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ノンデュアリティコミュのノンデュアリティ形而上学仮説ノート(2025年12月)

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コメント(3)

付記
形而上学の説明
心理療法は煙幕である

一般的な心理療法においての
子が親に対する
怒り
というのは
子は親に守られてもいるため
子はその意識問題を抑圧(否認)し
投影していることになります
(学校でのいじめなど)
他者への怒りの投影です

もしくは
より巧妙に
他者(先生や同級生)が自分に対して怒っている
かのようにもみえます

しかし

心理療法で重要視されるような最初の

自分の親への怒りや親が怒っているということ

さえもが、

じつは

形而上の偽りの神(大自我)が自らの存在についての不自然さ、苦しみ、怒り

抑圧(否認)した
あとの

分裂した魂たちが投影のなかにみている他者というすでに代替(人間の親)という煙幕なのです

したがって、
幼少期のインナーチャイルドにおける最初の問題さえも
じつは
すでに形而上からこのように投影された煙幕でしかないのです

ナチュラルスピリット(ただ在る実在)においてのサブ性質(好奇であり不自然)からの
好奇の試み

それは

空想された個をうみだし

さらに
この形而上の段階で主体化催眠されたものが
大自我(I AM 我在り)

なのです

彼は主体化催眠という解離により
実在を忘却しています

つまり
「実在を覚えていません
それが解離だからです」

したがって
実在への怒りも
実在を自分が裏切ったという罪悪感もありません

そうではなく

得たいのしれない
好奇心と苦しみの存在として在る
という状態
にいたのです

ナチュラルスピリットにおけるサブ性質である好奇であり不自然性

空想された個をうみだし
さらなる主体化催眠をかけた存在ですから

解離状態を実在だとは信じはいませんので
実在にとっても罪悪感はありえません

ただ間違いだったという訂正可能なものとして
みるだけです

したがって

スピリチュアルでいうよくいうう神からの分離の「罪悪感」を感じることは
解離の前であろうと、
解離の後であろうと

そのような罪悪感というかたちで
感じている存在はいないのです

ただ
主体化催眠(解離)された大自我は
得たいのしれない好奇心であり苦しみ
としての存在として自らを認識しているのです

ナチュラルスピリット(メインの性質である在るがまま、や、サブ性質である好奇であり不自然性)
という実在のレベル

忘れた

その大自我(さいしょの主体化マインド)

探求や苦しみの抑圧(否認)により

投影をつくり
魂たちが経験します

投影が知覚をつくり
思考
感情
という好き嫌いのジャッジにより

マインドは悪循環をつづけ輪廻するのです

これは
実在におけるサブ性質から
空想(シャクティ)の力によりオートマチックにおきているので
ふたたび
好奇は不自然であるというもともとの認識(サブ性質)
にやがてオートマチックに
帰還する宿命にあります

そのあいだ
メインの性質(ただ在る)は
サブ性質のような流出はせず
永遠に実在でありつづけているのです

ノンデュアリティの形而上学の説明
(自然精神統一)

在るがままではない

特別性である自我(主体化催眠)は、

好奇心により、様々な誤創造(投影)したものを求めます

あるいは

自我自体の闇(不自然さ)を
抑圧して意識から遮断するために投影しつづけて
(これも存在意識の無自覚化となります)
エネルギーを浪費します

つまり

エネルギーが統合されていないという自覚の状態になります

あるいは

自らの不完全性という闇のために
より完全な光を求めて信仰、瞑想、集中、したりします
あるいは、それとともに
特別性を維持して肯定しあう仲間や環境に奉仕したりもします

しかし
これらすべては
外側
への回避なのです

スピリットの状態である
自然精神統一は
在るがまま
であり

自我催眠からの外側への集中は
サブ性質のエネルギーの帰還ではないのです

ほんらいの癒しとは
エネルギーを
在るがままのレベルにサブ性質のエネルギーをとりもどし

平安とともにとどまっていること(自然精神統一)
です
ノンデュアリティによる癒し


マインドは対象意識をつくり
投影する

投影には
肯定的な投影(好奇心からの誤創造を楽しむ)

否定的な投影(自我という不自然さの苦しみ 憎しみの投影 つまり
抑圧、抵抗、防衛、否認によるもの)
がある
否定的な投影には、黄金のシャドーもある
つまり
自我の不完全性から完全性を、対象として求めてしまうことである(真の自己はノーマインドという深層つまり在るがままにあるのだが、高次という倒錯した意識を信仰して
、使命活動や終わりのない奉仕へと執着することとなる)

マインド(主体、自我)とは
抽象性(スピリット)からの
いわば緊張、閉塞状態だといえるのである

マインド(好奇心であり苦しみ)
「作られたもの」であって
それは
投影により
2次的な感情(投影というシャドー領域)へと
同様に習慣的に囚われてしまうのである

フロイトの心理療法における説明では

それ(第3者やあなたという二人称)だったもの(として投影していたもの)
ありしところに
私をあらしめよ

と説明される

さらにスピリチュアルにおいては、
私(ここではme つまり投影領域の私)だったものを
わたし(I AM)のもの(mine つまり投影)としてあらしめよ
ということであり
そのわたし(大自我)は
最終的にノーマインド(自然
なただ在るレベル)に
帰還統合させるのである

したがって
活動性という催眠の大自我
による受容
という偽のいやしで滞ることはなく、
宇宙は終焉するのです

投影つまり
それ(第3者)

あなた(第2人称)

私(偽の第1人称)

大自我自体(I AM)から投げ出された(投影)された部分(対象)
であることを認識し、

肯定的であれ
否定的であれ
投影され執着していた(作られていた習慣)

終焉することになるのです

幻想エネルギーは、無(エネルギーの無い状態)
ではないため

自我が観念で、無だと否定しても癒しにはなりません

幻想(マインドエネルギー)は
神(ただ在る真実レベル)へ癒され還らなくてはならないのです
それがすでにある自然精神統一による
癒しなのです

これがナチュラルスピリット(ただ在るおよびサブ性質の好奇である不自然さ)
という宿命であり、
サブ性質からの空想された個、
主体化催眠、対象意識と投影というオートマチックだったものの
自然精神統一による自然な終焉なのです


以上

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