込んだのか、どっちなのかな、と。
>123 G@回転中さん

私は動作と歩行法は別だと思っています。
農作業で腰の入った動きができるからと言って、歩き方まで腰の入ったものになるとは言えないのではないでしょうか。

>125 かねこまさん

お答えありがとうございます。
やはり同じ単語を使用していても内容はかなり違うというか別物のようですね。
とりあえず歩き方を3つに分類してみました。これについてどうかみなさんにお聞かせ頂ければと思います。

A.右足と右手が同時に出るような歩き方。
B.あまり手を振らない歩き方。捻りはほぼないからやや大きく捻るまで。
C.大きく手を振る歩き方。

a.野村雅一氏の「ナンバ式」
b.武智鉄二氏の「ナンバ」
c.武智鉄二氏の「非ナンバ」
d.甲野善紀氏の「ナンバ」
e.江戸時代の歩き方と言われるもの
f.軍隊式歩行練習
g.早歩き
h.大手を振って歩く

これらを分類することである程度分かりやすくなれば。と思っています。
ちなみに現代人はBだったりCだったり使い分けてるということで。
>127
追加でこれもお願いします。
i.二足歩行ロボットの挙動(バランスを取るタイプの)
極寒の中を徒歩で移動するペンギンの歩き方が一番体力を消耗しないと何かで読んだのですが、あのヒョコヒョコした歩き方とナンバ式歩法は何か関係あるんだろうか。
ちょっとピントがずれてるかもですが、背負子などに重い荷物積んで歩くとナンバになりませんか?
この状態だと逆足で手がぶらぶらすると疲労が大きくなるので同足になったり、背負い紐をつかんだりして同足となり手が振れないようにしたりします。
このような重量物運搬時にはナンバになっているようなきがします。

また、武士は徒のばあいには太刀や槍、鉄砲などを持つ場合にも同様になるのでは無いでしょうか?
うまく表現できないのですが、手ぶらで歩く場合や手ぶらで走る場合は逆足かもしれないけれど、荷を持っている場合の移動は基本的に走らず、疲れないように歩く。これがナンバなんじゃないかなと・・・

蛇足ながら、大手を振って歩くとゆう言葉もありますが、「肩で風を切る」とゆう表現もあります。この場合は腕を振らないで(腕を組んだり?)肩から進むような歩き方になると思いますが、ナンバのようにも見えませんか?

私のナンバにたいする理解が間違っていたりするようでしたらスルーでおねがいします。
国会図書館の複写以来、先ほど到着しました。速達で頼んだら、コピー料金より送料のほうが高かった(^^;。

で、内容ですが、

#75で紹介されている
>「幕末から明治の外国人の見聞録などの調査研究によると、日本人の歩行の特徴として、引き摺り足、歩行の音、爪先歩行、前傾姿勢、小股・内股、奇妙な歩き方といった項目が挙げられた。このうちの多くは草履や下駄などの履物による影響により、小股・内股は主に女性に見られ、着物による必然化した特徴である。外国人の見聞録からはナンバ歩行に関する記述は見いだせない。日本人によるナンバ歩行の史料が少ないのは、歩行という動作があまりに日常的であるため、意識的に記録することがなかったためであろう。」

と、ほぼ同じです。外国人にとって、日本人の歩行が奇妙に見られていたことは確かであり、ただ、「ナンバ」を思わせる特徴は抽出できなかった、と。
ただ、そこから著者はあったともなかったとも断言できないとしています。理由として
・外国人の観察対象は都市住民なので、武智のいうように近世後期以降、都市でナンバの動きが消滅していたと指摘されている

ただ、それでも都市には旅人などもいたはずで、ナンバの動きをする人間が全くいなかったわけではないのに、外国人の記録にないのは

・武智の書く「右足が出たときには右肩も少し出るが、背筋をしっかり伸ばして、背筋の力で肩の揺れを止め、エネルギーのロスを最小限とするよう心がける」場合、一見してそれと判らないくらいに目立たない、外国人が見落としていても不思議ではない

