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意味不明小説(ショートショート)コミュの耳そうじ

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 日銭を稼ぐため、業務用冷蔵庫の取り付けに行ってきた。と言っても、技術はないので、重い物を運んだり、ゴミを片付けたり等、力仕事と雑用として使われてきた。
 日雇いの仕事は、芝居を始めたころから、ちょくちょくやりだしていた。十五年以上も前の話だ。まずは登録している派遣会社に電話を入れ、希望した日の仕事を紹介してもらう。勤務時間や派遣先、仕事の内容、報酬等、条件が合えば、その仕事で決まりとなる。次に、勤務当日の集合時間と場所を伝えられる。遅刻を防ぐためなのだろう、集合は勤務開始の三十分前とか、ひどい時には一時間も前に設定されていることもあった。当然、その間の時給は発生しない。
 集合場所にしても、最寄り駅の改札前、とかであれば話は簡単だが、そうはいかいないことが多い。駅から現場までの道順を、なになに銀行の角を曲がって、コンビニを通り過ぎて、郵便ポストが見えたら右手の路地に入って、大通りに出たら左折、それから三百メートルほど進むと、なんとかというバス停があるので、その斜め向かいの緑色のビルの駐車場で待っていてください、とか、こと細かく伝えられる。だったら初めからバスに乗るよう案内してくれれば済むのに、とも思うが、こちらがバス代をケチることも、お見通しなのだろう。とにかく、以上のことを携帯電話を片手に、紙の切れ端ににメモをとる。もうこれだけで、ひと仕事なのだが、当然、時給は発生しない。
 今では、ずいぶんと楽だ。スマートフォンのアプリで希望した仕事を選んで、ボタン一つで仕事が決まる。集合時間や場所、先方の緊急連絡先まで、明記されている。行先と、到着時間を設定すれば、自宅を出発する時間までさかのぼって、スマートフォンがナビをしてくれる。私のやることといえば、顔を洗ったり、朝食をとる時間を逆算して、時計のアラームをセットすることくらいだ。実際に、顔を洗ったり、朝食をとるかは別として。

 現場に到着するまでは、本当に楽になったが、到着してからは、昔も今も変わらない。私が長い日雇い生活で培ってきた技は、挨拶と返事を元気よくする、それから、言われたこと以外はしない、の二つだ。作業員と思しき人を見つけ、まずは「おはようございます。派遣会社からきました佐藤です。今日はよろしくお願いいたします」と元気よく挨拶をする。けれども、仏頂面で「おう」としか返ってこないことも多い。現場の朝は早い。職人たちは、前日の疲れを身体に残しながら、まだ眠い目をこすりつつ、挨拶をする。ましてや、相手は日雇いの人間だ。愛想良くする必要は、ひとつもない。
 挨拶は済ませたので、次に私のやることは、待つことだ。言われたこと以外はしないように、ただじっと待っている。その間、職人同士で他愛もない会話をしていたり、車の中でタバコを吸っていたりする者までいる。もう勤務開始時間は過ぎているので、私はなにかしなくてはと、内心そわそわしだすが、それでも指示が出るまで待ち続ける。そのうちに、職人たちはゆらゆらと動き出し、トラックの荷台から工具を降ろし始める。ここで、さっと手伝いをしたい衝動にもかられるが、それでも待つ。なにしろ、まだ私は、なにも言われていない。すると向こうから、「ロープ降ろして」とか、「車の後ろにカラーコーン置いて」とか、声がかかる。私は「はい」と元気よく挨拶をして、言われた通りのことをする。そうしてから、また待つ。待っていると、「荷台の前の右側に、黒いインパクトケースがあるから、持ってきて」と、少し難易度が上がったことを言われる。「はい。右側の、黒いケースですね」私は要点を復唱してから、言われたことをする。
 日雇いの人間が、そこがどんな現場であるか様子を見ているように、職人の方でも、その日派遣されてきた者が、どんな人間であるかの様子を見ている。お互いにはじめまして同士の人間で、その日の決められた作業を、決められた時間内で終えなければならない。円滑なコミュニケーションなくしては、それも難しい。作業の遅れは、クライアントを苛立たせ、職人は焦る。現場に、怒号が飛び交う。心に余裕がないと、ミスが生じる。それを挽回するため、更に作業が遅れる。かつて私が何度も経験してきた、最悪のケースだ。職人としても、それは避けたい。そのために、私は待つ。待っていながらも、職人の動きを見ながら、言われたことを聞き洩らさないよう、待つ。私は黒いインパクトケースを見せ、「これでいいですか?」と訪ねる。職人は、「うん、そこに置いといて。まだ、お客さん来てないから、とりあえず待機」と答える。「はい、分かりました」私は、ケースを置いて、待つ。待機と言われたからには、待つのが仕事だ。今度は、そわそわすることなく、待ち続けていられる。とりあえず、第一段階をクリアできたこともあるし、なにより、時給が発生している。
 作業が始まると、緊張感が少し高まる。クライアントが見守る中、職人は黙々と手を動かす。ふいに、「ハンマーとって」とか、「ビス拾って」とか、口早に言われる。私は耳をすませて、じっと待っている。のだが、職人の方でも集中しているので、投げ捨てるような、ぶっきらぼうな声になっていて、聞こえづらい。というか、ほとんど聞こえない。私は、断片的に聞き取った内容と、職人の手元を見てとって、きっとこの工具が必要なのだろうと、おおよその察しがつけて、「はい、ハンマー」と、聞き取れていた風に、それとなく確認しながら、手渡す。職人は、「おう」と受け取り、作業を続ける。私は、ほっと胸を撫でおろす。
 これで済んでいるうちはいいのだが、職人の集中力が高まってくると、更に難解になってくる。「ぼうっ」いま職人は、確かに口を空けて、なにかを言ったはずなのだが、ほとんど空気が漏れ聞こえるくらいで、おおよそ言語とは程遠い。単に聞き返せば済む話なのだが、職人の集中を切らせることになるので、なんだかそれも申し訳ない。そこで私は、頭の中で何度も「ぼうっ」を繰り返して、必死に言語に近づけながら、職人の手元と、工具箱を見比べて、必要と思われる道具に検討をつけるが、さっぱり分からない。もう、これ以上は待たせていられないと、覚悟を決め、「すみません、なんですか?」と聞き返す。職人は、手を止めず、わずかに視線だけをよこしながら、再び「ぼうっ」と言う。「ぼうっ」とは、いったいなんなんだ。既に軽い混乱状態に陥っている私は、すぐさま「すみません、もう一度」と、聞き返す。職人は、作業を中断し、やれやれと言った様子で立ち上がり、工具箱から目当ての道具を取り出した。

