ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

高齢者情報コミュの生活環境の変化

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
映画作家の河瀬直美さんが、『高齢の単独世帯で一人暮らし』という環境を変えるために今まで養母が住み慣れた所からはなれ、家族と一緒に生活できるけれども養母にとっては人の繋がりのない不案内な地域に引越しをされました。しかしそれが逆にコミュニケーションが取りにくい『日中独居』の生活環境になりリスクを生み出すという記事を見つけました。
この記事には解決策は記載されておりませんが
『高齢者の日常生活の安全を考える』という問題と
『高齢者にとって今まで培ってきたご近所とのコミュニケーションネットワークの重要性を考える』という問題が同居していると思います。

日中の身体が活性されている時間帯に、気のおけない仲間とコミュニケーションを取る事がいかに認知症の予防・改善に有効な方法であるかを考えさせられた記事でした。

:::::::::::::::::::::

しっかり者の養母

『引っ越して出た症状』
奈良市で同居している養母(河瀬宇乃さん)は今月、92歳になります。6年ほど前から認知症の症状が出始め、この数年、要介護1と2を行ったり来たりしていて、現在は2です。

私の生後すぐ、両親が離婚したため、私は母の伯母に当たる養母の夫婦に育ててもらいました。赤ん坊だった私を引き取った時、養母はすでに55歳。子どもがなく、初めての子育てでした。70歳の時に養父に先立たれてからは、一人で私を育ててくれました。

今も、意味のある会話が成立しますし、身支度など身の回りのこともだいたいは自分でできます。ただ、私が仕事で忙しくてかまってあげられなくなると、急に自己主張が強くなるなど調子に波があります。

しっかり者だった養母の様子がおかしいと思ったのは、2001年1月ごろ。同じ奈良市内でともに一人暮らしだった養母と私で、かつてのように一緒に暮らそうと、一戸建てに引っ越しをしました。ところが、しばらくして「引っ越しの時に指輪を取られた」とか「お金がなくなった」などと言い出しました。
もともと頑固だけど、一人で何でもできる人だったので、最初は文句を言っているだけだと思っていました。日常生活では、買い物に出かけたり、郵便局で用を済ませたりしていて、特に変わりないように見えたからです。
でも今から思うと、同居をすれば安心、という考えが間違いでした。というのも、長年住み慣れた以前の家は、地域が家族みたいな場所にあり、近所の人が互いによその家に勝手に上がりこむような、気さくな付き合いをしていました。

でも、引っ越し先では私が仕事に出かけたら、昼間は独りぼっち。元の地域とは、通うスーパーも郵便局も違い、顔なじみの人とも会わなくなったのが悪かったのだと思います。前に住んでいた地域から車で15分ほどしか離れていない場所なのですが、年を取ってから環境を変えるのはリスクがある、と感じました。

ものがなくなったと騒いで「あんた、あれ、どうした?」と聞かれると、私も訳がわからず「何で私に言わなあかんのよ!」と返してしまうなど、いざこざが増えました。(聞き手・長谷川敏子)

□かわせ・なおみ 映画作家。1969年、奈良市生まれ。97年、劇場映画デビュー作の「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)受賞。

読売新聞
2007年3月1日
YOMIURI ONLINE 医療と介護  介護・老後
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/    

コメント(17)

このトピを読んですごく考えさせられました。
我が家もまったく同じ状況です。
昨年、88歳になるアルツハイマーの祖母をこちらへ呼び寄せたのですが、こちらにきて症状が悪化。
うちの場合は家に一人にすることは無いのですが、少し目を離した隙に徘徊→転倒→骨折を繰り返しています。
連れてこないほうが良かった?と思ったりもしますが、もし以前の家に一人でいて同じことが起こったら…と考えると、今のほうがいいような気もするし…。
ほんと難しいですね。
環境が変わると認知症が急速に悪化するというのは、わかります。実際そういう方を数人みました。ただ、住み慣れた環境で、周りの家族が頻繁に通えたらいいのかもしれませんが、なかなかそうはいかないものですよね。絶対に独居は無理と判断した場合やはり、こちら側に連れて来るしかない・・・。介護1〜2の場合まだ一人でできることもたくさんありますが、
独居のまま・・・というのは・・・。ウ〜ン!やはり、難しいことです。高齢者の問題は範囲が広すぎますね。そして、今後益々、数が増えるんですよね。
みゆさん
書き込みありがとう。
難しい問題です。
このような経験する過程で私たちは何を学ぶべきか。
私の結論は、脳の健康を保つ生き方をしなければならない・・・というものでした。
生涯青春の会を主催していますが、この会は『認知症になるな!」の会なのです。
私の前半成功、後半失敗の経験です。認知症を回避できなくなった場合の参考になれば幸いです。長文になりますがご容赦を。

