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ゲームの明日を語る会コミュの[05.03.12] 任天堂の戦略と展望

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[ゲーム]【GDC07】任天堂・宮本茂氏、8年ぶりにGDCで講演
(RBB TODAY - 03月12日 14:21)
任天堂・宮本茂専務

 2005年のGDCで任天堂は、全世界のゲーム開発者に対して改めて自己紹介をした。2002年に社長に就任した岩田聡氏が「肩書きは社長だが、20年以上の経歴を持つゲーム開発者で、心はゲーマーだ」とスピーチしたのだ。「大任天堂」の社長が自分たちと同じ目線で、しかも英語でスピーチしたことは、会場のディベロッパーに強くアピールした。この時のスピーチは今もGDC参加者の間で語り草になっている。

 翌年のGDCでは再び岩田社長が登壇し、「破壊的開発」と題してスピーチした。DSによる知育ゲーム開発や、ニンテンドーWi-Fiコネクション、当時はまだレボリューションと呼ばれていたWiiのコントローラーデザインなど、新ハードとゲームソフトの情報をバランスよく織り交ぜた講演内容で、業界が過渡期にあることを伺わせた。

 そして本年の基調講演では、満を持して「スーパーマリオの父」宮本茂氏が登壇、「Creative Vison」と題したスピーチを行った。宮本氏は会場を埋め尽くしたゲーム開発者に対して、ゲーム開発におけるビジョンについて講演。拍手と大歓声、そしてスタンディングオベーションに包まれた。宮本氏のGDCでの講演は1998年以来8年ぶり。

 まず宮本氏は前回講演した1998年の全米ゲームソフト売上ランキングと、2004年の売上ランキングを比較すると共に、6年間でゲームを取り巻く社会的環境が大きく変化したことについて述べた。売上は拡大したが、「ゲームがプレイヤーをゾンビにしてしまうのではないか?」などと、ゲームが社会に与える影響について取材されることが増えたというのだ。ゲーム開発者は岐路に立たされているとして、任天堂と宮本氏自身のビジョン…というよりモットーについて話し始めた。

 まず宮本氏は任天堂のビジョンについて、「ユーザー層の拡大」「バランス」「リスクをとって挑戦する」という3つのキーワードを挙げて説明した。

 「ユーザー層の拡大」については、これまで何度も任天堂が掲げてきたビジョンだが、今回は宮本家のエピソードを中心に語られた。長い間、宮本氏の妻はゲームにまったく関心がなかった。「スーパーマリオ」はおろか「テトリス」ですら手をつけなかったほとだ。これが娘がニンテンドー64で「ゼルダの伝説 時のオカリナ」に関心を示したことを契機に、少しずつゲームに触れるようになった。これを見た宮本氏は「どうぶつの森」を紹介するなどして、徐々に家庭内の「布教活動」を進めていった。
 
 その後、愛犬「ピック」を通して奥様同士のご近所づきあいが増えていったのを見た宮本氏は、その姿を横目に見ながら「Nintendogs」を開発。妻のゲーム関心度ならぬ「奥様メーター」のゲージを高めることに成功した。その後も「脳を鍛える大人のDSトレーニング」などを通して、次第にゲームに触れるようになっていったという。今では「Wii」の「似顔絵チャンネル」で自分や家族の「Mii」を作ったり、「Wiiスポーツ」や「投票チャンネル」などを楽しむようになった。

 「Miiで物を作る楽しさに目覚めたのは、ゲームデザインの第1歩。きっと彼女はユニークなものを作りますよ。そうなれば僕は引退できる(笑)」(宮本氏)。

 「バランス」については、ゲーム開発はハードウェアとソフトウェアのバランスが重要だとしながら、Wiiリモコンのデザイン経緯について紹介。社内の部門が協力してコントローラーを作るのが任天堂のやり方で、何種類ものプロトタイプとソフト開発の実験を経て完成したことを示した。宮本氏は「娯楽に特化した企業として、多様な開発者がバランスよく存在し、協力しながら製品作りができることが任天堂の強み」として、さまざまな意味での「バランス」性が重要であることを示した。

 また、この一環として京都市にある百人一首のテーマパーク「時雨殿」を紹介。DSをコントローラーに、館内全体を使ってインタラクティブコンテンツを開発する試みは、非常に刺激的な体験だったと述べた。ここでは「業界内」と「業界外」の開発者のバランス(協力)が、新しいサービスを生み出したというわけだ。

 「リスクをとって挑戦する姿勢」については、「他人がやらないことをする」ことが任天堂の企業理念であると紹介。これまで自分も挑戦してきたつもりだが、「Wii」は伝統的な「両手で操作する」スタイルを捨てることで、「僕自身も怖かった」と吐露した。「ゲームキューブは今から考えればハーフステップだった」(宮本氏)。岩田社長と話をしては勇気づけられたが、一人になるとまた不安におそわれることもあったという。これが払拭されたのが2006年のE3会場。多くの人々が喜んでWiiを操作している、そんなプレイヤーの「顔」を見て、リスクが報われたと述べた。

 続いて宮本氏は「企業のビジョンも大切だが、ゲームは人が作るもの」として、個人的なビジョンについて説明した。こちらは「プレイヤーの顔をイメージする」「コミュニケーション」「執念」という3つのキーワードを挙げた。
 
