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2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」コミュの(各話別トピ)第38話 時を継ぐ者 2022年10月2日放映分(NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』感想トピック)

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第38話 時を継ぐ者 2022年10月2日放映分 の感想などお願いします。

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ご参加お待ちしています。

※ルールはこれまでと同じ。ネタバレ投稿禁止(ネタバレ基準は多数派であるNHK総合の初回放映。例→NHK総合で20時12分の放映内容感想を20時10分に投稿しちゃダメ。20時03分の放映感想を20時03分に投稿するのはオッケー)。

※こちらはネタバレ禁止の感想トピックですので
(多数派である地上波のリアルタイム放送以前をネタバレと呼んでいます)、
歴史(誰にも史実が分からない事だけは分かっているものの)の話をしたい人は
↓歴史トピ(当コミュ内)
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↓癒しコミュ「テレビドラマ」トピ
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などへどうぞ。
誤って歴史関連の投稿をしている人をみかけたら、誘導お願いします。

※もちろん24時間いつでも投稿OK。

※こちらは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が好きな人のコミュですので、脚本、役者への批判は、
↓冒険コミュ「ドラマ」トピ Part⁻3
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=890518&id=97860702
などにどうぞ。

コメント(98)

タラシマさんの兜、ダサい…
VICTORYのV(?)が長すぎてプラプラ…たらーっ(汗)
一つ屋根の下の末っ子  三浦。
たちまわり、くノ一と。
刀を放り、かっこいい❣

次回10/16、「穏やかな一日」

上皇様、激おこプンプン丸だけどあせあせ(飛び散る汗)
義時が執権になった。実質のトップ。。
ほんとは穏やかに生きたかったはずなのに。
オトンも追放してまで昇りつめたくないわなぁ。。

これから鎌倉殿がどんな運命辿るか見物だよ。
りくさん、とっても魅力的なキャラクターでした。宮沢りえさんのお芝居が上手だからかな。宮沢りえさん、衣装や髪型も本当にお似合いでキレイでしたぴかぴか(新しい)もう出演しないの物足りないなぁあせあせ(飛び散る汗)
こんばんは。

見ました。

冒頭から和田義盛が空気が読めないというか、事情をわからず、時政の言った大事なことを
忘れてしまうし、せっかく習った『羽林』という言葉も親愛の情を込めて使っている様子に
にんまりですね。

で、今日は何があっても時政が主人公であり、鎌倉から追われることになります。
一度は時政殺害を決意した義時ですけど、とうとう翻意することに。
ここらへんは身内に甘いということになるのでしょうがどうなのかなあと思いますが、実朝が
力を尽くして懇願ということで致し方ないのでしょうか。
ここら辺はトリックでしょうね。実朝も時政の身内ですし、実朝が力添えして丸く収めたみたいに
見えます。また、八田知家が今回も重要な場面で出てきて、時政のことを止めたりとかかっこいいですよね。
時政が頭を丸めて伊豆へ……ひとつの時代が終わったわけです。

りくも当然に追放になりますが、最後の最後まで毒を含み、さらには京都にいる上皇との連携も
ほのめかす始末ですね。往生際悪いと思いましたが、最後に政子と実衣とで伊豆の思い出話に
ふけったことでどうやら気持ちを変えたようですよね。

今回の白眉は、トウと三浦義村との格闘シーンでしたが、義村どこまで女好きなのか。
トウはノースタントでのアクションですね。見直した。
で、侍女の場面でもすっかりと存在感を示してましたが、あきらかに目力があるんですよね。
しかも美しい。トウが背中でかざした短剣の場面は固唾を飲みましたね。

とうとう義時が執権になりましたが、またもや義村がお調子者的に義時を讃え、それによって
義時の信任を得ようとするところが心憎い。しかし、義時も衣装を変えて、さらにのえに鏡を
かざしてもらって満更でもない様子。
「鎌倉の頂点にふさわしい」人間になりましたよね。でも、後鳥羽上皇はそんな義時に目を光らせているわけです。敵意剥きだして、後の承久の変の萌芽が出まくってますよね。

しかしもう、鎌倉殿の13人ですけど、13人からどう人が抜けようと途中で補充されるわけであり、13人の中の生き残りゲームとして見ることがどうしてもできません。
ここらへん、1192年に幕府成立!の呪縛から抜けない歴史の錯覚だと思います。
平賀朝雅さえいなければ重忠の件を含めてこんなことにならなかったのかなあと最後は納得でしたが、それもまたよし。

ということで、来週が楽しみです。
あれ、来週って特番だったような気がするけどなあ……。

くノ一良いね♪志穂美悦子はあのアクションの倍動けたけどね♪この時代、実は女人が強かったって事が分かる。女のわがままを叶えてなんぼは今の時代も同じでしょう。女を舐めると怖いよ。
ま、りくの回だったのかな。

見かねるくらい落ち込んだり、
強がってみせたり。
女優宮沢りえを堪能しました。
これで出てこなくなると思うと寂しいです。
次回からの止め名は誰だろう?

三人でお寺に避難していたときの思い出話とか。なつかしい。

(理屈の人)泰時がいて、全然納得しないから、
みんなが彼に説明する。
それで、見ている側も、義時の行動を理解できるという仕組み。

頭を丸めた時政が、あそこで
うぐいすの鳴き声の話をしたのは、
しみじみします。
(なにか意味あるとは思うけど、よくわからん)


義村も、あそこであんなこという?
相変わらず。

あのあと、トウはどこ行った?(きっとまた出てくる)


軽いキズを負っただけで動揺する平賀殿。
りくは彼を鎌倉殿にしたかったかもしれないけど、
危ない話に乗れないって、前回いっていたっけ。

そして、ラスボス後鳥羽上皇が、
義時の存在を認識する、と。

再来週が「穏やかな一日」なわけないと思うけどなー。
>>[73]
私の予想では、後鳥羽上皇か三浦義村かなと。
主人公の父が追放されるのは1988年「武田信玄」、2007年「風林火山」の時以来かな?
信玄の父・信虎はどちらのときも憎々しい退場だったけど、今回の時政じいは、悲しかった。
志穂美悦子の殺陣は知らない人は見ておいた方が良いです♪カメラが回ってるから危ない事を出来ちゃう人だって本人は言ってたけど旦那である長渕剛を回し蹴りで落として師匠である千葉真一に泣きながら電話したとか。回し蹴りが入っちゃったんですって♪笑
奥さんに殴られるのが嫌だから長渕剛は極真に行ったのよ。おもろいエピソードだよね♪
 今回よく呑み込めなかったのは義時、何故トウを使ってりくを殺そうとしたのか?ということ。
 父を誑かして道を誤らせたのが許せなかったのか、それとも生かしておけばまた父を唆して謀反を起こさせると思ったのか。

