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意味不明小説(ショートショート)コミュのエステバンの海

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エステバンが頭を掻くと、決まって爪の間に瘡(かさ)の欠片が詰まっていました。
だからと言って、エステバンのことを、蚤やダニを身体に住まわすような、不衛生な人間だと思ってはいけません。
奴隷として捕らえられ、何日もの間を船底に閉じ込められて過ごしていたのですから、それも無理からぬことと言えましょう。
ですが、両手を縛られた今となっては、エステバンは頭を掻くことすら、ままなりませんでした。
「まさか港に着くなり、海へ飛び込んで逃げ出そうとはな。おかげで俺だけ、小船で海へと逆戻りだ」奴隷商人は、残忍な笑顔を浮かべて「だが、勇気だけは認めてやろう」と言いました。
「ならば、その勇気に免じて、見逃してはくれまいか?」エステバンは言いました。
「行き過ぎた勇気を、人は蛮勇と呼ぶ。賢き者はそれを選ぶことを良しとせず、その道を辿るのは愚か者だけだ。愚か者とは、即ち奴隷のことを指す」
そう言ってから、奴隷商人はエステバンを鞭で打ちました。
背中に走った激痛をものともせず、エステバンは真っ直ぐな瞳で「私には、そうしなければならない理由があったのだ」と言いました。
奴隷商人は、再び鞭を持つ手を振り上げました。
エステバンの眼差しに、恐れの色はありませんでした。
奴隷商人は、振り上げた手を止め「思いのほか沖まで出た。この小舟が港に着くまでの間、暇潰しにその理由とやらを聞いてやろう」と言いました。
「奴隷船が港に到着する数日前、子供が病に伏したのを覚えているか?」
「いいや。覚えておらん」
「お前らが慈悲もなく海へと投げ捨てた、あの幼子の奴隷ことだぞ?」
「ああ、そのことか。当然のことをしたまでだ」
「当然のこと?」
「家畜のうち一匹が病気になったら、離れにやるか、殺してしまうかしなければ、他のものにも被害が及ぶではないか」
「我らを家畜と呼ぶか?」
「お前らには、せいぜい羊三匹分ほどの価値しかない。それを家畜と呼ばずして、なんと呼ぶ?」
「ラウタロだ」
「なんだと?」
「海へと投げ捨てられた、子供の名だ。ラウタロ、私の息子だ」
夜の海に風が吹き、小船の帆を膨らませました。
「子供はあるか?」しばらくして、エステバンは言いました。
「故郷に三人」やはりしばらくして、奴隷商人は言いました。
エステバンは、甲板に頭を擦り付けながら「例え亡骸になっていようとも、命の限りラウタロの行方を追ってやらなければ、私は父としての役目を果たすことができない。あなたに人の親としての心があるならば、どうかこの場を見逃してはくれまいか?」と言いました。
「岸が見えてきた」
「今、なんと?」
「海の上では、なるほどお前は人の親かも知れん。だが港へ着けば、ただの家畜だ。岸が見えた今となっては、お前の言葉は、家畜の鳴き声にしか聞こえん。人である俺に、どうしてそれが理解できよう?」
「慈悲の心はないのか!?」
「言うことを聞かない家畜には、こうするよりない!」
奴隷商人が、鞭を振り上げました。
と、その時です。
潮風に乗って、ビョーイ、ビョーイという不気味な声が、二人の耳に届きました。
その声を聞いた奴隷商人は、血相を変えて「セイレーンだ!」と言いました。
セイレーンとは、その歌声で人を惑わし、誘き寄せた挙げ句に喰い殺してしまうという、船人たちがもっとも恐れる怪物です。
ギリシア神話にある英雄オデュッセウスは、自身をマストに縛り付けさせ、その難関を乗り越えたと伝えられています。
「こんな時に、セイレーンに出くわそうとは!」エステバンは、肩を落として嘆きました。
「今こそ、お前の枷を解こう」奴隷商人が言いました。
「どういうことだ?」
「その縄で、俺の身体を檣(ほばしら)に縛り付けるのだ」
「自分だけ助かろうというのか?」
「お前が本当に息子を思うなら、この呪いに打ち勝って見せよ。見事乗り越えられれば、その時は何処へとなり行くがよい」
「その言葉に偽りはないな?」
「二言はない。さあ、早く!」
エステバンは奴隷商人をマストに縛り付けると、両手で耳を塞ぎながら、我が子の名前を唱え続け、祈るように伏しました。
やがて潮風が止むと、同時にセイレーンの歌声も、消え去っていました。
「お前の思い、見届けたぞ」奴隷商人が言いました。
エステバンは、ゆっくりと立ち上がりました。
奴隷商人は、身体を揺すりながら「約束どおり、お前に自由を与えよう。間もなく港だ。万一にも、仲間に見つかってはいけない。さあ、この縄を解き、立ち去るがよい」と言いました。
「港が見えてきた」エステバンは言いました。
「今、なんと?」
「海の上では、私は人の親でいられる。息子を探し続けられるからな。だが、このままお前を帰してしまっては、新たな追っ手が現れるかもしれん」
「約束は違えん!」
「それに私には舟がいるのだ。だが、お前を連れて行くわけにはいかない。お前は息子の仇だからな」
エステバンは、奴隷商人の首に手を回しました。
「俺はお前を見逃すといった!慈悲の心はないのか!?」
「港が見えた今となっては、私はいよいよ家畜だ。家畜である私に、どうして人間の言葉が理解できよう?」

夜の海に風が吹きました。
港から少し離れた浜辺に、海を漂い、やがて打ち上げられた、エステバンの息子ラウタロが横たわっていました。
ラウタロは、風が吹くたび、寂しさと、ひもじさと、父とはぐれた悲しさから、泣き声を上げました。
ラウタロの泣き声は、潮風に乗って、ビョーイ、ビョーイと海に向かって飛んでいきました。
やげてその海は、エステバンの海と呼ばれるようになり、風が吹くと、今でも父子の呼び合う声が聞こえてくるそうです。


(終)

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