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高齢者情報コミュの129.老いのレッスン、「欧米には、なぜ寝たきり老人がいないのか」

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答えはスウェーデンで見つかった

 何やら深刻そうなタイトルですが、ある記事を見て、そんなことが頭をよぎりました。

 「欧米には、なぜ寝たきり老人がいないのか」。

 ご覧になった方もいらっしゃるかとは思いますが、少々抜粋をしてご紹介しておきます。

 「答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。

 その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。

 ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした」(読売新聞の医療サイト・yomiDr.宮本顕二氏の記事)

 かなりの衝撃でしたね。医療が発達し高齢者の数が増えれば、どの先進国でも同じような状況だと、根拠もなく思っていましたから。

 ということは、ヨーロッパの国々の平均寿命はそれほど長くない?という疑問もわいてきます。

 世界の男女平均寿命は、ご存じのように日本が第1位。でも、フランス、イタリア、スペイン、スウェーデン、フィンランド、ドイツ、オーストリアなどヨーロッパ勢も1〜3歳くらいの差で続いていました(2011年WHO発表)。平均寿命に大差はないということですね。

 では、なぜ日本には寝たきり老人が多いのかという謎です。2000年には120万人とも言われ、2025年には230万人にもなると予測されています。

 欧米との違いは何なのか。いくつかの理由を探ってみました。

関橋 英作
2013年10月23日(水)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20131021/254856/?n_cid=nbpnbo_leaf_rcmd

生活スタイルの違い

 第一に、畳VS.ソファー(椅子)&ベッドという生活スタイルの違い。例えば、骨折や脳卒中になったとき、日本の老人の多くは畳に寝る。今でも高齢者の多くは畳の生活でしょう。

 そうすると起き上がるのが大変なので、寝たきりで誰かの世話になり放しになる。一方、欧米ではソファーやベッドの生活が普通。起き上がることはそれほど難しくないし、起きている状態とあまり変わりません。

 私も椎間板ヘルニアの手術をして思い知らされました。それまでは布団で寝ていたので、起き上がるときは小さな脚立を枕元において、つかまって起き上がる。結構辛いので、そのまま寝ていた方がいいや、という気持ちがすごく分かりました。

 やばいです、高齢者の不自由さ。で、結局ベッドに変えたのですが、こんな状態にある人のためのちょっとしたアイディア商品が普及していないことに気づきました。

 すぐにつかまり立ちできる道具、できれば持ち運びできるもの。腰が痛いと前かがみもきついので、高さが可変の物が置ける台。赤ちゃん用ならいろいろあるのですが、老人用はなぜ開発しないのでしょうか。

 調べたら、高価なものならそこそこありました。

 しかし、本気で普及させようという意気込みが見えないのも事実。開発者にこういう経験がないからでしょうね。

 でも、こんなところこそマーケティングのニーズ。しかも、間違いなく大喜びされるものになる可能性があります。

家屋の違いも

 また、家屋の違いも大きい。日本は小さな部屋が多いので、とてもバリアフリーとは言い難い状況。ちょっとの段差がつまずく原因にもなるので、怖かったです。慣れていても意外に適当に歩いているんだなあ、と痛感させられました。

 日本家屋の問題が、車椅子の普及を阻んで大きな障害なのでしょうが、もっとアイディアが必要な気がします。

 しかし、それより大きな理由は、お年寄りに対する気持ちの問題。お年寄りをいたわる、サポートする、尊重するという道徳的な日本のあり方です。もちろん、とても大事な日本の価値に違いありません。

 それが、家族や周りの人へのプレッシャーになっている。ともすれば、おろそかにすることへの罪悪感。“寝ていて”“何もしなくていいから”“安静が一番だから”と言って、全部を抱え込んで身も心もクタクタになる。その気遣いが、もしかしたら寝たきりの老人をかえって寝たきりにしている原因になっているかもしれません。

 また、入院にしてもそうです。脳卒中や骨折で入院した場合、欧米では治療が終われば患者はすぐリハビリセンターへ送られる。高齢者の平均入院日数はデンマークの場合32日、それに対して日本では高齢入院者の48%が6カ月以上も入院する。

 その結果、長い入院日数がかえって筋力の衰えや頭のボケを助長しているかもしれないのです。

 何とも皮肉な結果ではありませんか。

 本当に、老人医療・介護の問題は複雑で一筋縄ではいきそうもない。日本人独特のメンタリティーなのでしょうが、それが医療や介護の負担を大きくしていることも事実です。

 実際、私の妻も母親の入院介護で大変な思いをしています。妹と分担はしているものの、仕事やコミュニティー活動に割く時間が圧迫される。心とは裏腹にストレスが重なっていきます。