60歳代で健康だった別居の母を了解ずくで拙宅に呼び寄せ同居して、孫の面倒を少し見ながら自由に好きなことをしてもらったことは成功の部類です。彼女は新しい環境に馴染み、新たな友人を作り、旅行や趣味を楽しんで生き生きと暮らしていた。認知症にも骨粗しょう症にもならないようにと、散歩、ヨガ運動もし小魚を骨ごと食べるようにもしていた。

やがて孫が成長と共に自立し老婆の世話を必要にしなくなると、彼女は手持ち無沙汰、80代になると知人友人が他界し始め話し相手が不足したのだろう。やがて認知症が現れる。しかし家族は歳のせいで仕方がないと気にしなかったり無視したのだろう。気付いた頃は手遅れ、自宅の庭で転び、大腿骨頚部骨折、手術、認知症の急速進行、我が家が混乱、妻の腰痛・悪化、そして、止む無く老健に預ける。無理解と無責任な弟など納得せず。直後に私が定年退職。妻の負担軽減。取り敢えず私の家庭崩壊を回避。そして母は脳内出血で死線をさまよった後に復活。右半身完全麻痺、言語機能喪失、要介護度5でかなり重い食事介助を要し、私が殆ど毎日2回介助。3年前に特養に移住し、現在に至る。私の施設通いは毎日1回を継続。91歳になる母、食べる力がある限り生きて欲しいが現状の生きる姿は傷ましく、複雑な心境。本人の現状認識はない。

今になって言えることだが、反省事項は、多事の刺激が減って来る80歳前後で、私達夫婦がその後に出て来る問題を予知し本人とも兄弟とも話合い、選択肢を用意すべきであったことだ。
(後で彼女の部屋を調べたら、予想を遥かに超える預金を貯めていたことが分かり、どうやら、本人は施設生活を選択しようと準備していたらしい。そうであれば、納得ずくで計画できたかも知れなかった)

そこで、私の一般論としての提案。
独り暮らしなら早目に引き取らずギリギリまで独りで暮らして貰うこと。火気などの予防策は取る。但し、風呂場で倒れて大事に至ることは覚悟する(自宅に引き取っての苦難と本人の幸せとの比較の問題で断定的な答えは出せない)。
遅くならない内に、本人、兄弟姉妹と上手に意見交換し、在宅介護、施設介護などの選択肢を検討し、了解ずくで適当な時期に実施に移す。

勿論、財源の裏付け次第で選択肢は異なる。それにしても、介護保険制度が実施されて資金的な負担は大幅に軽減されたことは事実だ。因みに、介護保険からの援助と本人家族の支払いの合算で、介護施設の収入は、彼女のように要介護度5の場合、月当たり約45万円(食事代込み)。一日当り1万5千円となる。本人家族の月当りの支払いは8万5千円前後。そこから本人の年金収入を差引くと実際の持出し負担額が計算できるでしょう。

それにしても、一日1万5千円は高額すぎないか。3人以上の被介護者の世話をする介護職員の月額報酬が20万円ぐらいだとすると、どこに残りの額は使われているのだろうか。例のホテル東横インの個室トイレ風呂付きの部屋が一泊4千円前後だ。

そして、介護保険制度から施設に支払われる月額35万円余の保険金。これ、年額にして、420万円を超える。5年生きれば2000万円、10年も生きれば4000万円になる。一人の国民が被介護者になると、元気な国民の高齢者からこれほどの金額援助を受けることになる。母が知ったら早く死にたいと言うだろう。

