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意味不明小説(ショートショート)コミュの◯

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車のヘッドライトが直射する仄白い光線に照らされ、闇より浮かび上がる海面の一部。そこからザアーと波は打ち寄せ、蹲(うずくま)る裸足の爪先にしめやかに触れるも、いっこうに動じる気配のない、その人。海も失望したのか、力なく項垂(うなだ)れるような態で、また海面へと引き擦られていく。
もう何度目だろう。その度ごとに彼女の描いた、折角(せっかく)の大小無数の歪(いびつ)な円は、砂浜に溶け泥(なず)み、ついには消えてしまう。
だが、それでも尚も彼女は、何かに憑かれたような執拗さで、無心にそこに円を描き続ける。ときに白い流木で、その体よりも大きく、ときに指先で、その掌(てのひら)ほどに小さく…。
もうこうなってしまっては、人間の言葉など到底彼女には通じない。エンジン音で震えるボンネットに凭(もた)れながら、しばらく僕はその姿を見守っていたのだが…。
もう春とはいえ、潮風は余程冷たい。たまりかねて彼女の傍(かたわら)へと歩み寄り、ついに無心のその肩へ、そっと手を掛けた。

ーー響子、もういいだろう……?

だが、まるで反応のない後ろ姿に、ふと僕だけの時間が止まる。今しも、僕の意識から、世界中の音という音が消える。
この沈黙は、どれくらいの時を止めていたのか。やがて、砂まみれの濡れた彼女の指が、静かに僕の手を落とすと、ふたたび潮騒は耳に返って…。

