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ガンと楽しく癌ばろう!コミュの母が肺腺癌と診断されました

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初めまして。

3月の終わりから、肺がんの可能性があるとして
(胸水と3センチ大の影があり)
入院していたのですが、
「肺腺癌」と診断されました。

母は64歳です。
ステージ?で腰椎に転移があります。
脳にも転移してる可能性が高いようですが、
まだ胸水を抜くためにドレーンをつけているので
MRIで検査することができません。


胸膜癒着術をおとといしたのですが、
まだ水は出ているようです。


今後、抗がん剤治療になるのですが、
「カルボプラチン」「パクリタキセル」
を使うようです。


余命は1年くらいと言われましたが、
今はまだとても元気で、顔色もよく、本当に
がん患者なの?と思えるくらいなんです。

だから、余命を聞いても信じられません。
本人もそこまで悪いとは思えないようです。


同じような病状の方のお話を聞きたいと
思いましてトピを立てました。
また、免疫療法など、抗がん剤以外のもので
治療を頑張っている方がいましたら、
そちらの話も聞かせていただきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いします。

コメント(82)

>モンモンさん

イレッサが効いているようで何よりです。

宅の母は頭蓋骨、頚椎、腰椎、鎖骨・・・と新たな転移が続々と出てきました。
イレッサの副作用も辛く、胸水も溜まり入院し、激ヤセしながらも「家に帰りたい」とゆう本人の要望で退院してきました。

元来、前向きで明るい性分の母ですから気丈にしてはいますが時折、弱気にもなります。

でもそれで当たり前ですよね。痛いし、辛いし、苦しいんですから。。
弱音も愚痴も、聞かせて貰えるくらいに近くに寄り添える今こそ、幸せなんだと思えます。

モンモンさんのお母様の具合が少しでも良くなり、安定した日々が続きますように。
*ゆきんこさん

新たな転移、辛いですね。
イレッサの副作用、強く出てるようですが・・・
私の母は、今のところひどい副作用はありません。
これから副作用が出てくる可能性はありますが。


ゆきんこさんのお母様も、前向きで明るい方なんですね。
その方が、「家に帰りたい」と言うということは
よほど辛いんだろうな、と思います。

でも、病院より家のほうがいいんでしょうね。
私の母も、家にいる時の方が顔色もいいし
なによりうるさい?孫たちに会うと元気が出るみたいです。


ゆきんこさんも、大変だろうと思います。
でも、今こそ寄り添って、今までの分恩返ししてあげたいな
って思いませんか!

一緒にいられるうちが幸せですよね。
お互い癌ばりましょう!!
>モンモンさん
こんばんわ。
お母様イレッサが効いていてよかったですね!
例え病状が思わしくなくても薬が少しでも効いていると希望が持てるかと思います!
痛みがあるとのことですがモルヒネは使われていらっしゃらないんでしょうか?痛みが和らぐといいですね。
一番近くでみてるモンモンさんも辛いですよね。

お母様が痛みを訴えても代わってあげられない辛いお気持ちとても分かります。

私も苦しんでる父を見てさすってあげることしかできなくてそれがどうしても悔しくていつも隠れて泣いていました。
亡くなってから父がつけていた日記帳を読みその中に、家族にさっすってもらった手から暖かいぬくもりが伝わってそれだけでうれしかった、と。

きっと代わってあげれらないことを悔やむよりできることを精一杯してあげることが大切なんだと思いました。



でもお母様はご病気でも前向きにがんばっていらっしゃるのは素敵ですねハート
きっとモンモンさんのご家庭はあったかい素敵な家庭でいらっしゃるんでしょうね。

病は気からとよく言います。
きっとそんなお母様だからこそイレッサの効果がでてるのかもしれません!

心から応援してます。
*ゆーさん

お父様、日記をつけていたんですね。
家族にさすってもらったことで、温かいぬくもりが
伝わって嬉しかった、そんな風に思ってもらえて
嬉しいですね。

母は、まだモルヒネは使っていません。
痛みはありますが、継続的ではないことと
本人が我慢できる痛みだからという理由で
使っていません。



今日、ちょうど診察日でした。
帰り、母がランチをしようというので、
姉と3人で中華を食べに行きました。

病院に行くだけで疲れているはずなのに、
ランチをしようと言ってくれるなんて
すごく嬉しかったです。
こんな時間が続けばいいのにな、なんて思っちゃいました!