 それで時政とりく(牧の方)のその後を、ざっと調べてみたのですが、時政は伊豆で10年ほど過ごした後に77歳で亡くなり、その夫より20歳ぐらいは若かったと思われるりくは、平賀朝雅の寡婦で京の公家と再婚した娘きくの元へ身を寄せ、それから15年ぐらいは生きて、時政の13回忌には盛大な法要を行ったとか。

 傍目から見ればそんなに失意の人とも思えない、陽気な未亡人だったらしいですが、とは言え時政に再起を促すには彼はもう老齢だし、彼女自身も40代後半で、別の男性(例えば平六とか)を蕩しこめる年でもないので、義時は何をそんなに警戒したのか?

 或いは時政のことは親殺しの汚名を負うのが嫌で殺せなかったものの、これほどの大事件で誰の血も見せなければ、御家人たちにシメシが付かないので、りくに楊貴妃みたく自害した、または処刑したという形で責任を取ってもらおうと考えたのか?(彼女は義時の親じゃないんで。)
 それをトウが仕損じて(平六が邪魔をして)果たせなかったから、結局死んでもらうのは朝雅!ってことになったのでしょうか。
 先週の稲毛さんもだけど、ほとんど関係ない人ばかりが割を食うみたい。

 そんな義時に義村も反感を抱き始め、最後に後鳥羽上皇がどアップになって、来るべき承久の乱の下地は作られて行くのだけど、その前に実朝くんの運命。
 御台所とようやく夫婦愛らしきものが芽生えて来て、末永く幸せに暮らして欲しいのに・・・

  
>>[74]

後鳥羽上皇かもしれませんね。ラスボスだし。
ウグイスが気になったので調べてみたらコトバンクにありました。
>>[77]

実朝くん、御所にもどってきて、
御台所と抱擁しあっているんですが、
「ひしと抱き合う」感じじゃないですね。
まだ距離がある。ずっとあるのかもしれない。

次回出てくる和歌も
自分の孤独さを詠んでいるという感じがします。
>>[80]
 親の言うままに結婚して、お互い何のときめきも感じないまま、ただの隣人同士に過ぎなかった所、彼が人質になった籠城事件が起こり、彼女は真剣に彼の身の上を案じてる内、無いと思ってた愛情があったんだと認識する。
 一方彼は監禁されてる間、彼女のことなど考えても見なかったのだけど、帰ってきてヒシと抱き付かれると、ああそんなに自分のこと思っててくれてたんだと、意外さの混じった感動を覚える・・・史実には無いけど、現代の一般的な男女に置き換えれば、そんな所でしょうか?
小四郎が子どものように涙が溢れて、悲しくて悔しくてという演技が素晴らしかったです。
そして平六。さすがの動きでしたね。平六がいたから、小四郎も待てたんだと思います。同族の和田合戦の時には、どんな風に動くのか、見たいような見たくないような。
12月までの間に、和田合戦、将軍暗殺、承久の乱と飽きさせませんね〜。
これまで、義時は理不尽に人を殺しすぎました。
主人公だから重要場面にかかわるのは当然とも言えますが、
義時は「鎌倉のため」「謀反を許さず」と、あまりに多くの人の死にかかわりました。
なので、どうやって時政は殺さない方向で解決させるのか気になって見ておりました。

義時の思いを十分に汲み取っている八田は「首、刎ねちまえ」といいますが、
半分は、オマエ、本当にそれでいいのかと思っていそうです。
わかっていない泰時は反発し、時房は自分が説得すると前のめりです。
(トキューサが説得してしまうと、義村が謀反人になっちまうんだよ。)

流れは、政子の登場で変わりました。
すでに尼御台として新しい鎌倉の権威となっている(ことを自覚する)政子が、
自ら手をついて御家人たちに命乞いをすれば、もう誰も動くことができません。
さらに実朝からも請われたとなると、さすがの義時も従わざるをえません。

時政を斬ることは、鎌倉殿やその後見である尼御台の意に反する。
もし強行すれば、鎌倉殿の権威に傷をつけるし、それは義時の行動原理に反する。
それが三谷流の解決方法でした。
いかにもな力業ですが、文官たちに結論をゆだねたというあたりも周到です。

なんとか流罪となった時政ですが、子の立場と権力者の立場が交錯した義時は、
別れに際して「父が世を去る時 そばにいられない」「あなたがその機会を奪った」と、
怒りや甘えや悲しみや苦しみなどが混じった複雑すぎる恨み言を言い続けます。
書いたセリフ三谷もすごいが、演じた小栗旬が見事です。

そんな義時だからこそ、時政をそそのかしたりくを許せないのもわかります。
しかし、それは義時の私怨であり、そこに鎌倉を守るためという大義はありません。
だからでしょうか。トウの暗殺は、常に間の悪いのえに妨害され、
義村によって(目を見張るような立ち回りはあったものの)阻止されました。

かくして、時政なき鎌倉を生きる義時は、もう一段階覚醒しました。
先週示唆されていた「江間」ではなく、改めて北条義時を名乗ります。
「北条を、鎌倉を引っ張っていくのは、おまえだ」との時政の伝言ですが、
文官を除けば、見覚えがあるのは三浦、和田、八田しか残っていません。

というわけで、今回の秀逸は、
当然のように起請文を「書いちゃいなさあい」と実朝の一番の保護者感を出す和田でも、
時政が自ら小刀を首にあてた瞬間にかけつける、あいかわらず現場に強い八田土木でも、
トウと正面から向き合いつつもスキあらば口説いてしまう女に強いメフィラス義村でも、

水面下のメッセージのはずの義時の「自分のようになるな」を見抜いてしまうと、
こともなげに語ってしまう親譲りなのか人を見る目がある初でも、
鎌倉殿であれ、宗教であれ、なんの権威も信じない合理性を持つゆえ、
現世的なものを望み、あくまでマイペースなまま退場したりくでもなく、

脱出をしぶるりくを説得する場で見せた、
いかにも当座を取り繕っただけの見え透いた軽い物言いもせず、
本気で言っていると思わせておいて実は違ったという演技と本心の断絶にもせず、
堂々と説きながらも同時にそうじゃないことも伝えてみせた弥十郎時政の奥深い演技。
◆ 「鎌倉殿」三浦がトウに「俺の女」 実朝事件への伏線か 鎌倉最大の謎、三浦黒幕&トウ関与説でネット沸く
https://www.daily.co.jp/gossip/2022/10/04/0015696011.shtml
> 早業のトウがすぐに手を下さなかったことから、義時は暗殺ではなく、りくを短刀で脅すよう命じたとの見方も。結局、察知した三浦義村(山本耕史)に阻まれ、激闘の末にトウを身動きできなくした義村が「俺の女になれ」と口説く場面も。

一方で義村とトウがつながったことで、トウが実朝事件に関わるのではとの見方も相次いだ。「三浦とトウのあれ、実朝と公暁のフラグだったりするんかな…」「トウが実朝暗殺にかかわるとして実朝暗殺は平六を善哉がそそのかして、その善哉を始末するほうかな」「実朝暗殺って(トウを使っての)三浦黒幕説あるのか…」「これは実朝事件への布石か…?」

一見りくが悪女のようにみえるが、上昇志向が強い。京からきた。私はこんな田舎で終わらないわ。
時政を、一番の男にしたい!
宮澤りえ、若いなぁ。きれい。
時政も、演技がうまく、歳もとったし、上をみて、朽ち果てよう。鎌倉に対するのは、京都。承久の乱の政子が楽しみ^_^
いつも通り駄々をこねている義時の息子(泰時?) に放った、八田の「いい加減分かってやれ!」に同感の回。
第38回「時を継ぐ者」に寄せて

 元久2年(1205年)閏7月、時政と時政の後妻・牧の方は実朝を廃して、源頼朝の猶子である平賀朝雅を新将軍として擁立しようとします(牧氏事件)。政権を牛耳るためとはいえ、時政と牧の方のこのようなあまりにも強硬な策は一族の北條政子・北條義時らの反感を招きました。19日に政子・義時らは結城朝光や三浦義村、長沼宗政らを遣わして、時政邸にいた源実朝を義時邸に迎え入れました。時政側についていた御家人の大半も義時に味方したため、陰謀は完全に失敗しました。幕府内で完全に孤立無援になった時政と牧の方は閏7月20日に出家し、翌日には鎌倉から追放され伊豆国の北条へ隠居させられることになりました。

 これが『鎌倉殿の13人』ではどう描かれたか、第38回「時を継ぐ者」(2022年10月2日放映)を振り返ってみます。

 『鎌倉殿の13人』第38回冒頭では、前回のラストから続き、執権・北条時政(坂東彌十郎)が、自分の館に連れ込んだ実朝(柿澤勇人)に対し、鎌倉殿の座をである平賀朝雅(山中崇)に譲って出家すると起請文に書かせるべく脅迫を続けていました。館はすでに義時の命を受けて兵たちが取り囲み、実朝が解放されなければ攻め込む構えでありました。
 事態が切迫するなか、実朝を心配した和田っちこと和田義盛(横田栄司)が居ても立ってもいられず、時政側についた三浦義村(山本耕史)が、義時が来しだい自分がすぐに寝返るからと言って止めるのも聞かず、部屋へ乗り込んでいきます。そこで起請文を書くのをためらう実朝を見かねて、「書いちゃいなさい!」「起請文なんてあとで破いて捨てちゃえばいいんですから」と言うのがいかにも乱暴で筋肉脳みその義盛らしいところです。
 時政もまた、これ以上実朝を脅すことにためらいを覚えていました。そんな夫にりく(宮沢りえ)は、何としても実朝に起請文を書かせ、館の包囲網を解くよう言わせてくださいとけしかけるのでした。
 館の外にはすでに義時(小栗旬)も待機していました。義時は、義村の説得により時政を投降させたうえで討ち取るつもりでした。まさに北条ファミリーの崩壊です。弟の時房(瀬戸康史)や息子の泰時(坂口健太郎)はそれを察して、何とか時政を殺すのだけはやめるよう押しとどめます。しかし、これまで謀反を企てた者はすべて討ち取ってきたのに、ここで義時が時政を見逃せば、北条は肉親には甘いと御家人たちの批判を浴びかねません。そばにいた八田知家(市原隼人)は、そんな義時の気持ちを泰時に向かって代弁し、義時本人には「構うことねえ。首、はねちまえ」と煽(あお)ります。
 ここへ来て時政もついに観念。りくと改めて向き合うと、彼女には鎌倉を離れ、京にいる朝雅と娘のきく(八木莉可子)を頼るよう勧め、自分は実朝を引き渡して降参すると告げました。そして義村にりくのことを任せたのてですが、当人は京には行かないと言って聞きません。そこで義村は、彼女を侍女に扮装させてひそかに館から脱出させました。
 りくはそのまま御所にいる政子(小池栄子)のもとに赴きます。りくはそこで時政は死ぬつもりだと伝えると、「こたびのこと、企んだのはすべて私。四郎(時政)殿は私の言葉に従っただけ。悪いのは私です」と政子に手をついて詫びました。プライドあげあげのりくの最期を覚悟した行為です。まさかの継母の言葉を受け、政子は何を思ったのか、外へ出ていきます。政子が向かったのは、北条の館を取り囲む義時のもとでした。もちろん、時政を助けるよう懇願するためです。しかし、切々と説得する姉に、義時は冷徹な態度を崩しません。そのあいだに実朝は解放され、館を出てきました。実朝を引き渡すにあたり、時政は義時へ、今後はおまえが北条と鎌倉を引っ張っていくようにとのメッセージを義盛に託していました。しかし筋肉脳みその義盛はそれを忘れてしまい、実朝が代わって義時に伝えました。


