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ホメオパシー・ジャパンコミュの【参考】同種・類似療法医学の歴史

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すばらしきホメオパシーの歴史と関連する偉人・専門家たち


ホメオパシーは、今から200年前にドイツの医師ハーネマンがその生涯をかけて確立させた療法で、その起源は古代ギリシャのヒポクラテスまでさかのぼることができます。
ホメオパシーは同種療法あるいは類似療法と訳されている通り、「症状を起こすものは、その症状を取り去るものになる」という「同種の法則」が根本原則になっています。
(日本ホメオパシー医学協会)
http://www.jphma.org/About_homoe/about_homoeopathy.html

コメント(15)

実は・・予防接種とホメオパスは同義であった、もう一人の偉大なるホメオパス(?)が同じ時代にいた。


紀元前5世紀、医学の父として知られているヒポクラテス、「治癒には、正反対のものと似たものを使う2つの方法がある」、と執筆、後のハーネマンの同種の法則の起源。

1700年代 瀉血及び動物血液の輸血が治療として行われる

1749年5月17日 - 1823年1月26日エドワード・ジェンナー(Edward Jenner) 生誕

1755年 - 1843年 サミュエル・クリスティアン・フリードリヒ・ハーネマン(Samuel Christian Friedrich Hahnemann), 生誕

1790年、ハーネマン、当時の高名な医師で医学関係の著作も出していたウィリアム・カレンの著書の翻訳の中で、はじめてホメオパシーの原理である、類似の法則について書きました。

1798年、ジェンナー種痘法発表 種痘法はヨーロッパ中にひろまる

1800年 ハーネマン 猩紅熱治療で希釈したベラドンナを用いた、これは瀉血よりも死ぬ確率が下がるので、出血致死よりも生存率が高いことが証明された

1802年、ジェンナー、イギリス議会より賞金が贈られる

1833(第5版の追記と推定)、ハーネマン、著書オルガノンで種痘方を「優れたホメオパシー療法」と讃える。

(参考url)
http://www.ogata-shunsaku.com/jenner.html
http://www.k5.dion.ne.jp/~a-web/Eng/Gv-sJener.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC
http://www.nile-hospital.com/7_left_homeopathy/07_left.php
http://m.anond.hatelabo.jp/keyword/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%B3
http://www.amazon.co.jp/dp/4062581132/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%89%E8%A1%80
1860年、「白衣の天使」フローレンス・ナイチンゲール"Notes on Nursing: What it Is and What it Is Not"(看護覚え書)著書にて

「男性たちはよく、これら健康に関する法則を女性に教えることは賢明ではない、なぜなら彼女たちは自分勝手に薬を使うようになるからであり、そうでなくても現に見かける素人療法には目にあまるものがあるではないか―これは事実である―と主張する。ある有名な医師の話によると、医師の処方としては経験上考えられもしないほどの多量の甘汞が、急病時に、また常備薬として、母親や女家庭教師あるいは看護婦などの手で、子供たちに与えられているということである。また別の医師によれば、そのような女性が身につけている薬の知識といえば甘汞と緩下剤だけである、という。これはよくあることで否定のしようもない事実である。素人女性によるこうした無謀な下剤の乱用は、およそ医師など専門家の処方においては絶対に考えられない。」

「ホメオパチー療法は素人女性の素人療法に根本的な改善をもたらした。というのは、その用薬法はまことに良く出来ており、かつその投薬には比較的害が少ないからである。その「丸薬」は、どうしても善行を施して満足したい人たちが必要とする一粒の愚行なのであろう。というわけで、どうしても他人に薬を与えたいという女性には、ホメオパチーの薬を与えさせるとよい。さしたる害とはならないであろう。」
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090810
ホメオパシーには当時効果があった、瀉血で殺されるよりはマシだったw
ああそっか。今でも置き薬とか昔出してもらってのみ忘れてた薬とかを無闇ヤタラにのませるよりは増しってことはあるかも?
ジェンナーの功績は言うまでもないけれど、当時の恐怖の伝染病だった天然痘を、天然痘を摂取させて発症させて予防していたのを(当然天然痘が悪化して死んだり他人に感染したりする)牛痘の摂取に変えたところ。

偉いのが、牛痘を発症させて経過期間をおいて、あえて天然痘を摂取させて発症しないことを証明もしたところ、つまりは立証できて人命も救える同種療法と立証された。

ハーネマンの功績はそれとは異質で、出血療法よりは砂糖飲んで放置の方が死ににくいのは立証されたが、ナイチンゲールの時代ですでに本質が指摘されている。


>5 セバスちゃん さん

ナイチンゲールの言葉を借りれば、医者気取りの素人よりは、砂糖球は科学的に安心・安全ですw
あれあれ?、おれあの話どのコミュに書いたんだっけ?、と一瞬不安になったのですが、これ、このトピの続きですね?
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=56286849&comm_id=1572029

種痘はホメオパシーの原理に基づいた優れた予防法である、という記述がオルガノンにあるのは、§ 46です。
ただ、1833年に出版された第5版には種痘の記述はあるのですがここにはジェンナーの名前はなく、1842年に出版されたと推定される第6版でジェンナーの名前が登場します。
おそらく、ジェンナーの業績が評価されるまで、そのくらい時間がかかったのだろう、とわたしは思っています。

オルガノンの英訳は、以下のいくつかのサイトで無料で読めますので、「ウソだ、ハーネマンが予防接種をホメオパシー的手法だと肯定するだなんて、そんなことあるはずがない!」「ホメオパシーの学校でそんなこと習ってない!」という人は、是非一度目を通してみることをおススメします。

http://www.homeopathyhome.com/reference/organon/organon.html
http://www.homeoint.org/books/hahorgan/index.htm
http://www.vithoulkas.com/content/view/1136/124/lang,en/
1番の歴史には、あえて一個外しておいた歴史があるのですが。

> 1831年ヨーローッパでコレラが大流行した。ハーネマンは病気に対するホメオパシー治療を記事にして発行し、始めの段階ではカンファ(樟脳)を、後の段階ではキュープロム(銅)、バレチュームアルバム(シロバイケイソウ)、ブライオニア(シロブリオニア根)、ラストックス(蔦漆)を使用するよう提唱した。また「あらゆる感染原因」を破壊するために衣服やベッドを熱処理すべきこと、そして清潔さ、換気、部屋の殺菌、隔離を力説した。細菌のパストゥールや殺菌のリスターに先立ち、これは著しい先見の明のある忠告である。
伝統的正統派治療の死亡率が50%かそれ以上だったのに対し、ホメオパシーでは2.4〜21%に変化したのである。
http://www.homoeopathy.co.jp/introduction/history.html

ここで、「ホメジャは正しい!、ホメオパシーは効く!」と思った方もおられるかもしれない、また、「スクールで習った通りではないか」とうなずく方もいるかもしれない。
しかしここだけ抽出するとどうか?

>また「あらゆる感染原因」を破壊するために衣服やベッドを熱処理すべきこと、そして清潔さ、換気、部屋の殺菌、隔離を力説した。

ホメオパシーじゃなくてまともな予防と感染の防止をやっている・・、そりゃ効果は上がる・・、銅や樟脳がレメディーだったかは謎だが、従来の治療は瀉血を意味するので病気への抵抗力は間違いなく下がるし、最悪出血多量で死ぬ、それが50%の死亡率。

ハーネマンの21%は即効性のエネルギー摂取と、悪化要因を除去しているので確かに効果は上がる、というか細菌の存在に気づいて感染を避けたり、出血を避けたり、ホメオパスとしてよりも、結構医者らしいことをしていた部分に功績があったと考えられますね。
このトピックを総括するかのような記事、ホメジャの資料も読みようによっては逆に現代医学の肯定になっておもしろい、というか言葉のトリックなのだろうな。

「近代医学の萌芽だったかもしれない」

ホメオパシーの歴史は1755〜1843年に生きたドイツ人医師であり科学者であるサミュエル・ハーネマンに始まる。

ハーネマンは際立った学者であり、並外れて決意の堅い人物だった。

1779年に医師としての資格を得てから、数年間診療を行ったが、序々に当時の有害で効果のない治療に幻滅していった。

主に瀉血、下剤、毒の投与を行っていた当時の正統派医学に対して、彼は遠慮なく批判をするようになった。

彼は僅かな金銭を得、多数の敵を得た。当時の医師や薬剤師に対する彼の攻撃から「激怒のハリケーン」というあだ名をもらっていた。
(中略)
教団化するホメオパシー

ハーネマンやジェンナーの生きていた時代は、科学と呪術が明確に分離していたわけではなく、医療においても呪術的措置が公然と行われていましたにゃ。現代から見ればジェンナーの種痘は科学で、ハーネマンのホメオパシーは呪術だけれど、これはあくまで現代の視点だからではにゃーのか?

ジェンナーの種痘を類感呪術と、ハーネマンのホメオパシーを公衆衛生の考慮と捉えることだってできるように思えますにゃ。少なくとも、ホメオパシーと種痘は同じような発想に基づいた療法だったと考えられますにゃー。

ホメオパシーは種痘と同様に、呪術的側面と科学的側面があり、当時の医療を批判して一定の効果をあげていた、というところまでは認めてよいのではにゃーだろうか?

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090525/1243196897
近代まで

1823年1月26日エドワード・ジェンナー(Edward Jenner) 逝去

1843年 サミュエル・クリスティアン・フリードリヒ・ハーネマン(Samuel Christian Friedrich Hahnemann), 逝去

1879年 − コレラ(Cholera)の最初のワクチンが開発。

1980年 − WHO第33回総会において天然痘撲滅宣言がおこなわれた。(最終症例は1977年:ソマリア)これがワクチンによる疾病制圧の最初の例となった。

1897年 − ペスト(Plague)の最初のワクチンが開発。

1945年 − インフルエンザ(Influenza)の最初のワクチンが開発。

1957年10月1日 グリュネンタール社が「コンテルガン」の商品名でサリドマイド発売。
全世界での被害者は約3,900人、30%が死産だとされているので総数はおよそ5,800人とされている。

1962年 5月17日 大日本製薬がサリドマイド製品の出荷停止。

1997年 啓蒙機関「ホメオパシー親交会(現ホメオパシーとらのこ会)」開設。

1998年 やわらぎ株式会社(現ホメオパシージャパン株式会社)設立(本社:福岡市中央区荒戸)。

2010年 2月 イギリス、国民保健サービスの対象からホメオパシー療法を除外

    7月 女児にビタミンK2を与えずに死亡させたとして、母親から民事訴訟を起こされていたことが発覚

    8月 日本学術会議(金沢一郎会長)が8月24日、ホメオパシーの科学的根拠を全面否定する異例の会長談話を発表

    9月 日本助産師会(加藤尚美会長)は7日、ホメオパシーと呼ばれる代替医療に絡み、会員の開業助産所433カ所のうち36カ所で、過去2年間に、新生児の頭蓋内出血の予防に必要とされるビタミンKを投与しない例があったとする調査結果を公表

    9月 ホメオパシージャパン、同医学協会HP改定、一部の記事が閲覧不能になる(?)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8
http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010090701001063.html
http://slashdot.jp/~TarZ/journal/501249
http://www.homoeopathy.co.jp/company/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%89%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%89
10番では、ハーネマンの没後に細菌の研究が進み、本格的な同種・類似療法、というかワクチンの取り組みが進んだのがわかる。

「何でサリドマイドの歴史が入っているの?」と思われるかもしれませんが、これはホメオパシーだけが不当に扱われるのではなく、害が認められれば回収も禁止もありうるという公平さの意味ですね、全面的に禁止にはなっていないようです、レメディーはまだそれよりは扱いがマシですね。

ところで助産師さんへの有り難い講義紹介へのリンクがつながっていないのは何故だろう?
↓このリンクは以前生きていました、今は存在していません。
ttp://www.homoeopathy.co.jp/sinchyaku_new/index.cgi?index=1573
同種医療の歴史外伝 「日本と欧州の漢方・南蛮医療の歴史」

奈良時代 (719 〜 794年) の医療は主として僧侶により実践された。すなわち、僧医がこれである。
 鑑真 (754年来日、遣唐使) はこれらの僧医の中でも最も傑出した人物で、薬物の鑑別に妙を得ていたとされる。

982年 現存する日本最古の医書『医心方』が丹波 康頼によって 982年に編纂された。

1542年 徳川 家康 生誕

1549年 ザビエル鹿児島来航 (1549年) によるキリスト教と西洋医学の伝来以降、西欧医学の輸入が盛んとなり、そのはじめはいわゆる南蛮流の医学、後にはオランダ医学が輸入され、これらの西欧医学は江戸時代の中期以降、資本主義社会興隆の波に乗ってようやく盛んになっていく。

1603年〜1868年 (江戸時代) 経済や社会が安定し、徳川 家康 (1542 〜 1616年) が薬好きであったこともあって、江戸時代に入り日本の漢方薬は大発展を遂げた。
 この時代、多くの村には漢方医がおり、薬屋 (薬種商) ができ、富山の配置薬で有名な薬の行商人が全国各地を回っていた。

1643年ポーランドのミッシェル・ボイム宣教師が中国滞在中に医学理論、薬物学などを翻訳しウィーンで「中国薬物志」を刊行

推定1680年代 (江戸時代中期)江戸時代も中期以降になると、中国医学を受け入れず、日本独特の東洋医学 (漢方医学) を目指す漢方医達が現れ、『後世派』『古方派』さらには『折衷派』といった流派が次々と起り、もともとの中国の医学とは別に日本的に改良が重ねられていった。
 ただし、当時の日本は鎖国 (1616 〜 1853年) をしていたために一部の薬草は入手が困難で、学問的な交流も激減することとなる。この辺りから日本の漢方は中国と少し違った方向に進み、日本人に合った方向へと向かった。 

1700年代 欧州で瀉血及び動物血液の輸血が治療として行われる

1755年 - 1843年 サミュエル・クリスティアン・フリードリヒ・ハーネマン(Samuel Christian Friedrich Hahnemann), 生誕

1790年、ハーネマン、当時の高名な医師で医学関係の著作も出していたウィリアム・カレンの著書の翻訳の中で、はじめてホメオパシーの原理である、類似の法則について書きました。

1800年 ハーネマン 猩紅熱治療で希釈したベラドンナを用いた、これは瀉血よりも死ぬ確率が下がるので、出血致死よりも生存率が高いことが証明された

1812年 フランスのレミュウサが「本草網目」に関する論文を発表。英語は勿論ドイツ語、フランス語にも翻訳、紹介された歴史があります。

1831年ヨーローッパでコレラが大流行した。ハーネマンは病気に対するホメオパシー治療を記事にして発行し、始めの段階ではカンファ(樟脳)を、後の段階ではキュープロム(銅)、バレチュームアルバム(シロバイケイソウ)、ブライオニア(シロブリオニア根)、ラストックス(蔦漆)を使用するよう提唱した。また「あらゆる感染原因」を破壊するために衣服やベッドを熱処理すべきこと、そして清潔さ、換気、部屋の殺菌、隔離を力説した。細菌のパストゥールや殺菌のリスターに先立ち、これは著しい先見の明のある忠告である。
伝統的正統派治療の死亡率が50%かそれ以上だったのに対し、ホメオパシーでは2.4〜21%に変化したのである。

19世紀 イギリスの生物学者チャールズダーウィンは進化論の中で李時珍の著書を引用しています。
まとめ

ハーネマンは1800年代に、しゃ血と服毒主体の医療に悩んでいた、そして患者を殺さない代替方としてホメオパシーを開発し、当時明らかに致死率を下げた。

ところがその1000年以上前に、日本はちゃっかりと漢方を遣唐使から仕入れて、薬物という考えを持っていた。

そして徳川家康の江戸時代で世が安泰になった、ハーネマンがホメオパシーを本格的に行う200年前には「越中富山の薬売り」が当たり前に行商をしていたので、ホメオパシーも何も、漢方薬品で民間でも治していた。

欧州は医療の先端を行っていたわけではなく、キリスト教の観点からか、再三漢方薬、中国医療というものを論文書いて紹介していたが、何故かしゃ血と服毒を優先し、ハーネマンが提唱するまで、治療場所の衛生にも強くこだわらなかった。

この日本と欧州の医療の歴史と取り組みの差が、欧州には服毒・下剤を民間で避けるための、日本では漢方と蘭学の進みすぎによる、歴史と知識が無いがゆえのホメオパシー歴を産んでしまった。

参考リンク
http://kikuichi-do.com/history/kanpo.html
↑堂々と年号を間違えているところが数箇所あるのでご注意

http://history.10heizo.com/
追記

江戸時代中期後世派は、「岡本 一抱」を例にとると承応3年(1654年) - 享保元年(1716年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E4%B8%80%E6%8A%B1

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