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Cafeサボ〜るコミュの村上 春樹

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村上 春樹(1949年1月12日 - )は、日本の小説家、米文学翻訳家。

来歴
生い立ち
京都府京都市生まれの兵庫県西宮市・芦屋市育ち。住職の息子で国語教師でもある父と、大阪の商人の娘である母の間に生まれる。兵庫県立神戸高等学校卒業。早稲田大学第一文学部に入学。その後演劇専修へ進む。大学在学中に陽子夫人と結婚。結婚後、国分寺市に転居し、大学に在学しながらジャズ喫茶を開業する。
デビュー
大学を7年かけて卒業後,閉店後の店で小説を書き、1979年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。1981年には作家専業で生きていく決意を固め、ジャズ喫茶を廃業した。全共闘世代、団塊の世代を代表する作家であるが、政治活動にかかわることを避け、全共闘運動からは遠く距離を置いている様子が、作品の端々からうかがわれる。
ブレイク
1987年『ノルウェイの森』が、空前の大ベストセラーとなり、一般的にも認知される。その後、出せば必ず売れる作家の1人に数えられるようになった。作品は韓国、米国、台湾などでも絶大な人気があり、1980年代以降の日本文学、現代文学を代表する最も評価の高い文学者の1人である。
福田和也は夏目漱石以降で、最も重要な作家と位置づけ[1]、柴田元幸は現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人であると指摘しているが、他方で柄谷行人をはじめ、蓮実重彦、大江健三郎、島田雅彦、渡部直己のようにアンチも多い。

評価
W村上
小説、エッセイ、 ノンフィクション の他、翻訳も手がける。翻訳文体の影響が見られる文章と、多彩な比喩に特徴がある。村上龍と共に「W村上」と呼ばれ、日本の現代文学の新しい世代の作家として注目を集める。
アンチの原因
1987年に『ノルウェイの森』がベストセラーになった時には、若い女性に人気の流行作家としての一面が強調され、一部には安易な恋愛小説だと批判する文芸評論家もいた。この後遺症とでもいうべき状況は今でも根強く日本に残り、アンチを生み出す原因のひとつともいわれる。
海外での評価
より良い執筆環境を求めて、ヨーロッパやアメリカに生活の拠点を構えたり、取材を兼ねた旅行など海外で活動する機会も多い。よしもとばなならと並んで、多くの作品が外国語に翻訳されている。1996年に『ニューヨーカー』で11ページに及ぶ特集記事が掲載され、2005年には『海辺のカフカ』の英語版Kafka on the Shoreが『ニューヨーク・タイムズ』の"The Ten Best Books of 2005"に選ばれるなど、海外での評価は極めて高い。
特に「平易な文体で高度な内容を取り扱い、現実世界から非現実の異界へとシームレスに(=つなぎ目なく)移動する」という手法は「春樹チルドレン」と呼ばれる作家たちを、日本はもちろん、アメリカなど諸外国で生み出している[3]。
フランツ・カフカ賞
2006年3月、フランツ・カフカ賞受賞が決定する。同賞は、2004年にエルフリーデ・イェリネク、2005年にハロルド・ピンターが受賞しているが、両者ともにその年のノーベル文学賞を受賞しており、ノーベル賞の行方が注目されたものの、2006年度ノーベル文学賞はトルコのオルハン・パムクが受賞した。10月、プラハで行われたフランツ・カフカ賞の授賞式に陽子夫人とともに出席。式前には初めての記者会見も行い、受賞の喜びやカフカの作品について語った。曰く、15歳のときに『城』を読み、大きな衝撃を受けたという。『海辺のカフカ』は彼へのオマージュである、とのことである。

人物
下記に挙げるように、彼の日常生活の活動はほとんど、小説の創作のために捧げられているといっても過言ではない。「なぜそのようなことをするのか?」という質問に対して、スポーツにしろ、読者との意見交換にしろ、彼にはもっぱら文学的な理由が存在する。逆に近年はエッセイの執筆に消極的だが、それは本来小説に向かうべき個人的体験や経験を切り売りすることに抵抗を覚え始めたからだという[5]。どのような作家であれ、日常の活動が小説の制作にかかわることは何ら不思議ではないが、彼の場合はその度合いが著しいといえる。

