意味不明小説(ショートショート)コミュの漢字の読みを調べる

まったく、なんで家でまでパソコンで仕事をしなきゃならないんだ。

オレは、家に持ち帰った、明日までに読み込まなければならない委員会会議資料に必死だった。
もっとも、資料を家に持ち帰るのは本当はやってはいけない。機密文書、というほどでもないのだが、とにかく最近は情報セキュリティにうるさい。大事な書類を家に持ち帰って外部の者にうっかり見られたら大変だ、ということで会社からは禁止されているのだ。
しかし、そんなことを言っていられるか。残業しても会社で終わらない。だからこうしてpdfファイルをこっそりコピーして、家のパソコンで見れるアドレスに送信しておいた。そして、日曜日なのに必死でパソコンに向かって読み込んでいるのではないか。

「えーっと、２０１２年の総務省の統計によると、消費者が我が社に期待している社会的責任は……と。あぁー、もう疲れた疲れた。」

いすに座りながら、腰痛と戦ってオレは文章を読んでいる。なんとかほとんどの章を読み終えた。あと少しだ。頑張って読み込もう。

「えーっと……なになに、我が社はお客様のために、情報セキュリティが求められる近年の社会情勢において、コンプライアンスを遵守してまいります……ん？」

オレがそこで変な声を上げたのは、『遵守』という漢字の読み方がわからないからだった。
「……そ、そんしゅ？」
読んでみて、あ、これ絶対違うな、というのがなんとなくわかった。
そんしゅってなんだ、そんな言葉聞いたことがない。
多分これはあれだ。絶対知ってる言葉で、読みを知ったら「あー！」ってなるパターンだ。

よし、ネットで調べよう。
さっそく俺は、pdfファイルの文章中の『遵守』の部分をマウスカーソルで選択し、右クリックでコピーして、ブラウザの検索欄に貼り付けて検索した。
まったく最近の時代は便利になったものだ。オレが学生のころはいちいち紙の辞書を引かなければならなかったものを。
検索して１秒もせずに結果が表示された。まったく、つくづくいい時代だ。
……と思ったが、はてさて、必ずしもいい時代とも限らない。
最近のgoogleは、なぜか検索結果よりもさらに上に、黄色い枠が出てきて、「遵守　に関連した広告」なんていうのが出てくる場合がある。
そこに宣伝ページのリンクがある。検索したワードに基づいた宣伝が表示されるのだ。
で、その黄色い背景googleの最初に出てきたページには、
『＜広告＞遵守とはどう読むのか』
というタイトルが書いてあった。
なんだこりゃ。こんなことで宣伝？一発で読み方が出てきてくれてもいいものを……。
どれ、ちょっとのぞいてみよう。俺はそのリンクを開いてみた。

「　あ　な　た　は　、『　遵　守　』　と　は　ど　う　読　む　の　か　、　悩　ん　だ　こ　と　は　あ　り　ま　せ　ん　か　？　」

ページを開くといきなり、このような文句が目に飛び込んでくる。
やたらでかでかとした、赤い文字で書いてあるのだが、聞いていることは、単に「遵守という漢字を読めずに悩むかどうか」とのことに過ぎない。なんだこれは。

「２０１２年度、総務省の統計によると、『遵守』の読みが答えられない人は、約９割にも上っています！」
「かく言う私も、かつて『遵守』が読めない人間の一人でした。『遵守』の読みが分からず、毎日をだらだらと過ごしていました。」
「このまま、『遵守』の読みが答えられないまま、私は老いていくのだろうか。毎日をつまらなく過ごし、『遵守』を読めぬまま平凡な人生を終えるのだろうか……」

なんなんだ！このページは！？
さっきから読み進めているが、イライラする。話の核心には一切触れず、いつまで引き延ばしてるんだ。
時間がねえんだよ。早く何て読むか言えよ。

「そんな人生を変えたのは、一冊の本でした。」
「　な　ん　と　、　わ　か　っ　た　ん　で　す　！　『　遵　守　』　を　な　ん　と　読　む　か　が　！　」
「私はこの本に書かれていることが、初めのうちは、信じられませんでした。『えっ！？こんな読み方をするの？』と、あいた口がふさがりませんでした。」
「しかし、本を読み進めていくうちに、私は納得しました。『遵守』という言葉をそう読むには、深い理由があるということを。目からうろこが落ちました。気付くと、私は泣いていました。」

あああああ！もう腹が立つ！
あれだ。最近よくこういうページってある。ネットサーフィンしてるとたまにこの手の宣伝のページにたどり着くんだけど、くだらない情報商材を売りつけるやつだ。大抵無意味にでかいフォントで、「自分を変える方法」とか、薄っぺらい本のくせに高い値段で売ってて、中身もない。しかも一度買うと、やたら他の本も買え買えとか言ってくるらしい。
なーにが「目からうろこが落ちました」だ。くだらない。
しかしまあ、なんという商売だろう。たかが漢字の読み一つでここまで引っ張るとは誰が考えるだろうか。

「（２０代女性　OL）私も、初めは信じられない、という気持ちでいっぱいでした。まさか『遵守』という漢字をそう読むなんて。しかし、その一方で、この漢字を始めて読めた感動を、より多くの人に分かち合いたい、という気持ちでいっぱいになりました。」
「（３０代男性　医師）恥ずかしながら、私も『遵守』が読めずに一度は大きな挫折を味わいました。この字を読める日が来るとは思えず、失意の日々が続きました。そんな時、この本を勧められました。初めは、どうせ『遵守』を何て読むかなんて、わかりっこないでしょ、と思ったんです。それが、わかったんです！『遵守』をなんと読むか……。今では、私が患者さんにこの本を勧めています。私の人生のバイブルとなるでしょう。」

なんか、わけわかんない人たちの感想がうだうだと述べられている。
これ、どうせ実在もしていない人のインタビューを勝手にでっちあげてるんじゃないのか？
オレは、もう漢字の読みなんてどうでもいいので、こうなったら最後まで読み進めてやろう、と腹をくくった。

「　あ　な　た　に　も　こ　の　感　動　を　お　届　け　し　ま　す　。　」
「ここから先のページは、覚悟のある方のみご覧ください。」

と、ページの一番下には「次へ」という、やはりでかでかとした赤いボタンが配置してあった。
オレはそのボタンを押した。
そして、遷移先のページを見て吹き出しそうになった。

「　あ　な　た　は　、　選　ば　れ　た　方　で　す　。　」

なんだ、選ばれた方って。
どうして『遵守』が読めただけで、選民思想を持たなきゃならないんだよ。
って、まだ読めないけど。

「なぜ、選ばれているかお分かりですか？」
「・・・実は、漢字の読みをしっかり調べている方って、とても少ないんです。」
「２０１２年の総務省がおこなった統計によれば、次のような統計結果が出ています。」
「わからない漢字があった時、すぐ調べる　１．５％」
「調べない　９８．５％」
「そう！今『遵守』の読みを調べようと思ったあなたは、これだけで非常に貴重な人物なんです！！！」

え？
オレは、この話を聞いて少し、へえ、と思ってしまった。
オレが貴重な人物と言われる器だなんて、思ったこともなかったからだ。
……いや、こんな調査結果、ねつ造の可能性もある。だって、漢字の読みを調べるのが１．５％？
ばかげた話だ。確かに俺も、みんなが漢字の読みを調べているのかなんて統計取ったことは無いが、さすがにそのくらい、誰でもやっている。１．５％なわけはない、と思いたいのだが……。