参考文献
 『鎌倉殿の13人 後編』 NHK出版〈NHK大河ドラマ・ガイド〉
 『現代語訳吾妻鏡』 五味文彦・本郷和人 (編) 吉川弘文館
 『愚管抄 全現代語訳』 慈円(著) 大隅 和雄 (訳) 講談社学術文庫
 『鎌倉殿と執権北条130年史』 岡田清一(著) 角川ソフィア文庫
 『北条氏の時代』 本郷和人(著) 文春新書
 『鎌倉幕府と執権北条氏の謎99』
          中丸満(著) かみゆ歴史編集部(編) イースト新書Q 
 『鎌倉殿と執権北条130年史』 岡田清一(著) 角川ソフィア文庫
 『北条義時 - 「武士の世」を創った男』 嶋津義忠(著) PHP研究所
『鎌倉殿の13人』第38回は史実の「牧氏事件」「牧氏の乱」を扱っています 上

 冒頭では、前回のラストから続き、執権・北条時政(坂東彌十郎)が、自分の館に連れ込んだ実朝(柿澤勇人)に対し、鎌倉殿の座を平賀朝雅(山中崇)に譲って出家すると起請文に書かせるべく脅迫を続けていました。館はすでに義時の命を受けて兵たちが取り囲み、実朝が解放されなければ攻め込む構えでありました。

 事態が切迫するなか、実朝を心配した和田義盛(横田栄司)が居ても立ってもいられず、時政側についた三浦義村(山本耕史)が、義時が来しだい自分がすぐに寝返るからと言って止めるのも聞かず、部屋へ乗り込んでいきます。そこで起請文を書くのをためらう実朝を見かねて、「書いちゃいなさい!」「起請文なんてあとで破いて捨てちゃえばいいんですから」と言うのがいかにも乱暴で筋肉脳みその義盛らしいところです。

 時政もまた、これ以上実朝を脅すことにためらいを覚えていました。そんな夫にりく(宮沢りえ)は、何としても実朝に起請文を書かせ、館の包囲網を解くよう言わせてくださいとけしかけるのでした。

 館の外にはすでに義時(小栗旬)も待機していました。義時は、義村の説得により時政を投降させたうえで討ち取るつもりでした。まさに北条ファミリーの崩壊です。弟の時房(瀬戸康史)や息子の泰時(坂口健太郎)はそれを察して、何とか時政を殺すのだけはやめるよう押しとどめます。しかし、これまで謀反を企てた者はすべて討ち取ってきたのに、ここで義時が時政を見逃せば、北条は肉親には甘いと御家人たちの批判を浴びかねません。そばにいた八田知家(市原隼人)は、そんな義時の気持ちを泰時に向かって代弁し、義時本人には「構うことねえ。首、はねちまえ」と煽(あお)ります。

 ここへ来て時政もついに観念。りくと改めて向き合うと、彼女には鎌倉を離れ、京にいる朝雅と娘のきく(八木莉可子)を頼るよう勧め、自分は実朝を引き渡して降参すると告げました。そして義村にりくのことを任せたのてですが、当人は京には行かないと言って聞きません。そこで義村は、彼女を侍女に扮装させてひそかに館から脱出させました。
 りくはそのまま御所にいる政子(小池栄子)のもとに赴きます。りくはそこで時政は死ぬつもりだと伝えると、「こたびのこと、企んだのはすべて私。四郎(時政)殿は私の言葉に従っただけ。悪いのは私です」と政子に手をついて詫びました。プライドあげあげのりくの最期を覚悟した行為です。まさかの継母の言葉を受け、政子は何を思ったのか、外へ出ていきます。政子が向かったのは、北条の館を取り囲む義時のもとでした。もちろん、時政を助けるよう懇願するためです。しかし、切々と説得する姉に、義時は冷徹な態度を崩しません。そのあいだに実朝は解放され、館を出てきました。実朝を引き渡すにあたり、時政は義時へ、今後はおまえが北条と鎌倉を引っ張っていくようにとのメッセージを義盛に託していました。しかし筋肉脳みその義盛はそれを忘れてしまい、実朝が代わって義時に伝えました。
『鎌倉殿の13人』第38回は史実の「牧氏事件」「牧氏の乱」を扱っています 中


なぜウグイスが?

 実朝が無事に戻ったところで、政子が改めて時政の助命を乞い、それでも義時が聞き入れないので、ついには御家人たちを前に土下座して「方々、どうか父をお許しください」と頼み込みました。尼御台にこうまでされては、武装した御家人たちも恐縮してひざまずかざるをえませんでした。
 そのころ、館内では時政が自害しようとしていたところを八田知家に止められ、捕縛されます。「息子でなくて悪かったな」。一方、御所では実朝を、乳母の実衣(宮澤エマ)と妻の千世(加藤小夏)が迎えました。このとき、千世に抱きしめられて実朝が戸惑う素振りを見せたのが、ちょっと気にかかります。LGBT?
 その後、時政は自分の館、りくは御所にそれぞれ幽閉され、処分を待つことになります。時政は殺されず出家で済まされると思われましたが、泰時はそれでも義時は何をするかわからないと予断を許しません。そんな泰時に、妻の初(福地桃子)は「何もわかっていない」と言い放ちました。義時が時政の謀反に際し泰時を一緒に連れて行ったのは、「自分のようになるな」と言いたかったからだというのです。さすがは三浦義村の娘、人の心を見抜く目があります。
 時政については、実朝からも助命するよう義時に対し申し出ました。だが、主君である鎌倉殿から頭を下げられても、義時はまったくの無表情でした。時政の処置をどうするかは大江広元(栗原英雄)・三善康信(小林隆)・二階堂行政(野仲イサオ)の文官トリオも頭を悩ませましたが、結局、伊豆への流罪ということで落ち着きます。義時は無表情のまま、その決定を受け入れました。ブラック小四郎。
 そんな義時ですが、父と最後の面会では一転して、これまでひた隠しにしてきた思いが涙とともにあふれ出ます。鎌倉をこの先も父とともに守っていきたかったのに、それができずに無念だと明かすと、「父上の背中を見てここまでやってまいりました。父上は常に私の前にいた。私は父上を…私は…」と声を詰まらせました。思った以上に義時は時政を慕っていたのです。ここらが史実とドラマの違うところ。
 義時はさらに「今生のお別れにございます。父が世を去るとき、私はそばにいられません」と、その立場上、もう父とは会えないことを惜しみ、泣きじゃくりました。そこへ窓の外から、チャッチャッという鳥の鳴き声が聞こえてきます。時政はそれをウグイスの声だと言います。ウグイスの鳴き声といえば、ホーホケキョのはずですが、それはオスがメスを口説くときの鳴き声で、普段はこのように鳴くのだというのです。そう話して「ありゃウグイスだ。間違いない」と時政がひとりで納得すると、やがてホーホケキョという声が聞こえてきました。それを耳にしながら、時政もまた涙で顔を歪ませ、「なあ?」と言って、義時の肩に手を置くのでした。
 ここで「元久2年閏7月20日(西暦でいえば1205年9月5日)、執権・北条時政が鎌倉を去った」とナレーションが入ったので、この季節にウグイス? と思われた方もいるかもしれません。しかし、ウグイスは繁殖する山や林では、春先から盛夏ぐらいまではホーホケキョと鳴いているので、べつにおかしくはないのです。それにしても、なぜこの場面でウグイスだったのか。時政は本来なら伊豆の豪族としてささやかな暮らしを死ぬまで続けるはずだったのに、頼朝の挙兵を転機として、ついには身に余る権力まで手にすることになりました。そんな自身の人生を、普段は地味な声で鳴いているウグイスも、ときとして美しい声でさえずることに重ね合わせたのでしょうか。



『鎌倉殿の13人』第38回は史実の「牧氏事件」「牧氏の乱」を扱っています 下の1


「俺の女になれ」

 涙涙の時政・義時父子の別れとは対照的に、りくと義理の娘である政子・実衣の別れはカラッとしていました。面会を前に、実衣は「あの人のみすぼらしい姿、見たくない」と口にしましたが、その予想に反して、りくは差し入れさせたきれいな着物をまとって自慢したかと思うと、「北条に嫁いでいい思い出なんか一つもないわ」などとあいかわらずの憎まれ口を叩きました。
 それからしばし、頼朝挙兵時、伊豆山権現に3人で預けられたとき、りくが若い小僧に夢中になっていたことなど思い出話に花が咲きます。ここから政子が、伊豆に戻ったら、その小僧と会ってみてはどうですかと言えば、実衣が「小僧が仁王の像みたいになってたりして」と茶化しました。会話はそこで途切れたものの、皆そろって笑みを浮かべると、りくが「お世話になりました」と手をついて別れを告げました。上げてから下げるのが三谷流。ならばそのあと、りくは殺されるはずなのですが…。
 政子・実衣が帰ったあと、侍女が夕食を持ってやって来ます。しかし、その正体は、義時からりくを殺すよう命じられた刺客のトウ(山本千尋)でした。やっぱり三谷流。トウはりくの隣りに座ると背中の後ろで刀に手をかけるも、ちょうどそのタイミングで義時の妻・のえ(菊地凛子)がやって来ます。りくが鎌倉を去る前に、北条の人々とうまくやっていく秘訣を訊きに来たのでした。りくの答えは「無理やりなじもうとしないこと。あとは誇りに思うこと」でした。そして「私は北条に嫁いだことを誇りに思っていますよ」と付け加えたのです。
 のえが去ると、トウは再び刀をつかんで腰を浮かせますが、そこへ今度は義村が現れ、気づかれてしまいます。トウは義村につかまれた手をすぐにほどいて部屋を出ました。それでも彼が追いかけてくるので、互いに刀を抜いて一戦交えますが、刀を弾き飛ばされてしまいました。そこで庭に降りると、義村も刀を捨て、素手で戦うことになります。彼女は素早い身のこなしでぶつかっていくも、投げ飛ばされ、宙返りすると地面にしゃがみ込みました。そこで自分の刀が落ちているのに気づき、それを手に取って改めて義村に突進したものの、逆に抱きしめられてしまいます。義村はとどめは刺さず、「俺の女になれ」とささやきます。ここ、爆笑シーン。トウはその隙を突いて、相手の腕をひねって脇腹に蹴りを入れると、走り去っていきました。


『鎌倉殿の13人』第38回は史実の「牧氏事件」「牧氏の乱」を扱っています 下の2


承久の乱を予感

 このあと、りくのもとへ義時がしれっと顔を出します。「私を殺そうとしたでしょう」と図星を突いたりくでしたが、もう時政をけしかけるつもりはないときっぱり告げました。それでも憎まれ口はあいかわらずで、義時が執権を継がなかったことをなじったかと思うと、「意気地がないのね、この親子は」「手の届くところに大きな力があるなら奪い取りなさい。はがゆいったらありゃしない。何に遠慮しているのです?」「あなたはそこに立つべきお人。これは義母からのはなむけ」と言って、「あらやだ、はなむけは送る側がするものでしたね」と苦笑。これに義時は「父上と義母上の思い、私が引き継ぎます。これは、息子からのはなむけです」と返すのでした。主要人物が退場するたび、その者に合わせた見せ場が用意されてきた『鎌倉殿…』ですが、りくほど鮮やかな去り際を見せてくれた者もいないのでは。
 りくの叱咤激励を受けながら、義時はいよいよ権力の座に就きます。のえが持つ鏡を前に、漆黒の直垂(ひたたれ=礼装用の衣服)に着替えて支度を調えると、御所に赴き、まず手始めに、平賀朝雅を実朝に替わり鎌倉殿になろうとした罪で討ち取るよう命じました。
 義時の命令は、実朝の下文として京の御家人たちに伝えられ、朝雅はすぐさま追討されます。朝雅としてみれば、危険を察して京にとどまったのに、まさか鎌倉方の兵が襲撃してくるとは予想外であったでしょう。似合わぬ鎧兜姿で追い込まれ、「鎌倉殿になろうと思ったことなど一度もない!」と訴えるも、とどめを刺され、あっけなく最期を遂げました。
 朝雅以上に驚愕したのが後鳥羽上皇(尾上松也)でした。今回の鎌倉方の動きは、朝雅の主君は実朝であって自分ではないことを示すものと受け取った上皇は怒りに打ち震えます。そばにいた上皇の乳母・藤原兼子(シルビア・グラブ)は、京で大軍勢が動くのは義経が木曽義仲を討って以来のこととして、「鎌倉殿にこれ以上勝手な真似をさせてはなりません」と進言します。しかし、上皇にはこれが実朝の差し金とは思えませんでした。そこへ慈円(山寺宏一)が、鎌倉では時政が執権を追われたので、今回の一件はその跡取りによるものだろうと示唆します。このとき上皇は初めて北条義時の名前を耳にしたのでした。
 ちょうど鎌倉ではそのころ、義時が御家人たちを集め、今後は自分が時政に替わって政治を取り仕切ると宣言していました。これを聞いて御家人のひとり長沼宗政(清水伸)が、そのために時政を追い落としたのかと声を上げると、三浦義村もこれに乗じて「おまえは己の欲のために父親を執権の座から追い落としたのか」と問い詰めます。もっとも、これは義時があえて義村にそうするよう仕込んでおいたのでしょう。なにせツーカーの間ですから。この問いかけに「そうではない。時政に成り代わり、私はこの鎌倉を守る。それができるのは私しかいない」と義時が返すと、義村は一転して「たしかにそのとおりだ。北条義時のほかに御家人たちの筆頭になれる男を俺は知らない」と称賛し、御家人の不満を抑えてみせました。義時はさらに「けっして私利私欲で申しておるのではない!」とダメ押し。
 義時が鎌倉の頂点に立ったのを知るや、上皇は「義時…調子に乗りおって……許さん!」と復讐を期しました。こうして最後の山場となるであろう承久の乱を予感させながら、いよいよドラマは次回より最終章に突入するのでしょう。