 「耳くそがたまってる」小学生の頃、保健の先生に、聴力検査をしてもらったところ、こう言われた。片耳に、ヘッドホンのようなものをつけ、音が鳴ったら手元のスイッチを押す。恐らく、何度か聞き逃していたのだろう、保険の先生は次第に怪訝な顔になりながら、機械を操作しだした。私は、ヘッドホンから音は聞こえていなかったものの、先生の様子を伺いながら、きっと今、鳴らしているはずだと検討をつけ、手元のスイッチを押した。そんな小細工もむなしく、検査の結果は、思わしくなかったのだろう。ともすれば、聴力になんらかの難が見つかった疑いすらあったのかもしれない。先生は、難しい表情を浮かべ、しばらく思案したのち、やがて、何ごとかを思いついた様子で、からりと「耳くそがたまってる」と言った。
 当時の私は、確かに耳くそがたまっていた。母親に耳そうじをしてもうらうのが好きだった。目を閉じて、膝枕をしてもらいながら、竹製の耳かきの感触を楽しむ。だが、それよりも、目を開けて、チリ紙に置かれた耳くそを眺めるのが、好きだった。ある日、「すごいのが取れたよ」と、母が言った。「え、見せて、見せて」私は目を閉じたまま言った。チリ紙の上に乗せて、二人で耳くそを眺めた。それは耳の穴を思わせる、円筒の形状を残した、見事な耳くそだった。いつの日にか母に見せてもらった、へその緒のようだったかもしれない。耳くそを眺めている母と私は、その日の釣果に満足している釣り人のように、達成感で満たされていた。それからの私は、毎日のように耳そうじをせがんだ。あの日の大物を超えようと、意気込んでいたのだ。「そんなに毎日やったら、耳くそが育たない」母が教えてくれた。以来、私は、耳くそをためるようになった。

 「バール取れって言ってんだろ」現場に、職人の怒号が飛んだ。「え、なんですか?」私は反射的に言った。「だから、バールだよ。釘抜き」と職人。「あ、すみません。バールですね」私は、手渡した。職人は目も合わさずに受け取って、作業に集中しつつ、「ったく、ぼーっとしてんなよ」と、はっきり言った。私は、思い出に浸っていたことを隠すように、職人の手元に目を凝らし、待った。待ちながら、つけていた軍手の片方を外し、小指を立てて、耳の穴をほじった。小指の爪が、僅かに黄土色に染まった。軍手をつけているもう一方の手で、黄土色の小指を拭った。私は、軍手の上にあるであろう、耳くそを眺めることなく、軽く手を打って、それを払った。


(終)

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