他人にこれだけの負担をしてもらいたくなければ、「認知症になるな」という「ふたみ論理」は、この点からも、意味のあることだろう。しかし、「認知症になるな」の目標に努力する一方で、「認知症になっても、大丈夫か」という問題を、介護保険制度の適切な維持という観点から心配する老人も必要だとも思うのである。
ニックさん、貴重なお話ありがとうございます。
祖母を呼び寄せた理由は2つあります。
祖母の家は鹿児島の田舎にあり、頻繁に行くのは難しく、
既に初期のアルツハイマーで、悪徳リフォーム業者にだまされたり、高額の物を買わされたり、最後には遠縁の親戚にまでお金を騙し取られ……
世話を頼んでいた人も病気で亡くなり、このまま独居させるのは…というのが一つ。
もう一つは、私たち家族の後悔と反省です。
以前は父方の祖父と同居しており、軽い脳血管性痴呆・軽度の左片麻痺だったのですが、私たち全員が介護に関して全くの無知だったため、満足な援助もできないまま一昨年亡くなりました。
私は独学で介護について学び、後やっとヘルパー取得しました。
家族のエゴかもしれませんがもう後悔はしたくありません。
こちらへ連れてきた以上、最後の最後まで祖母が祖母らしく生きていけるようにサポートしていきたいと思ってます。
ふたみさんのおっしゃるように、痴呆にならないということが今後の最重要課題になると思いますが、測らずも痴呆になってしまった時どうするか?ということも同時に考えなければいけませんね。
長々と失礼しました。
みゆさん

おばあ様を大切にしてあげてください。自宅に呼び寄せられたことの理由は立派なものです。88歳でしたら尚更です。もうそれで後悔など為さる理由はありません。人生で完璧な選択など滅多にできません。功罪ある中でベストを選ばれたらそれが正しいのです。ご当人も感謝されているはずです。僭越ですが、私の今日の日記にも関連の感想を記しています。参考になれば幸いです。(ここに転載する失礼を避けたいので・・・)
ニックさま>

>因みに、介護保険からの援助と本人家族の支払いの合算で、介護施設の収入は、彼女のように要介護度5の場合、月当たり約45万円(食事代込み)。一日当り1万5千円となる。

 介護保険の改正で単価はものすごく下がっていると思います。
 特別養護老人ホームでは要介護5で一日当たり、9210円ぐらいだと思いますが。それに食費。部屋代(多床室なら320円)
 老人介護保健施設はこれよりも高いのですが、医療費込みです。
 9210円には、オムツ代・洗濯代・水道光熱費なども含まれていることを考えると高すぎるとは思えないのです。
 義父の入所する特養では食事エプロンなども施設側で用意しています。

 食費については一日3食で1380円。(基準額、施設によって若干多い)
 刻みにしたり、トロミをつけたりと一人一人に合せた調理になっています。手間を考えると、一食あたり約500円では家では作れないと思います。

 当然、家族が負担できる金額ということを考えると一ヶ月8万から10万円の負担は重いものです。
 しかしながら、今の費用が高すぎると言われては悲しく思う方々も多いのではないでしょうか。


みゆさま>

>連れてこないほうが良かった?と思ったりもしますが、もし以前の家に一人でいて同じことが起こったら…と考えると、今のほうがいいような気もするし…。

 介護に正解は無いと思います。
 たしかに祖母様の認知症が環境が変わったことで進んでしまったかもしれません。
 でも、自宅にいても、ヘルパーさんなどが入ればそれだけでも環境の変化は大きいと思います。
 コメントを拝見させていただく限り、祖母様の状態は一人暮らしするぎりぎりを越えていたと思います。
 私の個人的意見を言うなら、祖母さまにとっては幸せだと思います。

 認知症になっても、かわいいボケなら良いと思うのですが。
 祖母さまは徘徊があるのですね、大変だと思います。
 どうぞ、ご自愛くださいませ。



 ご近所のフォローがあるからと言いますが、我が家の周りでは老世帯が増え、とてもとても他家をカバーする余裕はありません。
 足腰が弱り寝たきりに近くなれば、友人宅にも自由に行き来できなくなり、やはり孤独な生活になります。
 子供世帯が同居しているからこそご近所づきあいも続いているような気もいたします。

 
 
 
オリヒメさん

私の申し上げたことの一部に不備があるようですので修正し補足説明します。

介護費用が高いか安いかの議論は永遠と続くでしょう。しかし、私の最大の心配事は、介護保険制度からの援助金が膨大であり、制度が永続できるのかということなのです。そちらの方を数倍も懸念しています。