 介護者を抱えている女性は、とくに負担が大きく、人生の楽しみも奪われてしまうのです。これでは、両者ともに疲弊。これが、日本における介護の現実です。

 最近のデイサービスの進化は目覚ましいものがありますが、入院した高齢者は病院では何もすることがないと言います。ヘルパーさんは工夫してくれますが、忙しいので限界がある。そうなると、友達はテレビの再放送「相棒」だけ。

 体が不自由になり、目や耳が悪くなったお年寄りにとって楽しめるものが少ない。活字の大きな本はわずかしか出版されていないし、音楽プレーヤーのたぐいも、操作ボタンが小さく操作しにくいうえに、複雑で使えない。タブレット端末はどうかといえば、アップデートやら何やらで、だれかがサポートしないととてもじゃないが使えません。

 世の中は、高齢者を相手にしているとはお世辞にも言えない状況です。元気な金持ちの高齢者だけがマーケティングのターゲットなのですか?と言いたくなってしまいます。

 こういう日本の状況では、とても老いのレッスンができるとは言えません。しかし、だからこそ老いのレッスンが必要なのです。

 考えの中心は、「生きるとは何か?」。息をすること? 心臓が動いていること? 違いますね。自分の意思をきちんと発露できること。自分の頭の中は、自分以外の人には分からない。だから、伝えることが生きることなのです。私はそう信じています。

 とすれば、一番大事なのは、日常生活能力(ADL: Activities of Daily Living)をどう維持していくかです。

老いのレッスン

 歩く、座る、食べる、話す、見る。生きていたら、当たり前のことです。

 最近の医療では、術後対策として安静よりも、軽い運動が推奨されている。ジッとしていると、かえって血行が悪くなったり筋肉が衰えて、日常生活ができにくくなるというものです。医療側も、やっと生きることの意味を考え始めたのでしょうか。

 怪我をして、体が不自由になって気づいたことがいくつかあります。日本社会は階段だらけだということ。駅にも満足にエレベーターやエスカレーターがない。あっても、上りだけのエスカレーター。高齢者にとって、しんどいのは階段を降りるときなのに。

 つまり、健常者目線でしか世の中ができていない。どっちが健常者か分かりませんけどね。東京・地下鉄の「オロスンジャー」で問題意識が喚起されたのか、やっとエレベーターの重要性が理解されたようです。本来は、もっと手軽な昇降機が開発されるといいのですが。

 それともうひとつ得たもの。周りへの観察力が異常なほどにアップされました。どこで、ぶつけられるかもしれないという恐怖からですが、見渡すとほとんどの人が他者を気にしていない。そう見えるだけなのかもしれませんが、荷物や体がぶつかってもお構いなし。最も怖いのは、駅のホームや階段でのスマホ軍団。自分にも身の危険があるというのに、どうして、スマホから目が離せないのでしょうね。中毒としか言いようがありません。

 でも、老いのレッスン効果てきめん。ゆっくり進むと、周りの流れが予測できるようになるのです。

 このことが、他者や家族への感謝や配慮という忘れがちなことも、普段のこととして大事であることを再認識させてくれました。

 まさに、共生という日本人の生き方。もともと日本人は、人間は自然の一部という哲学のもとで生きてきました。山川草木悉皆成仏です。不自然に生きるより、自然と共に生きて、風化していく。そんな生き方を思い出させてくれるのも、老いのレッスン。

 そして、自力で考え自力で解決しようとする心。決して、子供や家族に頼り過ぎない心構え。それができたら、脳を楽しませるために、山へ行く、海へ行く。土に触れる、花をめでる。

 人生の終盤だからといって、静かに過ごすより好奇心全開。もう失うものもないのですから、防御するより一歩前へ足を出す。そうすれば、若い頃には見なかったもの、理解できなかったことが体にスッと入ってくるのです。

 少しでも動けるうちは、いきいきと生きる。そして、この世を去るときは潔く去る。それが、生きること。

 いかがでしょうか。老いのレッスン。

 今の日本社会には、それを生かす知恵が欠けているような気がします。そこには、大きな市場機会さえも潜んでいると思うのですが。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20131021/254856/?P=4&nextArw

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