「普段何気なく、こんなことは誰でもやっている、と決めつけてきたことはありませんか？」
「私が『遵守』という漢字の読み方がわからなかった時のことです。
私は、友人とその漢字の読みについて話していました。」
『ねえ、昨日の資料だけど、遵守って漢字はなんて読むか分かった？』
『え、わからなかったなぁ。ていうか、そんな漢字あったっけ？』
『ああ、あったよ。実は、昨日調べたからわかったんだけど、○○○って読むんだよ。』
「すると、どうでしょう！その友人たちは大変驚き、なぜそんなことを調べたの？すごい、天才だ、と私のことをもてはやしたのです。」
「自分の隠れた才能に気付いた私は、早速『遵守』の読み方を自分で調べたことのある人をインターネットで探し、会ってみました。勇気のいる行動でしたが、その苦労は報われました。だって、『遵守』の読みを自分で調べる人はみんな、目が輝いて、未来に向かって夢を持っている人たちばかりだったんですから！」
「そして、その人たちがやっているビジネスに、私は加わりました。初めは大丈夫かな、と思っていたけど、やはり選ばれた人間同士が集まっているから、今ではびっくりするほどのサクセスをおさめています！そのビジネスは、本当に私を成長させてくれたし、みんな人間的に輝いている人たちばかりでした。」
「でも、たったこれだけのことに気付くのに私は5年もかかったんです。
今、『遵守』の読みがわからずにこのページを開いたあなたは、本当に幸せです。
なぜなら、これだけのノウハウが詰まった本が、今だけの特別価格で購入できるチャンスに恵まれているのですから！！」

そして、そのページの下のほうにスクロールすると、そこには、大きな写真画像があり、一冊の本がでかでかと撮られていた。
そして本のタイトルが、画像の上に大きな文字で書いてある。

「『遵守』はなんと読むのか～漢字の読みを巡る、ボクの人生を変えたサクセスストーリー～」
「今なら5万円のところを、特別価格1万円でご提供！！！」

「著者、大器晩成氏のお話を聞いてみましょう。

大器氏　プロフィール：
・８０年生まれ。貧しい農村に生まれる。
・高校時代は甲子園のエース。その後、東京大学文科Ⅰ類に特待生として入学。さらにアメリカ、カナダ、ニュージーランド、スウェーデンに留学を経験。
・大学のうちに起業。新しいビジネスモデルとして注目され、２２歳で年収１００億円達成。
・２００４年、小説雑誌「あまてらす」に投稿した長編小説が大ヒット。史上初の芥川賞、直木賞を同時受賞。
・ボランティア団体「やさしさ」を創設し、慈善活動家としても高い評価を得、ノーベル平和賞受賞。
・現在、テレビ番組や講演会、ネット動画配信サイトにも多数出演。
・著書に「成功者になろう」「１００万人の人を操る方法」「芸術について～ボクが人を幸せにできるたった一つの理由～」他多数。
・趣味はサーフィン、小型飛行機の操縦、ピアノ、そしてたくさんの人をハッピーにすること。

Ｑ．今回、　『遵守』はなんと読むのか～漢字の読みを巡る、ボクの人生を変えたサクセスストーリー～を出版されたきっかけは何ですか？
Ａ．僕がこの本を書いたのは、『遵守』という漢字の読みを通じた人間のドラマについて、多くの人に知っていただきたかったからです。僕自身がかつてこの漢字を読めなかった時代、その読み方を巡って、多くの人々と泣いたり感動したりしました。
そして読者に、この体験談を語ることで、あることに気づいていただきたかったのです。皆さんには大きな翼がある。この空に羽ばたいていけると。
Ｑ．と、おっしゃいますと？
Ａ．『遵守』はなんと読むのか。まずこのことを考えただけでも、皆様は素晴らしい人々なんです。
２０１２年の総務省の統計により、漢字の読みを自分で調べるノウハウがある人は、ビジネスマンとして高い才能があることがわかっています。
全国のベンチャー企業の社長に対象とした、「あなたは漢字の読みを自分で調べますか？」というアンケートに対し、実に９９％の方がＹＥＳと回答しているのです。
Ｑ．なるほど。では、この本は主に、どういったことが書いてあるのですか？
Ａ．それは、読んでみてのお楽しみですね（笑）ただ、特別に少しご紹介しますと、僕がやっている、漢字の読み方を使ったビジネスの紹介も、少しだけ、させていただいています。あ、あと肝心の『遵守』の読み方ですね。（笑）」

ここまでオレは、なんじゃこれは。本当に胡散臭い、と思いながら読んでいた。
しかし……。
なんか面白そうだ、と思ったのも事実だった。
ビジネス云々っていうのはちょっとわかんないし、多少宣伝とかも書かれた本なのかもしれないけど、漢字のよみ方一つで、なんかすごい面白そうな体験談が書いてあるんだって。
1万円と言うのは、ちょっと高いが……。