『鎌倉殿の13人』第38回は史実の「牧氏事件」「牧氏の乱」を扱っています  ラスト


 『吾妻鏡』では、時政追放の記述はかなりあっさりとしています。元久2年閏7月19日条によれば、牧の方(りく)が平賀朝雅を将軍にして実朝を滅ぼそうとしているとの風聞があり、政子は実朝を義時の館に避難させると、時政が集めた兵もすべてそちらに移って守護するにいたった。時政はその日の深夜、突如として出家したという。さらにその翌日には、義時は時政が伊豆に下向するにともない執権の職を継承されたとあります。
 もっとも、実際に義時が執権となったのはもう少しあと、承元3年(1209)とされます。ドラマでもこれに従ったと思われます。劇中では、義時が時政追放の時点で執権にならなかったのは、執権の座欲しさに父を追い落としたと思われたくなかったからとされていました(代わりに政子に事実上の執権の役を譲った)。
 ただ、明確な役職に就かない者が事実上の政権トップに立つのはある意味危ういともいえます。執権のポストはあくまで鎌倉殿を補佐する役職であり、それを凌駕する権力を持つことは許されません。しかし、執権に就かなければどうでしょうか。その気になりさえすれば、いくらでも権力を濫用できてしまうでしょう。果たして義時がそのことに気づくのかどうか。彼がどんなきっかけで執権になるかは、今後の見どころのひとつのように思えます。

 今回は時政夫婦と北条の人たちの別れを軸に、今後を予感させるような描写もたびたび出てきました。たとえば、実朝が、自分のことを和田義盛が親しみを込めて(かつて上総広常がそう呼んでいたように)「武衛」と呼ぼうとするので、「武衛とは兵衛府のことで、親しみを込めて呼ぶものではない」と諭したうえ、「いまはそれより上の(官位の)羽林だ」と述べた場面。実朝は異例ともいえる早さで昇官し、のちには右大臣にまで昇りつめました。高すぎる官位はかえって負担を増やし、不幸を呼び込みます、いわゆる「官打ち」に実朝を追いつめたともいわれます。それだけに、例の義盛に対するセリフは不吉さも感じさせました。

放送日 : 2022年10月2日

参考図書

 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人』 NHK出版
 『史伝 北条義時』 山本みなみ(著) 小学館
 『北条義時』 安田元久(著) 吉川弘文館〈人物叢書〉
 『鎌倉殿と執権北条氏:義時はいかに朝廷を乗り越えたか』
        坂井孝一(著) NHK出版〈NHK出版新書〉
 『現代語訳 吾妻鏡』 五味 文彦 本郷 和人(訳.編) 吉川弘文館
 冒頭では、前回のラストから続き、執権・北条時政(坂東彌十郎)が、自分の館に連れ込んだ実朝(柿澤勇人)に対し、鎌倉殿の座を平賀朝雅(山中崇)に譲って出家すると起請文に書かせるべく脅迫を続けていました。
時政「鎌倉殿と起請文を書かないとじいは死ななければならない」

 館はすでに義時の命を受けて兵たちが取り囲み、実朝が解放されなければ攻め込む構えでありました。
 事態が切迫するなか、実朝を心配した和田義盛(横田栄司)が居ても立ってもいられず、時政側についた三浦義村(山本耕史)が、義時が来しだい自分がすぐに寝返るからと言って止めるのも聞かず、部屋へ乗り込んでいきます。そこで起請文を書くのをためらう実朝を見かねて、「書いちゃいなさい!」「起請文なんてあとで破いて捨てちゃえばいいんですから」と言うのがいかにも乱暴で筋肉脳みその義盛らしいところです。

和田義盛「鎌倉殿は、中にいるんだろ?」

三浦義村「執権殿は、鎌倉殿を出家させようとしている。これは謀反だ。俺は今は、執権殿についているが、小四郎が来たら俺は寝返ろうとおもう」

 またかよー、義村ぁ( ゚Д゚)

 時政もまた、これ以上実朝を脅すことにためらいを覚えていました。そんな夫にりく(宮沢りえ)は、何としても実朝に起請文を書かせ、館の包囲網を解くよう言わせてくださいとけしかけるのでした。

 館の外にはすでに義時(小栗旬)も待機していました。義時は、義村の説得により時政を投降させたうえで討ち取るつもりでした。まさに北条ファミリーの崩壊です。弟の時房(瀬戸康史)や息子の泰時(坂口健太郎)はそれを察して、何とか時政を殺すのだけはやめるよう押しとどめます。しかし、これまで謀反を企てた者はすべて討ち取ってきたのに、ここで義時が時政を見逃せば、北条は肉親には甘いと御家人たちの批判を浴びかねません。そばにいた八田知家(市原隼人)は、そんな義時の気持ちを泰時に向かって代弁し、義時本人には「構うことねえ。首、はねちまえ」と煽(あお)ります。

 ここへ来て時政もついに観念。りくと改めて向き合うと、彼女には鎌倉を離れ、京にいる朝雅と娘のきく(八木莉可子)を頼るよう勧め、自分は実朝を引き渡して降参すると告げました。そして義村にりくのことを任せたのてですが、当人は京には行かないと言って聞きません。そこで義村は、彼女を侍女に扮装させてひそかに館から脱出させました。

 りくはそのまま御所にいる政子(小池栄子)のもとに赴きます。りくはそこで時政は死ぬつもりだと伝えると、「こたびのこと、企んだのはすべて私。四郎(時政)殿は私の言葉に従っただけ。悪いのは私です」と政子に手をついて詫びました。プライドあげあげのりくの最期を覚悟した行為です。まさかの継母の言葉を受け、政子は何を思ったのか、外へ出ていきます。政子が向かったのは、北条の館を取り囲む義時のもとでした。もちろん、時政を助けるよう懇願するためです。しかし、切々と説得する姉に、義時は冷徹な態度を崩しません。そのあいだに実朝は解放され、館を出てきました。実朝を引き渡すにあたり、時政は義時へ、今後はおまえが北条と鎌倉を引っ張っていくようにとのメッセージを義盛に託していました。しかし筋肉脳みその義盛はそれを忘れてしまい、実朝が代わって義時に伝えました。

初回放送 : 2022年10月2日
なぜウグイスが?

 実朝が無事に戻ったところで、政子が改めて時政の助命を乞い、それでも義時が聞き入れないので、ついには御家人たちを前に土下座して「方々、どうか父をお許しください」と頼み込みました。尼御台にこうまでされては、武装した御家人たちも恐縮してひざまずかざるをえませんでした。
 そのころ、館内では時政が自害しようとしていたところを八田知家に止められ、捕縛されます。「息子でなくて悪かったな」。一方、御所では実朝を、乳母の実衣(宮澤エマ)と妻の千世(加藤小夏)が迎えました。このとき、千世に抱きしめられて実朝が戸惑う素振りを見せたのが、ちょっと気にかかります。LGBT?
 その後、時政は自分の館、りくは御所にそれぞれ幽閉され、処分を待つことになります。時政は殺されず出家で済まされると思われましたが、泰時はそれでも義時は何をするかわからないと予断を許しません。そんな泰時に、妻の初(福地桃子)は「何もわかっていない」と言い放ちました。義時が時政の謀反に際し泰時を一緒に連れて行ったのは、「自分のようになるな」と言いたかったからだというのです。さすがは三浦義村の娘、人の心を見抜く目があります。
 時政については、実朝からも助命するよう義時に対し申し出ました。だが、主君である鎌倉殿から頭を下げられても、義時はまったくの無表情でした。時政の処置をどうするかは大江広元(栗原英雄)・三善康信(小林隆)・二階堂行政(野仲イサオ)の文官トリオも頭を悩ませましたが、結局、伊豆への流罪ということで落ち着きます。義時は無表情のまま、その決定を受け入れました。ブラック小四郎。
 そんな義時ですが、父と最後の面会では一転して、これまでひた隠しにしてきた思いが涙とともにあふれ出ます。鎌倉をこの先も父とともに守っていきたかったのに、それができずに無念だと明かすと、「父上の背中を見てここまでやってまいりました。父上は常に私の前にいた。私は父上を…私は…」と声を詰まらせました。思った以上に義時は時政を慕っていたのです。ここらが史実とドラマの違うところ。
 義時はさらに「今生のお別れにございます。父が世を去るとき、私はそばにいられません」と、その立場上、もう父とは会えないことを惜しみ、泣きじゃくりました。そこへ窓の外から、チャッチャッという鳥の鳴き声が聞こえてきます。時政はそれをウグイスの声だと言います。ウグイスの鳴き声といえば、ホーホケキョのはずですが、それはオスがメスを口説くときの鳴き声で、普段はこのように鳴くのだというのです。そう話して「ありゃウグイスだ。間違いない」と時政がひとりで納得すると、やがてホーホケキョという声が聞こえてきました。それを耳にしながら、時政もまた涙で顔を歪ませ、「なあ?」と言って、義時の肩に手を置くのでした。
 ここで「元久2年閏7月20日(西暦でいえば1205年9月5日)、執権・北条時政が鎌倉を去った」とナレーションが入ったので、この季節にウグイス? と思われた方もいるかもしれません。しかし、ウグイスは繁殖する山や林では、春先から盛夏ぐらいまではホーホケキョと鳴いているので、べつにおかしくはないのです。それにしても、なぜこの場面でウグイスだったのか。時政は本来なら伊豆の豪族としてささやかな暮らしを死ぬまで続けるはずだったのに、頼朝の挙兵を転機として、ついには身に余る権力まで手にすることになりました。そんな自身の人生を、普段は地味な声で鳴いているウグイスも、ときとして美しい声でさえずることに重ね合わせたのでしょうか。