ゆーさんの家族こそ温かいご家庭なんでしょうね。
会社2か月も休んで看病するなんて、なかなかできないですよ!
はじめまして。
ぁたしの父は2年前の11月に肺線癌の宣告を受け、末期のステージ3でした。

で、抗がん剤をいろいろして4種類目にして若干小さくする事ができ、今は一ヶ月に一度の通院(二ヶ月に一度のCT)で元気に日常生活を送ってます。


モンモンサン☆もお父様もいろいろ大変でしょうけど、お互い日々笑って過ごせる事を願いマス☆

簡単な文面、言葉ですみません。
〉モンモンさん
ランチにいかれたんですね!
お母様はご自分の体の辛さよりモンモンさんご家族とのお時間をとても大切にされていますね。
病気によって辛いことはとても多いと思います。
でもそれと同時にあたりまえだと思っていたことがすべて幸せなんだって気づかされますよね!

そんな幸せな日がこれからも続きますよおにほっとした顔
何度かこちらにコメントさせて頂いたので、報告を。

さる10月27日、闘病していた母が亡くなりました。
皆様の温かいお言葉に随分と励まされました。
ありがとうございます。

肺腺癌と診断されてから2年9ヶ月、長いようで短い闘病生活でしたが精一杯生きて、生き抜いた人生だったと思います。
私は母との時間を濃密に過ごせた事を幸せに思います。

癌との闘い、共生は辛く大変な事も多いでしょうが皆様の人生が豊かに、実りあるものになりますように祈っています。

ありがとうございました。
ゆきんこさん

お母様のご冥福をお祈り申し上げます。

二年9 ヶ月、お疲れさまでした。。。

私の兄は、ステージ4 とわかってから1年3ヶ月後に亡くなったので、正直「もっとできることがあったのでは」とか「もっと早くわかっていたら」と心のどこかで往生際が悪いことを考えてしまうので、濃密に過ごせて幸せに感じていらっしゃるのは本当にすばらしいことだと思います。

もちろん、そうは言っても天寿を全うしていない悲しみは深いでしょうが。。。

ゆっくりお体をお休めになってください。


…ちなみに、おうじょうぎわって「往生際」って書くんですね。。
今、変換されて初めて知りました(笑)
hero川口、さま。
かーらさま。

ありがとうございます。
私自身、やはり疲れが出てきたので今は仕事を休み、心と体をゆっくり休める時間を過ごしております。

母が癌と診断されてから、母の有り難みを強く感じるようになりました。健康であれば気付かずにいた事も多々あります。

「感謝、感謝です」
「ありがとう」

母はいつもそう言ってました。
周りの方々に感謝を忘れずに『活かされている』喜びを忘れないで生きる、そんな人でした。

もっとしてあげたい事も、してあげられた筈の事も、もちろんあります。
『〜たら、〜れば』は、どんなにやれる事を尽くしても出てくるのではないでしょうか。
私としても、病院での治療やケアに関して不満がないわけではないのです。

ただ、母は懸命に生きて。
私はその傍で『母の生』に添わせて頂いて。
その事には一片の悔いもありません。
母に生んで貰い、母の子として育てて貰って、掛け替えのない時間を過ごしてきました。
だから母の死は哀しいけれど、私は『幸せ』なのです。

「感謝」と「ありがとう」を忘れずに、私も生きていきます。


長々と、取り留めのない話になってしまい申し訳ありません。

底冷えのする季節になって参りましたので、皆様も重々ご自愛ください。

お付き合いありがとうございました。
ゆきんこさん


お母様のご冥福をお祈りいたします。

2年9ヶ月、お母様と大切な時間を過ごせたことは
ゆきんこさんにとってはかけがえのない時間だった
ことと思います。

あとから色々な思いが出てくることとは思いますが、
今、幸せと思えているということは
天国にいるお母様も喜んでいてくれるのではないでしょうか。



私の母も肺腺癌と宣告されて、もうすぐ8ヶ月になります。
本当は昨年の11月にわかっていたのに、医者のミスで
発見が遅くなりました。
そこから考えれば、もう1年頑張っています。


最近は痛みも激しくでることがあり、何もできない自分に
情けない気持でいっぱいになります。
記憶も曖昧になることが多く、脳の転移が広がっているんだなと
素人ながらにも感じます。
半分でいいから、痛みが分けられたらいいのにって、
何度思ったことか・・・


