ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

siblings communicationコミュの自分が子どもだった時に言ってほしかったこと

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
タイトルの文面に,自己紹介でひさもさんが書かれた一節をお借りしてます(申し訳ありません).

私も,このことについて以前から考えていたので,もしよろしければ,きょうだいの方の思いを聞かせていただけたらと思い.トピックを作成しました.

最近感じていたのは,学齢期きょうだいの子たちにとって,自分の感じている思いの表出することによって(そして他のきょうだいや親御さんやサポーターを含めた周りの人に受け入れてもらうことによって),気持ちが楽になること,…勿論重要なのでしょうけど…,気持ちの表出って結構難しいですよね.

私たち大人でも,今まで気持ちの表出ってそんなにしているでしょうか?話す相手が,自分が信頼している人で,絶対に否定しない・受け入れてくれるってわかっていても,自分の思いを話すことって,やっぱり勇気がいることだと思うのです.言ったらすっきりするのですが,でもでも….

大人のきょうだいの方が今までの経験を学齢期きょうだいの子たちの前で語ることは,「その思いを抱えているのはあなた1人ではないよ」というメッセージを伝えていたり,その子たちの心の声を代弁してくれるものなのだと思っています.
そして,大人のきょうだいの方にとって「自分が子どもだった時に言ってほしかったこと・幼いきょうだいたちに伝えたいこと」って,幼いきょうだい・学齢期きょうだいにとって,「今聞きたいこと・代弁してほしいこと」なのだろうと思っています.


今大人のきょうだいの方で,ご自身も思いを抱えられている方もおられることと思います.今回のトピックで幼いきょうだいや学齢期きょうだいに焦点があたっていると感じ,お気を悪くされた方がいらっしゃいましたら,申し訳ありません.ですが,経験を語って下さった方の話を,他の大人のきょうだいの方が聴いても,感じるところがあるようでしたので,決して幼いきょうだいや学齢期きょうだいだけに目を向けているというつもりはありませんでした.ご理解いただければ嬉しいです.

また,このコミュには親御さんやきょうだい・本人・家族のサポーターなど色々な立場の方がおられるようなので,親御さんがきょうだいに伝えたいと思っていることや,サポーターの方できょうだいの方から聞いた思いや,子どもたちに接したときに感じたことなど,色々聴かせていただけると嬉しく思います.

長くなりました.最後に….
(タイトルと直接関係してませんが)私がきょうだいの方から聴いて印象に残っている言葉です.

お母さんに伝えたかった思い:「ギュッと抱きしめて欲しかった」
(出過ぎたことかもしれませんが私からも…) たくさん抱きしめてあげてくださいね!

コメント(14)

さるさるさーといいます。
言って欲しかったことではなくて
してほしかったことでも大丈夫ですか?

兄のお供で一緒にお出掛けではなく
妹の付き添いでお出掛けではなく
家族全員でお出掛けではなく

お母さんと2人だけで
一緒にお出掛けしたかったです。

入学式や卒業式は母と2人はありましたが
そういうのではなく

小さい小さい頃に母に手をつないでもらって
2人だけでどこか遊びに行きたかったです。
もし趣旨からはずれているのでしたら
削除します。
>さるさるさーさん
お返事ありがとうございます。

そして、思いを聴かせてくださって、ありがとうございます。

お母さんと2人だけでお出掛けすること、お母さんと2人だけの時間…すごく大切なことだと思います。

お母さん、私はお母さんと2人で、手をつないでどこか遊びに行きたいの。

この思いを、今何人のきょうだいたちが口にできているのかな…と考えます。

絶対にわがままではないのだけれど…お母さんの忙しさを見て、気にしないきょうだいは、多分いないのだろうなとも思います。

さるさるさーさんが書き込んでくださったこと、嬉しかったです。
むしろ、私の方が的違いなお返事をしていたら、私に遠慮せずに「違うかも…」と意思表示していただけたら、嬉しいです。

