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仙人郷コミュのコロポックル伝承

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自分の日記に書いたら、「何のための仙人郷なのだ?」と言われたので、こちらに再掲します(^^ゞ

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コロポックル伝承
ラワン蕗の話題が出るたびに思い出すことがある。
それは、アイヌのコロポックル伝説だ。蕗の背丈よりも低い小人の伝説として残されているが、実はラワン蕗を見たこともないアイヌ人たちが彼らをみて、蕗よりも小さいのだから小人なんだと思いこんだのではないだろうか。つまり、コロポックルといわれている人たちとは別の種族からみた「誤解による」伝説、ということになるんじゃないかと思う。日高山脈を挟んで西側と東側では異なる種族がいた...と妄想の世界は広がる(‥ゞ

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http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/58882/
フキの「ジャングル」が現れた! 北海道足寄町
日本最大のフキとして知られるラワンブキの収穫が北海道
足寄町で最盛期を迎え、多くの観光客が24日、農協主催の
「ラワンブキ狩り」に参加し、収穫を楽しんだ。
ラワンブキは足寄町の螺湾地区に多く自生し、成長すると
高さが2メートル以上にもなる。
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日本民族とは何か-------日本(ひのもと)民族について
【注】日の丸に嫌悪感をもってる方には不釣り合いです、他の素敵な処に移動してくださいね。

日本(ひのもと)民族についての考察 (H15年11月3日初稿)

アイヌ伝承者であった、砂沢クラさんの「ク スクップ オルシペ」と言う本の中に、次のような伝承が紹介されている。
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言い伝えによると、大昔アイヌが日本中に住んでいて、そこへ
外国からたくさんの人が入り込んできて、主に、日本の真中に
住んでいたアイヌが「混血して和人になった」ということです。
アイヌが、ほんとうの日本人の血統で、神代の時代の日本語は
アイヌ語なのです。
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この伝承が、近代考古学や文化人類学が到達した結論と符合するのがお分かりだろうか?。
ワシが主張している、[異民族ではない]と言う主張もここにある。アイヌも又混血していることは、考古学上の発見から、ほぼ明らかなので、言い伝えの後半は学問上は間違っていると言えるが、それはどの伝承も自分を中心に(出雲神話や大和の神話とか)描かれるものだから、ちと割り引いて読まなければならないが、それにしても、前半は「的確な言い伝え」として信用出来るものである。言うなればアイヌの伝承の真偽にやっと学問が追いついたとも言えよう。

つまり、アイヌ伝承も学問上も、次のように言えると言うことだ。

超古代の日本(ひのもと)は北は樺太から南は台湾までの列島形状の島々に縄文人達が住んでいた。やがて年月を経て、この島々にやってきた人たちがいた。南から、北から。そして平和的か動乱的かはともかくとして、その人達と混血していった。列島中央部の人たちは弥生人となっていった。南の人たちもまた混血し、大陸に近い台湾はどうしても大陸中原の影響を受けざるを得なかった。北方の人たちはやがて元の圧力のもとに強い接触となり、そこでも混血が始まった。オホーツクや沿海州の人たちと。そして北海道樺太千島にアイヌとなった。それぞれの混血の時代が異なってはいたが、縄文の血を土台として、成立した諸民族であった。
これ以降. それぞれの道を歩む期間があったので 異なる民族としての意識を持ち それぞれの中での共属意識を持つこととなった。

ワシの主張している超古代に於いては、同根の一民族として、それがあったと言う事が出来よう。ついでに言うと、ワシが(大和民族と言っても良い)ここでは日本民族と言う、と言うには理由がある。古代のこの列島には「日本」があったからだ。

それは「にほん」とは呼ばずに「ひのもと」と呼ばれる国が確かに存在したからだ。
その国は、「倭」と合体(征服されたとか吸収されたとか言う表現はともかくとして)し、日本と名乗った。それにも関わらず、まだ「ひのもと」とされた国があった。
北海道には、唐子と渡り党のほかに日の本「ひのもと」と呼ばれる地域があった。それは史料にちゃんとある。つまり、元々の{日の本}の国が{倭}と合体するとき、それに加わらなかった日の本があったということなのだ。
それはいつも東へ東へと後退しながらも。だから、この国が縄文の時代、確かに「日の本」と呼ばれる国があったことを意識するためにも、ワシは「日本民族」と呼ぶのだ。

もちろん「日の本」と言わずに「日本=にほん」と呼ぶのは構わないから、「にっぽんみんぞく」とワシも言ってるけど。現在の「日本国」の日本民族ではなく、縄文時代を永く暮らした{一民族としての「日本民族」}なのだ。ワシのアイデンティティー(この表記で良かったっけ?)はここにある。
いわゆる和人と称される人々は弥生の血が縄文の血よりも倍ほど濃いし、アイヌと称される人の血も、縄文の血よりも他から後の方が濃い というのは 十分推測される ところなので、そちらの方を重視するアイデンティティーもあって良いし、別に反対はしない。しかし、ワシのページでは、民族主義としてのものは「縄文」に於くこととする。

産能大学の安本美典教授に依れば、下記のようにまとめることが出来るらしい。
クマ送り儀礼(イオマンテ)は近世アイヌの文化体系のなかで、民族文化の核心として最も重要視されてきた文化要素である。クマ祭文化複合体ととらえる主張もある。クマの骨塚・祭壇は現在のところ擦文文化からは発見されておらず、アイヌ文化がオホーツク文化から継受したものとみられている。
また、近世アイヌの平地式住居チセも中央に長方形の炉があり、擦文式のカマドは消えて、オホーツク文化の影響が感じられるという。 衣服や器物に施されたアイヌ文様も、また隣接する北方諸民族のそれに類似していることが指摘されている。これらのことなどから、大陸的な北方の狩猟文化要素を受容・融合するなかで形成されたものであることが次第に明らかになってきている。のみならず、人間同士の混血も同時に進んだとみるべきだろう。

また、早稲田大学の菊池氏も論文の中で下記のように言う。
「熊送り儀礼(イヨマンテ)は、アイヌ文化複合のまさに核心をなすものだが、こうした伝統はオホーツク文化の『骨塚』にはたどれても、擦文文化にはなぜか見られない。」とし、「現代アイヌ文化に特徴的な住居形式、葬墓制、ユーカラなど、擦文文化よりもむしろ、オホーツク文化圏の方に系譜をたどれる要素」が多いとの見解を示している。


これら研究者によれば、ユーカラやクマ送り儀礼(イオマンテ)のような、近世アイヌ文化の中核のように思える文化要素が、オホーツク文化から継承したものとみられるというのである。
つまり、彼らが「アイヌは異民族」と称する場合の「異なる」とは、縄文人という祖先を共有するところを重視せず、むしろ、北方種族(オホーツク文化人を含む)との文化的な混血、肉体的な混血の方を重視していると言うことになる。
確かに縄文人を共通の祖先として、その後の展開に差違があるのなら「異なる」ものとして認識することも可能であろう。だが、それでは、彼らは「遅れてやって来た先住民」と言う事になることに気がついていない。


空想寓話−−−−−−−−−−−−−
 かつて北海道に平和に暮らしていた縄文人達の
間に強引に割り込むようにして北方文化のオホー
ツク人がやってきた。そしてそこに住んでいた縄
文人を侵略し虐殺して自分たちの文化圏をつくっ
た。それが今も道北オホーツク沿岸部に残るオホー
ツク文化遺跡である。
やがて彼らは縄文人達の婦女子を強姦し力づくで
犯しまくって自分たちの子孫を残すようになった。
その子孫達は縄文人達を大量虐殺し、一人として
の子孫も残さないくらいのジェノサイド戦争を敢
行しつつ、道南を除く北海道全土を占有するに至っ
た。
そして彼らは北方(オホーツク)文化の色濃く反
映した独自の文化地域・アイヌ文化を形成した。
これは、今からおよそ七百年前(西暦十三世紀頃)
のことであった。彼らは北海道をほぼ占有した勢
いにのって、樺太そして黒竜江沿岸、沿海州へと
侵略戦争を敢行し、当時大陸中国の支配者であっ
た元と鋭く対立するようになった。
これは元及び明時代の記録にも残される事となり、
現在の史料研究により証されることになった。
彼らは、北海道最初のジェノサイドの実行者達の
子孫なのである。七百年前以前の平和な縄文人達
の子孫を一人残らず殲滅してからこそ、本州に広
く展開する倭人達とは異なる体つきとなったのだ。
・・・−−−−−−−−空想寓話終わり−−−−
と言うような、恣意的な(南京大虐殺捏造のような)虐殺史観で語ることも出来ないわけではない。そして、これはいつしかウルトラ・ネオ・ナショナリストたちの利用する.お手前学説となりうる危険性がある。地政学がナチによって曲げられ利用されたように。
そうなっては(学問の恣意的な利用は)いけないのだ。
学問というものは、恣意的な記述を許せばどのようにも利用の出来るものなのだから。大東亜戦争の時代を描いた左曲がりの歴史教科書を見ればこのことが明確に判るだろう。

ワシが肉体的文化的な特徴よりも、文化人類学的な意味合いを強調し、同じ日本民族として、新しい民族史観を構築したいと願っているのも、理由はここにある。平和的な暮らしは、誰の願いでもある。だが、時として争い事は起きるし、家族以上の単位で位している場合には騒動が熱くなり戦争に発展する場合がある。それはどの民、どの時にもあったことなのだ。ただ{平和を享受していた、という歴史話}はない。オホーツク文化の痕跡が遺跡としてしか発見されないのなら、また縄文文化が遺跡以外からは発見できないのなら、それは子孫が絶えたためと言うほか無い。それが戦争の結果であればジェノサイドだ。北海道には、確かに縄文文化が、そして旧石器文化があったのだ。しかし、虐殺史観でそれを語りたいとは思わない。
歴史は歴史観で語るものならば、ワシは民族史観で語りたいと思う。

ワシは民族定義を.
共通の言語習慣等の伝統を共有し.帰属意識で結ばれる意識共同体
とします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日本人の成立が縄文時代(ワシの推測では旧石器時代)からだとすれば、同じ祖先から枝分かれし、和人が弥生人・韓半島南部人との(人的・文化的)混血で形作られたように、アイヌは北方種族(オホーツク文化人を含む)との(人的・文化的)混血から形作られたものと推測される。
それゆえ、往々にして肉体的特徴に差異が見られることとなったわけであり、{元々は共通の祖先からである}という仮説にゆらぎはないのである。 
いわゆるアイヌ民族というものは(近代になって)「作られた民族」であった。 
(民族という概念自体が近代になって創造された概念なんだから、当たり前ね(^^;)
だから民族として「先住」と言っても、それは近代に限られる。そうであれば、所謂和人達との闘争の過程が特徴づけられるべきであって、先住というものに「拠り所」を求めるのはいかがなものか。民族として異種に感じられるからと言っての謂われ無き差別の近現代の悲惨な事実を知ることは大切なことであり、それらを改善していく継続的努力が求められる。だが、 中世以前における先住については多くの疑問点がある事も認めるべきだと思う。

コロポックル伝説というものは彼ら自身が道東に「侵略した(サヨク用語(^^;」ことを表しているのではないか?。「蕗(フキ)の丈より小さい人間」というのは.道東に行けば実感できる。人間の背丈よりも高いラワン蕗(フキ)が自生しているのだから。彼らはそう言う蕗が現実にあると言うことを知らなかったから、蕗が大きいのではなく人間が小さいのだと誤認してしまった。(世界中の巨人伝説・小人伝説なんて大抵こんなもんさ)と言う事は、彼らにとっても{道東は未知の世界だった}。サヨク歴史捏造派の用語で言う「侵略」だったんだべさ(苦笑)。そこにあったオホーツク文化はアイヌ文化成立前夜に消滅しているんだよ。まさか和人が全滅させたとは言わないよね?
アイヌ文化というものは「交易の発達」によらなければ作り得なかった文化だった。狩猟民族と言っているのに何で「果実酒」ではなく、米を原料とする「酒」なんだか(笑)
アイヌ文化を特徴づけるものは「移入された文化」であり、道内特有の内製したものではなかった。[オホーツク文化を「吸収した」ことによって作られたもの]であったと言わざるを得ない。

コメント(4)

その地図はワシが十数年前、パソコン通信(ニフティーサーブ)時代に、「日本海文明」シリーズとして書いた記憶がある。
いま原稿はどのハードディスクに保存したか見つからないので何ともいずいが、縄文時代にすでに「商人がいた」というのは確実だから、「交易」は日本海沿岸部で行われていただろう。
その当時は、まだ朝鮮民族の発生はなかった(古朝鮮というのは高麗族で韓半島で発生したものとは異なる)ので、縄文族が広く分布していたように思う。
その縄文族が高麗族と混合して古朝鮮の元となり、揚子江中上流流域に住んでいた種族と混じり合って我々の直接の祖先である弥生族となり、オホーツクの種族と混じり合ったのがアイヌ族と思われる。弥生族の前身と南方種族と混じり合ったのが沖縄種族だろう。
だから、遠く縄文族をバックボーンに日本海・東シナ海文明は栄えていたように思うよ。


現存していたと言えば、ワシは素戔烏(スサノウ)尊も現実の人間として存在していたと思っているよ。

古今和歌集の序に「和歌の起源は素戔烏(スサノウ)尊より始まる」と言明しているもの。
素戔烏(スサノウ)尊の現れる以前の和歌というか歌謡は文字数に制限はなく、単にそれぞれバラバラに言葉を綴り詠っていた。
それを三十一文字として統一し、和歌の形式を作ったのが素戔烏(スサノウ)尊だった。
荒くれる魔神ではなく、歌謡を嗜む良い青年だったことが判る。
その素直な心を持ち和歌を詠う心清らかな青年だったための実直さゆえ、姉の政治的な手腕の巧妙さと周りのドロドロとした現実政治のいやらしさに目を向けたとき、正義感からの激しい言動が時の勢力とぶつかり、いつしか遠ざけられ荒ぶれる神として名を記録されることとなったとワシは思っている。

万葉集の柿本人麻呂も才能豊かだったために時の権力の争いに巻き込まれ歌の世界でのみ名を残すこととなったのに通じるものがある。

古代へのロマンは尽きませんなぅ。

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