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意味不明小説(ショートショート)コミュの井蛙

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 「海が見たい」ですか?
 ……ああ、いえ、すみません。何も可笑しかったってわけじゃないんですが、ちょっと、聞き覚えのあるセリフだったもんですから……。あ、トランク開けましょうか?ああ、結構?じゃあ、シート、前に出しますね。いえ、ご覧の通りナリが大っきいものでして、ちょっと後ろに下げてたもんですから……ああ、いえ、とんでもない。じゃあ、ドア閉めますね、お荷物、大丈夫ですか?……それじゃあ、どうしましょう。どっかの海岸とかで良いですか……ね?ええ、わかりました。
 ……え、その時の話ですか?……海の?まあ、私としては構いませんが、特段面白いってこともないですよ?まあ、着くまで小一時間ってとこでしょうから、お客さんがそれで退屈しのぎになるってんでしたら……。

 幼馴染の、友達の話なんですがね、そこの親父さんが商売やってたそうなんです。その友達ってのが、えらく絵の上手なやつでしてね、図画工作で描いた絵なんかが、なにやら賞をもらったり、地元の展覧会なんかで飾られたりしてたんです。ま、普通なら親御さんも一緒になって喜びそうなもんですが、ここの親父さんは、そうじゃなかった。その親父さんってのが大工の棟梁でしてね、若い衆も何人か面倒見てたそうなんですが、自分から先頭に立って現場を回すような、ま、昔ながらの職人気質ってやつですな。そんなわけで、男子たるもの、家ん中で絵ェなんか描いてないで、おもてに出てケンカの一つや二つでもしてこいってな具合に……まあ、𠮟りつけるとまではいかなくとも、面白くは思っていなかったそうなんです。
 ところがその友達、間の悪いことに大の運動音痴でしてね、ケンカどころか、野球とか、サッカーとか、その辺の男の子なら喜んでやりそうなものさえ、まったく興味がなかった。もう暇さえあれば、部屋にこもって絵ェばっかり描いてたもんですから、そっちの方だけ、めきめき上達しちまいましてね、まあ、親父さんの腹づもりとはまったくの逆をいっちまったって次第です。
 ここまでなら……ま、良かったんですが、その友達が増々のめり込んじまいましてね、絵に。授業なんかそっちのけで描きまくった。まあ、もともとお頭のできは、そう悪いほうじゃなかったんですが、それだけに余計に成績の下がりっぷりが目立っちまいまして、図画工作を除いては、みるみるうちに目も当てられない結果と相成りました。当然、親父さんが黙っちゃいなかった。
 「勉強を疎かにして、絵に耽ってばかりいるとは、どういう了見だ」
 「でも父さん、図工の成績は良いんだよ」
 「絵なんか描いて飯が食えるか」
 「それを言ったら、世の中の絵描きはどうなります?」
 「お前は絵描きになんぞに、なりたいのか?」
 「それで飯を食う人間もいるという意味です」
 「お前の言う絵描きというのも、然るべき場所で学び、然るべき者に師事をして、然るべき教えを授かるのだ。他人から学ぼうとしないお前の姿勢では、絵描きはおろか、世間でやっていくことすら難しかろう。親に意見をしようとするなら、大学くらい入ってみせてからにしなさい」
 口減らしのために故郷を離れ、大工の親方に丁稚奉公して、一から商売を立ち上げた、職人の親父さんらしい言い分でした。友達は、首根っこを掴まれるようにして、学習塾へ放り込まれました。まあ、絵を描く意欲を取り上げるのは難しくとも、絵を描く時間なら取り上げられたというわけですな。皮肉なことにこれが功を奏しまして、友達の成績は元に戻るどころか、お釣りが跳ねっ返ってくるほどに上がりましてね、たちまち優等生の仲間入り。この頃から眼鏡なんかをかけはじめまして、二人して馬鹿をやってた私なんぞは「あいつもすっかり様子が変わっちまった」と、嘆いていたもんです。ところが、この眼鏡ってのが、なにも教科書を読んでばかりいたからってわけではなく、皆が寝静まったあと、裸電球の灯りをたよりに絵を描いていたのが、原因だったそうで。まあ、矢張と言うか、流石と言うか、意欲を取り上げることは叶わなかったんですな。
 それでも友達は、以降成績を下げることなく、見事大学に受かってみせたんです。大学に入って向かえた、初めての夏、友達は親父さんの前でこう言い放ちました。
 「いつの頃でしたか、父さん、『親に意見をしようとするなら、大学くらい入ってみせろ』と、こう仰いましたね。私は言いつけを守りましたので、憚りながら意見をさせていただきます。なるほど、大学というところは、高い授業料を取るだけあって、それを学ぶ意欲のある者にとっては、これ以上ないところと言えましょう。蔵書にしろ、設備にしろ、まったくもって申し分がございません。しかしながら私には、その肝心の意欲がありませんから、それも無用の長物となります。そんな物にこれ以上、大切なお金をご負担いただき続けるわけにはいきません。そういうわけですから、本日をもって大学を退いて参りました」
 こいつを聞いて、親父さんは怒鳴り散らし、お袋さんは泣き崩れ……やれ勘当だの、ああ上等だのってんで、とうとう友達は家を飛び出しちまいました。当時の私の下宿先にも、友達が何度か転がり込んできんですが……ま、こっちとしては、親父さんの気持ちも分かりますから、どうにか間を取り持ってはやれはしないかとも思ったんですが、本人の意志がどうにも固く、友達が家に戻ることは、とうとうありませんでした。