先ず、不正確であった月額の費用ですが、母の直近の支払い金額。月額です。

食費負担額 42,780円
室料負担額  9,920円
介護サービス負担額 30,048円
介護保険制度からの援助 278,553円
総額 361,301円
1日当り 約12,000円(私は15,000円と推定しましたが、訂正します)

12,000円が安いか高いか。高いと言われたら悲しくなる人も居るというのは理解できます。

しかし、私が一番心配していることは、そのことではなくて、介護保険制度からいただく278,553円が年額で、330万円強になるということなのです。若しこれを私が被介護者として受け取る時代になりまして、5年あるいは10年間も生きますと、1,650万円とか3,300万円になってしまう。私、一人で、これだけの援助をいただくことになります。一般人の退職金よりも多く、年金受取額よりも多くなってしまう。そのような高齢者が、いずれは何百万人となったら、介護保険制度は維持できるのでしょうか。大変なことになるのではないでしょうか。だから、介護保険制度を支える国民の年齢を40歳以上でなく、25歳以上に改定するのだと言い出したら、私は、若い人々に年金に加えて介護でも支援して貰うことになるのです。母でなくても自分も早く死なねばならないと思ってしまうでしょう。

老人が皆、早く死にたいと思う社会も困ります。だから「認知症になるな」ということで、その方法を色々と提唱してくださる善意の人達がいます。しかし、認知症にならなくて被介護者になる人々は多いでしょう。被介護者にならないまま、人生を終われる人は少ないでしょう。であれば、どのようにして介護保険制度を維持したら良いのかを心配しない訳には参りません。費用が高いか安いかの検討や議論も避ける訳にも行かなくなって、誰かが何処かでするのでしょう。

直ぐに、万民が納得できる答えは出せないでしょう。でも、何とかなる、誰かが何とかしてくれると思って、考えないことにするという訳にもいかない。そんなことを悩み始めると、それこそ、認知症になる訳には参らないのです。 長文になり、失礼しました。
ニック さん
そうなのです。
介護保険制度は維持できるかどうかになります。
高齢者が健康を維持することは、社会に貢献(介護保険を使わない)することになります。身辺の話題を総合すると、健康を破壊するのではないか、認知症になるのではないか、と思われる生き方をしている人があまりのも多いと思います。

「私が被介護者として受け取る時代になりまして、5年あるいは10年間も生きますと、1,650万円とか3,300万円になってしまう。私、一人で、これだけの援助をいただくことになります。一般人の退職金よりも多く、年金受取額よりも多くなってしまう。そのような高齢者が、いずれは何百万人となったら、介護保険制度は維持できるのでしょうか。」(引用)
河瀬さんのお話、みなさんのお話。
全くもって身につまされるお話であります。

私は10年前ひとりっこ同士で結婚し、夫の両親が持ち家で動けない為7年前に賃貸住まいの私の両親を近くに呼び寄せました。
千葉から多摩でそう遠くはなく、便利さなども全く問題ないと思っていたのですが、丁度その頃白内障の手術をし、持病との兼ね合いでかなり視力が失われた時期でした。
今思い返せばおそらく新しい土地で不安だったのだと思います。
そばに来た安心感だけで満足してしまった私は、母の孤独や不安に気づいてあげられなかったのです。
引っ越して半年ほどで物盗られ妄想(同居の父を含む)や盗聴、見張られている(現在階上の人、以前の住まいの階上の人)などという症状が出始め、そこからは2年おきに同じ公団の団地内で引越しを3回しました。
その間には「認知症の疑い」などという診断結果をもらいアリセプトを服用したり(2ヶ月で母が飲まなくなる)他の病院に相談に行ったり、高齢者の集まる喫茶店に一緒に通ったり、ケアマネージャーの人に相談したりしましたが、根が頑固な性格であるがゆえにどれも実を結ばず、結局私が根気強く話を聞き続け「生き続ける価値」を語り励まし続け、父も母の癇癪を我慢して付き合ってくれました。
今では「死にたい」と言わなくなり、物を盗られたということは言わなくなりました。ただ盗聴と階上の住人に刺激臭で攻撃されているということだけは時々スイッチがパチンと入るようにものすごい勢いで話し始めます。
でもそれ以外の日常生活や会話は健全な(?)80歳のおばあちゃんだと思います。
忘れっぽくはなったとは言え、政治や社会問題に興味はあり私に議論を吹っかけてきたりする人です。
それは症状がひどかった時も基本的な部分として変わりませんでした。