ーーうう、うん……。

尚も繰り返し円を描くその手を休めもせず、一瞥(いちべつ)さえくれず、彼女は首を横に振る。

ーーうう、うん……。ダメなの……。

ーー陽が昇ってしまう前に……。

ーーきちんと綺麗な円をかいて封じ込めなきゃ……。

薄い波が歪な円の上を滑り、彼女のあかぎれた爪先をしっとり浸して、僕の靴の先にもわずかに触れる。

ーーきっと太陽が、私を殺してしまうの……。

ーーダメなの………。




何故、響子はこのような狂態を演じねばならないのか。この理由を明かすには、話を半年程の以前に遡(さかのぼ)らなければなるまい。
それまでを極々平凡な一人の女性とあり得た彼女の身を、果てしない闇の奈落へと引きずり込んだ、思い出すにも絶えないあの事件ーー。
窓からのぞむ街路の銀杏並樹も、既に葉を落とし尽くした昨年の初冬。一切はその某日に端を発する。
この日の響子は、受話器を耳に押し充てたまま、いっこうに繋がらない電話を前に、せわし気に片足をトントン踏み鳴らしては、必死に苛立ちを抑えつけていた。そして、いつまでもこんな調子で、執拗に掛け直していたその番号は、彼女の実の弟である、裕貴(ゆうき)のものであった。
成人前に既に両親を亡くしてしまっていた二人には、互いだけが唯一の肉親であったのだが、それなのに、ーー否、むしろそうであるからか、彼女にとっては、この弟だけが常の心労の種であった。
要因は、ひとつに、裕貴が画家を志していたということにもある。姉は、はじめて弟の口から、美大への進学を希望したいと告げられたとき、その先行きの不透明さから、酷く困惑したらしい。それでも彼女が一蹴だにし切れなかったのは、常にその脳裡を支配していた心情に気後れしたせいである。日頃、姉が案じたのは、親がないということで、不憫な思いをさせたくないという懸念。なるだけ自由に将来を選ばせてやることが最善であると、当時の彼女は考えた。
幸いにしてーーというより、今にして思えば、それがそもそもの不幸の元凶だと言い換えられもしようがーー、両親の残してくれた遺産は、どうにか底をはたけば、これにこたえてやれるほどの力はあった。為に、自分の自由を引き変えにしなければならない場面も多々あったらしいが。しかし、自分はいずれ嫁いで行く身なればこそ、弟の幸先を一番に考えてやることが、姉として当然の務めだと信じた結果だという。ましてや、自分が果てない冒険心のもとに、大博打をうてない性分であることは、幼少より充分過ぎるほどに痛感してきた彼女である。かたや、本来、姉に備わるべきであったはずの不敵さまで、ひとりでに受け継いだような弟であった。彼ならば、何か偉業を成し遂げてくれるのではないか。親を亡くした心細さに、少なくともこのときまでの弟の存在というのが、姉にとってどれほど頼もしく思われたか、想像に難くない。だが、本当にそれは「このときまで」となってしまった。
裕貴は作画のかたわら、当面を喰い繋げるだけの適当な職を得ては、どうにか日々を遣り繰り、又、その合間合間で足繁く画廊に通い、懸命に自分を売り込んでいた。ところが、いっこう日の目を見ず、近頃ではもはや生活の為の最低限の職にさえ、稍(やや)にあぶれはじめてもいた。
彼の作品の多くは、いわゆる『抽象画』というヤツだ。素人の僕には、その善し悪しさえわからないばかりか、何を描いているのかすら理解不能だ。ただ、これを売るのは相当に難儀であろうことだけは、なんとなくわかった。
今に思えば、この頃からもう既に彼は、精神を病みはじめていたのだと思う。
彼女に連れられて久しぶりに会った裕貴は、過去に何度も面識のあった僕の顔を、フリであったのか、兎に角もさっぱりと忘れていた。しかも、「もう諦めては…」と、悲愴顔で眉をしかめる姉を見て、ぷっと吹き出し、ケラケラ笑いだしたかと思うと、程なくして、崩折れんばかりに泣きはじめ、「ごめんよ、ごめんよ」と只々しきりに謝り続けたりの奇態で、酷く僕らを困惑させたのだった。
とにかく、芸術という、僕には未知の領域に身を置いていた裕貴だ。義弟とはいえ、独特の打ち解け難さはつねにあり、それは時折の芸術家ならではの、その突飛な物言いにもまた起因していたと思う。
こういう時の彼は、わざとに小難しい言葉に疑問符を付して並べたて、響子や僕が答えに窮する様子を嬉々として愉(たの)しむという、偏屈者の性悪さを丸出しにした。
ところが、この日の裕貴が別れ際に姉へと投げ掛けた言葉は、いつもの彼のそれとは違い、さしもの魔力か呪術でも帯びているような不穏さで僕の耳には届いた。いや、あんな事件を目の当たりにした以後の回想が、そう思わしめるだけなのかもしれない。だが、確実に、言葉の裡に、何やら違和感を伴う波長を秘めていたように思う。
「なぁ、姉さん。俺の芸術には『直視できないものを直視する』、そういう義務が残されているような気がするんだ……。」
けれども、今までの経緯(いきさつ)にすっかりと呆れ果ててしまっていた響子は、このときの彼の微妙な表情の変化に、気付けなかったのかもしれない。もはや、まともに取り合おうとはしなかった彼女であったが、尚も構わずに裕貴は意味深に続けた。
「人間の直視できないもの。それは太陽と死。即ち、自己の死……。」
それからは、黙り込くったまま、じっと響子の瞳を見詰めていた裕貴であった。だが、何処となくその視線は、彼女の目を通して、何か得体の知れないものを凝視していると思わせるに不足ない程の、不気味さを発揮して微かに揺らいでいた。