夜になると涙が出てきてしまうこともしばしば。
辛いのはまだまだこれからなのに・・・


すみません自分のことばかり。


ゆきんこさんもお疲れでしょう。どうぞゆっくり休んでください。








モンモンさま。

ありがとうございます。

モンモンさまのお母様、痛みが強く出てきているのですね。。
傍に居るしかできず、その痛みの半分も代わって上げられない事は
じれったいし悔しいし切ないですよね。
―でも、傍にいる事だけは、出来るんですよ。
それだけでも、出来る事があるんです。


モンモンさまのお母様、モンモンさまも大変かもしれませんが
思い詰めすぎて体調を崩してしまいませんよう、気をつけてお過ごし
ください。





トピックを立ててから1年近くがたちました。

皆様には、本当に励ましの言葉をいただいたり
色々なアドバイスをいただいて、本当に感謝しています。


母ですが、今月の10日からホスピスに入っています。
それまでは別の病院に入院していたのですが・・・
前日の夜中急変し、家族が病院へ呼ばれました。

呼吸は乱れ、高熱があり、もうだめだと誰もが思いました。
でもみんなで声を掛け続け、母の友人にも来てもらい
ひたすら声をかけました。
あそらく2時間ちかく同じことをしていたでしょう。

しばらくして母の様態が少しずつ変化していくのが感じられました。
血圧も上がってきて、呼吸も苦しそうではありましたが
弱々しくですが手も握ってくれました。


でも、病院へ呼ばれてから1度も医師が出てこなかったんです。
当直の先生しかいないの繰り返し。
熱が出ているといってもなんの処置もなし。

こんな病院にいたら殺されてしまう、本気でそう思いました。


もともとホスピスに2日後に入る予定でしたが
すぐに転院を願い出ました。

病院の対応の悪さを強く訴えた結果、その日のうちに
ホスピスへ転院できました。


転院後、母の様態は嘘のように良くなりました。
ここ数ヶ月食事もほとんど摂れず、会話もできず
笑顔さえなかったんです。
鬱に近い状態だったのでしょう。
それが笑顔で話をするようになりました。

ここでは医師も、看護士も患者のことを1番に考えてくれて
薬も飲めなくなっていた母に、点滴や座薬で対応できるよう
考えてくれました。

母はそれだけでも、久しぶりに穏やかな気持になれたと
言いました。

アロママッサージもボランティアの方がやってくれます。
これは気持ちの上で、かなりの効果がありました。
ピアノもリクエストすれば好きな曲を聞かせてくれます。

でも、なにより先生や看護士さんがとにかく優しいですね。
これが母には1番の薬のようにも思えます。




今は意味不明な言葉も多いですし、夜も眠れず早く起きてしまうことも
よくあります。幻覚は薬で抑えられるようになりました。
どう対応していいかわからず困ることもありますが、
看護師さんがとても上手に対応してくれて、それを見て
こんな風に接すればいいんだ、と勉強になることがたくさんあります


足のむくみがあるので毎日さすってあげていますが、
いつもありがとうね、と言ってくれます。
自分が元気になったら、みんなに感謝して色々なことを
してあげたいとも。


母親ってすごいな、とつくづく思います。
自分が病気で苦しくても、人に感謝したり
父のことを心配したり。
もう大人の私のことまで心配したり。


家に帰りたいと言い出すこともあり、できることなら
家で看てあげたい。

でもそれは難しいですね。
点滴も必要ですし、排泄も自分ではできない。
呼吸が乱れることもあるし・・・


すこしでも、このホスピスで穏やかに、痛みもなく
過ごせることを今は願っています。


イレッサも飲めなくなった今、残された時間は多くはないのでしょうが、
少しでも一緒に過ごしたいという気持ちを義母がわかってくれて
今、私の家に泊まりこんでくれています。
おかげで、子供たちや主人のことをまかせて、
母のそばに長い時間いることができます。


末期のがん患者を持つ家族は本当に大変だと思います。
まわりの方の協力なしでは思うような看護はできないでしょう。


母の友人たちは毎日かわるがわるお見舞いに来てくれて
私たちに食事まで作ってきてくれます。
本当に感謝でいっぱいです。
でも、母の人柄のおかげなんだなと思います。
いい友人を沢山持っている母がとてもうらやましいです。


長くなりすみません。
思い立ったまま文章を打ち込んだので、
とりとめもないものになってしまいましたが、
近況まで。






*hero川口、さん

いつもありがとうございます。
同じ病気の方や、ご家族をお持ちの方と
色々な情報を交換できたらいいなと思います。
*モンモンさん

1年前、このトピが立上がった時、モンモンさんのお母さんと私の母の症状がとても似ていたので、ずっと、気になっていました。

ホスピスへの転院、それから、イレッサが服用できなくなったとのこと、正直、とてもショックで心が痛みました。

私の母は、幸い、今のところイレッサが効を奏して、疲れると苦しい、腹部が痛むといった症状はずっとあるものの、何とか自宅で日常生活が送れています。同窓会にでかけたり、来週末には再発後初めて泊りがけの温泉旅行を予定するなどといったこともできています。
そんな日常で、このまま小康状態が続いて、そのうち新しい治療法が見つかって・・・と危機感が正直薄まっていました。

モンモンさんのお母様の近況を知り、「いや、まだまだ予断は許されないんだ」と気がひきしまりました。

今まで、私は、何となくホスピスを怖がっていましたが、モンモンさんのメッセージから、ホスピスでは「死への恐怖」や「別れの悲しさ」といったネガティブな感情だけではなく、もっと穏やかな時間や尊い何かを感じることができるのだということを学ばせて頂きました。

大変な状況下にあるのに、近況をお知らせ頂いてありがとうございました。

つきっきりの看病で精神的にも身体的にもお疲れかと存知ますが、どうぞ、無理しすぎないよう気をつけて、少しでもお母様と素敵な時間を持ってください。

*ミキータさん

ミキータさんのお母様は、日常生活が送れているのですね。
イレッサが効いて、本当に良かったですね。


私の母も、夏〜秋は病人とは思えないくらい元気でした。
家事をできるくらいでしたから。
旅行にも行きましたよ。
息切れがあるので車椅子を使いましたが。

でも、昨年12月に全能照射をしたんです。
それの副作用で吐き気が止まらなくなり、
食事もほとんどできす、言葉も上手く出なくなりました。


やらないほうがよかったのでは?と後悔もしましたが、
脳の転移はほとんど見えなくなりました。

私も一時、母はこのまま小康状態が続くのでは?と
思っていました。
でも、母の場合、そうはいかなかったようです。


今、麻薬のデュロテップパッチを貼っていますが
痛みは抑えられているようで、体のどこかが痛いということは
ないようです。


ホスピスのことでなにか気になることがあったら
聞いてくださいね。
ミキータさんのお母様は今のところそんな状態ではないので
大丈夫とは思いますが。

ただ、私は母をもっと早くにホスピスにいれてあげられることが
できたらよかったな、とつくづく思います。
いい病院も沢山ありますが、ホスピスはより癌患者の立場や家族の
気持ちを理解してくれる場所だと思います。



ミキータさんもお母様と素敵な時間を作って下さいね。
今なら、まだまだ一緒に色々なこと楽しめる時間があると思います。


私、母がもう少し元気な頃、一緒に色々やっておけばよかったと
思うこと沢山あったので・・・
こんばんは。

モンモンさんのお母さんと症状がよく似ていた私の母。昨年4月からイレッサを服用開始して、血液の腫瘍マーカーが20以下で小康状態だっのですが、今年の3月ころから夕方になると頭痛を訴えていたので、MRIで調べてみたら、先週、脳に小さな転移があることが見つかりました。

今日、ガンマーナイフでの削除ができないかこの分野の第一人者の先生に意見を求めたら、奥歯の治療で金属を埋め込んでいるため腫瘍の位置がぼやけて特定できないのと肉眼で確認できない小さなガンも散らばっている可能性もあるので、放射線治療の方が良いでしょうという見解でした。

覚悟していたことですが、本人も私もショックを受けています。ガンは確実に進んでいるのですね。

4月に県内の大学病院で免疫細胞療法の外来受け付けが試験的に開始するというニュースを聞き、申し込もうとしたのですが。。。開設初日に申し込みが殺到して、受け付け開始1時間半後に締め切られてしまいました。この間に、サイトを見たのですが、申し込みの告知場所に気がつかなくて、見過ごしてしまったのが悔やまれます。。。

私立のクリニックでも、高額ではあるけれど臨床実験しているようなので、それも検討してみようかなとも思ってます。

頭が混乱していて、とりとめのない文章になってすみませんが、ご報告までに。
*ミキータさん

脳に転移、、、心配ですね。

放射線治療というのは全脳照射のことですか?
私の母の脳転移はは、星をちりばめたような転移でした。
なので、ガンマーナイフは無理ということで、放射線になったわけですが・・・

昨年12月に4回ほどやりました。
副作用はあとからやってきます。

母の場合、副作用の1番ピークに当たる時期(照射後3ヶ月)に
言葉はほとんど出ず、記憶も曖昧、うつ状態になりました。

正直、放射線はしない方がよかったのでは?と悩みました。
でも、この前脳照射は意識がしっかりしてるときでないとできないと
思います。
うつ状態になってしまうと、おそらくじっとしてることさえ無理なので
この治療が難しくなるでしょう。


体力もあるうちがいいかと。
吐き気なども出てくるので(人によりますが)、体力の衰えてきた頃には
きつい治療でしょうね。



母が照射して5ヶ月がたちますが、最近はなんとか会話らしいことも
成り立つ時もあり、髪の毛も生えてきました。
もしあの時照射していなければ、今頃脳は完全に癌にやられていとと
思います。

でもこれは今だからいえることであって、これから治療をする
ミキータさんのお母様は不安ですよね。
記憶力は確実におちると覚悟が必要かもしれません。


免疫細胞法、私も気になり色々調べました。
かなり高額になるけれど、効果は劇的にはなくても
現状維持できるならば、それでもやる価値はあるかも、とは思います。
うちの場合、母が拒否したので、試していませんが・・・


なんでもそうですが、お母様の体力があるうちが
1番だと思います。
脳に転移が広がると、色々支障も増えますし。


また気になることがあったら、ぜひ聞いてくださいね。
私も思いついたままかいてるので、とりとめのない文章になってしまいました。
お母様とよく話し合って、納得のいく結果がでるといいですね。
*モンモンさん

アドバイスありがとうございます。
前回のコメントで、緩和ケアに入られたということで病状が気になっていたのですが、全脳照射後の最悪の状態からは若干回復したのですね!

昨日はショックで考えがまとまらなかったのですが、早朝に目が覚めてじっくり考えて心を落ち着けて、電話で母と話し合いました。

昨日、母はかかりつけの歯医者に相談し、"埋め込んでいる金属はとれないことはないけど、それなりに体力は使う"という回答をもらい、ガンマーナイフの専門医のオピニオンと歯医者のオピニオンを主治医に伝えたそうです。その結果、放射線科の医師と、"もう少し大きくなるのを待ってガンマーナイフで切除する""部分脳照射をする"などの処置ができないか検討するということになったそうです。

私からは、"焦って処置をせず、まずは、埋め込んである金属を取って、脳に転移しているガンの形状や大きさをきちんと把握してから、治療法を検討した方がいい。副作用が大きい全脳照射はなるべく避けた方がいいんじゃないか?"という意見を言いました。

"全脳照射をするにも体力があるうちの方が良い"というモンモンさんのアドバイス、大変参考になりました。

焦らず、感情的にならず、冷静に見守っていきたいと思います。
*ミキータさん

お母様とお話されたんですね。
全脳照射ではなく他の方法が見つかるといいですね。

何度でもお医者様とお話されるのもいいと思います。

私も、しつこいくらい先生とはお話しましたよ!
こちらは素人ですから、わからないことだらけ。
でも、母の主治医は嫌がることなく、どんな質問にも
きちんと答えてくださる方でした。

治療も大事ですが、先生との相性もかなり大事だと思います。


どうか、ミキータさんのお母様にとって最良の治療法がみつかりますように。
こちらにトピックを立て、1年とちょっと・・・


6月2日、母(65歳)が亡くなりました。

こちらでは沢山の方々にお世話になり、本当にありがとうございました。

亡くなる10日くらい前から、胸の痛みを訴え始め
モルヒネを使うようになりました。
おかげで痛みはなくなったものの、寝ている時間も増え、
あまり会話などはできなくなりました。

亡くなる数日前からは、こちらが呼びかけると目をあけるものの、
1点を見つめたままだったり、時々「おはよ」等、短い言葉を
言ったり、軽くうなずいたりするくらいになりました。

それでも、何かを訴えたいのか口を動かすこともあり
完全に意識がなくなるということはありませんでした。


でも亡くなる2日前より、血圧がかなり下がり、尿もでなくなりました。
手足もむくみだし、色も紫に近い感じになりました。


もうそろそろなのかもしれないということは、家族みなわかりました。



母は緩和ケア病棟にいたので、延命の措置などは望まず、
自然に逝けることを望んでいました。


最後は、薬を使うこともなく、本当に安らかに眠るように
天国へ逝きました。



亡くなる前の夕方、空に大きな虹が架かりました。
看護師さんたちが、○○さんが天国へ行く為の虹の架け橋に
なるといいねと言ってくれる位、見事な虹でした。
(この時にはもう数時間の命だと誰もがわかっていました)

この言葉通り、約10時間後天国へと逝った母。

65歳という若さで亡くなるのはとても残念ですが
最後は家族に看取られ、苦しむこともなく逝けたのは
本当によかったと思います。


母の病室には人が絶えることはありませんでした。
毎日友人たちが来てくれて、母は幸せ者だったと思います。



そして緩和ケア病棟に入れて、本当によかったと思います。

亡くなってから、看護師さん一人ひとりが部屋を訪れてくれました。
最後、病院を出るときもみんな揃って送り出してくれました。
母の胸には看護師さんが作ってくれた、
小さな可愛い花束が乗せられていました。


まだ、母がいなくなったという実感はありませんが、
母が闘病生活の中で教えてくれたことを、大切にしていきたいと思います。









*モンモンさん

とうとう、お母さまが旅立たれたのですね。お母様のご冥福をお祈りします。
介護で大変な時に、色々とアドバイスありがとうございました。
頂いた貴重なアドバイスが精神的な支えになってます。(私の母は、結局、全脳照射を受けています。)
ご冥福お祈りもうしあげます。
私の親も実は終末期で、入院中。少しむくみがありずっと寝っ放しな状態が続いてます。
先生にも無理に治療するよりは…、と言われました。
もう一年はもたないだろうとも言われました。

私も人事ではないのですが、取りあえずお疲れ様でした。
くれぐれも体調にはお気をつけて下さい。
*ミキータさん

こちらこそ色々とありがとうございました。

お母様、全脳照射を受けられてるのですね。
始めは目立った副作用はでないかもしれません。
人それぞれかもしれませんが、、、

もし、気になることなどあったら遠慮なく聞いて下さい。
全脳照射のことは以前に書きましたが、
他にも参考になることがあればと思います。



*mamiさん

こちらこそ、色々アドバイスを頂きありがとうございました。
mamiさんには沢山励まされました。
これからも、大変でしょうけど頑張って下さい。
またお話しましょうね。



*おぐさん

ありがとうございます。

おぐさんも、きっと大変なときですよね。
寝てばかりになるとむくみもひどくなりますよね。

母の病院では、アロママッサージをボランティアの方がやってくれました。
これはかなり効きます。
私も下手くそでしたが、むくみを少しでもとってあげたくて
よくマッサージをしました。
むくみがあると、かなり足などはだるくなるようです。


つい足ばかり気になりがちになりますが、手や肘のあたりも
けっこうむくみます。
床ずれなども心配ですよね。


治療も悩むところですね。
薬ばかり使っても、体の中はボロボロになるし、
かといって何もしなくていいのかといえばそうでもなく・・・

うちの場合は、もう無理に治療するのはやめようということで
緩和ケア病棟に入りました。
おぐさんも最後をどう迎えるかで変わってくると思います。
母の場合でよければ色々お話しますので、気になることが
あれば聞いて下さい。




*hero川口、さん

ありがとうございます。
いつも励ましてくださり、本当に嬉しく思いました。
ここで色々アドバイスをもらえたので、やれるだけのことは
やった、と思っています。

母の願いどおり、「眠るように逝く」ことができたことによって
これでよかったのかな(介護の仕方など)、と思えるようになりました。
お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

