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高山良策 怪獣造型研究会コミュの★「ピー・プロ 特撮映像の世界」

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皆さま、今年もすっかり押し迫りました。

コミュ参加者もじわじわと増えているというのに、相変わらず放置常習の管理人です(苦笑)

さて、なかなかネタがないわけですが(苦笑)、先日自分の念願だった朝日ソノラマの
「ファンタスティック コレクション ピー・プロ 特撮映像の世界」をネット書店の手違いで
500円で入手(爆)出来、(どうやらゼロが一つ少なかった模様)この幸運はコミュ参加者
全員に分け与えるべきと思い、この本の中の高山さんの記事(たった2ページですが)を
何回かに分けて掲載したいと思います。すでにお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、
よろしくお付き合い下さい。

ただまあ、年末になってしまいましたので、とりあえず初回は表紙の写真だけでも載せておきます。

※なお、だいぶ以前にコミュの「副管理人」希望の方に連絡いただきましたが、mixiの
参加期間の規定がなかなかに厳しく、あともう少しだと思いますので今しばらくお待ち下さい。
それではどなた様もなにとぞ良いお年を!!

コメント(12)

楽しみですね〜☆
良い年越し土産をいただいた気がします。
アップよろしくお願いいたします〜♪
やんささ。さん、かような企画にご賛同いただき、ありがとうございます。

皆さまのコメントもお待ちしておりますのでぜひよろしくお願いします!
 高山良策 -- 大概の特撮ファンなら、この名を聞けば怪獣造りの名人を思い浮かべるだろう。

レッドキングもゴモラもカネゴンも高山さんがいなければ私たちの記憶に残る人気怪獣には
ならなかったかもしれないのだ。
各制作会社の美術デザイナー達は、高山さんの造る怪獣を「デザインよりよく造ってくれる」
と口を揃えて評価する。
それほど、高山さんの造った怪獣には細部の配慮が施され、単なる縫いぐるみの域を超えた
芸術品なのである。
例えば、高山さんの怪獣には足の裏に指紋が彫りこまれている。これはカメラがローアングル
で撮影する場合、足の裏が映るかもしれないという配慮からだという。

さて、高山さんとはどのような経歴の持主なのだろうか。ここで高山さんの経歴をピー・プロ
社長の鷺巣富雄さんがかつて「放送文化」に寄せた一文から抜粋してみることにしよう。

『高山さんは昭和4年、絵描きになりたくて山梨から単身上京。独学、苦労を重ね、時には
新宿で街頭似顔絵描きなどしながら勉強した。私は、高山さんのデッサンの確かさは多分、
この時代に飲まず食わずの中で耐えることを知り、ジッと眼を据えて物を見つめた努力の
所産だと信じている。
そして、昭和12年から15年までの現役輺重兵時代。満期後の田辺製薬宣伝マンから東宝
撮影所特別映画班所属の戦前戦中時代。戦後の東宝教育映画の造型映画作りの時代。
東宝退社後の独立、学研その他の人形アニメ製作時代。大映の「釈迦」、「大魔神」など
京都作品参加時代。テレビ怪獣映画「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」
「怪獣王子」など、第一次怪獣ブームによるマスプロ供給時代。さらに今度の第二次怪獣
ブームに再び多忙の毎日を迎える経緯。その間、造型に商業美術に出版立体写真にタブロー
に個展、同人展参加にと非常にタフな行動家である。』 (「放送文化」昭和46年9月号所載)
(つづく)

高山氏、完全に造形家として紹介されてますね。
画家としての作品もかなり良い作品が多いですよね。
やんささ。さん、私は高山さんの絵画を初めて見たときは
あまりに前衛で驚きました。たしか六本木のストライプなんとか
という美術館で、利子夫人が挨拶してくださり、感激しました。

六本木の美術館、私も行きました。
入ってすぐ右側のテーブル席に
和服姿の利子夫人が座っておられ、
丁寧に挨拶してくださったのを覚えています。
ZERTさん、「ストライプハウス美術館」ですね。
しかしスゴイ記憶力ですね。もう24、5年前だと思います。
怪獣関係の展示は少なめだったような印象が・・?
85年頃のあそこの展示会ではアンノンの雛形のレプリカを売ってたんですよね〜。
安くはなかったけど、銀行で有り金下ろしてくればナントカ買える値段だったんで
どうするかしばらく悩みましたよ…。
最終的には「尻尾の長いバージョンでTV版とは違うから」と
自分に言い聞かせて止めたけど、やっぱ買っておけば良かった…_| ̄|○
FZIR0さん、そうだったんですか!知りませんでした。
というか、単に忘れてるだけかも??

普通に考えてウン万でしょうが、後から考えるとそう思えちゃいますよね。


(つづき)

 鷺巣さんの文中にあるように、高山さんが造型に手を染めるようになったきっかけは
戦争中に東宝での軍の教育映画に使用するB29や零戦の模型を作ったことによるという。

東宝退社後は、集英社の少女雑誌で口絵の背景を手がけたり、学研では教材用スライド
の製作に携ったりしている。
昭和33年に学研映画局が製作した最初の人形アニメ映画「注文の多い料理店」(宮沢
賢治原作)で人形製作を担当、続いて翌34年の「ポロンギター」では人形から装置までを
製作している。高山さんの人形造りは全く独自で考えたもので、骨組みは木を使い、関節
部分は玩具のネックレスの球を糸で固定して使用したそうだ。

 高山さんが怪獣を作ったのは、大映で「鯨神」(昭和37年)の模型を製作したのが最初
だった。この模型は紙粘土だったが、ここで大橋史典さんと出合い、生ゴム(ラテックス)
を使用することを覚えたという。「鯨神」では特撮で使用する漁師の人形も製作。また
その前年の大映の超大作「釈迦」でも人形製作を担当している。

 人間が中に入って操演する縫いぐるみを造ったのは、昭和38年に読売ランドが開設され
た際、呼び物の水中レヴューで使用される魚や亀の縫いぐるみを造ったことによる。
これがこのショーの演出を監修した円谷英二の目にとまって、円谷プロから「ウルトラQ」の
怪獣製作を発注されたそうだ。

 高山さんは東宝に在籍していたことがあったが、特殊技術課とは全く縁がなく、「ゴジラ」
などの特撮映画には一切係っていない。その高山さんが円谷プロから怪獣製作を依頼
されることになったわけだ。最初に造ったのはペギラだった。

高山さんは東宝の怪獣縫いぐるみの作り方を知らなかった。そこで、独自の製作法を考案した
という。映画で使用される怪獣は重量感が必要だから多少操演者の動きが鈍くなるのはやむを
得ない。だが、テレビの怪獣には軽快な動きが必要だという考えから軽くて動きやすい縫いぐるみ
造りに苦心したという。そして、円谷プロのデザイナー、成田亨さんと組んで数多くの人気怪獣を
造っていったのは、誰もがよく知るところである。
(つづく)
 (つづき)

 高山さんが縫いぐるみ製作を手がけた作品は、「ウルトラQ」「ウルトラマン」
「ウルトラセブン」をはじめ円谷プロでは「快獣ブースカ」「マイティ・ジャック」
「怪奇大作戦」など、ピー・プロでは「快獣王子」映画では大映「ガメラ対バルゴン」
のバルゴン、「大魔神」の造型、更に舞台関係と実に広範囲な活動ぶりだった。

 第二次怪獣ブームでは、ウルトラシリーズは「帰ってきたウルトラマン」のグドン、
ツインテール、ステゴンを製作したのみで、ピー・プロの「スペクトルマン」、また
「ウルトラセブン」後半の特殊美術を担当した池谷仙克さんとの関係から現代企画の
「シルバー仮面」「アイアンキング」「レッドバロン」など、円谷プロ以外の製作会社の
作品に活躍の場を移している。

 円谷プロでは、十周年記念作品の「大奮戦」「ファイヤーマン」の怪獣造型を担当
している。
 ピー・プロでは、「怪傑ライオン丸」がライオン丸、タイガージョー、デボノバ、
「風雲ライオン丸」がライオン丸、ジャガーマン、カズラーなど、「鉄人タイガーセブン」
はタイガーセブンとギル太子、「電人ザボーガー」がアリザイラー、悪乃宮博士の仮面、
「冒険ロックバット」ではドラダヌキーなどが高山さんの製作によるものである。

 高山さんが怪獣を造る際、材料を仕入れるのが奥さんの利子さんの仕事である。
 こんな話がある・・ 「豹マン」の縫いぐるみを造った時、ヒゲの材料に頭を悩ませた
ことがあった。ビニールでは切断面がうまくいかず、ほうきではすぐにしなってしまう。
 そこで、奥さんが鳥の羽の芯が使えないものかと考えついた。ところが、初めに選ん
だ孔雀の羽根は折れやすかったため、鶏の羽根にしようとしたが今度は短すぎる。
そこで、東京中の羽根屋さんを探し回ってようやく適当な羽根を見つけたそうだ。

 高山さんの工房「アトリエ・メイ」は、こういったアットホームな雰囲気で怪獣が造られ
ていく。高山さんがアルバイトとして雇っていた日大芸術学部の学生は、卒業して社会
人になってからも我が家のように高山家を訪れるという。

 私は、高山さんの造る怪獣の魅力はこういった高山夫妻の暖かい人柄にあるのでは
ないかという気がした。
                                (レポート / 安井ひさし)

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