 やがて、その友達ともすっかり疎遠になりまして……まあ、私は私で仕事を二、三、転々としたあと、地元へ帰って、今の仕事に就いておりました。それから……ああ、つまりは、友達が実家を飛び出してから、丸十年は経った頃でしょうか……お亡くなりになりましてね、その親父さん。私も家が近所でしたし、ガキの時分はよく世話になったもんですから、お通夜に参列させていただいたんですが……式場に友達の姿は見当たりませんでした。ところが、住職さんの法話も終わって、そろそろお暇をって頃になって、ようやっと友達が現れましてね。どこからか聞きつけたんでしょう、ボストンバックをぶら提げて、ジーパン姿に黒ネクタイを握りしめ、ずかずかと入り込んできやがりました。我々に挨拶するでもなく、親父さんに声をかけるでもなく、ただただ頭を垂れていましたっけ……。参列者があらかた帰ってからも、友達は棺桶の前でぼんやり座り込んでいました。私は気がかりではありましたが、そっとしておいてやろうと思い、帰り支度をしていると、「もう少しいておくれ」と向こうから頼んできたんです。しばらく二人でいたところに、葬儀屋が来てこう言いました。「ご自宅に、お父様の賞状等がございましたら、明日の告別式で、お花と一緒にお供えさせていただきます。どうぞ、お持ちくださいませ」
 そこで、親父さんの事務所へ二人して……まあ、もちろん私は、暇乞いをしたんですが、友達がどうにも気後れするってんで、とうとう根負けしましてね、連れだって行くことになりました。その親父さんの事務所ってのが、実家の離れ屋にありまして、中の様子はざっとこんな具合でした。入口の脇に、観葉植物の鉢が二、三据え置いてあり、その傍には簡素な応接セット、ど真ん中に図面を引くのに使うスチールの机がでんと構えていました。机の上には、ところどころに墨が付いてる金尺と、おが屑にまみれたボールペン。壁一面には、材木屋とか、ペンキ屋とか、ま、商売で付き合いのあったであろう職人連中の、屋号が刷られたカレンダーが張られていました。ただ、上座に当たる壁にだけは、神棚がしつらえてありまして、その上から目ん玉の入った達磨が、睨みを利かせていましたねぇ。まあ、飾りっ気のこれっぽっちもない、らしいと言えばらしい、そんな事務所でした。
 で、肝心要の賞状ってやつが、そのカレンダーに紛れて張られていまして、建築士やら、設計士やら、その辺の証書類が額縁に入れて飾ってあったんです。ところが、その額縁の一つに、何も入ってない空っぽの奴ってのがありまして、おやっと思って、そいつの中身をずいぶんと探したんですが、一向に見つかる気配がない。そうこうしているうちに、ふと、事務所の電灯が付きまして……というのも、友達が家人と出くわしたくないってんで、手元明かりだけを頼りに、まるで泥棒にでも入ったかのように漁っていたもんですから……それこそ通報でもされたんじゃないかと、肝を冷やしたんですがね、見ると、そこに立っていたのは、友達のお袋さんでした。
 喪主を務めたお袋さんは、お通夜の場ではてきぱきと、それはそれは気丈に振舞ってたんですが、それも済んで安心したのか、はたまた我が子の馬鹿さ加減にあきれ果てたのか、微笑んでるとも、呆けているともつかない、そんな面持ちでした。で、息子が空っぽの額縁を抱えていたのを見て、すぐにそれと察したんでしょうな、お袋さんはゆっくりと口を開いて言ったんです。
 「いくら探したところで、それの中身は見つからないよ。だって、お前、それはあんたの絵のために、あの人が買った額縁なんですからね。お前が出て行ったあと、空っぽのまま、ずっと事務所に飾っていました。でもね、勘違いをしちゃいけませんよ。それは未練だとか、罪滅ぼしだとか、そんな理由からじゃありません。だって、そいつを買ったのは、お前が眼鏡をかけ始めたのと、同んじ頃のことなんですから。あの人はね、お前が裸電球の下で隠れて描くくらい、絵が好きなんだってことを、とっくのとうに知っていたんです。
 それはそれは苦労をしてきた人でしたから、何か一つことを身につけて、商売にすることがどんなに大変か、いやと言うほどわかっていた。だからお前には、そういう思いをさせたくない、してほしくないって、躍起になって働いた。事務所を立派にして、お前に継がせてやりたいってね。だけど、お前、あの人が一度だって『継いでくれ』って言ったことがありましたか?あたしには、そりゃあ、耳タコでしたけどね……でも、お前にだけは言わなかった。何故だかわかるかい?あの人はね、口ではああ言ったものの、お前が絵を描くことを許していたんです。……結局のところね、あの人は、お前に幸せになってほしかったんです。唯々、幸せにね。だけどお前があんまり意地を張るもんだから、終に自分じゃ伝えられなかった。……本っ当に、揃いもそろって、手がかかることと言ったら、ありゃしない。明日もありますから、あたしは、もう寝ますよ」
 パチンと事務所の明かりが消えて、しばらく黙っていた後に、ぽつんと友達が言ったんです。
 「海が見たい」
 別に、私に向かって頼んだってわけじゃなかったんでしょうが、ここまで来たら、とことん付き合ってやろうって気になりましてね。すぐに、車を出してやることにました。

