ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

意味不明小説(ショートショート)コミュの理由

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
何も始まらない春を迎えるのは本当につらい。
変化を迎えない者は、周囲の変化に敏感になりすぎてしまうものだ。

何をしたらよいのかわからなくて、唯夜道を歩いたりする。
歩きながら、近しい未来のことを考えては何もできないなと思うに至る。
そして思案は還らないもののことへと移り、そのあとぐっと生活に近づく。
自室の種々が山積みになった作業台、レシートで一杯になった財布、開けていない郵便物の山。
すべてが恐怖、ひたすらに後ろ向きな自己防衛の結果。
この徘徊のあとには、それら全てが口角を引くつかせ、いやな笑みと共に私を迎えるのだ。
私の苦痛を楽しむかのように。

私は己の無能さを盾に、目を閉じる。
閉じたら最後、私はずっとそれらを追いかける。
私に無関心なそれらを、ひたすらに追うのだ。

このときばかりは、私の死のみが終着である。
私は歩きながら、路上に寝転がれる場所を探す。

それは明るすぎても駄目だし、暗すぎても駄目である。
人目についてはいけない、もとよりそのために深夜を選んで外出するのだが。
とにかく見られてはいけない、私は異常者だと思われたくは無い。
車道が二車線あってはいけない、一方通行の住宅街の生活道路が一番適しているのだ。

私は大通りから、住宅街に続く狭い道に入ってゆく。
私にとって車道の通らない大通りは、不安を誘うくらいに広く、いやなものが多い、例えば街灯に照らされる路側帯の木の人工的な質感。
葉が若ければ若いほど、何故か作り物ののように見えて、この私の抱える現実のなかで浮き立つ。
それが恐ろしい。

だから大通りを背にして暗がりに入ってゆくとき幾分落ち着きを感じる。
街頭の数が少ない細い道には何か懐かしさにも似た安堵すらある。
そこで私は寝転ぶ。
少しでも死と戯れに近づくために、泥酔者または急病の者、若しくは路上の死体に出来るだけ似せて寝転がる。
その生活の中の異常が私にとって少しの救済である。
可能性をを内包する無能な私という器が、空間をつくる四つの平面が外向きに倒壊してゆく、そして平面になり、やがてあらゆるものが流れ出し、無が訪れる。
遠くで走る車の音、地下を流れる下水の音が聞こえ、家と家に切り取られた夜空のなかを雲が動いているのが唯見える。
そこで私の短い死が終わる。
そのまま地面を二度三度転がって立ち上がる。
辺りを見回して、誰にも見られなかったかを確認して歩き出す。

ふと気が付けば、家が近い。
私に出口不明の無能な容器に戻る時間が迫る。
私は、脱力して阿呆のように歩きながら、風呂の支度について考える。
ここ何日か風呂に入っていない。
何のために入るのか、私は楽しみのために風呂に入りたくない。
明日差しあたって、用事のない者には風呂に入る義務などない。
別に入らなくてもよい風呂に入るには何かしら他の理由がいる。
だからなるべく私は銭湯に行きたいのだ。
銭湯にはサウナというものがある、サウナに数分入って、水風呂に入るのを繰り返せば眩暈がする、そして立ちくらみを覚える、そこで横になって目をつぶっていると死んだような気になる。
それが楽しいし、少し気が楽になる。
それがなければ、別に風呂になど入りたくは無い。
しかし何日も風呂に入らなければ、肌が湯を求めだす、そうなって初めて入ろうという気がする。
家風呂に入るときは、明かりをつけない。
暗がりの中、湯に使っているとなんだかこの世にいる気がしなくなってくる。
洗髪のときなどもそうで、視界をふさぐと、急に背後に何者かがいるような気がしてきて、私をこの世ではないどこかへ連れて行ってくれる気がする。