何のコメントもできず、今日まで至ってしまい、本当に申し訳ありません。

涙でいっぱいになりながら…読ませていただきました。


1週間と数日の経過ですね…。


ご気分は、落ち着かれましたか。


体調なども崩されていないことを願っています。


徐々に、寂しさが増すのではないかと、思います…。


私も、祖母を7年前に肺癌で亡くし、2年前には父を膵臓癌で亡くしました。


闘病中の辛さ、痛い程わかります。


踏ん張れる力の強さ、時に弱音、でも這い上がる…


若かった父でしたから、闘病中の姿には計り知れない程の勇気をもらいました。

やはり、人間は強いと思います。


お母様は大変にご立派な方でいらしたのですね。


沢山の方に愛されて、本当に幸せな人生だったと思います。


無理なさらずに、ゆっくり休んで下さいね。
*なかしま れおさん

ありがとうございます。

おばあ様と、お父様を亡くされたんですね。
その時の気持ちの辛さ、闘病の大変さ、とてもよくわかります。

なかしまさんのおっしゃる通り、人間って強いですね。
母を見ていて、本当にそう思いました。


母が亡くなり、10日が過ぎましたが、いまだ深い悲しみには
襲われていません。
徐々にそうなるのかもしれませんが・・・


でも、1年3ヶ月前から少しずつ覚悟ができていたからかもしれません。
勝手な思い込みですが、母がこんなに頑張ったのも
私たち家族に心の準備をする時間を与えるためだったのかな、と。

これが突然の死だったら、おそらくパニックになっていたでしょう・・・

それでも、母が最後に着ていたパジャマをまだ洗えない自分がいます。
(母のにおいが残っているんです)
買い物に行っても、ここ、よく母と来たお店だよな、なんて思うと
切なくなりますが。


お言葉通り、しばらくはゆっくり休もうと思います。
> モンモンさん


お返事、ありがとうございます。

お母さまのパジャマ、大切になさって下さいね。
洗う必要はありませんよね。

私の母も、「お父さんの匂いがついてるから、枕も帽子も洗わへんねん。」

と言って、全く当時のままです。


悲しみはきっと一生消えません。

でも、その経験した悲しみが、モンモンさんや私の強さにも変わるんでしょう。

そう信じています。


辛い思い出も、楽しかった思い出も、生きているから、生きていたから。


涙を沢山流して下さい。


そのあとは、少しでも笑う時間が増えて行きますように。


ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり。
*なかしま れおさん

お母様の気持ち、よくわかります。
私もそのまま持ち続けるんだろうな、と思います。

涙は泣きたいときに沢山流したいですね。
ガマンする必要もないわけだし。

でも不思議と、母の病気がわかった時の方が沢山泣いたような気がします。
そのあとは、泣いてる場合じゃないというか、
肺がんについて調べまくったりして、母にとって1番いい治療は何かと
考えることでいっぱいいっぱいでしたから・・・


笑顔、増やしたいですね。
なかしまさんも、きっとゆっくりゆっくり笑顔を増やされたんでしょうね。


今日明日がヤマだと先生に言われました。
これから弟と付き添いで看病行ってきます。
悔いを残さないためにも1秒でも一緒にいてあげたいと思います。
では…。
*おぐさん

最後まで耳は聞こえていると言われています。
実際、母も聞こえていました。
もう息を引き取ったかな、と言う時に私の息子が「ばあば」と呼びかけました。
その瞬間、また一呼吸し、頚動脈がドクンと動いたんです。
あれは絶対、声が聞こえていたとしか思えません。

どうかおぐさんも声をかけてあげてください。
そして、時間の許す限りそばにいてあげて下さい。

心より祈っています。
おぐです。
今日午前2時53分に息を引き取りました。
60歳でした。息は荒くなり呼吸しづらかったですが、痛みがなく苦しまずになくなったことが唯一の救いかと思いました。
明日明後日はお通夜と告別式でバタバタしておりますが、なんとか乗り切ろうと思います。
個別レスを下さった皆様、見守って下さった皆様ありがとうございます。
ちょっとおちつきましたら返して行きますので少しお待ち下さい。

ではでは。
お母様のご冥福をお祈り致します。


本当に大変な日々だったと思います。
私の母もでしたが、60代はまだまだ若い方で
癌で亡くなるには早いですよね。

でも、最後に苦しまずに逝けたことは本当になによりだと
思います。
人間最後にはその人の生き様が表れるといいます。
きっとおぐさんのお母様もとてもいい人生をおくられて来た方なのでは
ないでしょうか。

葬儀中はもちろんですが、葬儀後も案外忙しいものです。
どうぞ休める時には休んで下さい。

気の利いたことが何も言えなくてすみません。
どうかご家族の方が少しでも早くお心を癒されることを願っています。
 皆様、お久しぶりです。
母がここのトピ主さんのモンモンさんのお母様と同じような症状で、色々とここでご相談させて頂きました。トピ主さんにも色々とアドバイスを頂き、とても励まされました。