という可能性も考えられる。
もちろん、近代以前の日本人がナンバの動きをしていなかった可能性も考えられる。

と、こういうところで、肝心の「ナンバ」については判らない。ただ、江戸以前の日本人が、西洋人(や、今のわれわれ)とはかなり異質な歩き方をしていたことは、立証される、と、こういうことのようです。

この論文、著者は執筆時、博士課程後期在籍中のようです。
べべさんお疲れ様でした。

私としては異質に感じられたとしても「このうちの多くは草履や下駄などの履物による影響により、小股・内股は主に女性に見られ、着物による必然化した特徴である。」で済む話のような。

さて、動画です。
ナンバ歩き-甲野善紀-
http://jp.youtube.com/watch?v=DC66NZj8pJ4&feature=related

ここで出ているのが甲野善紀説のナンバです。
右手右足を出す歩き方でしょうか。それとも手を振らない歩き方でしょうか。
ご確認下さい。

あ、手の動きですが持ち上げるような感じですよね。
これは二軸歩行などでの手の動きになります。

インタビューでは西南戦争の話がまた出ています。
ただ、調べても、行進が出来なかったというのは武智鉄二氏の話がメインでどうも根拠としては薄いのでは。と思います。
それより官軍が出来てから10年は経っているんですよねえ。この時期。
10年訓練して歩けない、行進出来ないってのはどうなんでしょう。


Wapedia - Wiki: 西南戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8D%97%E6%88%A6%E4%BA%89

◆西南戦争FAQ
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq04s.html
>132

なんかずいぶんわざとらしい同足歩行ですよね・・・最初の動画は歩行じゃなくて踊ってるように見えるし・・・
とりあえずこの方のナンバは重量物を取り扱うときにはできそうも在りません。
これがナンバと言われるものでしょうか?
もしそうなら130の書き込みはちょっとどころか全然違うことになるので無視してください。
細かくて恐縮なんですが、「同側歩行」じゃないスかね?
>134
えーとそうです。字を間違えてました。
御指摘ありがとうございます。

ついでに130の方も間違えてますね・・・もうなんだか・・・
>130、133、BANE様

民俗学者の高取正男氏はBANEさんと近い発想のようです。
高取氏は天秤棒を担いで重量物を運ぶ運動をとりあげて、
『このとき、もしも西洋風に左足と右手、右足と左手を交互に前に出して歩いたら、いっぺんに腰がぬけ、荷物の重さにふりまわされ、身体の重心さえ取れなくなる。右が得手なら右肩で棒を担ぎ、右足といっしょに右肩と右手を前に出す。半身にかまえ、右の腰を基軸に右足と右肩を同時に主導させ、右、左、右、左、と歩くと、棒のバネと腰のバネがはじめて一致し、重心が安定する』
と言っています。
甲野氏の「ナンバ」は、氏が武術家として精妙な身体運用方法を追求していくうえでたどりついたものであって、江戸時代までの農民の歩行法があの通りだったという話では無いのかと思っています。
前述の高取氏は、先行する武智氏の「伝統と断絶」について、
『この半身の構えについて、武智鉄二氏は演出家の立場から、芸能界でナンバとよびならわしてきた身ごなしと関連づけて詳細に論じていられる』
と言っていて、もともと「ナンバ」は一般的な単語としても、学術用語としても、通用するものでは無かったような印象で、現在でも舞踊以外の場で使われる「ナンバ」の定義は明確ではないのかと思います。


>127、ITAL様
分類のうち「AでありかつBである」というのがあり得ますし、「AでありかつCである」というのも可能性だけならあり得てしまうかと思います。江戸時代までの一般的歩き方としての「ナンバ」を検証するなら、1回Aは忘れた方が良いのかと思います。