 まず宮本氏は、どのようなゲームでも「ゲームを遊ぶプレイヤーの顔をイメージしながら開発する」と説明。その上でゲームを遊び終わった後で、ポジティブな気持ちを抱いてもらうことが重要だとした。ゲームのおもしろさがホラーやバイオレンスに立脚してもいいが、最終的には肯定的な気持ちになることが大切というわけだ。また「開発者は自分の作っているゲームを知りすぎているため、常に同じ間違いをする」として、プレイヤーの視点でゲーム開発をする重要性について示した。

 続いて「コミュニケーション」については、ファミコンディスク版「ゼルダの伝説」のエピソードを元に説明した。宮本氏によると、「ゼルダ」は当初からユーザー間のコミュニケーションを念頭に、あえて不親切さが残された「ツール」だったという。ゲーム展開に行き詰まった時に、友達に解き方を聞くなどして、自然にコミュニケーションを生みだすことが念頭にあったというわけだ。これが「どうぶつの森」ではさらに進化し、コミュニケーションのみで楽しめるゲームとなった。

 一方で開発者にとっては「優先順位をつける」ことが重要だとアドバイスした。例に挙げられたのは「Wiiスポーツ」の野球ゲームだ。このゲームではキャラクターに「Mii」が使われ、盗塁も送りバントも存在せず、3イニングで終了する。宮本氏は大の野球好きで、リアルな野球ゲームを作りたかった。しかし純粋に「投げて、打つ」要素だけに絞った結果、時間内に開発が終了し、誰でも遊べるゲームになったとした。特に「ボタンを押さなくてもいい」ため、「自分でもできる」という感想が多かったという。

 最後に「執念」については、「野球ゲーム」と「似顔絵ソフト」の開発事例を引き合いに出した。宮本氏は1968年に任天堂が発売したピッチングマシン玩具「ウルトラマシン」を見たとき、いつかこれをテレビゲームとして商品化することを考えていたという。このアイディアが実現するには、Wii発売という30年近い年月が必要だった。「ウルトラマシン」ではカーブを投げるのに窪みのついた専用ボールを用いたが、Wiiスポーツでは手首のひねりで投げ分けられる。「こういう技術が出てくるのを待っていた」そうだ。

 ちなみに「ウルトラマシン」は故・横井軍平氏が考案したアイディア玩具。横井氏と宮本氏は「師匠・弟子」の関係だった。師匠の作品を弟子が最新技術でリファインしたことになる。

 また「似顔絵ソフト」についても、実はファミリーコンピュータ・ディスクシステムの時代から温めていたアイディアだったことをあかした。顔は情報のインターフェースで、ゲームを遊んでいる人の顔を思い浮かべながら作るのが宮本流。それを一歩進めて、「顔」を遊びに取り込みたかったのだ。そこでモンタージュ形式で似顔絵を作成し、ディスクを入れ替えてゲーム内に反映させ、遊ぶ仕組みを考案した。しかし「どうやってゲームにするの?」という反対に遭い、断念せざるを得なかったという。

 宮本氏の執念は64DDで発売された「タレントスタジオ」で一度は達成される。しかし売上は芳しくなかった。しかし宮本氏はへこたれることなく、今度はGBAでカードリーダーとカメラを組み合わせ、ゲームキューブと連動して遊ぶ仕組みを考案した。こちらは「ステージビュー」デモとしてE3で映像公開されたが、「どうやってゲームとして遊ぶの?」と言われ、再び断念せざるを得なかった。筆者もE3会場でこれを見たとき、どこがおもしろいのか、さっぱりわからなかったことをよく覚えている。

 ところが福音が意外な形で訪れる。岩田社長による開発ラインで、DSの似顔絵ソフトの試作品が開発されており、宮本氏に意見を聞きたいと見せられたのだ。これを見た宮本氏は「これこそ自分の思い描いていたソフトだ」と感動したという。ところが今回もまた「どうやって売るの?」と反対された。しかし今回はWiiプロジェクトが助け船となった。似顔絵ソフトがWiiの開発ラインに組み込まれ、「お絵かきチャンネル」そして「Mii」として完成したのだ。Wiiの本体同梱ソフトであれば、ゲームとして発売する必要がない。今では宮本氏の妻をはじめ、多くの人が「Mii」を楽しんでいる。最初のアイディアが社会に広まるまで約20年かかったことになる。

 宮本氏は「ハードの進化にあわせて絵を綺麗にしたり、パーツ数やアイコンなどを増やしてきたことが、普通のユーザーにしてみれば、逆に敬遠される原因になっていたかもしれない」と反省の弁を述べた。「ウルトラマシン」は最新技術で復活した。しかし「似顔絵ソフト」は、逆に技術の罠に陥っていた。これが違った場所から光を当てられたことで、改めて商品化されたというわけだ。これはまた「開発者は自分の作っているゲームのことを知りすぎている」実例でもある。ゲームの「神様」も時には間違える。しかし20年ちかく執着したのが、並のクリエイターとは異なる点だ。

 最後に宮本氏は、ゲームは映画のように、業界を越えて広く社会に影響を与え始めていると指摘。会場を埋め尽くした開発者に対して、ゲームユーザーに対してゲームを作るだけでなく、広く社会に向けてゲーム作りを進めてほしい、とエールを送った。そのヒントが「Wiiスポーツ」に隠されているというわけだ。そして「僕の妻にゲームを始めさせることができたのだから、あなた方もみんなにゲームを始めさせることができますよね?」と英語で締めくくった。

 宮本氏の講演はゲーム業界がハードの季節から再びソフトの季節に突入したことを伺わせた。ゲームの売上本数と社会認知はイコールではない。5年後にユーザー層がどれだけ拡大し、ゲームが社会に浸透しているか。それは業界全体の課題だろう。

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