繰り返しになりますが、書き込みどうもありがとうございました。
>yatunoさん
レスありがとうございます。その通りです。
2人の時間欲しかったです。
たまに母の手に荷物がなくてそ〜っと手をつなごうとするけど
引っ込めてしまっていました。

もう20代後半なのにこんなことをまだ
引きずっています。

口にできているといいな。きょうだいの方たち。
今は自分の頭の整理をするために
いろいろ書いています。
私もやっとこの頃、このように書けるようになりました。
「こういうことを言うのは(書くのは)悪い事」
と思っていたからです。
ずっとこのトピ、気になっていたのですが
書き込みがなくて。でも思い切って書いて良かったです。

レス、ありがとうございました
こんばんは。
私は40代で、一人息子は小6です。
それでも、いまだにいろんな想いを引きずってますよ(苦笑)。

私は、“普通の言葉”をかけてもらいたかったです。
『ありがとう。』とか『ごめんね。』という言葉です。

子供ながらに、親の大変は理解出来ていましたが、やはり切ない想いも抱えていました。親だけでは無く、親戚の人達の目も、しょうがいがあるきょうだいに向いていましたし。
変に計算高い所があったので、『将来損をする。』と思って、非行に走る事もありませんでしたが、反面非行に走る事で、親の目をひきつけるきょうだい児が、羨ましくもありました。
こんばんは。
私ももう30代ですが、引きずってる思いはあります。

言ってほしかったこと、では無く「言ってほしくなかったこと」
になってしまうんですが・・・。


「あなたはしっかりしてるから」
「一人でも大丈夫だよね」


確かに、同世代の子達に比べて私は「しっかりした子供」でした。
でも、最初からそうだったわけでは決して無くて、
妹が生まれて、病気を抱えていることが分かって、
それから、子供なりに必死に努力して、
無理して「しっかりした子供」を演じていただけなんです。

それがだんだん当たり前になって、親からも周囲の大人・友人からも
「しっかりした子」という看板を張られたまま、
いつしか自分でも「私は大丈夫。強いから。」と思い込むようになっていました。

最近になって親友のお母さんから
「そんなに張り詰めて生きなくてもいいんだよ」と言われて、
初めて自分が頑張りすぎている事に気付いたのですが、
それでも未だに、悩みを誰かに打ち明けることが得意ではありません。


だから、今、張り詰めて、頑張りすぎて生きているきょうだい達に、
「頑張らなくても大丈夫」って言ってあげたいです。
5才になる娘はかなりの「しっかりもの」
3才になる「ぶにゅちゃん」はまだ首も腰もすわりません
いっつも鼻水とよだれの洪水をぬぐってくれるのも娘です

「おねえちゃんはしっかりものだねえ ママのおねえちゃんだ」

私はそういいます

「私しっかりもの?おねえちゃん?」すっごい嬉しそう。

この前娘と二人でチョットそこまで買い物にでました
「ママと二人で車に乗るの久しぶりだね」
そんな風に感じたこと私はなかったのですが娘はすごくウキウキしていました

クリスマスツリーを二人で片づけていた時3つあったガラスの天使を一つ落として割ってしまいました
「あぁあ私のが割れちゃった」
「あなたの天使じゃないよ」
「だってブニュちゃんはいつもママといっしょだからこの天使はママとぶにゅちゃんでこの割れたのは私だよ」


このトピと書き込読んでいたら最近の娘の気になる言動を思い出しました
>さるさるさーさん
私も、このトピを掲示板に載せること、すごく勇気がいりました。
でも、さるさるさーさんは思い切って書いてくださったんですね。何度言っても言い足りないくらいですが、どうもありがとうございました。

>口にできているといいな。きょうだいの方たち。
私もそう思います。

もしよろしければ、またお話聴かせてくださいね…

>chiaさん
非行に走った子(人)も、非行に走らなかった子(人)もそれぞれの方がそれぞれ想いを抱え、その想い(しんどさ)に重い軽いはないのだと思います。(大人のきょうだいの方のうけうりですが…申し訳ありません。)

「ありがとう」「ごめんね」大事な言葉ですね。
私も、今度逢うきょうだいの子たちに、「ありがとう」をたくさん伝えたい!伝えよう!と思いました。
書き込み、ありがとうございます。

>うふたまごさん

>それから、子供なりに必死に努力して、
>無理して「しっかりした子供」を演じていただけなんです。

頑張ってしっかりしようと努力した子(人)にとって「あなたはしっかりしてるから」「一人でも大丈夫だよね」という言葉は、どのような気持ちがしたでしょうか…

頑張りすぎてきた、そして今もおそらく頑張られている、うふたまごさんが、今、張り詰めて、頑張りすぎて生きているきょうだい達に、
「頑張らなくても大丈夫」って言ってくださったなら…
頑張りすぎているきょうだいの方たちの、心に伝わるメッセージになると、そのように思いました。

お話聴かせていただき、ありがとうございました。
>ザッソウ姫さん
書き込みありがとうございます。

娘さんのお名前がわからないのが残念ですが、娘さんが褒められたときの嬉しそうな顔、ママと2人で車に乗ったときのウキウキした顔が目に浮かぶようです!

chiaさんの「ありがとう」、さるさるさーさんの「お母さんと2人でおでかけ」と通じるものを感じました。

うふたまごさんの「しっかりしてるから」と、ザッソウ姫さんの「しっかりものだねえ」は、含んでいる意味やニュアンスが違うので、もしかしたらお互いの方に誤解はないのかもしれませんが、もし相手の方の意図がわかりにくいことがありましたら、トピを立てた者として申し訳ありませんので…。
差し出がましいようですが、私からも付け加えさせてください。

以前親御さんが集まった講演会の中で、「きょうだい児さんの中には障がいのある子の面倒をみたときに親御さんや周りの人から『偉いね』と褒められると、『自分は偉くあるべきなのだ』と周りからの期待をプレッシャーに感じることがある」という話を聞いて、親御さんの中から、「きょうだいが頑張って面倒を見てくれているのに褒めてはいけないのですか?それとも、面倒をみてもらわない方がよいのですか?」との質問があがりました。親御さんがこのように感じられたのは、当然のことのように思います。

親御さんの質問に対して、「ではどうするのが良い方法なのか…」については、色んなご意見があるかと思うので、他の方からもご意見をいただきたく思っています。

そして、これから私が書くことはあくまで私が見聞きした個人的な意見なのですが…下に書きます。

1点目は、同じ言葉「しっかりしてる」や「偉いね」でも、それを言った人や言われたその子、伝え方、場所(大勢の前か2人きりか)、年齢など、時と場合によって感じ方に差があるし、個人差もある…といった当たり前のことなのですが、だからこそ、うふたまごさんが感じたことと、ザッソウ姫さんの娘さんが嬉しそうにしていたことは、どちらもその通りなのだと思います。

あとは、小さい頃には褒められて嬉しそうにしていた子でも、年齢が上がると感じ方が変わる場合もある、という話も聞きました。ザッソウ姫さんは、娘さんの表情を良くご覧になられているので、娘さんが感じ方が変わってきた場合には、気づかれて、また違う言葉かけをされるのかな…と思いますが。

最後に、自身もきょうだい当事者の方である講演会の講師の方が言っていて、とても印象深かった言葉です。
「今頑張っているあなた(きょうだい)も好きだし、ありのままのあなた(きょうだい)も好き」というメッセージを送ってください、とのことでした。

申し訳ありません。上に書いたことはお互いの方も十分存じていることでしょうし、余計なことだとは思ったのですが…
本当に出過ぎた真似をし、申し訳ありませんでした。

もし、この私からの書き込みを見て、今回書き込んでくださった方、それから、読まれた方の中に、気分を害された方がおられましたら、申し出ていただけると幸いです。変更、または削除させてください。また、「それは違うのではないか」「もっとこんなこともあるのではないか」と思われた方がいた場合も、よろしくお願いいたします。


ザッソウ姫さん…
ザッソウ姫さんの文章からは、ザッソウ姫さんが娘さん、息子さんをとても大好きだという気持ちが伝わってきます。

また、日常の微笑ましいエピソード、そして、ちょっと気になるエピソード、その他色々、また聴かせていただけると嬉しいです。
ありがとうございました。
>ザッソウ姫さん

  寂しかったり、つらかったこともありましたが、
  私、ちゃんと母の自分への愛情を感じていました。
  だから頑張ってこれたんだと思います。

  娘さんも、ザッソウ姫さんの自分への愛、ぶにゅちゃんへの愛、
  きっと感じていると思います。


>yatunoさん

  勇気を出して、トピを立てていただいてありがとうございます。
  私が子供だった頃も「きょうだい支援」という活動が
  おそらくあったかと思うのですが、それに気付けないくらい
  必死でした。

  実はもう、数年前に私の妹は他界してしまいました。
  最近になってようやくその事実と向き合えるように、
  そして今までの自分を振り返ることができるように
  なったところです。
  
  そんな中「きょうだい支援」という活動があることが分かって、
  「自分に何かすべきことがあるのではないか」と思う半面、
  もうきょうだいをなくしてしまった私に何が言えるのか、
  とも思っていました。
  
  また、私と会うことで「きょうだいをなくす」という「現実」が
  存在するんだということに、返って悲しみや怖れを抱かせてしまうのではないか、とも。

  でもこのトピタイトルを見て、どうしても「大丈夫だよ」の一言が言いたくて、
  書き込みさせていただきました。
こんにちは。ひさもです。私がなにげなく書いたひとことがこんなにすてきにひろがっていて嬉しく思っていたのですが、なかなかうまく考えを整理できず書き込みが遅くなってしまって申し訳ありません。

「しぶたね」を立ち上げる時、その理由のひとつとして「自分が子どもだった時に言ってほしかったことをきょうだいたちに言ってあげられるような場所を作りたい」ということがありました。その時の私の頭の中にあった「言ってほしかったこと」は、「ひとりじゃないんだよ」ということ。きょうだいのためのワークショップを作って広めているアメリカのドナルド・マイヤーさんという方のトレーニングを受けたときに、マイヤーさんがきょうだいたちに「君たちはひとりじゃないんだよ」と優しく語りかけるのを見て、幼かった自分がその子どもたちに混ざってマイヤーさんを囲んで三角すわりをし、「ひとりじゃないんだよ」と言ってもらったように感じて、胸がいっぱいになり、ポロポロと涙が出ました。そうだ、私はそう言ってほしかったんだ、とはっとしました。いつでもひとりきりだと感じて張り詰めていた自分自身に、今そんな状態にある幼いきょうだいたちに、あなたはひとりじゃないんだよと伝えてあげたいと思う気持ち。それはしぶたねを立ち上げる大きな原動力でした。

その「子どもの時に言ってほしかったこと」について、きょうだい仲間の方と話をした時に、うーんうーん と考えた私の口から出たのは「いてもいいよって言ってほしかった」でした。私は、この家に、この家族に、母や父の人生の中に、居ていいんだよと言ってほしかった。こんな当たり前のことなのに、そう思うことは私にとってすごく難しいことでした。