「君の弟とは思えない頑固さだ。自分が納得いくまで辞められないんだろう。まぁ、その気になれば幾らでもやり直しの効く年齢だ。もう少し見守ってあげたらいいさ。」
それまでは、同性同士ならではの理解でも示す風に、こんな具合で響子を慰めてきた僕であったが、さすがにこの時ばかりは、彼女と同質の気掛かりを胸に抱くようになった。そして、どうにかならないものかと気に病んでいた折(おり)しも、丁度、先ごろ独立した僕の友人の商社がようやく軌道に乗り出し、「そろそろ人を増やしたい。誰か紹介してくれないか」などと声をかけてきた。
年頃は余り若過ぎず、かといって自分より歳上も困る。出来れば三十未満のを育てたいが、なるだけ素性の知れた人を雇いたいという。試しに、「美大卒なんてどうだ?」と訊ねてみると、仕事は輸入雑貨の買い付けが主となるので、そういう感性には大いに期待したいと、およそそんな答えで声を弾ませた。
僕は早速と、この話を響子に持ち掛けた。裕貴がひとつ返事で応じるとはとても思えないが、説得してみてはどうかと。これには彼女も大いに喜んでくれた。そして、まず自分から話してみると、その為の電話であった。ところが、結局とこの日の電話は、ただの一度たりとも彼に繋がることはなかった。
携帯電話しか、連絡手段を持たない裕貴だ。時折は支払いが滞り、通信を止められていることもある。先ず、一番にそれを案じていたのだが、今回はきちんとコールはしたらしい。大事な話があると響子がメールをしたので、ともするとおおよその概略を察して、わざとに応じないだけかもしれない。
取り敢えず、翌日は僕の休日だったので、今日のところは諦めて、明日、直々に彼のもとへ赴き、話してみようと、そういうことになった。ところが、その翌日はまた翌日で、僕らのやきもきする思いが、ただ場所を移して、たち騒ぐこととなってしまっただけであった。
築年数は僕らよりも随分と年上であろう、くたびれた彼の木造アパート。道中、何度も携帯に連絡を入れてみたのだが、やはり一向に音沙汰なく、とうとう部屋の前まで辿り着いてしまった。やがて、呼び鈴もないその扉を叩き、執拗に呼ばってみるのだが、これまた全く応答がない。ただ、不在なだけなら構わないが、何やら不穏めいた予感を、恐らく僕と響子は一貫して脳裡に共有していた。確かに頑固者の彼ではあるが、ここまで頑なに姉を拒むような薄情さは、ない筈である。多分に、この時の響子も、あの日の裕貴の奇態っぷりを思い返して居たに相違ない。それ故に、裏に住む家主に事情を話し、合鍵を借りて中で待たせてもらおうという、少し強引にも思えた彼女の提案を、僕も否定はしなかった。
だが、この結果が、突如と火柱を噴き上げる悪意ある業火でもって、二人の現実を焼き尽くすこととなる。僕と響子は見てしまう。この時、彼女の狂気が胸の裡に目覚めはじめたのを確信させても、尚も余りある程の惨劇の場面をーー。
ーー部屋の隅には、首にベルトを掛け横たわる死体。夥(おびただ)しき屍斑は、蒼い顔に紫の蛇のようにうねり、今にも飛び出しそうな程、カッと見開かれた眼球は、哀しく僕たちを素通りしていく……。
これより前も何度も試みたとおぼしき手首は、既に凝固し黒ずんだ血に塗れ……。
僕は彼女をきつく抱き締め、顔を胸にうずめるようにし、なるだけその視線をそこから反らせるように腐心していたが……。もはや息を吸うたび、悲鳴のような声をあげて強張(こわば)る彼女の肩を通して、その精神の瓦解(がかい)していく音が伝わってくるようであった。
後日、現場検証に当たった警察官から、「事件性はない」と、分かり切っていた答えを告げられた。死亡推定時刻は、昨日に響子が、何度も頻繁に電話を掛け直していた、あの辺り……。
渡された遺品の中には、恐らく自害の間際まで取り組んでいたとおぼしき、彼の未完成の絵画作品があった。
ほとんど崩壊していると言えるほどに、目や鼻や口の位置のおかしい抽象的な人物肖像の、その左目ばかりが度を越して異様に大きく、顔の輪郭さえはみ出していた。さらに瞳の替わりにそこに描かれていたのは、あれは多分に、プロミネンスのたぎる太陽。一切が歪み切った畸形(きけい)の裡で、その円形ばかりが何処までも均整のとれた正確さを維持していた。
だが、何より恐ろしかったのは、その太陽の円形を、自分の血液で染めあげて塗り潰し、さらにそこからは、まるで涙のような細い流血が何本も滴っていた。既に、変色し切ってカンバスに染み込んだ血汚は、死してなお、往生を隊げられぬ故人の怨嗟をでも具現しているかのように、僕の心にまで容赦なく染み込んできた。
凡そ、絵画の色彩はそれのみであった。そして、この不気味な絵画に、徐々に彼女の精神を蝕みはじめていた確かな狂気は、激しく共鳴したのだった。
それからの響子の時間は、夜毎、突如とぷつり止まる。やがて、ところ構わずひたすらに、無数の円を描き続ける。とにかく無心に。これらはまるで、精神に注がれ、彼女の裡を満たしていく狂気から立つ気泡のように、幾つも幾つも生まれーー。
或る時を、彼女に訊いてみたことがある。すると、「人間の内部では、凄い速さで腐敗がはじまっているというのに、それなのにあなたはなぜ描かないの?」と、逆に問いかけられてしまった。
最早、僕らの部屋の壁や床は、不恰好な円い傷でいっぱいだ。暫くを無心に描き続けた彼女は、上手く整わないその歪な円形を見て、今度はぎゃあぎゃあとヒステリックに泣き喚くのだった。何か円いものを与えてみても駄目。それを象り描かせてみるも、やはり無駄…。とにかく彼女が自身の手で、完全な円形を描き切らねばならないらしい。その不可能とも云える、到底理解し難きパラノイアの為に、僕にはもう、この砂浜に彼女を連れて来ることしか他に術を思いつかなかった……。

ーー太陽に殺されてしまうの……。

ーー完璧な円を描かなきゃ……。




僕は踵を返し、車の停めてある場所までとぼとぼ引き返した。空と海の境界が仄かに分かれはじめ、あたりは徐々に白ずんできている。決まって彼女が、壮絶な金切りの悲鳴をあげる時が夜明けである。それまでをここに腰を下ろし、少しく眠ることにした。 目を閉じると、幾分か潮騒が優しくなる。
今のところ、僕の方は辛うじて正気を保ち得ているが、疲労からか、頭痛は止まず、時折は吐き気すら襲う。何よりこんな束の間の眠りの裡にも、ともすれば、あの自殺現場が鮮烈な色彩で夢に現れ、しばしばうなされる。
さりとて、今は、内側を優しく撫でてくれる潮騒にだけ心を凝らし、なるだけ現実を離れたいと…。それだけに耳を傾け…。
程なくして、仮初めの暗幕が、僕の胸の裡におりてくる。

…………………………。
…………………………。

ーーと、あまりの静けさに驚き、僕はハッと目を醒ます…。
既にほんのり黄色がかった朝焼けの太陽は、水平線の上で柔らかに燃えている。遠くの空で鴎が慎まし気に鳴いて過ぎる。
僕は慌てて砂浜へと駆け出し、焦燥しながら彼女の姿を捜すーー。
……しかし、いっこうそこには彼女の姿はおろか、人の気すらない。タベまでの狂気の一片だにも、跡形もなく流し去ったような、静かな漣(さざなみ)が寄せては返すばかりであった。

ーーーただ気付くと、僕の足許(あしもと)には…………。
そこには…………。
とても人の手に依ってなされたとは思えぬほどの、大きな円形が………。
太陽のような、何処までも完全な円形が、砂の上に描かれていて………。

僕は、その中心で、カなく…………………………。

膝から崩折れて、………………。
………………、泣いた……………。

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