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「どうする家康」感想コミュコミュの第40回「天下人家康」

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秀吉(ムロツヨシ)が死去し、国内に動揺が走る。
家康(松本潤)は三成(中村七之助)と朝鮮出兵の後始末に追われる。
秀吉の遺言に従い、家康は五大老たちと政治を行おうとするものの、毛利輝元(吹越満)や上杉景勝(津田寛治)は自国に引き上げ、前田利家(宅麻伸)は病に倒れる。
家康は加藤清正(淵上泰史)ら諸国大名たちから頼られる中、やがて政治の中心を担うようになる。
そんな家康に野心ありとみた三成は警戒心を強め、二人は対立を深めていく。

コメント(15)

私は「利家とまつ」を見なかったので、前田利家という人がいまいちわかりません。評判良かったし、見たかったなぁハーブ
残すところあと2か月って所で松潤家康、狸家康と化す。
素の松潤の目っていうのは、まっすぐかどちらかというとちょっと釣ってるっていうか、決して垂れ目方向ではない。
それが老けメイクで垂れ方向へ。
またこの老けメイクが似合うのよ。
そうして狸的なすっとぼけ、脅し、はぐらかしで天下人の名乗りをあげる頃合いを計る。

これまでの大河になかった斬新な演出も目立った。
五大老が1人ずつ登場して上半身の静止画と共に名前と石高が表示される。
石高が戦闘力紹介のゲーム的な。

徳川家康  250万石
上杉景勝  120万石
毛利輝元  112万石
前田利家   83万石
宇喜田秀長  57万石

こうやって見ると、家康が圧倒的に石高が多い。
国替えこそ命じたけれど、秀吉は家康をかなり重要視していたのだなと理解。
この石高差があったから皆、徳川を重視していたのか。
真田丸の時、この辺りがよく判らなかったのだよ。昨夜で理解。

個人的に、前田利家が亡くなる直前に家康に話したセリフが良かった。

「治部が生まれたのは桶狭間の年だそうじゃ。
貴公が 兵糧入れを成し遂げた あの戦も
やつにとっては壇ノ浦や承久の戦と同じ いにしえの物語。
多くの者にとって今川義元のもとで育ち
信長 信玄 勝頼 秀吉と渡り合おうてきた貴公は
神代の昔の オロチに見えておろう。」

そしてこの時、何匹ものオロチらしいアニメーションが。(ここも斬新な演出だと)

時間がかなり経過していたのであります。
信長、秀吉だけではなく家臣団からは、石川数正、服部半蔵、大久保忠世、酒井忠次も亡くなっています。

家康は、誕生時には虎を期待され、本性は白兎だった事を見抜かれ、今は狸と化した。これくらいの時間が経っているのであります。

忠勝もほぼ生ける伝説みたいな所あり。
忠勝が現れたらおとなくなる三成大嫌い勢。
「うちの殿が寝れねぇだろ」って武装もしないで怒鳴りにくる。笑

お前を主と認めないと言っていた忠勝。家康を主と言っている。
時間が経ったのだなぁ。
>>[2]

× 宇喜田秀長 ← 誰?

〇 宇喜多秀家

治部としては上杉+毛利+宇喜多=120+112+57=289>徳川250だった訳だな
>>[3]

それだそれ。 宇喜多秀家。
まぁ、私の投稿の間違いが多い事多い事。
前半の方は元康とかあの辺り、間違えまくり。
粗忽者ですまねぇ。
みましたぁかたつむり
確かに電球松本潤さんと七之助さんは、同級生なのに、年の差がある🦀
そして、差が見えてきましたわーい(嬉しい顔)

七之助さんも、本当に、毎回、その役の人になって見えるぴかぴか(新しい)すごい人だなぁと思います顔(OK)

紀行で、石田三成の頭蓋骨が見つかっていたと紹介されたのもビックリですが、それをもとに作ったという銅像を見ても、七之助さん、流石だと思います桜
ナイスキャスティングと、素晴らしい演技ですクローバー

あと、結城秀康が見られて良かったですハート(鼓動)立派になってぴかぴか(新しい)

しかし、このあたりでも家康にはじゃんじゃん子どもが生まれているはず?どこから側室が来て、どう子沢山になっていくのかexclamation
真田に嫁にやるような子どもは居なかったのが、本多のお嬢さんを送った理由だったはず団子

縁談を決めた子どもって、どの子ですのん???
↑また調べたくなってしまうやつあせあせ
このドラマ、脚本には散々ケチをつけてますが、(今日もなんか気になるワードがあった気がする、けどスルー手(パー))