あんなに大切に育てられていたのに、なんて傲慢で親不孝なことを考えていたのだろうと今は思うのですが、私の役割は弟のことで手一杯な両親に心配をかけないこと、手間をかけさせないこと。そうやって自分を縛っていた私はだんだん自分の存在を消してしまいたいと思うようになっていきました。小さく小さく見えないぐらい小さくなって、両親が気づかないうちにスッと消えてしまえたらどんなにいいだろう。そして両親がいなくなって弟が困った時にだけパッと出てきて弟を助けられたらどんなにいいだろう…。そんなことばかり考えていました。思春期だったんですよね…。

でも今しぶたねの活動をしていて、「自分なんて、いなくなったらいいんや」と泣いたきょうだいの話をたくさん聞きます。私がそう思っていたのはもう15年も前のこと。15年経ってもきょうだいの悲しい気持ち、孤独な気持ちは変わらないのかーとつらく思います。ひとりでもたくさんのきょうだいにひとりじゃないこと、あなたはとっても大切なんだよということ、伝えたいと願ってます。

すみません、やっぱりあまり整理できてないですが…
みなさまに愛を込めて書き込みます。
ひさもさんへ
さるさるさーといいます。

「いてもいいよって言ってほしかった」
この言葉を見たとき涙が出ました。
幼い時ではないのですが

私は、長男を妊娠、出産の時おかしくなり

「何でこんなに母に迷惑をかけているのだろう」
「自分はどうしてこんなにダメなんだ」
「何で周りに迷惑をかけてしまうんだ、母親になったのに」
「いっそ、私なんていなくなってしまえば」

ずっとずっと思っています。
昔からガマンしていた事が一気に
妊娠、出産で出てしまったのかもしれません。

だから、この「いてもいいよ」という言葉を見て
思わず涙が流れました。

「こんな私でも存在していていいんだ」と。
「わたしはひとりじゃないんだ」と。
素敵な言葉をありがとうございました。
私もそうです。
いつも居場所を探していました。
家にいることを許されていないと思っていました。
努力して頑張っていて優等生で良い子な自分じゃないといけないと思い込んでいました。

私は、母に抱きしめて欲しかったです。
言葉よりも、ただあたたかさを感じたかった。
名前を呼んでもらえるだけで嬉しかった。
手が触れるだけでそれまでの寂しさがふわ〜ってどこかへ行くようで。

そのくらい、飢えていました。
それでも平気な顔して、良い子を一生懸命演じ続けていました。

ひとりでも多くの兄妹ちゃんたちに、安心できるあたたかい居場所が見つかりますように・・・。
お返事が遅くなってしまってすみません…!
>さるさるさーさんへ愛を込めて。
私の投稿にコメントありがとうございます。うまく言えないのですが、私は子どもを産んだ経験がないので、人間を1人この世に送り出すなんて、なんてなんて大変な偉業を成し遂げていらっしゃるのだろう!と尊敬です。それだけで本当にすごいことなのですから、どうぞ堂々と「大変だよー」とおっしゃってください。ご自身をいたわってあげてください。いてもいいよというよりも、さるさるさーさんがいてくださらないと困ります…。
自分で自分を認めてあげることってほんと難しいですよね…。私もそこが課題です。

>ヒデコさん(わーいヒデコさんだ)
わーん。つらかったですよね。さみしかったですよね。
私が人の愛情をありがたく受け止められるようになったきっかけは寒さで痛くなった膝を母にさすってもらったことでした。
もうりっぱな大人の年齢だったんですけど、母にさわってもらったこと、嬉しかったなあ!
私はしぶたねっ子たちの親にはなれないけれど抱っこしたりなでくりまわしたりできるので(役得)、ぎゅっとされる喜び、なでなでされるしあわせ、感じてくれたらいいなといつも思います。
ひさもさ〜ん(T-T )
また涙が・・・。
私、絶対にしぶたねやる。
しぶたね@東京。
始まりはしょぼくてもなんでもやるから〜!!(笑)

私は、今度実家に行ったら、母や義母の肩を揉んでこようかと。
逆なでなでですね♪

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

siblings communication 更新情報

siblings communicationのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。