初回放送 : 2022年10月2日


「俺の女になれ」

 涙涙の時政・義時父子の別れとは対照的に、りくと義理の娘である政子・実衣の別れはカラッとしていました。面会を前に、実衣は「あの人のみすぼらしい姿、見たくない」と口にしましたが、その予想に反して、りくは差し入れさせたきれいな着物をまとって自慢したかと思うと、「北条に嫁いでいい思い出なんか一つもないわ」などとあいかわらずの憎まれ口を叩きました。
 それからしばし、頼朝挙兵時、伊豆山権現に3人で預けられたとき、りくが若い小僧に夢中になっていたことなど思い出話に花が咲きます。ここから政子が、伊豆に戻ったら、その小僧と会ってみてはどうですかと言えば、実衣が「小僧が仁王の像みたいになってたりして」と茶化しました。会話はそこで途切れたものの、皆そろって笑みを浮かべると、りくが「お世話になりました」と手をついて別れを告げました。上げてから下げるのが三谷流。ならばそのあと、りくは殺されるはずなのですが…。
 政子・実衣が帰ったあと、侍女が夕食を持ってやって来ます。しかし、その正体は、義時からりくを殺すよう命じられた刺客のトウ(山本千尋)でした。やっぱり三谷流。トウはりくの隣りに座ると背中の後ろで刀に手をかけるも、ちょうどそのタイミングで義時の妻・のえ(菊地凛子)がやって来ます。りくが鎌倉を去る前に、北条の人々とうまくやっていく秘訣を訊きに来たのでした。りくの答えは「無理やりなじもうとしないこと。あとは誇りに思うこと」でした。そして「私は北条に嫁いだことを誇りに思っていますよ」と付け加えたのです。
 のえが去ると、トウは再び刀をつかんで腰を浮かせますが、そこへ今度は義村が現れ、気づかれてしまいます。トウは義村につかまれた手をすぐにほどいて部屋を出ました。それでも彼が追いかけてくるので、互いに刀を抜いて一戦交えますが、刀を弾き飛ばされてしまいました。そこで庭に降りると、義村も刀を捨て、素手で戦うことになります。彼女は素早い身のこなしでぶつかっていくも、投げ飛ばされ、宙返りすると地面にしゃがみ込みました。そこで自分の刀が落ちているのに気づき、それを手に取って改めて義村に突進したものの、逆に抱きしめられてしまいます。義村はとどめは刺さず、「俺の女になれ」とささやきます。ここ、爆笑シーン。トウはその隙を突いて、相手の腕をひねって脇腹に蹴りを入れると、走り去っていきました。


初回放送 : 2022年10月2日
承久の乱を予感

 このあと、りくのもとへ義時がしれっと顔を出します。「私を殺そうとしたでしょう」と図星を突いたりくでしたが、もう時政をけしかけるつもりはないときっぱり告げました。それでも憎まれ口はあいかわらずで、義時が執権を継がなかったことをなじったかと思うと、「意気地がないのね、この親子は」「手の届くところに大きな力があるなら奪い取りなさい。はがゆいったらありゃしない。何に遠慮しているのです?」「あなたはそこに立つべきお人。これは義母からのはなむけ」と言って、「あらやだ、はなむけは送る側がするものでしたね」と苦笑。これに義時は「父上と義母上の思い、私が引き継ぎます。これは、息子からのはなむけです」と返すのでした。主要人物が退場するたび、その者に合わせた見せ場が用意されてきた『鎌倉殿…』ですが、りくほど鮮やかな去り際を見せてくれた者もいないのでは。
 りくの叱咤激励を受けながら、義時はいよいよ権力の座に就きます。のえが持つ鏡を前に、漆黒の直垂(ひたたれ=礼装用の衣服)に着替えて支度を調えると、御所に赴き、まず手始めに、平賀朝雅を実朝に替わり鎌倉殿になろうとした罪で討ち取るよう命じました。
 義時の命令は、実朝の下文として京の御家人たちに伝えられ、朝雅はすぐさま追討されます。朝雅としてみれば、危険を察して京にとどまったのに、まさか鎌倉方の兵が襲撃してくるとは予想外であったでしょう。似合わぬ鎧兜姿で追い込まれ、「鎌倉殿になろうと思ったことなど一度もない!」と訴えるも、とどめを刺され、あっけなく最期を遂げました。
 朝雅以上に驚愕したのが後鳥羽上皇(尾上松也)でした。今回の鎌倉方の動きは、朝雅の主君は実朝であって自分ではないことを示すものと受け取った上皇は怒りに打ち震えます。そばにいた上皇の乳母・藤原兼子(シルビア・グラブ)は、京で大軍勢が動くのは義経が木曽義仲を討って以来のこととして、「鎌倉殿にこれ以上勝手な真似をさせてはなりません」と進言します。しかし、上皇にはこれが実朝の差し金とは思えませんでした。そこへ慈円(山寺宏一)が、鎌倉では時政が執権を追われたので、今回の一件はその跡取りによるものだろうと示唆します。このとき上皇は初めて北条義時の名前を耳にしたのでした。
 ちょうど鎌倉ではそのころ、義時が御家人たちを集め、今後は自分が時政に替わって政治を取り仕切ると宣言していました。これを聞いて御家人のひとり長沼宗政(清水伸)が、そのために時政を追い落としたのかと声を上げると、三浦義村もこれに乗じて「おまえは己の欲のために父親を執権の座から追い落としたのか」と問い詰めます。もっとも、これは義時があえて義村にそうするよう仕込んでおいたのでしょう。なにせツーカーの間ですから。この問いかけに「そうではない。時政に成り代わり、私はこの鎌倉を守る。それができるのは私しかいない」と義時が返すと、義村は一転して「たしかにそのとおりだ。北条義時のほかに御家人たちの筆頭になれる男を俺は知らない」と称賛し、御家人の不満を抑えてみせました。義時はさらに「けっして私利私欲で申しておるのではない!」とダメ押し。
 義時が鎌倉の頂点に立ったのを知るや、上皇は「義時…調子に乗りおって……許さん!」と復讐を期しました。こうして最後の山場となるであろう承久の乱を予感させながら、いよいよドラマは次回より最終章に突入するのでしょう。

 『吾妻鏡』では、時政追放の記述はかなりあっさりとしています。元久2年閏7月19日条によれば、牧の方(りく)が平賀朝雅を将軍にして実朝を滅ぼそうとしているとの風聞があり、政子は実朝を義時の館に避難させると、時政が集めた兵もすべてそちらに移って守護するにいたった。時政はその日の深夜、突如として出家したという。さらにその翌日には、義時は時政が伊豆に下向するにともない執権の職を継承されたとあります。
 もっとも、実際に義時が執権となったのはもう少しあと、承元3年(1209)とされます。ドラマでもこれに従ったと思われます。劇中では、義時が時政追放の時点で執権にならなかったのは、執権の座欲しさに父を追い落としたと思われたくなかったからとされていました(代わりに政子に事実上の執権の役を譲った)。
 ただ、明確な役職に就かない者が事実上の政権トップに立つのはある意味危ういともいえます。執権のポストはあくまで鎌倉殿を補佐する役職であり、それを凌駕する権力を持つことは許されません。しかし、執権に就かなければどうでしょうか。その気になりさえすれば、いくらでも権力を濫用できてしまうでしょう。果たして義時がそのことに気づくのかどうか。


初回放送 : 2022年10月2日

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2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 更新情報

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