母が認知症なのか統合失調なのかそれはわかりません。
無理矢理医者に見せても、母と心を通わせてくれるまでの人にはなかなかめぐり合えませんでしたから。
もうすぐ3家族が隣同士の家に住むことになります。
母は義母と仲良くしたいと嬉しそうです。
義両親の近所づきあいは円満なものですので、そこに乗っかってなんとかうまくいけばいいなと思っています。

きれいごとばかりでなく想像以上に大変な日々が始まりそうですが、もし少しでも母の生活が心安らぐものになるのなら、出来る事はやるしかないと思っています。

長々と失礼しました。
くまとぅさん
悲観論をここで書くつもりはありませんが、高齢者問題は若い人たちのテーマであると感じることがあります。特にひとりっこ同士で結婚の結婚は、この夫婦で4人親の面倒を見る必要がでてきます。

 高齢者は子どもたちのために、心身共に健康でいることが大切です。心の健康とは「脳の健康」であると最近しみじみと思います。
ふたみさん→
早速のレスをありがとうございました。
私自身、親の引越しと前後して脳外科にかかる病気がわかりました。
その時から「心イコール脳」ということを常に意識してきましたので、おっしゃることは本当にわかります。

今年はそれぞれの両親に挟まれた生活が始まります。
覚悟ができてるようなやっぱできてないような、複雑な気持ちです。
経験不十分な私が申上げるのも僭越ですが、高齢者には話し相手を切らさないことが良い薬であるように思います。その意味では親族が近くに居住するのは良い策でしょう。また、最近は傾聴ボランティアということで、定年退職後の社会奉仕者も増えて来るでしょうから、それも活用されたら宜しいかもしれません。信頼できる人格者に巡り合われますように。
くまとぅ。さん
私もひとりっこ同士の結婚です。
私たち家族は、私の両親と同居しております。
あいにく義母は3年前に他界をいたしました。今は、私の家から2時間のところに義父が一人で暮らしております。
まだまだお元気で月に1度は私たちのところに泊まりに来て下さるのですが、普段は心配です。毎晩電話をかけてコミュニケーションを取っております。
3家族が隣同士の家に住まれるそうですね、羨ましいです。気苦労もあると思いますが、またお話を聞かせて下さい。
冒頭の河瀬直美さんの続報が入りました。
URLを貼り付けさせていただきます。
ご参照下さい。

読売新聞
2007/3/8
YOMIURI ONLINE 医療と介護 介護・老後
★http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/note/20070308ik02.htm
 ニックさま>

 ご丁寧なお返事をありがとうございました。

 私としては、介護にはお金がかかる(人手がかかる)ことを皆が実感を持つべきだと思っております。
 少しでも正確な情報提供が大切と思い、老婆心ながら、一言コメントさせていただきました。悪しからずご理解いた上に、ご丁寧な訂正までしていただきありがとうございます。

 介護保険が出来る前は医療保険が担ってきたのだと(社会的入院)思います。その頃の目に見えない負担は月あたり100万は越えていたのではないかと思います。

 確かに、介護保険の破綻も気になります。
 が、それ以上に、介護保険があっても介護してもらえない。と言う状況の方が早く来るように感じます。
 人手不足により、特養によってはショートステイの受け入れを減らしているところもあります。
 在宅ヘルパーも(人手に余裕が無く)臨時依頼を受け付けないところもあります。

 施設介護になったとたん、家族がまったく介護に参加しなくなる現状があります。
 施設介護でも家族が協力することでコストを下げる方法とか無いのでしょうか。

 介護保険の破綻を防ぐには、要介護者が少ないほうが、一人当たりのコストが低ければよいというのはだれもが考え付きます。実際の数字がわかることでより真剣に考える機会が増えてくれることを願わずにはいられません。
 
河瀬直美さん 続々報です。
URLを貼り付けさせていただきます。
ご参照下さい。

○養母を旅行に誘う
読売新聞
2007/3/15
YOMIURI ONLINE 医療と介護  介護・老後
★http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/note/20070315ik02.htm

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

高齢者情報 更新情報

高齢者情報のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング