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インド料理LOVEコミュのタイ日記17

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「がねさん サワディタイ日記 なつかしき宿たち」
少し今回の旅とは離れて昔話しを聞いてもらいたい。
僕がバンコクに初めて着いたのが、1984年8月14日空港から出るともう日が沈みかけている頃。
インドに1年半居て日本に戻ろうとした帰りに立ち寄った最初の地。
まず目指すは「楽宮旅社」
デリー、コルコタやカトマンズ、ポカラとあちこちに日本人の溜り場と言われる宿が有った。
バンコクの溜り場と言われたのがその当時楽宮ホテルである。
ドムアン空港から29番のバスに乗り終点のファアランポン駅へ。
運河沿いを歩いて汽車の看板の先頭に来たら左に回れば有る、暗い夜道でもすぐに分かった。
入口の階段を上ると受付一泊50バーツ
そこはもう典型的な安宿風景、何人もの日本人が居る。
翌朝宿に居るとゴアやカトマンズで出会った旅友が何人か居た。
1階に北京飯店と言う食堂があり、スワニーと言う女性が仕切っていた。
日本食の様な物もあり一日中何人かの日本人が無駄話しをしている。
壁には伝言板、旅行者の情報や航空チケット売ります、尋ね人の張り紙が何枚も。
初めてのチャロインディアの帰り、ここを訪ねた時にはもう閉まっており、かろうじてスワニーがほそぼそと食堂を営んでいた。
今はもう薄暗い階段がほこりまるけで、食事の時に使った裏階段は倉庫の様に荷物が詰まっていた。
谷恒生書「バンコク楽宮ホテル物語」のモデルになった宿である。
そこで再会した旅友にここからバリまで行きUターンする事をすすめられ実際北のチェンマイ、チェンライへ行きコサムイへ寄った後にバリまで半年以上の旅をしてしまった。
戻って来てからの宿が、近くのジュライホテルである。
ジュライロータリーの前にあり、エアコンも付いて100バーツ。
ここもほとんどが日本人旅行者。
ただ部屋のドアがしっかり閉まっており、プライバシーは守られた。
朝食は北京飯店、昼夜はチャイナタウン、宿前でも日本人がたむろして話し込んでいる光景がいつも見られた。
こちらも随分前に閉鎖され、鎖のかけられた入り口からいつも使っていたエレベーター見えた。
そしてチャロへ行きだし使っていたのがスリークルンホテル。
ファアランポン駅のすぐ左手、西側にある。
嫁を連れて来た時もここに泊まった、850バーツであった。
その時はまだ楽宮も開いており、嫁を連れて行ったら階段を上った所で怖くてそれ以上ついてこれなかった思い出も。
ここは少し改装して名前も替え、少しの日本人と中国人のお客でもっているらしい。
途中で意外と不便だと気が付きプロンポンに移ったのが7年前らしい、今のホテルの人に教えられた。
今となれば色々な物語が有り懐かしい。
最初の頃は今の様にカオサンもまだまだ知られていなく、日本人はチャイナタウン、白人はマレーシアホテル周辺、1バーツ13円の頃の話である。
そして最初の日、空港から駅に向かうバス、窓の外には夜なのに電気が煌々とひかり、人があふれ、笑顔を返してくれる。
インドに比べるとまるで天国、タイが好きになった第一歩である。

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