 しかし・・・
5月19日 19:31 母が旅立ちました。

 8年前に肺腺癌が見つかり手術、5年後、そろそろ完治宣言かと思いかけた時に再発(胸膜とリンパ腺に転移で胸水がたまっていました。その時の診断は?B期)。

 その後、約2年はイレッサなどの抗がん剤が効を奏し、外来にかかりながら、何とか日常生活を送っていました。しかし、昨年5月に脳転移が見つかり、ガンマーナイフでの治療か、全脳照射かで悩んだ末、結局、6月に全脳照射を受けました。

 トピ主のもんもんさんのお母様のように「言葉はほとんど出ず、記憶も曖昧、うつ状態になり」というほどひどい症状ではありませんでしたが、食欲がなくなったり、手が震えたり、物忘れがひどくなったり、簡単なパソコン操作や計算が全くできなくなったり、本人は少しづつ何かができなくなっていくことに不安を覚え、症状自体にも苦しんだようです。

 12月までは、何とかそういう副作用にも慣れてきて落ち着いた生活を送っていましたが・・・

 1月4日の朝に急に足腰が立たなくなり、抗がん剤治療に体力がもたなくなっているという主治医の判断のもと、緩和病棟に入院しました。

 その後は、1月一杯がヤマ、3月の桃の節句は無理、4月の桜を見るのは奇跡と言われながらも、その度に周囲を驚かせながら頑張っていました。

 しかし、今月19日、もう頑張らなくて良い世界に旅立ちました。幸い、床ずれや多少の息苦しさに悩まされていましたが、耐え難い痛みや苦しみは感じていなかったようで(でも、言わないだけだったのかもしれませんが)、少しずつ衰弱して比較的に穏やかにこの世にお別れしていきました。死の3、4日前までは意識がわずかながらありました。

 緩和病棟では、始終、看護師さん達に良くして頂きました。母も泣き言や我がままを一切言わず、体力の限り笑顔や言葉で感謝の意を先生方、看護師さん、見舞いの人々に示していたようでした。モンモンさんも書いてらっしゃいますが、私も母の最期に多くのことを学びました。

 母を失った悲しみや喪失感が、まだ実感できていません。これから事あるごとに、じわじわと感じるのかもしれません。

 このトピには、いつも励まされていました。

 ありがとうございました。
*ミキータさん

お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

長い闘病生活でしたね。
お母様はもちろんですが、ミキータさんもよく頑張られていたと
思います。


私の母も、亡くなってから約1年になります。
ちょうど明日、1周忌を行います。

この1年、母のことを思い出さない日はありませんでした。
ただ、亡くなってすぐは思い出さないようにしていたのも
あるのですが、そんなに深い悲しみはなかったです。
やれるだけのことはやった、という思いのほうが強かったのかも・・・

でも、半年が過ぎた頃からふいに悲しくなったり、寂しくなったり
涙が勝手に出てきてしまうことが増えました。

悲しみって、あとからこんなにも出てくるものなのか、と
思いました。



ミキータさんも今は実感がないようですが、後で色々な感情が出てくるかもしれません。
でも、それってみんなそうなんですよね。
だから、そういう時がきたら思い切り泣いてもいいと思います。

久しぶりにこのトピを見直しましたが、なんだか涙が出てきてしまいました。
私もミキータさんにはたくさん励まされました。
ありがとうございました。
*モンモンさん

コメントありがとうございました。返事が遅くなりまして、申し訳ございません。

もう1年経つのですね・・・

時が経つのは、本当に早いですね。私の方も母を亡くして、あっと言う間に1か月になろうとしています。

まだ、実感がないのです・・・

きっと、もんもんさんが書かれているように、ある程度、時が経ってはじめて、じわじわと「ああ、もういないんだ」と実感してきて、悲しさや寂しさをしみじみと感じるのかもしれません。

人間はよくできていますね。きっと、いきなりショックを受けないように供えられたメカニズムなんでしょうね。

おととい、はじめて母の夢を見ました。にこにこ笑っているのですが、目から大粒の涙が流れていて、きっと夢だろうなと思いつつ母のスカートをつかんでみたら、なんと「つかめた」という実感があって、びっくり。それで、抱きしめようと思ったら、すごい速さで走って行ってしまったんです。追いかけたけど、ぜんぜん、おいつけなくて・・・そこで、泣きながら目が覚めました。

これも私の心の何らかのリアクションなんでしょうか・・・

お互い焦らず、悲しみを乗り越えていきましょう・・・

こちらこそ、ありがとうございました。

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