面白そうだ。買ってみよう。
俺は、そのページの購入ボタンを、ぽちっと押してしまった。
クレジットカード番号と、配達先である自分のアパートの住所を画面のフォームから入力。送信ボタンを押した。

正直、『遵守』っていう漢字の読みが明日までにわからなくてもいいや。この本を読むまでの、おたのしみでいいじゃないか。
会議までに読み込んでおけと言われているけど、別にオレが会議で発表をするわけじゃないし。
そして、1週間が過ぎた。

オレの家に、例の本が届いた。
白くて小奇麗な、分厚い包装に包まれていて、オレの住所と氏名が宛名として、ずいぶん丁寧な手書きの文字で書いてある。
中を開けると、本とは別に小冊子が入っている。何これ。やっぱりうさんくさい本なのか。
「　未　来　の　成　功　者　へ　」
とかなんとか表紙に、特大のフォントで書かれていて、冊子をめくると、ふざけた表情のスーツの男の顔写真がでかでかと貼ってある。

そして、肝心の本を読んでみた。
最初に「『遵守』という漢字の読み方は、この本の最後に必ずお伝えします。この本はあなたを裏切りません。」と書いてあった。
次のページ以降はすべて、ビジネスについてウダウダ書かれていた。

オレ「え、『遵守』の読みについて熱いドラマとかっていうのはどうなったの？」

ビジネスというのは、なんでも、この著者が経営している会社が、ものすごく高価な辞書のセットを、１００万円くらいで取り扱っているらしく、その辞書セットの信頼度は、２０１２年の総務省の統計によると、全辞書中1位だという。
この素晴らしい辞書を購入するのが、ビジネスを始めるために必要な初期投資らしい。

オレ「……。」

そして、それを使って勉強し、身近にいる漢字のわからない友達に色々な漢字の読み方を教えることで、「あの人は何でも知っている」と思わせる。そうすれば、その友達はあなたに必ず、「ねえ、どうすればそんなに物知りになれるの？」と聞いてくる。
そこで、この辞書の存在を教える。そして、その友達に「あなたもこの辞書を買って、成功者の仲間入りをしよう」と言って高値で買ってもらえば、自分のところにマージンが入る。
さらに、その友達にも同じように活動してもらい、その友達の売り上げの一部を自分が受け取るようにする。そうすれば、自分の傘下にピラミッドができて……。

オレ「……こんな商法成り立つわけなくない？」

そして、本の終盤に著者の熱い言葉が書いてあった。
「これは画期的なビジネスモデルです！何もしないでもお金が入ってくるし、素晴らしい商品を世の中に広めることができる！みなさんも是非参加して……。」

オレ「……どうやったら100万円の辞書なんて売れるんだ。」

実につっこみどころ満載である。
こんな下らないアイデアを書いただけの本を買ったやつなんて、実はオレだけじゃないのか？1万円も出して。
オレは、本を買ってしまったことに半分自責の念を抱いていたが、まだ完全に負けたと思ったわけではなかった。
そう、この本を買った本当の目的は1週間前、『遵守』という漢字の読み方がわからないから、ということではなかったか。この本を買えば『遵守』という漢字の読み方がわかるのだ。だからまだ、かろうじて自分に正しい部分はある。……１％くらいは。

そして、最後から2番目のページ。
肝心の漢字の読み方を、これから発表するという。
「お待たせしました！この本を買っていただいた皆さんが、最も知りたかったことをお伝えします。この本を購入してから、実際にお手元に届いて本を最後まで読みきるまでの長い間、本当にお疲れさまでした。それではお知らせします。『遵守』という漢字の読みは何か。

それは……。」

そのページはその言葉で終わっている。
オレは、最後のページをめくった。
そこにはこう書いてあった。

「ちゅうちょ」

オレは、その本を床に投げ捨てた。
そして、何度も何度も本を踏みつけた。
1万円出して裏切られた気分で、悔しさのあまり本を燃やしてしまった。
「……ばっかじゃねーの。」
と一言、目に涙を浮かべながら一人吐き捨てた。

次の日、オレは『遵守』の読みを電子辞書で調べた。

（終）