あと、
>132
>それより官軍が出来てから10年は経っているんですよねえ。この時期。
10年訓練して歩けない、行進出来ないってのはどうなんでしょう。<

その当時の徴兵の服役期間は3年ですね。
それと、問題の熊本城籠城戦の官軍側である熊本鎮台が設置されたのは明治8年で、西南戦争時(明治10年)に入営していた徴兵は明治8年兵と9年兵になります。

私も西南戦争関連については資料を漁っている最中なのですが、難儀をしています


参考文献
「日本的思考の原型」 高取正男 1995年(新書版は1975年)平凡社
「明治軍制史論 上 改訂」 松下芳男著 1978年 国書刊行会
私の>136で

>もともと「ナンバ」は一般的な単語としても、学術用語としても、通用するものでは無かったような印象で<

とか言っておりますが、

武智鉄二氏と富岡多恵子氏の対談本「伝統芸術とは何なのか」(1988年・學藝書林)を読んだところ、「ナンバ」は関西ではわりと聞く言葉だったという話が出ていました。武智氏(1912年生)や富岡氏(1935年生)のお母さんは、いつも使う言葉ではないが日常語として使っていた、とのことです。

「ナンバ」という語に関して、舞踊用語としては平凡社の「演劇大百科事典」では「ナンバン」の項目名で記載され「ナンバ」は京阪神での言い方であるとしており、また、舞踊論として蘆原英了氏の「ナンバン」(「思想」1941年7月号初出、「舞踊と身体」1986年・新宿書房に収録)もあり、「ナンバン」と「ナンバ」が混在しているのに対して、歩き方の呼称としては「ナンバ」で統一されているように見えることを疑問に感じていたのですが、もともと関西では「ナンバ」が日常語だったのでしょうか?
関西の方、ご存知ではないでしょうか?
ナンバを歩き方の呼称で使うことはありませんでした。出身地の南河内では「トウモロコシ」を「ナンバ」と言ってました。
牧村史陽『新版 大阪ことば事典』(講談社)には
「ナンバ(名) 舞踊用語。日本舞踊では右手を前へ出した時には左足をその方へ出し、右足を出せば必ずその方へ左手を出すということに決まっている。それを反対に、右手と右足、あるいは左手と左足を同時に出すのをナンバという。
しかし、このナンバも能式の踊りの場合には用い、または皮肉な踊りの場合には、正式の法とナンバを混合して互い違いにやるというようなこともないではない。舞楽や軍歌・唱歌に合わせる踊りなどもみなナンバである。
南蛮人すなわち外国人の踊りという意味であろう。また、大阪難波の骨つぎが昔から有名であり、その骨筋の違ったところを治療するという意味から、踊りの筋違いのことをナンバと称するようになったという説もあるが、これは少しうがちすぎるようである。」(p.523)
となっていますね。

少なくとも、神戸で我々の世代は、日常使ってはいません。
>出身地の南河内では「トウモロコシ」を「ナンバ」と言ってました。

「なんばきび」の略称ですね。
Marie様、べべ様

情報ありがとうございます。


“南蛮黍”→“ナンバ”だと聞くと、

“南蛮車”→“ナンバ”という説(武智氏の説)も、それもまたありなのかも知れないと、思えてきます
>かねこまさん

「ナンバ」の語源ですね。
先の「月刊秘伝」の記事ではこういう風に書かれています。

>「妓楽舞踏譜」(*)に舞踏における特殊な動作の説明として「難波(なんば)」の用語が用いられている。
>*西川流元祖、西川鯉三郎によって嘉永七年(1854)に纏められた舞踏の秘伝書。

> 前田勇氏の「語源辞典」によると「ナンバ」の語源は次のように説明されている。
「・・・・・・南蛮人すなわち外国人の歩きぶりが日本人と違うという認識不足・誤解よりいう語」
> つまり当時において歌舞伎の珍奇な動作を(珍奇さは違うが)同じく珍奇な歩みを成すと認識された南蛮人に見立てて、ナンバと呼んだわけであり、となれば当時の日本人が普段そのような歩みをなしていたわけがないわけである。