決して私は病んでいるわけではない。
少しの異常に救いを覚えるだけで、突発的に異常行動を取る者とは決定的に異なる。
私には破裂しそうなほどの羞恥心がある、抜け出す事の出来ぬほど深い内省がある。
こんな者を異常者と呼ぶ事は出来ないと思う。
ただ楽になりたいのだ。
しかし死を選ぶほど、思い切りのよい人間ではない。
ただ楽に生きたいのだ。
私は驚くほど怠惰でありながら、自責せずにはおれず、無能である。
しかし、自分の無能を嘆く事は出来るが、憎む事は出来ない。
怠惰がそうさせる。
私は怠惰と自責と嘆きをぐるぐる巡っている。
そしてその円環から飛び降りようとしてすぐに引き戻される、それを繰り返している。

この前の祝日がいけなかった。
長期休暇のなかの祝日は私のような人間にとっては危険だ。
何かの引き金になる可能性が充分にある。
世間が休んでいる今日、そして動き出す明日。
しかし私の明日には何も始まらないのだ。
この苦痛。
私の日々は何も変わる事がない、ずっと休日なのだ。
よくよく考えてみるなら、私にも明日することは何かしらあるのだが、実際のところ私は日付で生きる事をしばらく前に放棄してしまった。
怠惰、自責、嘆きを繰り返しながら、世間と平行して時を過ごしている。
この悪徳を私は何故だか悪と呼ぶ事ができない。
私にとってはこの悪徳こそが最も近しい、親しい時間の過ごし方なのだから。
しかしこの恥ずかしい物言いをどうか許していただきたい。
この悪徳を悪徳と認めながら、この悪徳にひたる私は、誰よりも徳を愛しているし、世間を素晴らしいものだと考えている。
本当はこの世界ほど素晴らしいものだと思っている。
誰よりも世界の全てを羨ましく思えるのも私である。
こんなことを恥ずかしげもなく述べるのは気が引けるし、何人の共感も集める事がないのも知っている。
自分に酔っていると思われるかもしれない。
しかし、私は世界を大地に立って眺める事が出来ないのだ。
かといって超越的な視線で神のようにして、世界を眺める者でも決して無い。
私は、生まれた時から地中で例の円環を巡りながら、世界を見上げている。
光を通す事の無い固い地殻の下で見上げているのだ。

世間知らずと呼ばれるかもしれない。
恐らくそうなのだろう。
光を通す事の無い地殻の下から世界を見上げるこの目には、世界の何も焼きつかないのだから。
じれったいのでもっと言うと、私にも希望がないとは言わない。
しかし、それに懸けることはできないのだ。
それが私にとって最も恥ずかしいことだから。
期待感に弾む私は、絶望した私の悲惨さを産む。
それが私には耐えられない。
こんなことモラトリアム期間を過ごす愚かな若者の戯言にしか聞こえまい。
しかし、その理解不能は、そのまま私の理解不能なのだ。
その二つの差は量の問題だけで、質の問題とは全く違う。

ともあれ私もこの日常を生きている。
私は、うず高く積み上げられた種々を載せた作業台の前で整頓するかいないかを悩んでいる。
この下にはなくしたものがあるかもしれないのだが、これを整頓すれば不確定な存在が確定的な事実となり、私に突きつけられてしまう。
私にはそれが怖い。
私は私がもっとも避けたい、悲惨さを産む期待感の微温湯のなかで思案している。
この思案こそが、例の円環への道であるにも関わらず。
恥を捨てて言おうと思う。
なくしたものから目を背け続けるなら、私は何もなくしていないのだ。

母の死がそうだった。
突然死を迎えた母の死体が焼却されたとき、私は忘却こそが救いだと感じた。
そして忘れた頃に、母は不在の存在となって帰ってきた。
この怠惰をお許しくださいなどとは口が裂けても言えないが、私にとっては忘却こそが私の日常に向かうもっとも優れた手段であった。
私はどんなに償おうと償いきれない罪を犯し続けている。
しかし、何が私を裁いてくれようか。
私には、今を生きる人々は何にも乞うことを許されていないと思える。
だから、忘却こそが救いであるなどと口走る。

いや、本当は知っている、しかしどうしても出来ない。
ひたすら死に向かい死を待つしか、この日々をやり過ごす方法を思いつかない。
本当の無能とはそういうことを指すのだろうと私には感ぜられる。

























深夜、電灯の下を一人で歩いている

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

意味不明小説(ショートショート) 更新情報

意味不明小説(ショートショート)のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング