「intelligence」って言葉は日本語だと「知性」とも「知能」とも訳されるわけですけど、知性って訳されるような場合のintelligenceは、だいたいその知性を保持しているものの存在というか、知的実在ないし精神の実在を含意してるわけです。「インテリジェント・デザイン」とか顕著ですが。
対して「知能」って訳されるような場合のintelligence(IQとかAIのI)は、実在とか本質とかはどうでもよくて、なにができるか、あるいは刺激に対してどういう反応ができるか、といったintelligenceの機能の面に焦点を当てていて、《インプット→処理→アウトプット》とあった場合の《処理の中身》は問題にしてないと思います。
訳語つくった人々はえらいもので、日本語では比較的きちんと区別してるはずですが、このニュースの訳の人は人工知能の文脈で「知性」って言葉を持ち出してるのでタラコさんの違和感を招いたのかなーという感想だったわけです。
んでふつうに「intelligence」の訳だろうなーと思って原文みたら「人間と区別ができなければ、機械が知性をもっていることになる」の箇所ってたぶん最後から二つ目の段落の「If they cannot tell the difference, the test is passed and ACE can be said to be "thinking"」だと思うのですが、かなり表現ちがうじゃんっていう。
ということでした。>機能面