禁煙・運動
かつては一日三箱を喫うヘヴィースモーカーであったが、『ダンス・ダンス・ダンス』を執筆する頃から禁煙。身体を鍛えるためにマラソンを続け、最近ではトライアスロンにも参加している。これは、小説を集中して書き続けるために体力維持に励んでいる、という文学的理由による。したがって、生活は非常に健康的である。毎朝4時か5時には起床し、日が暮れたら仕事はせずに、夜は9時すぎには就寝する。ほぼ毎日10km程度をジョギング、週に何度か水泳、ときにはスカッシュなどもしている。
ファンとの意見交換
期間限定のウェブサイトを何度か開設したことがあり、膨大な時間と手間をかけて読者との直接の意見交換を実行。そのやりとりの一部は出版されたが、これも「誤解の総体が正しい理解に通じる」という村上の文学的なスタンスの結果である。批評家や専門家の個々人の意見ではなく、(それら一つ一つが誤解であったとしても)一人ひとりのさまざまな読者の意見が総合された所こそが、自己の文学の位置を見晴らせる場であると村上は公言している。
趣味・嗜好
運動靴を愛好しており、いつまでも「男の子」でありたいと語っている。ジャズ、クラシックのほか、60歳を前にしてもレディオヘッドなどの現代ロックを聴き、最近ではコールドプレイやゴリラズのファンを公言している。
影響を受けた作家
彼が特に影響を受けた作家として、スコット・フィッツジェラルド、トルーマン・カポーティ、リチャード・ブローティガン、カート・ヴォネガット、レイモンド・チャンドラーらを挙げている[9]。このほかにフランツ・カフカ、ドストエフスキーらの作家も加わる。

「総合小説」への試み
村上は『海辺のカフカ』執筆後のころから、しきりに「総合小説を書きたい」ということを口にしている。村上自身の定義によれば、それは19世紀的総合小説、とくにドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』が念頭におかれている。これは多様な世界観と視座を小説内に据えることによって、総合的に、すなわち新たな世界観を立体的に浮き上がらせることをいう。その複数のパースペクティヴの設置のためには、複数の人称とヴォイス(と村上が呼ぶもの)が必要とされる…と村上は考える。

そのため、もともと一人称形式(主に「僕」)で構成されていた村上作品が、一人称「僕」と回想や手紙といった複数の視点より構成される「モザイク的な」『ねじまき鳥クロニクル』、そして『アンダーグラウンド』『神の子供たちはみな踊る』といった、完全な三人称の形態を持つ作品の成立によって、重要な転換点を迎える。その後、一人称と三人称で物語が交錯する『海辺のカフカ』、加えて一人称複数(「我々」)と三人称による『アフターダーク』などが近年執筆されている。


作品の特徴
村上春樹の作品は若年層(20代〜30代)をはじめとして、老若男女、国内外を問わず広く人気がある。

テーマ・キーワード
彼の作品には、文学的モチーフとして「同じテーマとキーワード」が頻繁に現れる。特に注目すべきものを、下記に挙げる。これらは、村上の経験したことや趣味と密接な関わりがあることが、『村上朝日堂』『やがて哀しき外国語』などのエッセイ、インタヴュー、インターネットでの読者とのやり取りなどから分かる。
文学 (本好きの天才、手紙、翻訳、本(特に海外小説))
音楽 (50〜70年代のアメリカのバンド、ジャズ、クラシック、ロック、ピアノ演奏)
趣味 (酒(ビール、ウィスキーやカクテル)、料理、ファッション、旅、自動車、映画)
仕事 (個人経営のバー、喫茶店)
青春 (学生運動、大学時代)
病理 (孤独、心理学、病気(心身の障害)、自殺)
恋愛 (精神的・肉体的、恋人・友人・知人…など)
喪失 (失踪、死亡、挫折、紛失)
文章の特徴
文章は、比較的平易で読みやすい。これは村上がデビュー当時から意識して行ったことであり、いわく「敷居の低さ」で「心に訴えかけ」る文章は、アメリカ作家のブローティガンとヴォネガットからの影響だという。しかし、文章の平易さとは裏腹に作品のテーマや世界観は難解であり、読解が容易ではない箇所が多々ある。これは村上春樹を語るさいの最も顕著な特徴である。
また、短編ではフランツ・カフカに代表される、シュールで不条理な文学の影響もうかがえる。「長編小説作家」と自認している点からも分かるように、デビュー作『風の歌を聴け』や二作目『1973年のピンボール』を除く長編作品はストーリー性を重視しており、同時代の作家のなかでは長大な作品を出す傾向がある。
喪失感
作中の独特の空虚感や喪失感、どん底とはいえないがどんよりした絶望感が共感を呼ぶのか、彼の作品を愛読する不登校児や心の病を抱える人も多いという専門家もいる[要出典]。前述のように「喪失」は村上文学の一貫した主要テーマである。
ハルキスト・春樹チルドレン
また、村上春樹(または村上春樹作品)の熱狂的なファンを「ハルキスト」、彼の作品に影響された作風(小説家に限定しない)のクリエーターを「春樹チルドレン」などと呼んだりする。村上春樹のテーマは、初期では「デタッチメント」(無関心)にあるが、徐々に「コミットメント」(関わり)に移っていっているとの指摘がある(『ねじまき鳥クロニクル』を参照)。このため、ハルキストの中には80年代の作品を好む層と、90年代以降の作品をより好む層に分かれる傾向が見られる。

1949年1月12日 - 京都府京都市伏見区で生まれる。
1961年 - 西宮市立香枦園小学校卒業。
1964年 - 芦屋市立精道中学校卒業。
1967年 - 兵庫県立神戸高等学校卒業。
1968年 - 早稲田大学第一文学部に入学。
1975年 - 早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業。
1979年 - 『風の歌を聴け』で第22回群像新人文学賞を受賞。
1982年 - 『羊をめぐる冒険』で第4回野間文芸新人賞を受賞。
1985年 - 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で第21回谷崎潤一郎賞を受賞。
1991年 - プリンストン大学に客員研究員として招聘される。
1996年 - 『ねじまき鳥クロニクル』で第47回読売文学賞を受賞。
1999年 - 『約束された場所で―underground 2』で第2回桑原武夫学芸賞を受賞。
2006年 - フランツ・カフカ賞を受賞。
2006年 - フランク・オコナー国際短編賞を受賞。
2007年 - 2006年度朝日賞を受賞。

作品リスト

長編小説
風の歌を聴け (1979年『群像』6月号)
1973年のピンボール (1980年『群像』3月号)
羊をめぐる冒険 (1982年『群像』8月号)
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド (1985年6月 新潮社・純文学書き下ろし特別作品)
ノルウェイの森 (1987年9月 講談社より書き下ろし)
ダンス・ダンス・ダンス (1988年10月 講談社より書き下ろし)
国境の南、太陽の西 (1992年10月 講談社より書き下ろし)
ねじまき鳥クロニクル (『新潮』1992年10月号〜1993年8月号、1994年4月・1995年8月 新潮社より書き下ろし)
スプートニクの恋人 (1999年4月 講談社より書き下ろし)
海辺のカフカ (2002年9月 新潮社より書き下ろし)
アフターダーク (2004年9月 講談社より書き下ろし)

中編小説
街と、その不確かな壁 (1980年『文學界』9月号)

短編小説
中国行きのスロウ・ボート (1980年『海』4月号)
貧乏な叔母さんの話 (1980年『新潮』12月号)
ニューヨーク炭鉱の悲劇 (1981年『ブルータス』3月15日号)
カンガルー日和 (連作短編、1981年『トレフル』4月号〜1983年3月号)
五月の海岸線 (1981年4月号)
スパゲティーの年に (1981年5月号)
四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて (1981年7月号)
眠い (1981年8月号)
かいつぶり (1981年9月号)
カンガルー日和 (1981年10月号)
32歳のデイトリッパー (1981年11月号)
タクシーに乗った吸血鬼 (1981年12月号)
彼女の町と、彼女の緬羊 (1982年1月号)
サウスベイ・ストラット―ドゥービー・ブラザーズ「サウスベイ・ストラット」のためのBGM (1982年2月号)
あしか祭り (1982年3月号)
1963/1982年のイパネマ娘 (1982年4月号)
バート・バカラックはお好き? (1982年5月号)『村上春樹全作品1979〜1989 5』収録の際、「窓」に改題
図書館奇譚 (1982年6月号〜11月号)
駄目になった王国 (1982年12月号)
チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏 (1983年1月号)
鏡 (1983年2月号)
とんがり焼の盛衰 (1983年3月号)
カンガルー通信 (1981年『新潮』10月号)
あしか (1981年『ビックリハウス』10月号)
パン屋襲撃 (1981年『早稲田文学』10月号)
書斎奇譚 (1982年『ブルータス』6月1日号)
月刊「あしか文芸」 (1982年 糸井重里『ヘンタイよいこ新聞』に書き下ろし)
おだまき酒の夜 (1982年『ショートショートランド』夏号)
午後の最後の芝生 (1982年『宝島』8月号)
土の中の彼女の小さな犬 (1982年『すばる』11月号)
シドニーのグリーン・ストリート (1982年『海』臨時増刊「子どもの宇宙」12月号)
螢 (1983年『中央公論』1月号)
納屋を焼く (1983年『新潮』1月号)
めくらやなぎと眠る女 (1983年『文學界』1月号)
回転木馬のデッド・ヒート (連作短編)
プールサイド (1983年『IN・POCKET』10月号)
雨やどり (1983年『IN・POCKET』12月号)
タクシーに乗った男 (1984年『IN・POCKET』2月号)
今は亡き王女のための (1984年『IN・POCKET』4月号)
野球場 (1984年『IN・POCKET』6月号)
BMWの窓ガラスの形をした純粋な意味での消耗についての考察 (1984年『IN・POCKET』8月号)
嘔吐1979 (1984年『IN・POCKET』10月号)
ハンティング・ナイフ (1984年『IN・POCKET』12月号)
はじめに・回転木馬のデッド・ヒート (1985年10月 『回転木馬のデッド・ヒート』に書き下ろし)
レーダーホーゼン (1985年10月 『回転木馬のデッド・ヒート』に書き下ろし)
沈黙 (1991年1月 『村上春樹全作品1979〜1989 5』に書き下ろし: 1993年に全国学校図書館協議会により、集団読書テキスト中高生用として単行本化)
踊る小人 (1984年『新潮』1月号)
三つのドイツ幻想 (1984年『ブルータス』4月15日号)
ハイネケン・ビールの空き缶を踏む象についての短文 (1985年『ショートショートランド』5・6月特大号)
パン屋再襲撃 (1985年『マリ・クレール』8月号)
象の消滅 (1985年『文學界』8月号)
ファミリー・アフェア (1985年『LEE』11・12月号)
双子と沈んだ大陸 (1985年『別冊『小説現代』冬号)
ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界 (1986年『月刊カドカワ』1月号)
ねじまき鳥と火曜日の女たち (1986年『新潮』1月号)
雨の日の女#241・#242 (1987年『L'E』1月号)
眠り (1989年『文學界』1月号)
TVピープル(1989年『par AVION』6月号、原題「TVピープルの逆襲」)
飛行機―あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか (1989年『ユリイカ』6月号)
我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史 (1989年『Switch』10月号)
加納クレタ (1990年1月 『TVピープル』に書き下ろし)
ゾンビ (1990年1月 『TVピープル』に書き下ろし)
トニー滝谷 (1990年『文藝春秋』6月号)
緑色の獣 (1991年『文學界』4月臨時増刊『村上春樹ブック』)
氷男 (1991年『文學界』4月臨時増刊『村上春樹ブック』)
人喰い猫 (1991年7月 『村上春樹全作品1979〜1989 8』に書き下ろし)
青が消える (Losing Blue) (1992年『ル・モンド』)
使いみちのない風景
使いみちのない風景 (1994年12月 写真集『使いみちのない風景』に書き下ろし)
ギリシャの島の達人カフェ (1998年8月 文庫版『使いみちのない風景』に書き下ろし)
猫との旅 (1998年月 文庫版『使いみちのない風景』に書き下ろし)
ふわふわ (1998年月5月 『NUNO NUNO BOOKS FUWA FUWA』に書き下ろし)
めくらやなぎと、眠る女 (1995年『文學界』11月号)
七番目の男 (1996年『文藝春秋』2月号)
レキシントンの幽霊 (1996年『群像』10月号)
神の子どもたちはみな踊る
連作『地震のあとで』その一 UFOが釧路に降りる (1999年『新潮』8月号)
連作『地震のあとで』その二 アイロンのある風景 (1999年『新潮』9月号)
連作『地震のあとで』その三 神の子どもたちはみな踊る (1999年『新潮』10月号)
連作『地震のあとで』その四 タイランド (1999年『新潮』11月号)
連作『地震のあとで』その五 かえるくん、東京を救う (1999年『新潮』12月号)
蜂蜜パイ (2000年2月 『神の子どもたちはみな踊る』に書き下ろし)
バースデイ・ガール (2002年12月 『バースデイ・ストーリーズ』に書き下ろし)
東京奇譚集 (連作短編、『新潮』2005年3月号〜6月号、2005年9月 新潮社よりに書き下ろし)
はじめての文学 村上春樹(2006年12月 文藝春秋)

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