この"Development"が"経済成長"を指すのか、あるいは別の何かを指しているのかさえ、現在合意には至っていません。このSustainable development という開発パラダイムは、"Development"を"経済発展(成長)"と訳すのか、それとも端的に"発展"と訳すのかで大きく見方を変えなければならないのですが、私自身は大抵「持続可能な発展」とし、開発を論じる立場をとります。
というのも、"Sustainable development "を"持続可能な経済成長"とし、開発経済学を用いてSustainable developmentを論じるということになってくると、開発経済学自体が経済成長をほとんど議論の余地がない前提として組み立てられている学問であるから、以下の深刻な二元論的対立に帰結せざるを得なくなるからです。
すなわち、ローマクラブが論じた「成長の限界」です。これは現在、もっぱら「環境か経済成長か」という論壇上での対立に帰結しています。"Sustainable development "という開発パラダイムを打ち出した国連は、ある一つの深刻なジレンマに陥っていると言えます。今の経済成長を支えている環境資源が物理的に有限であるということは自明であるにも関わらず、経済成長は多くの人々の生活水準を引き上げ、そして多くの命を救ってきたこともまた事実だからです。
このような事情もあってブルントラント委員会は、"Sustainable development "の定義を上記のようなひどく曖昧なものに留めざるを得なかったわけですね。もし上記の定義よりもっと踏み込んでいたとすれば、すなわち経済成長の転換を求めるレベルにまでその定義を落とし込んでいたとすれば、これほどまでに広い支持は得られなかったと思います。恐らく誰よりも主流派経済学者が真っ向から反対したはずです。