演出は、素晴らしいですよね顔(OK)
若い子は、オロチが分からないだろうというEテレ的な配慮も蛇

毛利を、あんないやらしいおじさんにしたドラマも、初めて見ましたクローバー
大河ドラマ「毛利元就」は、しっかり見ましたよ。
今回ので私は確信した事がある。
脚本の古沢さんは今回、松潤家康に「修羅の道をゆくことになろうぞ」と言わせている。
言われたのは本多忠勝。
「どこまでもつきあいまする」

う〜ん。
ちょくちょく「鎌倉殿の13人」が出てくるんだよなぁ。
これって義時がトキューサに「ここからは修羅の道だ。付き合ってくれるな」と言い、
トキューサは「もちろんです」と返している。

この場面、まったく同じじゃん?
しかもだよ、前田利家に「壇ノ浦や承久の戦」と言わせている。

これはワザとだ。明らかに「鎌倉殿の13人」と同じ。視聴者に「鎌倉殿の13人」思い出させようとしている。

たとえばさ、義時の「修羅の道」は本当にこれぞ「修羅の道」だと思う。
義時の苦悩が余すところなく描かれていたし、本当にその後も(それ以前もだけど)修羅の道だった。

家康は「修羅の道」か?
しかも言った相手が本多忠勝だよ。
本田正信が「光成が朝鮮の後始末をしてから、殿が天下取りを名乗りを上げればよろし」と言ったら、忠勝は「そんな卑怯な」みたいな反論をした、直情型の忠勝だよ?

忠勝、大丈夫か?「どこまでも付き合いまする」なんて言っちゃって。
ってか、家康&忠勝のコンビは「修羅の道」を舐めていないか?
義時怒っちゃうぞ。

何の効果を狙ったかわからないけれど、古沢さん、三谷脚本と比べられるから、そうなると明らかに力不足だとバレちゃうからこういうの止めた方が良いと思う。
効果的ならそういうのもアリなんだけどさ。

「どうする家康」と三谷脚本「真田丸」は、描く時代が同じなもんだから、そうそうこの場面、真田丸ではこうだったという所は多々ある。
那古屋城でのやつしくらべとかさ。それこそ無数にある。

で、明らかに旭姫とか大政所の描き方は、古沢さんの方が人間を描き切っていて良かったんだからさ、あえて三谷脚本「鎌倉殿の13人」に被せていかなくたっていいじゃん。

私は「真田丸」が大好きだけど、たぶん作品としては「鎌倉殿の13人」の方が上出来だと思う。
その三谷脚本「鎌倉殿の13人」を互角にやり合うには古沢さん、もうちょっと年月が必要だと思うし、たぶん得意ジャンルではない時代物では無理かな。

三谷さんは大河愛溢れている人だし。
>>[5]

>伊達政宗は家康との縁組のなかでも、家康実子・忠輝との縁約を結んでいるほど、家康から特別扱いされているんですよ(他の縁組は家康養女)。


こんな書き込みを見つけました。
忠勝の娘、稲姫と同じやり方です。
家臣の娘の誰かをいったん養女にしてから嫁がせる作戦。
>>[9]

そう、三谷作品の次の年ってのが、もうかなり不利でしたねがまん顔あせあせ(飛び散る汗)

紫式部の次の年だったら楽しめたかexclamation & questionあせあせ
>>[10]

なるほど、家臣の娘なんですね〜わーい(嬉しい顔)それならたくさんいるハート
娘さんも大変ね顔(OK)
>>[9]

goo辞書によりますと、
1「阿修羅 (あしゅら) 」の略。

・ 「修羅道」の略。
 ・醜い争いや果てしのない闘い、また激しい感情のあらわれなどのたとえ。
・ 大石・大木などを運搬する道具。そりの一種。

だそうです。
修羅車は知りませんでした〜なまはげ

北条氏の13人が1人になるさまは、確かに醜い争いでした。それを愛読していたこの時代の皆さんからして、家康の未来は修羅の道なのかexclamation & question

秀吉の死後から関ヶ原に至る流れが、醜い争いなのかな?

やっぱ、家康は、過去からしっかり学んで、醜くならないように努力していたから、「ここからは修羅の道にならないようにうまくやろうぞ手(パー)」だったんじゃないかなぁ🦖

あの場面での修羅の道発言は、やっぱ、浮いた感じがありましたね取ってつけたような台詞…
果たして脚本なのか、現場の皆さんのアイデアなのかexclamation ×2

>>[13]

これは古沢さんの確信犯だと私は断定。
だから取ってつけた印象になる。
家康の道は修羅の道じゃないよ。

北条は身内をハメて行くし。
>>[14]

ですよね顔(OK)
家康は、一人っ子だし、ちょっとウザイ伯父さん(水野)ももう居ないし、身内の醜いのがないのが、良かったんですよねぴかぴか(新しい)

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