>139 べべさん

>南蛮人すなわち外国人の踊りという意味であろう。

を合わせて、当時の人たちは「ナンバ」という動作を“珍奇”と感じていたのではないでしょうか。
そもそも動作にわざわざ名前を付けるということからも、それは一般的な動き・動作ではなかった可能性が高いと思います。
その動きが南蛮人のものか難波の人か、それとも想像上のものからかは言えませんが。


話は変わりますが、難波、南蛮、変わった動き。というので連想しちゃいました。
チュートリアル徳井がヨギータの格好でよくやるあの動きを。
ああ、今も頭から離れません。

その動画でちょうど良いのが見つからなかったのでバレリーナのポリーナ・セミオノワ嬢の画像を。
アラベスクのポーズって同じ側の手と足を動かす形ですよね。

参考:
ナンバ走り - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E8%B5%B0%E3%82%8A#.E3.83.8A.E3.83.B3.E3.83.90

南蛮 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E8%9B%AE

難波 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B3%A2

稽古日誌
http://www.h6.dion.ne.jp/~bokuden/theme_15.html

>ITALさん

誤解されているようですが......『大阪ことば事典』の語彙は、編者の牧村史陽史が「明治中期以降、大正末年まで」に大阪で使用されていた言葉となっています。
当然、それより遡ることもあるかも知れませんが、基本的に明治から大正の言葉であることはご留意下さい。
それと、能の場合と日本舞踊の場合で足運びが違うことにちゃんと言及があることも......

『大阪ことば事典』を出したのは、近畿地方に、方言としての「ナンバ」という言葉が一般的に使われているかどうかの例示に過ぎません。
>144、TAD様
個人的には、
“ナンバ”は元々は舞踊用語であり、そこから派生して“ナンバ歩き”で括られる舞踊以外の動作(や姿勢)の呼称にも使われるようになった、
くらいが無難かと思います。

葦原英了「舞踊と身体」には『よく子供がナンバンに踊っては、「それはナンバンですよ」とお師匠さんに叱られているのを耳にする。』とあり、間違えて同側の手足が出てしまった際にも、ナンバンと呼ばれることがあるようですし


>145、ITAL様

前にも言いましたが、複数の論者が「“ナンバ”は近代以前の日本民族の伝統的な動作である」という考察では、農民など歌舞伎や日本舞踊とは縁の薄い人々をその対象としており、それらの論に対する反論として、以下の引用は的を外しているように感じました。

> つまり当時において歌舞伎の珍奇な動作を(珍奇さは違うが)同じく珍奇な歩みを成すと認識された南蛮人に見立てて、ナンバと呼んだわけであり、となれば当時の日本人が普段そのような歩みをなしていたわけがないわけである。<

特に武智鉄二氏は、能楽や狂言、舞楽などのように、日本の伝統的な舞はナンバの動きであるが、上方舞や歌舞伎舞踊などの所謂日本舞踊は都市生活の非ナンバ化と供に非ナンバ化していった(ただしナンバ的要素も残されていった)という趣旨のことを言っており、歌舞伎や上方舞の所作の変化を都市生活の非ナンバ化の進行を測る指標として使っているくらいです。
>アラベスクのポーズって同じ側の手と足を動かす形ですよね。
軸足側の手を伸ばすのが第一アラベスク
軸足側と反対の手を伸ばすのが第二アラベスク
だったように思います。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~yamahome/baletwd1.htm
階段を2段くらいずつダッシュでかけのぼると
自然と、足と同じ側の手を大きく振り出してしまいます。

平地を走るのとは状況が違うのですが、この体験から、
あながちナンバ走りもないとはいえないような気がしています。
久々にナンバの話を見た。
せっかくトピックがあるので、記しておこうっと。

江戸時代の人はナンバで歩いていたのか? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/648355

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