 ああ、工事やってますね……。いや、道理でこんな時間にしちゃ、混んでるなぁと思いました。……ところでお客さん、知ってます?あの棒振りっていう……ええ、あそこに立ってる、ピカピカ光る棒を振ってる……ええ、そう。あれってね、ただ立ってるだけで、楽そうだなって思いますが、実は結構きついんですよ。まあ、長いこと立ってるわけですから、足まで棒になりますし、ともすれば、車が突っ込んでくるかもわからない。でもね、それより何よりきついのが、時間が経たないってことなんです。ふっと時計を見ますとね、さっき見た時から、五分と経ってない。ああ、早く終わんねえかな、時間が経たねえかなって、もう、そればっかりを考えちまう。んでね、そうやって、長いこと、棒振ってますとね、だんだん自分が振り子時計になったように思えてくるんです。振り子が左右に揺れる度、一秒、また一秒と、過ぎていく。次の振り子で、ともすれば、車が突っ込んでくるかもしれない。そこで、はたと気づくんです。人生というものは、こうした一秒の積み重ねで、終わりに近づいてってんだなって。途端に恐怖でいっぱいになる。車にってことじゃ、ありませんよ。今の自分の、生き方についてです。……って、そんなことをね、話してくれたんですよ、友達が。海へと向かう道中で、ね。聞けばなんでも、絵の方だけじゃあ、どうにもやっていけず、日銭を稼いで食つないでいたそうです。

 「どうして海なんだい?」
 車ん中で、友達に尋ねました。なんでもね、高校生の時分に、親父さんと二人して、親戚の引っ越しを手伝うことになったそうなんですよ。
 ……親父が運転する軽トラに揺られながら、何かの話をするでなく、助手席から外を眺めている。信号待ち、エンジンの響きが、ドッドッドッと尻に伝わる。少し窓を開ける。潮の香りが、ふわっと車内に入り込む。そろそろ着くのだろうか、と考える。ふと見ると、信号は青。せっかちなはずの親父が、車を出さない。それどころか、親父は反対側の窓を眺めている。親父の目の端に、普段にはない光を感じる。光の中に、親父の見ている景色が広がる。そこは三陸の海。親父の故郷の海だ。後ろの車が、クラクションを鳴らす。走り出すトラック。その目はもう、いつもの親父に戻っている。
 その海をね……描きたかったそうなんです。一瞬だけ見た、その海を。砂浜に、空っぽの額縁を突き刺して、友達は海に向かって画用紙を広げました。私は車で待つことにしたんですが、そのうちウトウトしちまいましてね。……どのくらい経ったんでしょう、瞼の裏に朝陽が射し込んできて、目を覚ましました。友達は未だもって、画用紙を睨め付けていたもんですから、声も掛けられず、だけども気になって、脇からちょいっと覗いたんです。……真っ白でしたねぇ、画用紙。ただ、握った鉛筆の先端だけが、ぴくりぴくりと動いていました。

 音楽、ですか?……ああ、いえね、大事そうに抱えてらっしゃるもんですから、そのケース。……どうします?……このまま、行きますか?それとも、戻りますか?……どうぞ、遠慮なく仰ってください。そこまで送り届けるのが、私の仕事ですから。でもね、決めるのはそうじゃありません。決めるのは、ご自分です。……まあ、迷いたきゃ、好きなだけ迷えば良いんです。でもね、どっちが正解なんてことは、ありませんよ。死装束の親父さんと、画用紙の前の友達と……一晩の間に二つの顔を見比べた、私が言うんですから間違いない。間違いなんて、ありっこないんです。


(終)

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